違法経済特区編 第二話『リバイズ』

 窃盗騒動から数日後。


 惰性的な生き方しかできない男は、太陽が真上から照りつける中、布団の中で爆睡していた。


 基本的に夜勤として働いているということもあり、久間の朝は非常に遅い。いや、もう朝とも呼べる時間ではない、完全に昼だ。

 久間きゅうまは体を軽く伸ばしながら、大きなあくびをこぼした。


 今日は明け番でオフだったが、特にやることもなかった。


「暇だな」


 誰もいないアパートのワンルームで、独り言ちる久間。

 これといって何か趣味があるわけではなく、それでいて友人もいないため、久間は休日と最も相性が悪い。


 実は家にテレビがない。バラエティやドラマ、アニメ、映画、ニュースといったものに、久間はあまり関心がないためだ。一応、加村と連絡を取るための手段として携帯電話を持ってはいるが、久間にとってはほぼ必要がない。久間の部屋は、ありとあらゆる娯楽から隔離された、まさに刑務所のような空間だった。昔から続けていることといえば、貯金と筋トレだけである。


 休みの日は時間が特に余るため、時間を潰すことを目的に体を鍛えている。だが、本気で筋トレがしたいわけではないため、そのメニューは非常に軽い。中学校の運動部員よりも優しい内容となっている。


 だが、ここであることを思い出した。久間はカッと目を見開き、冷蔵庫の前まで走る。急いで中を確認すると、もうほぼ空っぽ同然の状態だった。


 重宝している納豆ですらゼロ、あるのはこんにゃくときゅうりと牛乳、そしてもやし。

連勤が続いて、買い出しをしておくのを忘れてしまっていた。


 しかし、まだ最悪の事態に陥ったわけではない。久間の財布こそ薄くて軽いが、貯金自体は人並み以上にある。少なくとも、一般的なフリーターに比べたら十分すぎるほどだ。


 そんな彼が向かうのは、歩いて五分足らずのところにある激安スーパーだ。久間が普段から大変お世話になっている場所である。

 久間は財布に買い出し分の金額があることを確認し、足取り軽く部屋を出た。


 その時、アパートの入り口に数人の男たちが待ち構えているのを目にした。金髪や茶髪にスキンヘッド、さらにピアスやサングラスにマスクなど、絵に描いたような不良連中だった。


 久間が連中の前を知らぬ顔で通り過ぎようとした時、そのうちの一人に肩を掴まれた。

 男は侮蔑を込めた目で久間を一瞥し、気味の悪い薄笑いを浮かべた。

 見た目の印象は典型的なストリートギャングだが、まだ顔に幼さが残っていた。おそらく、十代半ばあたりだろう。


「あの、俺になんか用?」


 久間は気怠げに訊ねた。


「忘れたとは言わせねぇぞ、おい」


 聞き覚えのある声だった。そして気づく、目の前の不良少年は数日前に窃盗騒動を起こした後輩、浅野大輝あさのだいきだった。

 髪をスキンヘッドに変えており、ぱっと見では彼だとわからなかった。


「どうしたんだよ、その頭。あっ、もしかしてイメチェン?」


「金パクったのがバレて、親父のやつに丸坊主にされたんだよ。んで、ダセェからそのまま全部剃っただけだ」


「むしろ悪化してねぇか? それじゃただのハゲだろ」


「ずいぶんとでけぇ態度だな、この状況が理解できてねぇのか?」


 気づけば久間は四人の不良少年たちに囲まれ、退路を断たれていた。


「俺、お前になんかしたか?」


「加村の野郎に言ってたらしいじゃねぇか、俺が怪しいってよぉ。あそこでバイトしてるオタク野郎に問い詰めたら、お前が疑ってたってすぐに吐いたぜ?」


「それは俺だけじゃないって、誰だって素行不良が目立ってたお前を疑う。店長だって、俺が言う前からお前に目星をつけてたんだぜ?」


「んなの関係ねぇんだよ。てめぇが俺を疑ってたせいで、金パクってたのがバレちまったことには変わりねぇだろうが」


 浅野は久間の言い分をまるで聞こうとはしなかった。これでは話が全く通じない。


「とりあえず、ちょっとツラ貸せや、ここじゃ人目につくだろ?」


 浅野は仲間たちで久間を隠しながら、近くの路地裏へと連れ込んだ。そこは特に一通りが少なく、非行を働くには絶好のポイントだった。


「おい大輝、こいつどうすんだよ? ひん剥いて女子トイレにでも捨てるか?」


「そうだなぁ、でもこいつ、無職ってやつだからそこまで痛手じゃねぇんだ。社会的には俺らより底辺だからよ。するならもっと直接的な方がいい」


 げらげらと汚い笑い声をあげながら、少年たちは久間でどう遊ぶかを審議していた。


「なら決まるまで、とりあえず俺らのサンドバッグになってもらおうぜ」


「そうだな、殴りながら考えれば効率いいか」


 どうやら、特に何か考えがあるわけではないようだった。思考を放棄してただ暴力を振るう。なんとも古臭いスタイルの不良である。


 久間は日々の運動を怠ることなく生活を送ってはいるものの、さすがに四人を相手に勝てるほどの強さは持っていない。それは当然だ、あくまでランニングやストレッチなどをしていただけで、格闘技を習っていたわけじゃない。それに素手の喧嘩ならば、慣れている少年たちの方に軍配があるだろう。


 ここで久間が勝てる可能性はほぼゼロに等しかった。逃げ出すというのが最善だが、それができたらそもそもこんな所に連れ込まれたりなどしない。もはや絶望的と言っていい状況だ。


 プライドも特に持ち合わせていない久間が選ぶ道は、もう既に決まっていた。


「なあ、悪かったよ、浅野。謝るから許してくれ。ほら、この通りだ」


「あ? マジかこいつ」


 それは謝罪。本来、男であるならばこのような選択はありえないのだが、今は意地を張っている場合ではなかった。

 捨てるものがない久間にとって、謝罪は当然の選択である。


 正直、男から見ても女から見ても、この久間の選択は情けない以外の何者でもない。

 ダサい、意気地なし、弱虫。いくらでも罵声が並べられる。


 そのうえ、この状況でただ謝って解放されるわけなどない。その程度のことで片付けられるなら、最初から路地裏になど連れ込んだりはしない。


 浅野たちにとって、欲しいのは有り金でも、謝罪でもないのだ。ここで久間が頭を下げ、みっともない姿を晒したとしても、彼らにとってはどうでもいいことである。


 それをわかったうえで、久間は謝罪を選択した。非常に低い確率とはいえ、有り金と謝罪で解放される可能性にかけたのだ。それほどまでに、久間は安全の道を追う。

 人には、弾みというものがある。ただのリンチでも、人が命を落とすことがないとは限らないのだ。


 どんなに見すぼらしくても、久間は己の身を第一に考える。それが、最も効率の良い生き方だと信じていたからだ。


「はっ、はははっ、情けねぇなぁ。ったく興ざめだぜ。もっと泥臭く俺らに立ち向かって来てくれた方がよっぽど面白かったのにな」


「そうそう、さっきまであんなでけぇ態度だったのになぁ! 逃げられないってわかったらこれだぜ? だっせぇ!」


「マジで口だけじゃねーかよ、見てらんねーぜこいつ」


 少年らが久間を嘲笑うのは当然のことである。誰の目から見ても、彼の姿は滑稽だ。


「なぁ、頭下げられたまんまとかうざいし、もういいよな? やっちゃって」


「俺ももう我慢できねぇ。なんかこいつの態度マジムカつくし」


「そうだな、謝ったところでやめる気とか元々ねーし」


 彼らにとって、理由などどうでもいいものだった。ただ、暇つぶしができればそれでいい。その程度のことだ。


 久間も、ついに覚悟を決めた。だが最後にとりあえず、少しは抵抗してみることにした。運が良ければ逃げ切れるかもしれない、そんな僅かな望みにかけて。

 立ち上がり、膝の汚れを手で軽く払う。

 玉砕覚悟で暴れようとした、その時だった。


「お兄さんたちさー、同性いじめて遊ぶより、女の子引っ掛ける方が楽しいと思わなーい?」


 それは路地裏の入り口から聞こえてきた。

 

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