違法経済特区編 第三話『ドライブ』
視線を向けると、フードを被った小柄な少女が久間たちの元に歩み寄って来る。
「あ? 誰だてめぇ」
「あれ、見てわからない? 空前絶後の超絶美少女だよ? ホモのお兄さんたち」
少女はセミロングの金髪を揺らしながら、不敵な笑みを浮かべた。悪戯心の宿った瞳に、整った清楚な顔立ち。万人が口を揃えて美少女と答えるであろうその容姿は、自分で超絶とつけて美少女と言うだけのレベルではある。
「なんだこのガキ、誰がホモだって?」
「ふふ、見たまんまを言っただけだよ? 今からみんなでお尻の穴を掘り合おうとしてるってわけじゃないなら、いったい何をしようとしてるのかな?」
「てめぇには関係ねぇ話だ」
不良連中に全く物怖じしない少女、それどころかまるで挑発するかのような態度だ。
「なぁ大輝、この勘違いしてるガキから先にまわさね?」
「賛成、野郎殴るよりも楽しそうだ」
少年たちの標的が、久間から少女へと移る。
「おいガキ、俺らの気分を害したこと、後悔するんだなぁ」
「私みたいなのが好みって、もしかしてロリコンだったりするのかな? けど、私で遊ぶよりももっといいこと、させてあげるよ」
少女は自信に満ち溢れた表情で、ゆっくりとポケットから何かを取り出し、手を振り上げてばら撒いた。
「は、はぁ?」
少年たちは目を白黒させる。なんとそれは、大量の一万円札だった。
「ほら、拾いなよ。好きなだけ持ってっていいよ。ただその代わり、早くどっかに行ってくれないかな?」
「お、おいおい、マジかよ! これ、ガチの金じゃねぇか! いったいいくらあんだよ!」
地面に落ちた大量のお札に、少年たちの目は釘付けになってしまった。もう久間など眼中にない。
「何十万って金だぞ!」
「お、お前、いったいこの金、どど、どうやって」
浅野が声を震わせながら、少女に問う。
「そんなこと、いちいち聞く必要ある?」
「いや、だがな、これが偽札だってこともあるだろ! こんな金、普通じゃねぇ!」
浅野はやけに冷静だった。その正体不明の一万円札に対し、異常なまでに警戒している。
「偽札を持ち歩くことより、本物のお札を持ち歩くことの方が、私は自然だと思うけど?」
少女の言い分はもっともだ。精巧に作られている偽札など、誰もが持っているものではない。しかしそれが本物であるならば、誰だって持っていておかしくない。お金は、この世に溢れるほど存在するのだから。
「そうだよ
興奮して、息を荒くする少年たち。
次第に浅野の警戒心も薄れていった。
「おいガキ、後悔すんなよ? これ、もらってっていいんだよなぁ?」
「ええ、すぐにここから立ち去ってくれるのなら、喜んでお兄さんたちにあげるよ。悪い話じゃないでしょ? ここで無駄な時間使って、後で警察のお世話になるより、そのお金で遊びに出かけた方がよっぽど有意義だと思わない?」
「へへ、ならそうさせてもらうぜ」
下卑た笑みを浮かべながら、少年たちは路地裏から消えて行った。ばら撒かれたお札を、一枚も残すことなく。
その瞬間、一気に体の力が抜け落ち、久間はその場に座り込んだ。
「大丈夫? もしかして、もう既に殴られちゃってた?」
「いや、間一髪だよ。助かった、ありがとう」
「ふふ、どういたしまして」
「で、何で俺なんか助けたんだよ? 俺、あんたのこと知らないんだけど」
「あー、それなら大丈夫だよ。私も君とは初対面だから。君を助けたのは、単なる私の気まぐれみたいなものかな」
「気まぐれで金をドブに捨てるって、いったい何者だよ?」
「ふふ、気まぐれだって別にいいじゃない。人を助けることは、世間一般では良いこととして扱われてるんだから。理屈や理由なんていらないと思うけど」
「見た感じまだ未成年っぽいけど、家が大富豪とか?」
「うん、私はまだ高校生だよ。でも家が裕福ってわけじゃないかな。むしろ庶民中の庶民、しかも最近までは借金があったくらいだし」
「は? いや、それはさすがに嘘だろ?」
「それが実は本当なんだなぁ、まあ信じてはくれないだろうね」
当然だ。ついさっき目の前で一万円札をばら撒いた少女が庶民で、それも最近まで借金があったなど、到底信じられるはずがない。
何故なら相手は高校生、何十万というお金を容易く捨てられるような財力があるとは考えにくいからだ。
だが、それでいて嘘を言っているようにも見えなかった。少女の瞳は純粋で、本心から久間を助けたように感じられた。
それが久間には非常に訝しく、ある意味恐怖だった。
他人を善意で助ける、それも大金を払ってまで。そんな人間がこの世に存在するなど、大抵の者は思わない。
もし久間が男ではなく、か弱い女子だったとしたら、見返りを求めた男性に助けられるという展開はあったかもしれない。もっと言えば、暑苦しいほどに正義感のある人間ならば、相手が誰であろうと助けに入っただろう。だが例えいたとしても、大金を湯水のように捨てたりなどしない。それほどまでに、人間にとってお金とは甘美なものなのだ。
「私は恩をお金で買ったようなものだよ。だから君は、私にたくさん感謝するといい。あっ、それよりも君に一目惚れしちゃって、大金出して買い取ろうとしてるって言った方が嬉しいかな?」
「口が達者だな。あいつらがあんたからもっと金を取ろうとしたり、体を要求してきたりしたらどうするつもりだったんだ? 恩を買うって言っても、あれで俺を助けられる保証はどこにもなかったはずだ」
久間の主張はもっともだった。犯罪に対して抵抗がない人間を相手に、お金を支払うからこの場を引いてくれと頼んだところで、素直に従ってくれるとは限らない。非常に危険な愚行だ。恩を買うのが目的だとしても、これでは採算が全く合わない。
「そうだね、たしかに確実じゃない。けど、私は信じてたんだよ。お金は、人を助けることができるものだって」
「はぁ? どういう意味だよ、そりゃ」
「そのまんまだよ。それだけの力が、お金にはある。でも、逆を言えば人を不幸にするのもまたお金。だからこそ救うこともできる。私はそれを信じた。そして君は助かった。ただそれだけのことだよ」
少女はすました顔で肩をすくめた。それはある意味、皮肉のような言葉だった。人の生き死にを、まるでお金が左右している。人がお金を支配しているのではなく、お金によって人が支配されているような、この世の真理。
「お人好しだな、あんた」
「褒め言葉として受け取っておくよ。それじゃあ、私はこれで」
少女は満足げに頬を緩め、路地裏から姿を消した。
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