キング・ミダス編 第三話『クリティカル』

 時は経ち、ついに残りの資産家アセットホルダー久間きゅうまたちの同盟を除いては新渡戸にとべただ一人という状況になっていた。


 この間、新渡戸はずっと息を潜め続け、久間たちが他の資産家アセットホルダーを全員倒す時を待っていたのだ。


 区域内にある大量のベネと資産アセットのほとんどが久間たちの元に集まる、この瞬間を。

 トランザの舞台となるオフィスビル内では、初期位置移動を待ちながら和泉いずみと新渡戸が互いに睨み合っていた。


「まさかこんな良いセッティングでてめぇと闘うことになるとは、クソガキ」


「ほんとね、もっと可愛くてあたし好みの相手が良かったわ」


「クハハ、そりゃあ久間みてぇなやつのことか?」


「うーん、顔だけなら合格かな。ただ性格や価値観は最悪。あんたと同じでね」


「手厳しいなぁ。さて、そろそろ初期位置に移動する。てめぇのその生意気なツラ、今のうちにたっぷり拝んでおくぜ。なんせ勝負が始まったら、もう俺とお前が会うことはねぇだろうからなぁ」


 和泉は遠回しに、彼が普段から使っている分身による戦法を行うという意思を伝える。今までのトランザを観戦してきた新渡戸は、その得意戦法に関しては既に認知していた。無論、それが真実かどうかなどわからない。言ってしまえば、ただの単純なブラフだ。この瞬間から、勝負の駆け引きは始まっている。


 程なくして、二人が初期位置へと移動する。和泉は運悪く最上階、新渡戸は二階の喫煙室へとワープした。


 久間と藍原あいはらは、モニターの前でトランザの行方を観戦していた。

 もちろん求めるのは和泉の勝利だが、仮に敗北したとしても、三人の誰かが新渡戸の資産アセットを見抜くことさえできればいい。


 トランザ開始と同時に、早くも新渡戸が警備室へと向かった。そこは和泉がトランザ中、毎回テリトリーにしている場所だ。切断ニッチを使い、階段を下りずに床を破壊して進む。ビル外部に出るための窓や扉は壊せないが、内部の壁や床は可能である。


 一階の警備室をおさえた新渡戸は、まず和泉の様子を確認する。和泉は囮の分身ペルソナを下層へと向かわせ、自身は最上階の一つ下にある大型の会議室で軽く準備体操をしていた。わざと隙を作り、新渡戸を誘っているらしい。


 既に、得意戦法である警備室からの分身を駆使した闘い方は、見破られている相手には効果を発揮しない。そのため、和泉は自身の戦術を知っている古参の資産家アセットホルダー相手の際は、警備室の近くが初期位置にならない限り、戦い方を固定するようなことはしていなかった。


 そして今回の相手は自身の戦術をよく知る新渡戸、すぐに警備室を破壊しに向かうと読み、わざとカメラの前で準備体操をして見せていたのだ。


 新渡戸は警備室のモニターを全て壊し、念のために閲覧不可能にしておいた。これで万が一の時、和泉はカメラという索敵能力を失うこととなる。


 そして誘われているとわかってなお、自ら和泉の元へと向かった。彼女の持つ資産アセットの効果ゆえに、あまり相手と距離がありすぎると決定力に欠けるからだ。


 階段は和泉の分身が使用しているため、仕方なくエレベーターを利用する。

 エレベーターへ向かう途中、新渡戸はぶつぶつと小言を吐き捨てていた。しかし、エレベーター前に着いたところで、彼女は己の過ちに気づいてしまった。


「まずい!」


 すぐさま彼女はエレベーターから離れる。

 そう、これは王道の罠なのだ。今まで、何人もの人間がこの手の方法で敵を騙し食らってきた。


 一つだけ開放されたルートがある場合、そこは十中八九罠になりやすい。何故なら、向こうに自身の居場所を教えているようなものだからだ。


「ちっ、面倒ね……あのデカブツ、女の子を歩かせるなんて最低」


 和泉に対して悪辣な罵声を吐き、新渡戸は階段へと足を向けた。

 解き放たれていた分身ペルソナとあえて正面から対峙し、切断を使って強引に突破していった。

 

 その様子は、中々にショッキングな映像だった。分身ペルソナとわかったいても、和泉の体が真っ二つになる光景は見ていて気分の良いものではない。藍原は思わず目を閉じてしまっていた。


 だが、その様子を久間は訝しげに見つめていた。新渡戸はどこにでもいる普通の中学生だというのに、やけに近接戦闘に長けていたのだ。


 和泉の分身の攻撃を全てかわし、ノーダメージで切り抜けて行った。いくら分身が本人よりも戦闘力で劣るとはいえ、フィジカルに関しては和泉がベースである。当然、恵まれた体格を持つ和泉相手に女子中学生が圧倒することなど不可能だ。


 しかし、まるで新渡戸は相手の動きが全てわかっているかのように、的確に攻撃を避けて分身ペルソナを倒した。だが、それは特別な訓練を受けてようにも見えなかった。


 故に、たどり着く答えは一つだった。あれこそが、新渡戸の手に入れた新しい資産アセット。そう考えるしかない。

 藍原の横で、久間は額に青い筋を浮かべていた。その資産アセットに対する危険度に、僅かながらに恐怖を覚えていたのだ。


「嘘……だろ」


 思わず、誰に語るわけでもなく一人呟いていた。それは本能的に、無意識のうちに口から出た言葉だった


 やがて、新渡戸は和泉のいる会議室へとたどり着いた。

 中はフロアの半分以上をしめる広さで、中央がくり抜かれた楕円型の机がスペースを最も使用している。

 その大きな机の上で、和泉があぐらをかきながら待っていた。


「よぉ。俺の分身がやられたってことは、エレベーターは使わなかったみたいだな」


「ふん、当然。卑怯なあんたのことだし、どうせ罠とか仕掛けてたんでしょ? 残念だけど、あたしはあんな使い古された罠には引っかからないわ」


「クッ……クハハッ……クハハハハッ!」


 突然、和泉は狂ったように腹を押さえて笑い出した。

 その不気味な光景に、新渡戸は僅かに引いていた。


「ばぁか……逆だよ、逆。エレベーターを使わせねぇことに意味があったんだ」


「なっ! ど、どういうこと!」


「てめぇが手に入れた新しい資産アセットが何なのか……そいつを見極めるためだよ」


 瞬間。新渡戸の顔が強張る。


「クハッ、知らねぇわけねぇだろ。てめぇがロバ耳と手を組んで資産アセットを増やしたことはもうとっくにバレてんだよ。だからより多く情報を与えるために、あえてエレベーターに乗せなかったのさ。俺の分身ペルソナと交戦すれば、僅かとはいえ久間たちにてめぇの戦闘スタイルを見せることができる。特定には至らずとも、多少なりともヒントは得られるはずだ。特に久間は目敏いからな、きっと気づく……わかったか、てめぇはまんまと俺らに情報を与えちまったんだよ! 間抜けがぁ!」


 和泉が嬉しそうに声を張り上げると、新渡戸は不服そうに奥歯を噛み締めた。和泉の思い通りに動いてしまったことが、非常に悔しかったらしい。


「てめぇでおつむが優秀だと傲ってる奴ほどこの手は有効だ。なんたって勝手にてめぇで深読みして、見当違いの答えに納得してくれんだからなぁ!」


 ここぞとばかりに、和泉は新渡戸を煽った。

 新渡戸は罠が仕掛けられている恐れのあるエレベーターを見事に避けたつもりだったが、それはある意味で間違いでもあった。本当に罠が仕掛けれていた可能性もあるが、和泉の狙いは初めからモニターの前にいる久間たちに新渡戸の資産アセットを推察させることだったのだ。


 相手の作為を完全に読み切れず、新渡戸は和泉の仕掛けた本命に釣り上げられてしまった。

 悔しさと羞恥から、新渡戸は震えながら和泉を舐めつけた。


「クハハ、てめぇにはその顔がよく似合うぜ。プライドが無駄に高くて、足下見られたらすぐそうやってカッとなる。やっぱガキだな。いくらおつむが立派でもよぉ」


「……うるさい! ああ、もう! ほんとあんたってば性格悪い! だからみんなから嫌われてんのよ!」


「おいおい、そりゃてめぇが言うことじゃねぇだろ。鏡をよく見やがれ」


「わかったような言い方するとこがマジでうざい! ていうか、あんたとはよくモニター前で一緒になること多かったけど、別に友達でもなんでもないんだからね! いちいち馴れ馴れしいのよ!」


「なんだぁ? 今からツンツンキャラにジョブチェンジか? クハハッ、似合わねぇからやめとけって!」


 和泉はわざと大袈裟に煽り、新渡戸の冷静さを崩していく。年相応で沸点が低く、見事にその作為の沼に落ちていく新渡戸。


 次第にペースが乱され、和泉の術中にはまってしまう。

 まずは相手の精神にふるいをかけ、己に主導権を移す戦法。誰もが既に見知っている和泉の狡猾さが改めて露わになった。


「あー! もう面倒くさい!」


 新渡戸は声を張り上げ、己の頬を両手で叩いた。狂わされた場のペースを、一度リセットする。


「どうせ、ここであんたと闘えば情報は嫌でも伝わる。ちょっと自分の作戦が上手くいったからって、調子に乗らないことね」


 途端に、新渡戸の表情が険しくなる。


「クハハ、そうだな……だが俺と俺の分身ペルソナを相手にどこまで戦える? 切断ニッチを使っても、俺の分身ペルソナはすぐに復活するんだぜ?」


「今のうちにそうやって吠えてなさい。相手が何人いようが、あたしには関係ないから」


 和泉は怪訝に眉をひそめる。新渡戸の言葉には、ハッタリのようなものが感じられなかったのだ。まるで、本当に和泉を圧倒できるかのような自信だった。


「ったく、女を殴る趣味はねぇってのによ」


「ふん、嘘ばっかり。今まで相手が女だろうがジジイだろうが、構わず容赦なく破産させてきたくせに」


「クハッ、そうだったな。だからまあ……えーっと、なんだ……泣いても知らねぇからな」


 刹那、和泉は勢いよく机を蹴りあげ、新渡戸の懐へと飛びかかった。同時に、彼の分身ペルソナが新渡戸の背後に出現する。


 完全に挟まれた新渡戸だったか、彼女は全く無駄のないしなやかな動きで、両端からの攻撃を難無く避けた。


 それは階段で分身と闘った時と同じだった。彼女は何故か、和泉や分身の動きを先読みしているかのようだった。

 さすがの和泉も、中学生とは思えないその身のこなしに、強い違和感を覚えた。


 すかさず第二撃、第三撃と拳を振り下ろすが、新渡戸にはかすりもしなかった。

 その瞬間、和泉の中の疑惑は確信へと変わった。

 底知れない危険性を感じた和泉は、素早く新渡戸と距離を空けた。


「てめぇ……とんでもねぇ資産を手に入れやがったな」


「さぁ、なんのことだか」


 新渡戸は肩をすくめ、わざとらしく惚けた。


「来ないなら、こっちから行くわ」


 切断を使い、先に分身の方から始末する新渡戸。攻撃の際、僅かながらに生まれた数秒の隙を、和泉は見逃さなかった。


 一瞬のうちに間合いを詰め、新渡戸に殴りかかる。

 だが、確実に隙を突いたはずの和泉の攻撃までも、新渡戸にはかわされてしまう。

 もはや、全身に目玉がついているかのような異質な動きだった。


「くっ……バカな……」


「終わり? なら、今度はあたしの番」


 新渡戸は攻撃を回避すると同時に、和泉の胸元に青白く光る手を当て、多額の投資を行った。それは新渡戸が可能とする投資の上限額だった。


「……ぐわああああっ!」


 悲痛な叫びが轟き、会議室の壁を反響した。

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