キング・ミダス編 第四話『ファクト』

 総資本の全てを投資されてしまい、一瞬のうちに和泉いずみの視界には破産の文字が刻まれた。


 倍額を得ることが可能な総資本の全額投資は、相手とのマージンをもろともしない恐ろしい破壊力を持っている。


 新渡戸にとべが会議室に来てから、僅か十分も満たない時間で勝敗は決した。

 結果、和泉は破産となり、この区域から永久追放される。


「……お、俺の負けか……クハ、しかも破産かよ……」


 突然襲いかかった疲労感から、和泉はその場に背中から倒れた。


「バカな男。あれだけドヤ顔しといて、こんな呆気なく終了とか。今のあんた、クソださいわよ」


 会議室の床に仰向けのまま寝転ぶ和泉に、新渡戸は見下しながら罵声を吐き捨てた。


「あーあ、これでもう俺の役目は終わりか。まあ、最後はなんだかんだ楽しかったぜ」


「なにそれ、負け惜しみ? 今さらなに言っても遅いっての」


 新渡戸が呆れていると、破産の知らせを聞きつけたミダスがトランザ内に出現した。いつものように、何の兆しもなく。


「新渡戸様、おめでとうございます! そして和泉様、今までありがとうございました! あなた様はこれにて破産です。お疲れ様でした」


 心なしか、普段よりもミダスはハイテンションだった。


「ちっ、まんまとやられたぜ。ったく、運営がゲームに介入してくるとか、クソゲーもいいとこじゃねぇか」


「はて……何のことでしょう?」


 ミダスは知らないふりをした。しかし、和泉たちにはもうバレているだろうと、心の中では危惧していた。


「おいロバ耳、最後にモニター前と音声を繋いでくれ。久間きゅうまと少し話がしたい」


「は? ちょっと、そんなのダメに決まってんでしょ! それでもし、あんたがあたしの資産アセットについて教えたりしたら、次のトランザが不利になるじゃない!」


「黙ってろクソガキ。俺はてめぇじゃなく、このロバ耳に聞いてんだ。それに、んなこと俺が教えてやらなくても、久間ならもうとっくに気づいてるだろうよ」


 和泉は話に割って入って来た新渡戸に、鋭い眼光を飛ばした。


「ふぅ、まあいいでしょう……認めます」


「あんたまでなに言ってんのよ! ふざけるのも大概にして!」


「落ち着いてください、新渡戸様。妙な言動は私が阻止します」


 運営サイドであるミダスが了承してしまったが故に、新渡戸は仕方なく口を閉じた。自分は所詮、資産家アセットホルダーの一人に過ぎない。運営の手前とあってはさすがに抗えなかった。


 しばらくすると、モニターの前とトランザ内が音声で繋がった。多少のノイズはあれど、十分に聞き取れる音質だった。


 モニターの前で観戦していた久間と藍原は、突然のことに驚いた。今まで、モニターの前とトランザ内が繋がったことなど一度もなかったからだ。

 和泉の方から二人の姿は見えなかったが、声だけはしっかりと聞こえた。


「悪いな久間……負けちまったよ」


『みたいだな。でもおかげで、新渡戸の持つ資産アセットに関しては見当がついたよ』


「なっ!」


 思わず、新渡戸が声を漏らした。


「クハハッ! さすがだな。てめぇなら問題ねぇと思ったぜ。後のことは任せたぞ。俺がいなくても、てめぇならこの女一人くらいどうとでもなるだろ。なんたって、この俺を倒した男なんだからなぁ……」


『ずいぶんと評価してくれるじゃねぇか』


「そりゃ、似た者同士だからな……最後にてめぇと話せてよかったぜ。あと一つだけ言いてぇことがあんだが……構わねぇか?」


『俺は別に……で、なんだよ?』


 和泉はゆっくり息を吸い、肺を膨らませる。

 そして、言葉を発すると同時に吸い込んだ空気を吐き出した。


「俺はてめぇに救われたこと、絶対に忘れねぇからなぁ!」


 会議室全体に響く、まるで獣の咆哮のような叫びだった。


「このまま破産して、ここでの記憶を全て失ったとしても、俺は絶対に忘れない! 誇れよ、てめぇは俺を変えたんだ! だからこの女もこの区域も、全部てめぇの思い通りに塗り替えちまえ! 今日までありがとよ……久間ぁ!」


 和泉は最後に感謝の言葉を言い残し、オフィスビル内から姿を消した。

 だが、決して別れの言葉だけは口にしなかった。記憶を失った未来の自分に、己を変えた男との再会を夢見て。


 残された新渡戸は、トランザで得た利益を確認し始める。

 そのあまりにも予想外の数字に、思わず目を剥いた。


「ど、どういうこと? これ……」


 和泉の総資本が、新渡戸が想定していたはずの額よりも遥かに低かったのだ。ざっと計算しても、その額は想定の三分の一にも満たない。


「ま、まさか……」


 彼女の中で、恐ろしい想像が働いた。


『バカが、気づくのが遅すぎんだよ』


 頭の上から、悪魔のようにドスの効いた不気味な声が響いた。

 それは、未だに音声が繋がったままのモニター前から発せられたものだった。


「やってくれたわね、あんた」


 モニター前で、久間のほくそ笑む顔が容易に想像できた。


「どういうことですか?」


 ミダスが首をひねる。


「ベネを円に変えておいたのよ。多分、あたしと闘う寸前に」


「あー、なるほど。和泉様に借金を背負わせない処置ですね。総資本の半分以上を先にベネから円に変えておけば、万が一和泉様が破産しても負債を返済できる。加えて、厄介な相手である新渡戸様の総資本を無駄に増やすこともなくなる。必要なのは、投資を行う際に相手に大打撃を与えられる分の資本だけでいい。さすがですね、久間様」


『正確には、俺じゃなくて和泉の案だ。あいつはわざと自分を犠牲にして、俺と藍原に情報を託した。次のトランザで、新渡戸を確実に破産させるためにな』


「ふふ、これはしてやられましたね」


「笑い事じゃないわよ!」


 呑気に感心するミダスに、新渡戸が苛立ちを露わにする。


『おいロバ耳。もう隠すこともねぇだろ。お前ら二人はどうしても俺たちを潰したい。だったら、今すぐトランザでけりつけよぜ』 


 ミダスの眉がピクリと跳ねる。


「本気ですか? あの和泉様が呆気なくやられてしまったんですよ? いくら久間様が天才型とはいえ、あまりにも早計では?」


 新渡戸も同じように疑問符を浮かべていた。普通に考えて、もっと対策などを練ってから仕掛けるのがセオリーだ。なのにこの男は何の準備もなく、今すぐトランザを行おうなどと言っている。


 二人は理解に苦しんだ。同時に、頭の中が疑念と恐怖に包まれた。


 いったい、この男は何を企んでいる。


 相手の作為が明らかであれば、特に危惧することはない。だがその内面が謎であるが故に、相手の底が見えない。


 無策だと割り切ればいいのだが、事はそう単純でもないのだ。

 特に久間に至っては、本当に油断できなかった。


 凡人より遥かに長けたトランザのセンスに加え、破天荒で奇想天外な策略。まさに姿の見えない怪物、バンダースナッチのような存在だった。


「ねぇ……どうする?」


 不安げな表情で、新渡戸がミダスに承諾を委ねた。

 ミダスは数秒だけ頭の中で思案を浮かべ、小さく息を吐いた。


「やりましょう。経済回復において、時間は非常に有限なものですから」


『はは、そうこなくっちゃな。じゃあ今すぐ、トランザをセッティングをしてくれ。中間管理職さんよぉ』


「了解しました」


 ミダスは笑って答えたが、腹の中では久間に対する憎悪と殺意に満ちていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る