キング・ミダス編 第五話『プライオリティ』
先ほどまで、
一階のロビーで、久間は軽く体を伸ばしていた。その目の前では、顔をしかめたまま不機嫌そうに片足を小刻みに揺らす新渡戸。そしてその横では、気味悪く胡散臭い笑みを浮かべていた。
「久間、頑張ってね! 私もモニターの前でサポートするから!」
「おう、ありがとな。裏方頼むぜ」
トランザ開始ギリギリまで、
「ちょっと、そこ! いつまでもイチャついてんじゃないわよ! 今から大事なトランザだってのに、緊張感薄れるでしょうが!」
まるで飢えた狼のごとく、新渡戸が久間たちに吠える。
「別にいいじゃない。もしかしたら、久間との最後の時間になるかもしれないんだし。まあ、万が一にも久間が負けるわけないけどさ!」
人の目など気にせず、藍原は久間の手を握りしめた。
「絶対帰って来てね……私、待ってるから!」
「ああ、任しとけ」
久間は当然だろと言わんばかりに顎を突き出した。
「あー、クソうざい……早くトランザ始まればいいのに」
「んだよ、もしかして寂しいのか? まあ、それも無理ないか。お前のパートナーはこの性悪女狐だもんな」
「ちょっと待ってください! 聞き捨てならないですね。私のどこが性悪女狐ですか! ちゃんとよく見てください! この耳、ロバですから!」
「いや、ツッコミ入れるところそこじゃねぇだろ……」
ミダスは相変わらず、よくわからないところでこだわりが強い。
「もうさっさとトランザ始めて! この空気あたし耐えられない!」
苛立ちから新渡戸が頭をくしゃくしゃとかきはじめた。
「はいはい、わかりましたよ。それじゃあ藍原様、部外者は退場しましょう」
ミダスがいつものように手に持っているキューを軽く振ると、ミダスと藍原がビルの中から一瞬のうちに消えてしまった。
ロビーに二人取り残される久間と新渡戸。先ほどまでの会話はなくなり、しらけた空気が漂う。
「あー、その、なんだ……別に初期位置に移動とかはしなくていいだろ。時間がもったいねぇし」
「それはあたしも賛成。どうせ破産するまでやるんだし」
軽く首や手の骨を鳴らす新渡戸。既に戦闘態勢に入る準備は万全のようだ。
「そろそろ移動のはずだけど、何も起きないわね。どうもロバ耳が気を使ってくれたみたい」
「都合がいいな。あっ、始める前にちょっといいか?」
「何よ、突然」
「いやさ、俺お前のこと全然知らないから。少し昔話とかしねぇか?」
「はぁ? 意味わかんないし。急に何言ってんの?」
「だってこのトランザ、多分一瞬で終わっちまうだろうから。もちろん、俺の勝利でな」
突然の速攻勝利宣言に、新渡戸はぎょっと顔を強張らせた。
「は、はは、ははは。言うじゃない。あたしの資産、もう見抜いてるんでしょ? ならわかってるんじゃない? この
僅かに声を震わせながらも、強気な口調を崩さない新渡戸。
「あー、それに関しては今はスルーしとくよ。どうせ、意味のない時間になる」
「ど、どういうこと?」
「そんなことより、せっかくこうして二人しかいねーんだから付き合えよ。俺はさ、知りたいんだ……どうしてお前が、そこまでして金を稼ぎたいのか」
「お金を稼ぎたい理由? そんなもの必要あるわけ? みんな、特に理由もなく社会でお金を稼いでるじゃない」
「たしかに、みんなそれぞれ家庭のため自分のため、限りある時間を削ってコツコツ働いている。だけど、俺たちはどうだ? この区域に来た時点で、シャバの借金は全部消えてるはずだろ? なのに何で……お前はそこまで金を稼ぐことにこだわるんだ? 事情によっちゃ、俺らが助けてやらないこともないんだぜ?」
ネゴシエーターのように、久間は新渡戸の内側へと切り込む。
すると、新渡戸は口の端を微かに上げ、安堵の笑みをこぼした。
「あー、そういうこと。要するに、勝てる見込みがないから説得しようって魂胆なわけ」
新渡戸の表情から焦りが消え、余裕が出てきた。ここまで来て最後の手段が人情だということに幻滅し、軽く嘲笑う。そして逆に、必要以上に久間を警戒していた自分に呆れていた。
「何が助けるよ。あたしの両親もそうやって、あんたみたいに悪知恵の働くクズに騙されたってのに」
「……騙された?」
「そうよ。あたしにはね、六歳になったばかりの妹がいるの。けど妹は生まれつき心臓が弱くて、今も病院のベッドで寝てる。三年前に病院の方から、もう助からないかもって言われた。助かるには、海外で移植手術をするしかない。けど、それには莫大な手術費用がかかる。もはや、絶望的だった」
新渡戸は突然、下を向いて己の過去を語り始めた。まるで、何かに魅入られたかのように。
「あたしの両親は、妹のために必死でお金をかき集めたわ。けど、そこにつけこんできた詐欺師に、その費用までも騙し取られた。今のあんたと同じよ。助けるとかなんとか綺麗事ぬかして、結局はあたしのことを騙すつもりなんでしょ! 信用なんてできるはずもない! 何がお金は人を救うをことができるよ、そんな力があっても使い手が信用できない人間じゃ意味ないわ!」
彼女の人格形成の段階で生まれた、他人へと不信感。
家族の不幸こそが己の見てきた現実の全てであり、それが真実だった。何かを成し遂げるには、自分の力で切り抜けなければならない。中学生ながらに、非情な現実を思い知らされていたのだ。
「そんな時、ミダスがあたしの目の前に現れたの。だからこの一年、トランザには没頭した。けどあたしはあんたと違って、トランザのセンスは特になくてね。大して稼げもしなかった。持ってる
それは初めて見た、彼女の本心だった。急に熱を上げて叫び出し、久間に殺意のこもった眼差しを向ける。
「なんだよ、もう話は終わりか? そんな急いだっていいことないぞ。それより、もしかしてトイレでも我慢してんのか? 待っててやるから行ってこいよ」
激情する彼女に対し、久間はいつも以上に憎たらしい表情と口調で煽る。恐らく、人を怒らさることに関しては、誰よりも優れた才能を持っているだろう。
新渡戸は顔を赤くし、体を小刻みに震わせる。無論、それはトイレに行きたいからではない。
「一瞬で終わらせてやる。どうせあんたは……あたしに損失させることも、投資を行うこともできないんだから!」
「へぇ、それはあれか? お前の持つ未来を見る
久間の口から飛び出した『未来を見る
まさに不意打ちの一言だった。
「な、何でそれを……」
「和泉とのトランザを見れば、誰だってお前が先読みする力を持ってるってことくらいわかるだろ。そうだなぁ、もっと詳しく言ってもいいぜ。お前の
「は、はは、やるじゃない。まさかそこまで言い当てられるとは想定外だったわ。でも、だから何? たしかにあたしが手に入れたもう一つの
故に、彼女の優位は決して覆らない。
「ふっ、そんなにイキるなよ。今からお前の
「なっ! あ、あたしの
「ああ、お前は俺に大ヒントを与えてくれたからな」
久間は
「バカの一つ覚えだが、やっぱりこれが一番効果的で楽なもんでよ」
手榴弾はピンを抜いて放り投げられ、空中を扇を描いた。
当然、どこに投げられたのかということは未来視を持つ新渡戸にはわかりきっていた。すぐに回避可能となる、二階へ続く階段付近へと避難する。
だが、それこそ久間の狙いだった。
新渡戸が避けたことを確認すると、すぐに次の準備に取り掛かる。
「ちょっ! またそれなの?」
視界を失うことを恐れた新渡戸は、部屋の壁や天井を破壊し始め、煙の逃げ道を作った。ビルの外側を壊すことは不可能でも、内部だけなら破壊可能である。
やがて、数分のラグと共に煙がロビーから消え去り、視界が安定する。
「はぁ、はぁ……ったく、また面倒なことを……」
無我夢中で切り込みを入れたため、新渡戸は少し息を切らしていた。
視界の先に、薄笑いを浮かべる久間の姿があった。
「また手榴弾を使うつもり? 何度やっても無駄だってこと、教えてあげるわよ。たしかあんたの
「それってもしかして、あのロバ耳から聞いたのか? お前ら、勝つためならマジで何でもやるんだな」
「ふん、じゃなきゃ運営と手を組んだ意味がないでしょ」
「そりゃあ、ごもっともで」
もはや不正があったことを認め、開き直る新渡戸。
「まあ、俺の
「す、数分?」
「ああ、そうさ。お前が部屋の壁や天井に穴を開けてる間に、必要な分の取引は全部終わらせたからよ。ほら、周りを見てみろ」
「周り? いったい……何が……」
新渡戸が恐る恐る視線を一周させると、見慣れない物がロビーの床に並べられていた。何やらコードで繋がれた四角い物体が、どこにでもありそうなクラフト紙に包まれている。
「ま、まさか……これって……」
「俺も
そう、久間が床に仕掛けたのは軍隊などが主に使用する爆薬。いわゆる、プラスチック爆弾である。どんな物でも買い付けることができる久間だからこそ用意できる、最も強力で危険な武器。
「あんた……いったい何する気?」
「当然、こいつを爆破させる。さすがに未来を先読みできるお前でも、この数が爆発すれば損失は避けられないはずだ。それも、相当な額になる。間違いなく、破産するな」
刹那、新渡戸の背中に悪寒が走った。
「お前は和泉とのトランザで、わざわざエレベーターに乗るのを避けた。損失を先読みできるなら、仕掛けがあるかどうかくらいわかったはずだ。でも、お前は乗らなかった。もし本当に罠があったなら、それは当然の判断になる。けどそんなものは仕掛けられてなく、逆に階段の方がお前に仕掛けた罠だった。これ、何でだろうなぁ……」
ばつが悪そうに、新渡戸は黙り込む。久間は構わず続けた。
「要するに、お前の未来を見る
「なるほど……まさかエレベーターに乗らなかっただけで、
新渡戸は悔しそうに、両拳を握りしめた。たった二日で第一位の
「それで……爆発させるの? たしかにあたしは無敵ってわけじゃない。さすがに、回避できる損失にも限度がある。でも、ここで爆発させたりしたら、破産するのはあんたも一緒よ?」
「もちろん、俺も破産は免れない。でも、こうするしかお前を倒すことはできないんだよ。それに、そんな結果は今までなかった。だったら見てみようぜ。トランザで
その時、新渡戸の目には、久間が一瞬だけ悪魔に見えた。
今、久間は己の死さえ恐れていなかった。自棄を孕んだその瞳は、感じたこともない危険性を帯びていた。
「……どうした? 今さらになって、未来を見るのが怖くなったか? ふっ、そうだよなぁ……お前は所詮、
「ふざけないでっ! そんなことをして、もし両方とも破産したままこの区域から追放されれば、多額の負債を抱えて沈むことになるのよ。あんただってこれだけの武器じゃ、資本は最低でもまだ残してるはず。つまり破産すれば、負債は免れない。それでもいいの?」
「バカか? お前と俺とじゃ、状況が違うんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、新渡戸は気づいてしまった。己に足りないものが、いったい何なのか。
「そ、そういうこと……なのね……」
弱々しい声で、新渡戸は小さく呟いた。
そう、このトランザはそもそも、始まる前から久間の勝利が決まっていたのだ。
何故なら久間は、破産しても助かる道が唯一残されていたのだから。
「それじゃ、バイバイだな。新渡戸」
久間が起爆装置のスイッチを入れると、一階のロビーは一瞬にして吹き飛んだ。通常、トランザ中はどうやってもビル内部から出ることはできない。当然、外壁や窓が破壊されることもない。故に、全ての衝撃がトランザ内にとどまり、爆風で外に吹き飛ばされることもない。
凝縮されたパワーは天井を貫き、ビルの内部は瞬く間に崩壊した。爆発の煙と崩れ落ちた瓦礫で、二人の姿はモニターからも確認できなかった。
数分後、トランザに守られていた外壁や窓が崩れ、間接的にトランザが終了したことが告げられた。
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