違法経済特区編 第五話『サマリー』


 どれくらい気を失っていたのだろうか。


 久間きゅうまが目を覚ますと、そこは見知らぬ土地だった。

 派手なネオンの光が、街全体を包みこんでいる。ぱっと見、日本ではない別の国のようだった。


「こ、ここは……いったい……」


 久間はついさっきまでアパートの一室にいたはずだ、これではまるで瞬間移動である。今の人間の技術では、到底不可能なことだ。


「お目覚めですか? 久間様」


 すると突然、ロバ耳を生やした少女の顔が鼻先に飛び込んできた。久間は驚いて、足をふらつかせながら後ろに倒れこんでしまう。


「てめぇの仕業かよ……これ」


「はい、その通りです。久間様が強情だったので、仕方なく強硬手段を取らせていただきました。この区域に来てしまった以上、もう逃げ場はありませんよ」


「どんな手品だよ……」


「映画や漫画で言う、魔法や超能力のようなものだとお考えてください。言わばここはファンタジーの世界、小さな異界のような区域というわけですよ」


 たしかに少女の言うように、久間がいた世界とは別世界のように感じられた。空には太陽がなく、底の見えない黒い闇に覆われている。視界を一周させるが、光源のようなものはネオン以外には見当たらない。それなのに、辺りは現実世界の夜よりも明るかった。 

「こんなところに連れてきて、お前は俺に何させようってんだよ」


「言ったじゃありませんか、マネーゲームですよ。正確には、資産家アセットホルダーによる商業取引ですが」


「あ、あせっとほるだー?」


「この世界で資産家、という意味で使われている言葉です」


 次々と出てくる聞き慣れない単語に、久間は眉をひそめた。


「久間様も、もう既に資産家としての力を手に入れましたよ。では今から早速、商業取引を行いましょう」


「いや、なに勝手に話進めてんだよ。俺はやるなんて一言も言ってないぞ」


「久間様にその意思がなくても、私たちにはそれを強制的に行わせる力があります。この世界に連れてこられた時点で、その力があることは証明済みです」


 種や仕掛けは不明だが、たしかに久間は気づかないうちにアパートの部屋から瞬間移動している。この時点で、久間の知らない謎の力が働いていることは間違いなかった。


「くっ……汚ねぇぞ、てめえ」


「罵りたいのであれば、どうぞご自由に」


「ちっ、まあ、どの道このままじゃ現実世界に帰ることすらできなさそうだからな。こんなにまでリアリティがあるんじゃ、従うしかねぇか。ったく、これがただの夢ならどんなに良かったか」


「ふふ、ある意味これは夢のようなものかもしれませんけどね」


 郷に入っては郷に従え。このままただ難癖を言い続けていても時間の無駄、久間はそう判断した。


「さて、久間様もやっとやる気になってくれたみたいですね。私、安心しました」


 久間は決してやる気になったというわけではないが、ロバ耳の少女はやけにご機嫌だった。


「あっ、そういえば自己紹介がまだでしたね。私は、この区域を任されているミダスと申します。まあ、中間管理職のようなものですかね」


「てことは、お前よりも上の奴が存在するわけだな」


「ふふ、そういうことになりますねぇ……」


 久間はミダスに連れられ、街の中心へと繰り出した。


 まるで外国のストリートのように、壁にはスプレーで芸術的な落書きが施されている。ミダスは異世界のようなところだと言っていたが、その街並みは現実そのものだった。道に並ぶ店も、夜の街ではお馴染みの居酒屋やカジノと言った、まさに大人の空間である。

 ミダスは、街のちょうど中心と思われる場所に建てられた、大きなオフィスビルの前へと久間を案内した。


「はい、到着しましたよ、久間様。ここが今回商業取引を行う場所です」


 それは何の変哲も無い普通のビル。だが、少し変わっているところがあった。ビル自体は特に何もおかしくない、異様なのはその周りだ。


 ビル全体が、薄い光の幕で覆われている。まるでリングのように、一種のフィールドそのものだった。


「入ったら最後、制限時間の一時間を過ぎるまで、外に出ることは不可能となります。この光の幕は決して破壊することはできませんから」


「つまり、このオフィスビル全体が一つのリングってことか」


「そういうことです。では、簡単に商業取引のルールについて説明しましょう。ルールはいたって単純です。資産家アセットホルダーは全員、総資本というものを持っています。総資本を増やす方法は二種類あります。一つは、相手の資産家アセットホルダーに直接攻撃を加えること。そうすれば、ダメージに見合った額の損失となり、逆に攻撃した資産家アセットホルダーの利益となります。ですがご安心を、商業取引中はいかなることがあっても怪我をすることはありません。ただ、痛みなどは感じますので、少し注意が必要ですが」


 まるで子供のカードゲームのようなシステムだった。簡単に解釈すれば、総資本が資産家のライフとなり、それを互いに奪い合うという単純なもの。

 誰でも、似たようなゲームをプレイしたことはあるだろう。


「よくこの世界に足を踏み入れたビギナーは、映画などでよくあるデスゲームを想像する方が多いです。しかし、商業取引で奪い合うのは命ではなく、互いに行ったり来たりできるお金です。その辺は誤解のないようお願いいたします」


 要するにギャンブルである。だが大金を失えば実質、その人間の死を意味することになるだろう。


「それで、もう一つの方法ってのは?」


「ふふ、久間様もやっと食いついてきてくれましたね。興味を持ってもらえることは嬉しい限りですよ」


「御託はいい。とっとと質問に答えろ」


 久間が急かすと、ミダスは不服そうに頬を膨らませた。


「まったく、久間様はせっかちですねぇ。女性にモテませんよ?」


「そういうのはどうでもいいんだよ、いいから早く話せ」


「はいはい、わかりました。もう一つの方法というのは、少し特殊です。この区域では、投資と呼ばれています」


「と、投資?」


資産家アセットホルダーには、総資本とは別に共通の能力が備わっているんです。頭の中でイメージした金額を手のひらに込め、それを相手の資産家アセットホルダーに直接触れることで、投資を成立させることができます」


「そうすると、どうなるんだよ?」


「投資が行われた場合、その時点で投資した分の倍額を得ることができるのです」


「ちょっと待て! それじゃ一瞬で勝負がついちまうじゃねーか! なら、攻撃なんかせずに投資に専念した方がいいんじゃねーのか?」


 あまりにも理不尽なルールに、久間は声を荒げた。この方法が許されるのならば、相手の総資本の半分を投資してしまえばいい。これでは、総資本が多い資産家アセットホルダーが圧倒的に有利だ。


「まあ、普通に考えたらそうなりますよね。けれど、そう単純なことではないんですよ」


「ど、どういうことだ?」


資産家アセットホルダーは相手の総資本の額を知ることができません。つまり、相手が破産するであろう金額はわからないということです」


 それは当然の処置ではある。だが、それでも金額の差が勝負に影響することは間違いない。これでは久間のような初心者はすぐに敗退してしまう。


「この区域でお金はまさに戦闘力です。攻撃するにも、必要になるのは全てお金。より総資本が多いものに人権が与えられるのは、現実の社会と何一つ変わりません」


「なぁ……聞くけど、投資や攻撃で総資本がゼロになった場合、その資産家アセットホルダーはどうなるんだ?」


 久間は恐る恐る訊ねた。

 ミダスは、その質問を待っていたと言わんばかりに、上唇をペロッと舐めた。


「破産、つまりはゲームオーバーです。破産した資産家アセットホルダーには、その際の商業取引で失った金額を全て負債として背負っていただきます。そして、この区域での記憶を全て失い、永久追放されます。現実世界に戻された資産家アセットホルダーが覚えているのは、新たに増えた借金の額だけです」


 その辺は、現実世界のギャンブルと同じ理屈である。

 結局、久間を利用して金を儲けるという魂胆なのだ。強制的に高レートのギャンブルを強いることで、最初に肩代わりした借金の額よりも多い金額を請求する。なんとも悪どいビジネスである。


「悪徳金融よりも卑劣だな、お前」


「それがこの区域のシステムですよ。要は久間様が勝てばいいのです。それならば何の問題もありません」


「簡単に言いやがるな。つうか、その商業取引ってので勝つ条件はなんなんだよ? まさか相手を破産させること、なんて言う気じゃねぇだろうな」


「それも勝利条件の一つですよ。相手の資産家アセットホルダーが続行不能となれば、その時点で商業取引は終了です。ただ、相手の貯蓄された総資本をゼロにするというのは、そう簡単ではありません。一般的な勝利条件は、利益を上回ることです」


「現実のゲームでいう、ライフやポイントが多かった方が勝ちっていうルールか?」


「正確には、総資本ではなくその商業取引内での利益です。初めから多額のマージンがあった場合、総資本の少ない資産家アセットホルダーが不利になってしまいますから」


 久間は最初こそ、カードゲームやギャンブルのようなルールをイメージしていたが、ただライフやポイントを取り合うのではなく、最終的に得た利益の差で勝敗が決まるらしい。究極のところ、一でも多く上回ることさえできれば、その時点で勝利が確定する。


「総資本をいくら消費しようと、利益が下回っていなければ勝利となります」


「でもちょっと待て、それなら別に相手の資産家アセットホルダーに勝利する理由がなくないか?」


「実は勝利した場合のみ、その商業取引で損失した分の資本が返還される仕組みになっているのです。こうすることで、商業取引で得た利益が最終的に総資本に追加され、より多く稼ぐことが可能なのです。負けてしまえば多額の損失となり、破産に一歩近づいてしまうということになるのですよ」


「なるほど、人間の欲望を刺激することで成り立つシステムってことか」


 ミダス話を聞く限りでは、無理をせず見に回っていた方が効率よく稼げるようにも感じられる。だが、誰しもが消極的とは考えにくい。中には、お金に異常な執着を見せる者もいるだろう。そうなれば、争いを避けることはほぼ不可能だ。


 どんなに堅固な金庫であっても、それを破ろうとする者が現れる。そのせいで、この区域は成立してしまっている。


「あっ、ちなみに自身の総資本を確認する方法ですが、商業取引の際中は自身の視界に利益と損失の数値が浮き出てきます。例えるなら、オンラインゲームのステータス画面のようなものですね」


「へぇ、そりゃ便利なことで」


「まあ、そういう細かいところは始めてみないとわかりませんし、とにかく入りましょうか」


 ミダスに促され、久間はビルの中へと入って行った。どうやら、ナビをしてくれるのはここまでらしい。ミダスは入り口でひらひらと手を振っている。


 久間がビルに足を踏み入れた瞬間、入り口が自動的に閉まり、光の幕で塞がれた。

 それと同時に、ビル内部にアナウンスが流れた。


『ただいまより、カウントを開始いたします』

 

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