キング・ミダス編 第一話『アライアンス』

 和泉いずみと手を組んだその日から、違法経済特区に大きな変動が起きた。トランザの回数が激増したのである。


 週に一度、トランザは必ず行う必要がある。けれど、個人で行う場合は回数に制限がない。そのため、同じ日に何回でもトランザを行うことができる。


 だがルール上、資産家アセットホルダーにはトランザを断る権利がある。誰しもがトランザを引き受けてくれるわけではないのだ。特に二日目で第一位の資産家アセットホルダーを倒した久間きゅうまは、他の資産家アセットホルダーから危険視されており、悪目立ちしてしまっていた。それは第一位の和泉や共に行動していた藍原も同じだった。


 しかし、三人が週一で行われているトランザで相手の資産家アセットホルダーを破産させ、さらには救済を施したことで、三人の存在は一変していた。


 モニターを見ている資産家アセットホルダーの前でそれを実行して見せることで、破産した資産家アセットホルダーを救う正義の存在として、久間たちは注目を集めだした。


 総資本の低い資産家アセットホルダーは、特にこの負の連鎖を終わらせたいと切に願っていた。久間たちの姿に感銘を受け、自ら助けてほしいと志願する者さえ現れていたのだ。


 久間たちが干渉できないトランザでは、不利な資産家アセットホルダーが破産しないように融資を使って立ち回り、実質トランザを裏で完全にコントロールしていた。


 その影響力は、たった一週間で違法経済特区内全域にまで広がり、それからは時間が経つのが非常に早かった。


 久間たちの同盟は、最初は永遠に続く途方も無い作業だったが、次第にそのゴールが見えていった。


 そして、あっという間に一ヶ月が経過した。

 気がつけば、違法経済特区に残っている資産家アセットホルダーは上位陣ばかりという状況になっていた。その数も、既に十数人である。


 総資本額の多い資産家アセットホルダーは、今の現実を捨てる気などさらさら無いらしく、自ら破産を志願する者はいなかった。


 人数が減ったことで、久間が上位陣とトランザをする機会も増えてきた。

 けれど、だからといって簡単に勝てる相手ではない。今までの中堅層やそれ未満の資産家アセットホルダーとはレベルが違う。最後の壁は、中々に険しい。


 だが、それも時間の問題だった。週に一回のトランザが義務づけられている以上、最終的には逃れられない。

 久間たちの計画は、何の障害もなくスムーズに進行していた。


 しかし彼らの知らぬところでは、密かに計画を看破するべく、ある二人の鬼が動き始めていた。





 違法経済特区某所。


 トランザの会場として使われることのない、一般開放されているオフィスビルの屋上で、物が散乱する音が響いた。


「くそっ!」


 品のない言葉を吐き捨てながら、セーラー服の少女がゴミ箱を蹴り飛ばす。


 彼女はこの違法経済特区に出入りしている中学生、新渡戸有栖にとべありす口は悪いものの、普段は落ち着いてクールに振る舞っている。しかし、そんな彼女がここまで苛立ちを露わにしているのは、あまり見ることのない珍しい光景だ。


 その原因は、いま違法経済特区を騒がせている同盟アライアンス、久間たちである。

 彼らによってトランザがコントロールされてしまい、この区域の資本主義が破綻するのもそう遠くない状況だった。同時に、それは己の破滅をも表していた。


 新渡戸にとって、トランザは単なるマナーゲームではない。それこそ、己の人生がかかっているも同然だった。もしこのまま久間たちが区域内のベネを独占してしまえば、未来を失ってしまう恐れさえあったのだ。


「どうしたらいい。このままじゃ私は……私は……」


 頭を抱えながら、誰に語りかけるわけでもなく独り言を綴る新渡戸。


 彼女はトランザの経験こそ長いものの、和泉ほど優れた資産家アセットホルダーというわけではなかった。所持している資産アセットも特に強力なものではなく、最低限トランザを生き残れるというレベルに過ぎない。


 到底、久間たちの同盟に対抗できる力など有してはいなかった。

 このままでは、いずれランダムで行われるトランザで破産させられ、この区域から追放されてしまう。

 もはや崖っぷちの状態だった。


「お困りのようですね……新渡戸様」


 瞬間。頭の上から、聞き慣れた声が響いた。それはこの区域にいる誰もが一度は耳にしたことのある、最も憎たらしく忌み嫌われている人物の声。


 新渡戸がおもむろに頭を上げると、上空からゆっくりとロバ耳を生やした少女、ミダスが屋上へと降り立った。


「あ、あんたは……」


「ふふ、こうして面と向かって話すのは一年ぶりですかね。そう、一年前のあの日、新渡戸様がこの区域に初めて来た日以来です。どうも普段は刺々しいオーラ故に、お声かけしづらかったので」


 それは別に、新渡戸だからというわけではない。ミダスはこの区域にいるほとんどの資産家から嫌悪されており、誰しも彼女に対しては敵意を剥き出しにしている。声など、当然かけてほしくはない。


「いったい……あたしに何の用?」


「実は……大切なお話があって参りました」


「あんたが……あたしに話?」


「はい。いま生き残っている資産家アセットホルダーの中なら、新渡戸様が適任かと思われまして」


 ミダスは目を細め、不気味に口の端を上げた。その笑みからは、邪な心が透けて見えるようだった。


「どうにかしたいと思いませんか? 久間様の率いるあの同盟アライアンスを」


「そ、そりゃあ、あたしとしても破産は回避したいところだけど。所詮、あたしの資産アセットじゃどうすることも」


 柄にもなく、弱気な言葉をこぼす新渡戸。久間たちの同盟を前に、既に戦意は削がれてしまっていた。


「おやおや、らしくないですね。私の知る新渡戸様は、もっと傲慢で貪欲な方だったと存じますが」


 ミダスはまるで新渡戸を奮い立たせるように煽る。


「ご安心ください。同盟アライアンスには、同盟アライアンスで挑めばいいだけのことです。まだ、望みが消えてしまったわけじゃありません」


「ど、どういう意味?」


「新渡戸様、この私と手を組みませんか?」


「……はぁ? あ、あんたと手を組む? ちょっと待って、それっていったい何の冗談なわけ?」


「冗談ではありません。私は本気です。そう、本気と書いてマジ。いや、本気と書いてホンキです」


「いや、言ってる意味がよくわからないんだけど……」


「まあ、当然の反応ですね。私はこの区域の中間管理職、中立な存在です。しかし、だからこそ久間様たちをどうにかしたいのです。この区域が望む、経済の未来を守るために」


 新渡戸は一度、顎に手を添えてしばらく思案を巡らせる。


「なるほど。真っ当にこの区域の犬として、あたしと一緒に闘おうってわけ」


「はい。やはり私も、まだ職は失いたくないものですから」


「それ、上っていうか、この区域は許してくれるの? さすがにルール違反しすぎな気がするんだけど」


「問題ありません。ルール違反にならないギリギリのラインで、この私が完璧に暗躍してみせましょう。久間様のことは、初めてお会いした時から危険因子……ボトルネックになるのではないかと認識しておりました。故に、もう既に手筈は整えてあります」


「……ボトルネック?」


「この区域の隠語です。経済回復においての障害になるかもしれない存在を、この区域ではそう呼んでいるんです。私は初めからそれを危惧し、潰す機会を待っていました。本当なら、和泉様に潰してもらう予定だったのですが、少々狂ってしまいました」


 心なしか、ミダスの顔が苛立ちを露わにするかの如く曇る。そんな彼女の姿は、この一年見たことがなかった。


「ふぅん……で、ちゃんとそれ、契約する価値があるんでしょうね?」


「もちろん。これでもこの区域の中間管理職。事実上、私が利権を握っているも同然ですから。必ず、履行してみせます」


「へぇ、そう……なら、その前代未聞のチート行為、乗ってあげようじゃない」


 その時、違法経済特区において最凶最悪の契約が結ばれてしまった。

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