違法経済特区編 第八話『コントロール』

 衝撃でロッカーの扉が壊れ、ゆっくりと解放される。

 ロッカーの中を見て、加村かむらは目を剥いた。その中は空っぽで、人っ子一人いなかったのだ。


「ちっ……早とちりだったか」


 加村は舌を鳴らし、奥歯を強く噛みしめた。


久間きゅうまくんはここで拳銃を落としてしまったようだが、だからと言って彼の武器がゼロになったとは言い切れないな。間違いなく彼は、何かしらの資産アセットでビル内に武器を持ち込むことができている。いや、それも武器だけじゃない。あらゆる物を」


 ロビーで使用した発煙筒、それが最も有力な情報だった。

 あの時、久間は何もない場所に発煙筒を出現させている。転移や生成は、拳銃や武器だけにとどまらない。それでいて、久間が拳銃に縁のある人間とも思えない。つまり久間の資産アセットは、触れたことのない物でも生み出すことが可能だということだ。


 ただ、まだこの拳銃と発煙筒だけでは資産アセットの正体にたどり着くには情報不足だった。

 加村は拳銃を見つめ、しばらく頭の中で思考を巡らせた。


 加村の資産アセットにはある制限が加えられている。実は資産アセットを自由に行使することができる資産家アセットホルダーなど、この区域には存在しないのだ。


 全ての資産には、何かしら発動するための条件や範囲が決まっている。

 情報戦において、加村は圧倒的に久間よりも有利な状況にいた。


 久間がこのことについてどこまで理解して動いているのか、それだけは謎だった。だが、それでも資産アセットそのものへの理解は非常に低いことだけは間違いなかった。


 故に、初心者が初戦から生き残ることはほぼ不可能なのだ。それも、まともに商業取引の説明すらされていないような資産家アセットホルダーには。


 加村は残弾がゼロになった拳銃を捨て、資産アセットを行使しながら五階へと向かった。

 常に資産アセットを発動させることで、急な不意打ちにも対応できる。加村にとって意識外からの攻撃は最も気を配らなければならない。


 五階へ足を踏み入れると、加村はフロアの違和感に気づいた。

 何故か他の階と違い、棚や机がバリケードのように入り口を塞いでいた。

 まるで、自分がこの階に隠れていると言っているようなものだった。


「……いったいどういうつもりだ?」


 加村は頭の上に疑問符を浮かべながら、バリケードを資産アセットで退かし始めた。加村にとって、視界は非常に重要なものだった。自身の資産アセットを最大限行使するには、広い視野が確保できる野外の方が望ましい。加村はここで、久間が地の利を活かして闘おうとしているのだと気づく。

 そのためにわざわざバリケードを用意し、どこかに隠れてこちらの様子を伺っているのだろうと。


 だが加村は全く動じず、それどころか不敵に微笑んだ。

 資産アセットで操った机や棚を、端から順に廊下へと放り出す。

 視界がある程度回復したところで、加村はオフィスの床に落ちている何かに視線を落とした。


 それはまたもや拳銃、しかも、落ちていたのは四階と同じくロッカーの前。

 これが偶然であるはずがない。加村は直感した、あの拳銃は久間の罠だと。


 一度隠れていないということをわからせ、今度は本当にロッカーの中に身を潜める。二度目は騙されないと深読みした加村がロッカーに背を向けた瞬間、今度は背後から多額の投資を行うつもりなのだと。


 加村はわざとその罠にかかってやろうと考えた。そして久間が姿を現した瞬間、逆に返り討ちにする。

 策士策に溺れるとはまさにこのことだと、加村は思った。


 加村は久間の策に乗る振りをし、拾わずにわざと背を向けた。だが、その時既に資産アセットの力を使い、加村は持ち上げた机を構えていた。


 次の瞬間。ロッカーから飛び出した久間が加村に向かって拳銃を乱射する。しかし、前もって資産アセットを発動していたがために、その攻撃は全て防がれてしまった。


「はははっ、残念だったね! その手は読んでたんだよ!」


 加村は白い歯を見せて勝ち誇る。

 だが、どういうわけだか久間は全く動揺していなかった。それどころか、何故か余裕の表情を浮かべている。

 訝しげに感じた加村だったが、構わずそのまま机で殴りかかった。


「店長、勝ちを確信するのはまだ早いぜ」


「なっ……なんだとっ⁉︎」


 久間は寸前で躱しながら、襲いかかるオフィスデスク目掛けて、隠し持っていた消火器を投げつけた。


「攻撃の瞬間こそ、人は最も油断する。チャンスが来たと思えば、すぐに狙ってくると思ったよ」


 デスクと消火器が激突し、酷く不快な音が響いた。押し負けて床へと跳ね飛んだ消火器は小さな破裂音を上げ、中から大量の水蒸気が漏れ出す。


「うっ……しまった!」


 白い煙で視界が奪われ、お互いの姿が確認不可能となる。長年放置されていたのか、消火器の中からは酷い悪臭が漂っていた。

 加村は思わず取り乱してしまい、激しく首を振った。


「煙幕のつもりか、くそっ!」


 加村はたまらず、口元を手で塞いだ。

 その刹那、煙の中から腕が飛び出し、加村の首元を掴んだ。


「店長、これがあんたの弱点だよ」


「きゅ……久間くん! まさか!」


 視界を確保するため、オフィスの中にあった遮蔽物のほとんどが廊下に退かされていたことが幸いした。でなければ、これほど素早く間合いを詰めることはできなかっただろう。加村は久間を探しながら、自分へのルートを無意識のうちに開拓してしまったのだ。


「全額投資だ!」


 久間に手のひらから放たれた青白い光が、加村の全身を包んだ。


「うわああああああああああああっ!」


 途端、加村が悲鳴にも似た咆哮を轟かせた。

 久間の手のひらに、経験したことのない衝撃が走る。


 しばらく叫び声は続き、気づけば加村は膝をついてパタリと床に倒れた。

 だが僅かながら意識は保てているらしく、呻き声を漏らしながらゆっくりと体を起こす。


「こ……こんなことが……初心者の君に負けるなんて」


 資産家二人の視界には、ゲームセットの文字が浮かび上がっていた。

 五千万の投資によって加村が倍額の損失となり、破産が確定したのだ。


「店長、あんたの資産アセットは人間相手には効果を発揮できない。接近戦に持ち込めば、資産アセットを警戒することなく投資を行えると思ったよ」


「は、はは……なるほど……弱点とはそういうことか。いったい……いつ気づいたんだい?」


「最初におかしいと思ったのは、ロビーで観葉植物を投げつけられた時だ」


「え⁉︎ そ……そんな前から?」


「ああ、だってあの時、操った観葉植物で俺に損失を与えればいいのに、あんたは何故か投げつけてきただろ? だからわかったんだよ。あんたの資産アセットは範囲に制限があるってな。俺の資産アセットにも、同じように条件が含まれてる。一つあるなら、二つ目が存在していてもおかしくはない」


「た……たしかに範囲制限のことは認める。だがそれだけでは、人間に使用できるかどうかまでは見抜けないはずだろ?」


「だから罠を仕掛けたのさ。四階で俺がロッカーに隠れてると思った時、俺に資産で直接干渉せず、あんた拳銃で外から撃ち込んだだろ? だから人間相手にも使えないことがわかったのさ」


「見ていたのか⁉︎ い、いったいどこから!」


「そのカラクリはこいつだよ」


 久間はしたり顔で、ポケットから携帯電話を取り出した。


「こいつを二台用意して、ビデオ通話状態にしたまま一つを四階に仕込んでおいたのさ。店長の資産アセットの効果範囲を知るためにな。隠しカメラは、あんたの得意技だろ? いやぁ、こういう中身の細かい道具も用意できるとは思わなかったぜ。でも、何事もやってみるんもんだな」


「なるほど。君はただ逃げ隠れするだけじゃなく、罠を仕掛けてこちらの資産アセットを探っていたのか。まさかロッカーの前に置いていた拳銃に、二つのトラップが仕込まれているとはね、さすがに見抜けなかったよ」


 両膝に手をつけながら、加村は渋い笑みを浮かべた。


「はいはーい! お疲れ様でーす、お二方!」


 突如、特徴的なロバ耳を生やした少女、ミダスが久間と加村の間に出現した。


「うおっ! て、てめぇ……急に出てくんじゃねぇよ! びっくりしただろが!」


「私が普通に登場したら、それこそ変じゃないですか。むしろこれでも刺激が足りないくらいですよ」


 相変わらずのおちゃらけた態度に、ペースを乱される久間。


「初勝利おめでとうございます、久間様。本来ならば、私がわざわざここに出向く意味はないのですが、今回は少し例外でして」


「例外?」


 久間は怪訝そうに眉をひそめた。


「はい。この時点で加村様の破産が確定いたしましたので、その処置に」


「忙しいな、中間管理職ってのは」


「まあ、それなりに」


 ミダスは口の端を上げ、目を細めた。


「加村様が破産したことで、個人資産である操作コントロールが久間様の元に行きます。ビギナーズラックとはまさにこのことですね」


 ミダスは楽しそうに語るが、久間は素直に喜べなかった。無意識のうちに、加村へ哀れみの視線を向ける。


「ふっ、そんな顔するなよ……ギャンブルと一緒さ。この区域で生きていく以上、これは仕方のないことなんだよ。いつか、こうなることはわかっていたからね……」


 口ではそう言うものの、加村の目は酷く虚ろだった。当然、簡単に受け入れることなどできるはずがない。

 失った総資本がそのまま加村の負債となる。五千万近くともなれば、もはや一生かけて返せる額ではない。


「加村様。短い間でしたが、これであなたは追放となります。負債に関しては、また後ほどお伝えさせていただきますね」


「ちょっと待てっ!」


 ミダスが指を鳴らそうとした瞬間、久間がその腕を思い切り掴んだ。


「おやおや久間様、いったいどういうおつもりですか?」


「どうもこうもねぇ、まず先に破産の損失と、俺の総資本について答えろ」


「それを聞いて……何になるんです?」


「いいから早くしろ!」


 俺が声を張り上げると、ミダスはため息をこぼしながら渋々答えた。


「今回、久間様が投資した五千万ですが、加村様の総資本がその倍額に届いておりませんでした。本来なら、加村様の損失はそれ以上に達するところでしたが、失うのは元々持っていた総資本のみです。したがって、損失は総資本の約七千二百万となります。そして、これが全て久間様の利益となったわけです」


「それが、この男の負債なんだな?」


「はい、そうですよ。しかし、どうして改めて確認を?」


「そりゃ、俺にとっては初めての商業取引だからな。一応聞いただけだ」


 久間はゆっくりと加村へ歩み寄った。


「なぁ、この金を俺がどうしようと、もう自由なんだよな?」


「ええ、もちろん。今までのような貧相な暮らしとはもうこれでおさらばです。思う存分、贅沢な時間を過ごせますよ」


「なるほど……なら早速、使わせてもらうか」


「……え?」


 ミダスは思わず呆けた声を漏らした。


「この男の負債を全額、俺が支払う。今すぐにだ」


「なっ⁉︎」


「はぁ⁉︎」


 二人が同時に声をあげる。


 加村は信じられないといった面持ちで目を丸くし、ミダスは今までの剽軽な彼女からは想像できないほどの険しい表情を浮かべていた。


「なんだ? もしかしてダメなのか?」


「いえ、その、可能ではありますけど、本当によろしいのですか? 加村様を助けたところで、久間様には何の得もないはずです。この区域での記憶は消され、久間様に救われたことすら、加村様は忘れてしまうのですよ」


「だからどうした。俺は別に見返りがほしくて言ってるんじゃない。ただ、お前らの思い通りになるのが嫌なだけだ」


「まるで我々が悪人のような言い方ですね。ふふ、まったく心外です」


「どの口が言ってやがる。てめぇらは十分悪徳金融じゃねぇか」


「酷い誤解です。まあ、それはそれとして。いいでしょう、久間様の意見を受け入れます。加村様を救済いたしましょう」


 意外にもミダスはあっさりと了承した。胸ポケットから携帯電話とよく似た機械を取り出し、誰かと通話をし始める。


 しばらく話した後、ミラはその機械をポケットにしまいなおした。


「今、加村様の損失分を久間様の総資本から引き落としておきました。もうこれで、後戻りはできませんよ」


「ああ、後悔はねぇ」


 隣で加村が、驚愕と疑念が入り混ざったような表情を浮かべていた。


「そ、そんな……どうして、僕は本気で君と戦っていたのに……」

「さぁ、気まぐれってやつだよ。どっかの誰かさんみたいなね」


「……え?」


 その時、久間は路地裏で自身を助けてくれた少女のことを思い出していた。

 ただ信じたい。金は人を殺すものなどではなく、救うものなのだと。自分を助けてくれた彼女のように。


「それでは加村様、これにてこの区域からは追放となります。ありがとうございました」


 ミダスが手に持っているキューのような棒を軽く振ると、加村の姿は忽然と消えてしまっていた。まるで、初めからそこにはいなかったかのように。


「久間様。後で査定の方を行ってください。新たに手に入れた資産アセットを確認してもらわなくてはなりませんから」


「今すぐじゃないとダメなのか? それは」

「いいえ、次に来てくださった時で構いませんよ。今日はお疲れでしょうから、家までお送りしましょう」


「へぇ、サービスいいじゃねぇか。もちろん、タダだよな?」


「当然です」


 それから久間はミダスに案内され、現実世界への帰路についた。

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