第九話:カーミラの戦い、ロビンの戦い

 エライザのいるテントを抜け出したカーミラとロビンは、それぞれ言葉少なにお互いの無事を祈り合った。


「カーミラ。心配ないと思うけど気をつけて」


「ありがとう、ロビンもね」


 鉄仮面越しのカーミラの声は、籠もった響きをもって、それでもロビンの鼓膜を確りと震わせた。


 カーミラが吸血鬼の力を開放する。ロビンが全身の筋力を強化する。闘う準備は万全である。二人は示し合わせたわけではないが、それでも同時に王国の陣を駆け抜けた。


 カーミラは帝国軍の左翼。ロビンは右翼。そのように話を合せていたわけではなかった。ただただ自然な流れで二人はそれぞれ自身のターゲットを決めたのだった。


 カーミラは走る。走る。彼女は帝都における、騎士団長ビリーとの一戦。その経験から、自身の吸血鬼としての本能、力、それらをコントロールすることができる確かな自信を得ていた。理由は分からない。だがなんとなくそんな気がした。


 鉄仮面によって、誰一人として知る術が無いが、彼女の瞳はどす黒い紅に染まり、そして白目でさえも真っ黒に染まっていた。吸血鬼としての真なる覚醒。それを経験した彼女にとって、ただの人間など虫けらと同様である。例えそれが魔術師だったとしてもだ。


 王国軍の後陣、その人混みをかき分け、本隊を抜き去り、そして王国と帝国のぶつかり合う最前線へ向かう。


 数分とかからず、帝国軍の右翼、魔術師の大隊が彼女の目に映った。中央突破を図った王国軍の先陣に対して一方的に魔術で砲撃する彼らを見て、カッと頭に血がのぼる。だが人は殺さない。その信念だけは失わなかった。それでも自身の生まれ育った王国を彼女は愛している。ロビンがいるこの国を。アリッサ、グラム、ヘイリー、エイミーがいるこの国を。愛してやまない日常を守るため、彼女は甲高い声を上げながら魔術師の群に突っ込む。


「な、なんだ!?」


 異常なスピードで突っ込んでくるその姿に、大隊の魔術師、その一人が驚愕に染まった声で叫ぶ。


「カアァァァァァッ!!」


 カーミラが人ならざる声――ともすれば獣が獲物を狙い定めた時に発する唸り声に近いかもしれない――を上げ、右腕を大きく横に薙ぐ。


 たったそれだけ。たったそれだけで数十人の魔術師が吹き飛ぶ。一騎当千どころではない。その余りあるマナによって攻撃範囲を極限まで広げたカーミラの一撃は容赦なく帝国の魔術師達を襲った。


「ば、化け物!?」


 人間らしからぬ膂力に恐慌をきたした兵の一人が、めちゃくちゃに魔術を行使する。炎が猛り、風がうねり、水が押し流し、雷が走る。だが、そのいずれもがカーミラに傷一つ与えることはできなかった。彼女が身につける甲冑、それも確かに寄与していたが、偏にカーミラの頑強な肉体に依るものであった。


 倒れ伏す帝国の魔術師達をぐるりと見回し、彼女はボソリと呟く。


「悪いけど、死なない程度に痛めつけさせて貰うわよ」


 帝国の魔術師らにとっては悪夢の始まりであった。カーミラの腕が、脚が、ぶんと振るわれる度に、人間が束になって吹き飛んでいくのである。人間じゃない。これは化け物だ。彼らは示し合わせたようにそう感じた。


「い、嫌だ! し、死にたくない!」


 下級の兵士なのであろう。兵士の一人が身体の痛みを堪えながら立ち上がり、踵を返して逃げようとする。単騎でこれほどまでの破壊を起こす存在が目の前にいるのだ。無理もない。だが、そんなことは帝国魔術師大隊、大隊長が許しはしなかった。


「逃げるな! 奴は化け物などではない! 人間だ! 魔術を放て! 殺せ!」


 ともすれば自身に言い聞かせているようにも聞こえる台詞を叫び、率先して魔術を行使する。彼の魔術の腕は確かだった。幾つもの上級魔術を恐るべき速度で行使し、カーミラを打ち据える。


 だが、その行動がまずかった。カーミラはこの隊のリーダーが誰なのか、はっきりと認識した。ふぅん、と鼻を鳴らす。大隊長の魔術はいずれも強力であったが、吸血鬼である彼女には屁の突っ張りにもならない。


「ぎっ!!!」


 おおよそ人から発せられたとは思えない音を口から響かせ、カーミラが未だに上級魔術を放ち続ける大隊長に肉薄する。存分に手加減をしながら、右の拳をその顔面に突き立てる。うぎゃ、と悲鳴を上げて彼の首がぐるりと回転した。あ、やば、とカーミラは思った。その手応えに、やりすぎた、と思ったのである。しかしながら、虫の息ではあれど彼はなんとか死なず、意識の消失だけで済んでいた。大隊長の生存をカーミラが手早く確認し、ほっと胸を撫で下ろす。


 その場にいる人間に、すでに闘志は存在していなかった。ただただ人間とは思えない、鉄仮面の人間を畏怖の目で見つめる。


「大将首は討ち取ったわ! 死にたくなかったら投降しなさい!」


 大隊長の襟首を持ち上げ、自身の戦果を誇示する。その効果は絶大であった。


 倒れ伏し、未だ起き上がれない者。なんとか立ち上がった者。その場にいた数十人の人間が、一斉に杖を投げ捨てる。あるものは手を上げ、敵意が無いことを示す。また、あるものは起き上がることもままならないので、両手を後頭部に当て恭順の意を示す。


 行き当たりばったりだったけど、意外となんとかなるものね、とカーミラはその光景を見回した。さて、ここからどうしようかしら、と思案する。


 頭を抱えてうんうん唸っていると、質実剛健をそのまま形にしたような鎧を着た一人の人間がその場に走り寄ってきた。クイン・オールマン。王国の騎士団長である。カーミラは数ヶ月前に一度会っただけの彼をしっかりと覚えていた。後からは、彼の部下なのであろう、騎士団らしき集団が、負傷した身体をかばいつつもその背中を追いかけていた。


「貴方は……」


 クインが奇妙な鉄仮面を被り、いかにも重そうな甲冑を着込んだカーミラを見て、瞠目する。


「ここにいる兵達は投降しました。捕虜として、丁重に遇して下さい」


 なるべく素っ気なく、そしていつもより声を一オクターブほど下げてクインに告げる。声から自分の素性が明らかになってしまうのを避けるためだ。


 では、と一言告げて、カーミラは次なる戦場へ猛スピードで向かう。後には、なんとなく聞き覚えのある声とその場の状況に目を白黒させる騎士団長と、ただただ驚くことしかできない騎士達が残された。とはいえ、驚いている場合ではない。数秒かけて気を取り直したクインが部下に手早く支持を出す。


「第一分隊、第二分隊はこの者どもを捕縛し、陣へ連れて帰れ! 決して徒に傷つけるな。我々は蛮人ではない。文明人だ」






 ロビンは、十数分かけて王国軍の隊列を駆け抜け、帝国の左翼に配置された魔術大隊に接敵した。カーミラとは違い、ロビンは人並み外れた膂力を持っているわけではない。ただ筋力強化の魔術が使えるだけの一介の魔術師である。殺さなければ殺される。こんなところで死ぬわけにはいかない。


 大隊の兵、その一人がロビンの接近に気づく。


「単騎で突っ込んでくる兵がいるぞ!」


 その叫び声に、一斉に大隊全員がロビンの姿を目視する。明確な殺意に彩られたその視線に、一瞬足がすくみそうになるが、気合と根性でどうにかした。ここからは本気の時間だ。ロビンは筋肉だけではなく、自身の脳にもマナを浸透させ強化する。帝国の兵士達の動きがスローモーションに感じられる。


「殺せ!」


 誰からというわけでもなく、叫び声が上がった。数十本もの杖が一斉にこちらを向くのをロビンの視界が捉える。酷く緩慢に感じられるその動きに、させるものかと猛スピードで肉薄する。


「やれるものなら!」


 右腕を振りかぶる。アレクシアは言っていた。筋力強化の使い手には極論、体術も剣術も、ありとあらゆる技術が不要であると。彼はその言葉をただただ忠実に実行した。強化した肉体による、大振りなテレフォンパンチ。しかしながら常人では目で追うことすらできない猛スピードで繰り出されるそれは、凶器そのものだった。


「やってみろ!」


 兵の一人の胴体を打つ。鎧は砕け、ついでに鎧の中の胴体も吹き飛んだ。


「き、筋力強化使いだ!」


 何処からともなく、ロビンが筋力強化の使い手であることを見破り、叫び声が上がる。帝国の魔術大隊。彼らは砲撃を攻撃の中心として編成された部隊である。肉体一つで敵を打ち破る筋力強化使いは一人としていなかった。


 驚きにその身をすくませる大隊の兵達のど真ん中で、ロビンはめちゃくちゃに自身の四肢を振るう。腕を振り、突き立てる。脚をぶん回し、つま先を突き刺す。その一撃一撃全てが、文字通り必殺の一撃となる。


 ロビンが腕を振るう度に一人死ぬ。脚で蹴り上げる度に一人死ぬ。帝国の魔術師達も一筋縄ではない。幾種類の魔術を行使しロビンを打倒せんとする。だが脳まで強化している彼にとっては、その全てに対して自身に害を及ぼす威力なのかひとつひとつ判断し、選定し、そして避けることは造作もないことであった。


 その異常なまでのスピードと、反射神経、そして判断力に、大隊の兵達が焦燥していく。何しろ魔術が当たらないのだ。たまに当たりはするが、目の前の少年はそれでもピンピンしている。


「ば、化け物か!?」


 その言葉に、思わず鼻で笑う。化け物? 化け物というのは、アレクシアぐらいの高みに登った人間の事を言うのだ。僕なんてまだまだ、ひよっこも同然だ。少年は、今は亡き自身の師を心の底から敬愛していた。


「君たちに恨みはないけどね!」


 術式を展開しようとしていた兵に回し蹴りを見舞う。返す刀で、その反対側にいた兵士を平手で打つ。


「誰一人として生かして帰さない!」






 エライザは各隊をまとめる隊長陣らに、自身に対する念話の魔術を許可していた。ひっきりなしに彼女の脳内に響く報告。だが、そのどれもをエライザは適切に一つ一つの情報として処理していた。


「そろそろですかね」


 帝国がちょっとばかし調子に乗る頃合いだ。王国の被害が広がっている。カーミラとロビンがそろそろ接敵している頃合いだろう。優秀だが、戦というものを知らない彼らのことだ。ただただ出遭った敵全てを打倒しようとしているだろう。


 エライザの切り札。それは大陸各地から集めた百名もの怪物処理人であった。彼女は敢えて、怪物処理人達をこの場に残していた。彼らは謂わば単騎で編成された遊撃隊だ。王国の雑兵を殺し、調子に乗った帝国軍。必死で抵抗する王国軍。前線は混乱を極めるだろう。その横合いを突切り、敵軍の本隊及び後陣を叩く。それが彼らの役目なのだ。


 戦線が混乱し始めるこの瞬間をエライザは待っていたのだ。念話によって送られてくる報告の多さが、その混乱っぷりをよく表している。カーミラとロビンも上手いことやってくれているようだ。


 エライザは椅子から立ち上がり、ゆっくりとテントから出る。変わらず跪く怪物処理人達に、ニコリと微笑む。


「さて、貴方方の出番ですよ。怪物よりも怪物らしいその勇姿を、帝国の蛮族共に見せておやりなさいな。貴方方は言葉通り一騎当千。その力を怪物ではなく人間に突き立てるのです。ぞくぞくするでしょう? 矮小な人間どもに、怪物処理人が怪物以上に怪物である所以を思い知らせてやりなさい」


「イエス! ユア! マジェスティ!」


 怪物処理人達が叫び、立ち上がる。最敬礼をし、散る。自らの役目を果たすために。各々が各々の担当する地点へ駆け抜けていく。あるものは馬で。あるものは速度を向上させる魔術を行使して。


「帝国の騎士団長は、ジギルヴィッツ公爵がなんとか退けたみたいですね。やっぱり生きてましたか」


 側仕えと近衛兵だけが残ったテントに戻り、エライザがニコニコしながら呟く。なんとも予想通りである。ビリー・ジョーが生きていることも、そしてそれをジギルヴィッツ公爵が打倒することも。


「とは言え、帝国騎士団達は撤退していきましたか。蛮族にしては良い判断です」


 側仕えがエライザに水の入ったグラスを差し出す。あぁ、本当に私の側仕えは優秀だ。何も言わずとも私の意思を汲み取ってくれる。そう思いながら差し出されたそれを手に取り、ぐいと煽る。


「私の可愛い可愛い怪物処理人達がどれほどの活躍をしてくれるのでしょうか」


 ニコリと笑いながら天賦の才を持つ女王陛下が微笑みを浮かべる。


 此度の戦。その勝利への道筋は、この戦闘が始まったその瞬間から、彼女の脳内にて確りと描かれているのである。


「あと一時間。いえ、二時間程度でしょうか」


 それが彼女の予測した勝敗が決するまでの時間である。間違ってはならないのは、彼女はこと戦というものに関しては素人同然であった。ただし、有事の際に人間がどのように行動するのか、どのように思考するのか、それを予測することは天才である彼女にとっていとも容易いことなのである。


 それが戦争という狂気の渦巻く場所だったとしても、だ。

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