エピローグ

 エライザのはからいによって、カーミラとジギルヴィッツ公爵は王宮の客間へ案内されていた。勿論、ロビンも別の部屋へ案内され、今頃その絢爛豪華な部屋に目を白黒させているだろう。


「カーミラ。久しぶりだね。学院に入学して以来だから、二年とちょっとかな」


「……お、お父様。そ、そうですね」


 何処から話せばよいのだろうか。カーミラは今まであったいろいろなことと、今自分が置かれている状況、それらによってすでに心のキャパシティを大幅に超えていた。端的に言うとパニックに陥っていた。表情や仕草からそうとは読み取れないのが、さすが、というべきところなのだろうが。


「王女殿下から、大方のあらましは聞いている。私の可愛い娘を、帝都などという死地に間諜として送るとは……。場合によっては私は王家に弓引くつもりだ」


「い、いけません。それには理由があるのです」


 カーミラがあわあわとしながら、とんでもないことをさらりと言う父親を宥めすかす。王家に弓引く。計画しただけでも極刑である。一方で、ジギルヴィッツ公爵は怒り心頭であった。無理もないだろう、可愛い可愛い愛娘をスパイとして帝国に送り込む。それがどういうことを意味するのか、王女は理解していない、そう感じていたのだ。


 だが、王女からは手紙でこうも伝えられていた。「貴方が全ての真実を知った時、きっと私の判断を間違いだと思うでしょうが、反抗などできないでしょう。詳しくはカーミラから直接聞いてくださいな」と。


「理由があるんだね? 聞かせてくれないか?」


 ジギルヴィッツ公爵が優しげに微笑む。そんな父の笑顔を見ても、やっぱりカーミラには言い出すきっかけがつかめなかった。なので、自身が一番心配している部分について、形だけでも良いから約束してもらいたい、そう思った。


「……約束してもらえますか?」


 カーミラが恐る恐る、父に尋ねる。


「何を?」


「決して驚かない、と。そして、それでも私を愛してくれる、と」


 何を今更、とジギルヴィッツ公爵は思った。自分の娘への愛情は何をもってしても増すことはあれど、減ってしまうことなどありえない。


「約束するよ」


 あっさりと約束すると言い放つジギルヴィッツ公爵に、カーミラはそれでも中々言い出せなかった。目を泳がせる。口をパクパクさせて、そして閉じる。目を伏せて、それから父の目をちらりと見遣る。顔色を窺う。真実を知って、自身の父親はどんな反応をするだろうか。殺されてしまうだろうか。勘当でもされてしまうだろうか。カーミラは家族、つまり目の前の実の父親に拒絶されてしまうことがこの上なく怖かったのだ。


 数分間そんな様子が続いた。ジギルヴィッツ公爵はカーミラの言葉をじっと待つ、と、そのように決めていた。カーミラが話し始めるのを、その優しい性格を十二分に感じさせる微笑みを湛えながらただただ待った。。無言の時間が続く。


 そして、ようやっと意を決して、カーミラが小さく言葉を発した。


 その内容は、ジギルヴィッツ公爵の目玉が飛び出そうな悪辣な運命、そのものであった。


「お父様。私は、もう、人間では有りません。吸血鬼なのです」


 その後で一言、ごめんなさい、と呟く。カーミラはそれを証明するように、瞳を赤く染め、爪を伸ばし、頬を釣り上げ発達した犬歯を顕にし、背中から翼を生やした。


 ジギルヴィッツ公爵は予想の斜め上を行くその事実に、頭がフラフラしていくのを感じた。






「ジョー騎士団長は、無事ですか?」


 帝国皇帝であるガルダンディアが横に控える宰相に尋ねる。昨夜からずっと彼の心の中を占めていたのは、騎士団長に対する心配の念であった。


「まだ予断を許さない状況ではありますが、順調に回復に向かっている、とそう報告を受けております」


 自分を、ガキンチョ、と呼んではばからない、そんなかの騎士団長に、ガルダンディアは少なからず好感を抱いていた。いや、その言い方は語弊を招くかも知れない。なにしろ彼は、自身と関わり合った全ての人間に対して好感を持っているのだから。


「それは良かったです。彼が負傷したのは、偏に私の責任ですから」


 悲しげに目を伏せたガルダンディアに宰相が慌ててフォローの言葉を発する。


「とんでもございません。陛下はなすべきことをなしたまでのこと。しかし、恐らく王国からの間諜でしょう。騎士団長にあれほどまでの重症を負わすとは、一筋縄ではいきませんな」


「えぇ、さぞ恐ろしい敵だったのでしょう。面会が可能になったら、お見舞いに行こうと思います」


「ジョー騎士団長もお喜びになるでしょう」


 宰相の言葉に少しだけ表情を明るくしたガルダンディアだったが、次の瞬間にはまた物憂げな顔に戻る。


「……王国と戦争になるのですね」


「陛下……」


「いえ、宰相。理解はしています。納得もしているのです。帝国の臣民にとって安全な領土の確保は必要不可欠。ですが、戦争の中で亡くなってしまう兵士達のことを考えると、どうしても私の心は晴れないのです」


 ガルダンディアは、名君である。そのことはこの宮殿にいる誰もが認めるところであった。若くして人を惹き付けてやまないカリスマと人格。そして、生まれついて備わった直感力。彼が十年後、はたまた二十年後、どんな君主になっているのか想像もつかない。そして、宮殿にいる誰もが、それを見届けたい、とそう考えていた。


「確かに人は死にます、陛下。ですが、戦で死んだ者はガルヴァーナ神の元へ召され、そしてその武勇を讃えられ、幸せに暮らします」


「えぇ、わかっています……そうですね」


 宰相は、この末端の兵士にすら、心悩ませる皇帝陛下が愛おしくて愛おしくてたまらなかった。宮殿にいる誰もが同じ思いを抱いているだろう。


「入念に準備を。死者は最小限に。それだけが指示です。他は全ておまかせします」


「はっ。ご随意のままに」


 帝国では、ゆっくりとだが確実に、王国へ攻め入る準備が整えられていくのであった。






 カーミラは入学から今までの経緯を父に話して聞かせた。入学して二日目、とある本を読んだこと。それが、ヴァンピール教というカルト教団が仕掛けた罠であり、その本が魔導書(グリモア)であったこと。その魔導書(グリモア)は、人間を吸血鬼へ変異させるものだったこと。二年間、そのことを気にして、他者との交流を拒んできたこと。


 そして、数ヶ月前、血を啜っているところをロビンという少年に見つけられたこと。ロビンが吸血鬼なんて化け物である自分を忌避せず接してくれたこと。そして、自分に友達を作ろう、と提案してくれたこと。


 ロビンの紹介で、友達が何人かできたこと。友達とリュピアの森に採集に行ったこと。そこでヘルハウンドと出遭ってしまったこと。皆大怪我を負ってしまい、自分が吸血鬼の力を以ってその魔獣を倒したこと。王宮から討伐金を貰ったこと。


 その出来事からカーミラの存在を嗅ぎつけたアレクシアという怪物処理人に襲われたこと。ロビンが身を挺して助けてくれたこと。その後学院長の取り計らいもあり、アレクシアと和解したこと。


 夏休みになって友達が沢山増えたこと。平民舎の学生との交流会に参加したこと。その中でトラブルがあったが、それをなんとか収めたこと。平民の友人ができたこと。夏休みの最後、ヴァンピール教に誘拐されたこと。ロビンがすぐに助けに来てくれたこと。後からやってきたアレクシアが事件を全て解決したこと。


 アレクシアによって、エライザに自分が吸血鬼だということが知られてしまったこと。そのせいで、遺跡に済む魔獣や怪物を倒してこいと言われたこと。魔獣を倒したこと、怪物を倒したこと。


 そして、エライザの命で、帝国に間諜として侵入したこと。いくつもの困難をくぐり抜け、ロビンとアレクシアの助けを得ながら、帝国で情報を得たこと。しかし、ロビンとアレクシアが帝国で捕まってしまったこと。彼らが拷問を受けたこと。レジスタンスと結託して、彼らを救ったこと。


 その後で、帝国の騎士団長と戦いになったこと。とてもとても強かったこと。アレクシアが致命傷を負ったこと。それを見て、自身が吸血鬼として真に覚醒したこと。騎士団長をなんとかやっつけたこと。


 そして、何よりも。大嫌いで大好きなアレクシアが死んでしまったこと。


 時には微笑みながら、興奮しながら、そして涙しながら、カーミラは父親に全てを語った。ロビンと出会った夜から数ヶ月。その数ヶ月が鮮烈な彩りをもって思い出される。あぁ、私はこの数ヶ月で、それまで生きてきた十六年ほどの人生よりも濃密な時間を過ごしたのだな、とカーミラは思った。


 ジギルヴィッツ公爵は、それをまるで自分のことのように、時には笑顔で、時には興奮して、そして時には目頭を熱くさせて、相槌を打ち、たまに質問をして、耳を傾けた。


 公爵は理解した。エライザが「反抗などできないでしょう」と手紙で伝えた、その理由を。他ならぬ公爵家、王家の傍流でもある由緒正しき家系から、吸血鬼が輩出されたなど、あってはならないことだ。王女は言外にこう言っているのだ。これから私のすること、カーミラに命じること、全てに手出し口出し無用、それを破ればカーミラが吸血鬼であることを王権を以って発表し、処刑する、と。


 エライザの悪辣さに、ジギルヴィッツ公爵は決して少なくない怒りを覚えたが、もはや全てがあの王女の手中に収まっている現状、呑み下すしかない。仮に、ジギルヴィッツ公爵が王家に弓引いたとしよう。次の日には、カーミラが吸血鬼であることが王国全土に知れ渡り、そしてジギルヴィッツ公爵家は断絶。一族郎党、皆殺しの処刑となるだろう。


 ジギルヴィッツ公爵は、カーミラを愛していた。だが、それと同時に、カーミラ以外の娘達も愛していた。長女のアルテミア。三女のクレアニス。


 そして、それ以上に妻のことも愛していた。


 全てを犠牲にして王家に弓引くなどできない。エライザはそのことまで理解しながら、ジギルヴィッツ公爵を王宮に呼び出したのである。性格が悪い、という言葉では言い表せない。深い深い嫌悪感をエライザに抱いた。


 一ヶ月後に来い、と手紙には書いてあった。だが、その手紙の内容から、一ヶ月も待てず、すぐに向かう、と返事をして、邸宅を後にした。約二週間弱。ジギルヴィッツ公爵邸宅から王都までかかった時間である。


 王都に着いても、中々王女との面会の許可は降りなかった。王都の宿に泊まり、逸る気持ちを抑えて、今か今かと待ち続けたものだ。そして、ようやく面会許可が降りた。その帰結がこれだ。


 一通り今までのことを話し終えたカーミラは、ふーっ、っと一つだけ深呼吸をした。長い長い話になってしまった。もうすっかり夜である。


「お父様」


「……なんだい、カーミラ」


「お話しした通り、私は、もう人間ではありません……」


 カーミラが言いよどむ。そして、眦から少しずつ涙が溢れだしてくる。


「……そ、それでも、それでも、私を娘であると、愛していると、言ってくださいますか?」


 ジギルヴィッツ公爵は、娘の泣き顔をみて、同様に涙を流すことしかできなかった。彼は、自らの娘をきつく抱きしめる。そして耳元で小さく、しかしながらはっきりと告げた。


「自分の娘を愛さない父親なんて、この世にはいないよ。カーミラ。きっとお母様も同じだ。カーミラ。君がどんな存在になろうとも、君がどんなことをしようとも、僕もお母様も、アルテミアもクレアニスも、君の味方だ。これは絶対だ。カーミラは僕の娘だ。それ以外の何者でもない。愛してる。可愛い可愛い僕のカーミラ」


 父のその言葉に、カーミラは今までなんとか押し殺していたのだが、限界を迎え、わーんわんと大声で泣き出してしまうのだった。そんな彼女をジギルヴィッツ公爵は強く強く抱きしめる。


 この娘の過酷な運命にきっと僕は力になってやることができない。これから起こる全ての出来事も、僕の預かり知らぬところで起こり、そして為すがままにすすんでいくのだろう。だけど、僕はこの可愛い可愛い娘を心から愛している。それだけは変わらない。ジギルヴィッツ公爵の彼女を抱きしめる力の強さは、その証明、それ以外の何物でもないのだ。


 ひとしきり二人で泣きじゃくったあと、娘と父親は腫れぼったくなった目をお互い見遣って、少しだけ笑った。


「カーミラ、君が話してくれた、ロビン・ウィンチェスター君だっけか。さっきもちらりと見たけど、あの時はそれどころじゃなかったからね。彼に会って話を聞きたいな」


「ロビンに? でも、彼、子爵家のそれも妾の子ですけど」


 公爵家と相まみえるには、些かロビンの立ち位置は複雑過ぎる。カーミラはロビンにちょっとだけ遠慮した。公爵と面会する、それはロビンに少なからずストレスを与えるのではないか、とそう思ったのだ。


「君はそんなこと気にする性格だったのかい?」


 すぐに否定の言葉が娘から発せられる。そう確信を持ってニコリと笑いながら訪ねた。


「そんなことありません! ……ただ、ロビンが嫌がるんじゃないかと」


「わかった、じゃあこうしよう。近い内、王女の戴冠に向けて、恐らく学院が長期休暇になる。その時に我が家にご招待するっていうのはどうだろう? ウィンチェスター君の説得と心の準備は、カーミラ、君のミッションだ」


 カーミラは少しだけ考える。時間を空けて、心の準備を整えればロビンは首を縦に振るかもしれない。


「……えっと、ロビンが心からそれを望むなら、で良いですか?」


「勿論。嫌がる人間を、無理やり僕の前に立たせようなんて思わないよ」


 ジギルヴィッツ公爵はニッコリと笑う。その笑顔に、カーミラも思わず笑顔になってしまう。善は急げだ。ロビンに伝えてこなきゃ。ロビンに遠慮しながらも、一方でカーミラは自分の実家にロビンがやってくるかもしれない。そのことがとても嬉しかったのである。


「じゃあ、ロビンに頭出しだけしてきます」


 一転して顔を輝かせて、カーミラは凄まじい速さで部屋を出ていってしまった。ジギルヴィッツ公爵がその言葉を聞いて、男の子の部屋に二人きりになるのは、外聞があるから控えなさい、と言おうとしたのだが、間に合わなかった。やれやれ、と彼は肩をすくめる。


 客室には、ジギルヴィッツ公爵、一人だけが残された。彼は、ぼんやりとカーミラが語った内容を今一度反芻する。彼女が話したことのなかで、親として絶対に伝えなくてはならない言葉があった。例えそれが直接は伝わらなかったとしても。


「……アレクシア・ロドリゲス先生」


 呟く。届くだろうか。いや、一度は敵対したとはいえ、それでも大切な娘を守ってくれた恩人だ。メーティス教の通りであれば、その善行を評価された彼女は夜空の何処かにいるはず。彼は客室の窓を開けて、夜空を見上げる。どの星が、そのアレクシア・ロドリゲスという方なのだろうか。無数の星々のどれかなのだろうが、目当ての星がどこにあるのかはとんと見当もつかない。だが、彼は言わなければいけない。伝えなければならない。


「娘を守ってくださって、ありがとうございます」


 冬に差し掛かろうかという季節の、少しだけ肌寒い張り詰めた空気に、彼の柔らかな声が響いた。


 その数秒後に、彼のすすり泣く声が響く。しかし、それを聞くものは誰も居なかった。

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