第二話:カーミラ・ジギルヴィッツという少女

 深夜の旧館。手紙に書かれていた通りの時間にロビンは昨日と同じ場所へ向かった。目的地につくと、カーミラはすでに壁に背をつけて佇んでいた。


「ごめんなさい、待たせてしまいましたかね?」


「いえ、時間通りよ。私が早く着きすぎただけ」


 さらりと銀髪が揺れ、カーミラはニコリと微笑んだ。


「まず、その堅苦しい喋り方はやめてくれる? 私も多少砕けた態度でいたいの」


「えっと、じゃあ、カーミラさんは……」


「カーミラ。『さん』はいらないわ」


 大体、あんた私と同い年じゃないの。カーミラはそんなことをのたまう。いや、確かにこの学院内では魔術の下の平等を掲げてはいるが、親の爵位がなくなるわけじゃない。ロビンは困ってしまった。


「いつも、公爵家の令嬢らしく振る舞うのって肩がこるのよね。私の大事なところを見られたあんたには、多少砕けた態度でいてほしいわ」


 大事なところって……。あらぬ誤解を受けそうなセリフだな、とロビンは苦虫を噛み潰したような顔をした。


 カーミラは、そんなロビンの顔を無視したのか気づかなかったのか、一切気にすることなくロビンの手を取った。


「えっと、カーミラ?」


 女の子と手を繋ぐのなんて初めてなんだけど。ロビンは突然のカーミラの行動に困惑しながらも、血が顔に集まっていくのを感じた。ここが夜で、暗闇でよかった。明るかったら耳まで真っ赤であることがバレていただろう。


「こんな場所じゃなんだから、近くの教室に行きましょうよ」


 ロビンは、カーミラに手をひかれるままに、古い教室に入った。机や椅子には埃が降り積もり、若干のカビ臭さが鼻につく。旧館がどれぐらい前に『旧館』になったのかについて、ロビンは知らないが、この汚さを見る限りだと、数年、数十年単位で前のことだろう。


 カーミラは教室の最前列の席の埃を軽く払うと躊躇なく腰掛け、隣の席をポンポンと叩く。服に埃がついてしまうことが少し気になり、躊躇しながらではあるが、ロビンも同じように埃を払って、カーミラの隣に腰掛けた。


「ねぇねぇ。得意な魔術は何?」


「魔術? 特に得意っていうものはないです……ないよ」


 意識せず、敬語が出そうになったところで、カーミラに少し睨まれて言い直す。


「器用貧乏っていうのかな? どの魔術でもそれなりに扱えるんだけど、所詮それなりなんだよね。マナの量も人並みだし」


「ふーん。私は、どの魔術も得意だけどね」


「知ってるよ。有名な公爵令嬢の話は嫌でも耳に入ってくるしね」


 初級から上級までの様々な魔術を使いこなす、その才能を妬んでいるものもいるとのことだ。


「えぇっと、じゃあご趣味は?」


 お見合いかよ。ロビンは心の中だけで突っ込んだ。


「読書かなぁ。物語を読むのが好きなんだ」


「あっ、私も好き。ロビンはどんな本を読むの?」


「最近読んだのは『カンタロン英雄物語』かなぁ」


 と答えたあとで、ロビンはふと気づく。


「なんで僕の名前知ってるの?」


「同じ教室で授業を受けてるのだもの、知ってて当然でしょ? ロビン・ウィンチェスター、ウィンチェスター子爵の四男で庶子」


 どう? あってる? と、カーミラは自慢げに胸を張る。胸を張ったところで女性らしい丸みを帯びた二つの丘は微塵も存在感を感じさせないところが悲しくもあった。


「驚いた」


 隠していたことではないとはいえ、そこまで知られていたのか、とロビンは驚く。この公爵令嬢は自分以外には一切興味のない冷徹な女性。それが、今までのロビンの認識だ。カーミラに対する認識を改める。


「僕のことなんて眼中にないかと思ってたよ」


「私、こう見えても記憶力には自信があるのよ。同じ教室で一緒に勉強している皆の顔と名前は一致しているわ」


「でも、君友達いないじゃないか」


 あ、地雷踏んだかも。ロビンは自分の迂闊さを呪った。今までの笑顔から一転して、カーミラは悲しげな表情を浮かべたからだ。なんなら、ちょっと涙ぐんでいる。


「そうなのよぉー。友達、いないの。ちょっと寂しいわよね」


「作ろうと思えば作れるでしょ?」


 ロビンは入学当初のことを思い出す。美しい公爵令嬢の周囲に群がる人、人、人。その全てを公爵令嬢らしい美麗な言葉でいなしていたことは記憶に新しい。


「だって、私吸血鬼だもの。どこでバレたらって思うと親しい友人なんか作れなかったのよ。それに、皆私の公爵の娘ってとこばっかり見て、私自身を見てくれそうな人は集まってこなかったし」


 いくら友達が欲しくても、選ぶ権利ぐらいあるわよねぇ。と、カーミラは遠い目をする。


「まぁ、そんな人が集まって来ても、友達にはなれなかったでしょうね」


 だって、私吸血鬼だし。カーミラはボソリとつぶやく。


 ロビンは考える。この少女は本当はこの二年間ずっと孤独と戦ってきたのではないかと。この広い学院で友人がいないというのは酷く寂しいものだろう。


「だから、私嬉しいの。ロビンに見られて。結果論だけどね」


 見つかったときは内心ビビリまくってたけどね。と、おどけたようにカーミラは続けた。さっきとは打って変わって弾けるような笑顔だ。その顔をみて、本当に自分は彼女の表面しか見てこなかったのだな、とロビンは痛感する。


「ありがとう。私を見つけてくれて。ね、私とお友達になってくれる?」


 無論だ。ロビンは首を縦に振り、うん、と答える。


 会話が途絶えた。カーミラは上機嫌そうに鼻歌を歌っている。なんの曲だろうか。聞いたことがある気もするし、無い気もする。


 そもそも、吸血鬼ってなんなんだろう。ロビンはカーミラの横顔を見つめながら考えた。人類の敵であるとは教えられている。しかし、吸血鬼がどのように生まれるのか、どのように生活しているのか、ロビンは何も知らない。カーミラの両親が吸血鬼であるという話は聞いたことがない。というか公爵が吸血鬼っておかしいだろ。そもそも吸血鬼って吸血鬼から生まれるものなのか? ロビンはうんうん唸りながら考える。


「何考え込んでるの?」


 カーミラが見かねて、声をかけてくる。聞くべきか、聞いてもいいものかすごく迷う。


「いや、君は生まれたときから吸血鬼だったの?」


 意を決して、ロビンは自身の疑問をカーミラへ投げかけた。そんな質問が来るとは思っていなかったのだろう。キョトンとした顔で、カーミラはロビンの方を見た。


「そんなはず無いじゃない」


「そうなんだ。いや、僕って考えてみたら吸血鬼のこと全然知らないからさ」


 ロビンだけではなく、世間一般的に吸血鬼の存在は謎に包まれている部分が多い。とにかく人間の敵であるということだけが喧伝されているのだ。


 カーミラは遠い目をして、ぽつりぽつりと話し始めた。


「入学して二日目だったかな。図書館に行ったのね。ここは魔術学院だから、面白い本が沢山あるだろうなって思って。

 色々本を触ったり、斜め読みしてたらね、一冊だけ妙に派手な装飾がされた本があったの」


「妙に派手な装飾がされた本?」


「そう。見たこと無いぐらいキレイだった。思わずその本を手にとって開いたの。そしたら記憶がそこで途切れて。

 目覚めたら私は医務室で看病されてた」


「それって」


「多分、魔導書グリモア。人を吸血鬼にする魔導書があるなんて知らなかった。目覚めたときは自分が吸血鬼だってことにも気づかなくて、ただ喉が乾いた感じがして。

 それで、一ヶ月くらいたった頃かしら。ずっと喉が乾いた感じが収まらなくて。気が狂いそうだったわ。だって私その時すごく血が飲みたくなったのだもの。

 そのときに私、自分が吸血鬼になってしまったってことに気づいたの」


 話はこれでおしまい。カーミラはボソリとつぶやいた。


「それからは……自分の身体で色々実験をしたわ。何をしたら怪我をするのかとか、どうやったら死ねるのかとか。流石に自分の心臓に杭を刺したときは痛くて泣きそうになったわ。

 太陽の光にずっとあたってみたり、十字架を見てみたりとかもしたわねぇ。

 今思うと死にたかったんだと思う。実験っていうのは口実」


 ロビンは話す内容の割にあっけらかんとしたカーミラの表情に驚いた。辛かったはずだ。苦しかったはずだ。でも彼女はそんな内心は臆面にも出さなかった。常に公爵令嬢の仮面をかぶり、人と距離を保って二年間過ごしてきたのだ。ロビンは酷く悲しくなった。


「本当は、昨日あんたに見つかったあと、すごく、すごーく悩んだの」


 何を? とは口には出せなかった。


「私は多分死なない。この姿のまま年老いることもない。そんな中でお友達になって欲しいなんて、言っていいのかなって。きっとロビンは私よりも早く死んじゃうんだろうなって。そしたら私また一人ぼっちだなって。だったら一人ぼっちのままでいいかなぁ、とか」


 でもね。カーミラは続けて話す。


「やっぱり寂しかったのよ。二年間ずっと寂しかった。今だけでもいいから気軽に話せる友達がほしかった」


 だから、今日あんたをここに呼んだの。彼女はそう締めくくった。


「あのさ」


「うん」


「友達、作ろうよ。きっとばれない。僕が保証する」


 自分の保証なんてなんの役に立つのだろうか。そう思いながらもロビンは続ける。


「たくさん作ろう。信頼できて、カーミラが困ったときは助けてくれて、もちろん逆に困ってるときは助けてあげて。そんな友達、作ろうよ」


「でも、百年後には私ひとりぼっちよ?」


「いいんだよ。それで。それはその時考えようよ」


「いいのかな? 私が友達なんて作って」


「君と友達になりたがらない奴なんていないよ。今日話してみてわかった、君は自分が思っているよりずっと素敵な人だ。話してて楽しいし、人当たりもいい。その気になれば友達100人も目指せると思うよ」


 ぷっ、とカーミラが吹き出した。いや、今真面目な話してるんだけどなぁ、とロビンはつぶやいた。


「だって、そんな真面目な顔で、顔に似合わない歯が浮くようなこと言うんだもの。あんたって意外と女ったらし?」


 自分の顔が平凡であることは理解している。顔に似合わないことを言った自覚はロビンにもあった。


 カーミラは楽しげに、真面目な顔をし、ロビンの真似っぽいことを始める。


「君は自分が思っているよりずっと素敵な人だ。だって! あは、あははは」


 埃っぽい教室にカーミラの楽しげな笑い声が響く。やめてよ、すごく恥ずかしくなってきた。ロビンは真っ赤になった。


 ひとしきり笑い終えると、いたずらっ子みたいな笑顔でカーミラがロビンの鼻をつついた。


「でも、ありがとう。気が向いたら、友達、作ってみるわ」


「気が向いたらなんだ」


「今すぐは無理よ。だって勇気がないもの」


 私、実は人見知りなの。と、思ってもないことをカーミラはのたまった。君が人見知りなら、世の中の全員は人見知りだと思うよ、とは口には出さなかった。


「教室で僕に話しかけてみなよ。今日みたいな調子でさ」


 後にこの迂闊な発言をロビンは呪う。人当たりの良さという武器を手にしたカーミラがどれほど人気になるのかなんて、このときは想像もしていなかったのだ。


「えぇ? どうしよっかな」


 楽しそうにカーミラが笑う。


「君のために言ってるんだけどね」


 少しだけ悩むように顔を俯かせてから、カーミラがこちらに顔を傾かせる。


「……そこまで言うなら、明日話しかけてみるわ」


 ちゃんと、今日みたいな態度で返してね。カーミラはニヤリと笑って、ロビンの肩をバシンと叩く。


「いてて、任せてよ」


 また会話が途切れる。カーミラはまた上機嫌そうに鼻歌を口ずさんでいる。いつもそうやっていればいいのに。本当の彼女を知るものは今はロビンだけだ。きっと明日からは違うだろう。そんな未来を想像して少しうれしくなった。


 彼女を吸血鬼であるという運命から救うことはできない。でも、この数年間、いやもっと言えば数十年間かもしれない、その間の孤独からは救ってあげることができるかもしれない。カーミラの友達作ろうプロジェクト、か。ロビンはそんなことを考えてクスリと笑った。


「何? 私の鼻歌、そんなに変だった?」


 ロビンの笑い声にカーミラが反応する。じとりとこちらを見つめ、なにか文句でもあるのか、と言いたげな顔だ。


「いや、違うんだよ」


「じゃあ何よ。なんで笑ったのよ。鼻で笑ったように聞こえたけど」


「鼻で笑ってなんてないよ」


 たださ。ロビンは続ける。


「君には友達がたくさんできるんだろうなぁって」


「やっぱり馬鹿にしてるわよね」


 ぷくっとほっぺを膨らませて、カーミラが抗議の視線を送ってくる。その様子が可愛くて、ロビンはまた笑ってしまった。こんな様子の彼女が恐ろしい吸血鬼であるなんて誰が信じるだろうか。もっと彼女のことを知りたい。もっといろんな話をしたい。そんな思いがロビンの心の内を占めた。


「また笑った!!」


「いや、ごめん、他意はないんだよ」


「あー、そうですか。そういう態度をとるんだ」


「ごめんって、謝るよ。別に君を笑ったわけじゃない」


「……わかってるわよ。ちょっとからかっただけ」


 その後は、お互いのことについて話した。どんな本が好きなのか。どんな歌が好きなのか。恋人はいるのか、だとか、好きな人はいるの? だとか。魔法薬学の授業担当をしているジルヴィット先生って絶対カツラだよね~、だとか。


 ロビンにできた新しい友人。話題は尽きることがなかった。


 二人の話し声は朝日が東の山から顔を覗かせるまで続いた。

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