第三話:朝ご飯とエトセトラ

 カーミラの朝は早い。昨日、朝日が顔を覗かせるまでロビンと談笑していたにもかかわらず、ピッタリといつもどおりの時間に目を覚ました。吸血鬼になってから睡眠時間をそれほど必要としなくなった。いや、正確には寝付けなくなり、朝早く目が冷めてしまうようになった。普通の人間なら睡眠不足で眠くなってしまいそうなものだが、驚くほど平気だ。身体が吸血鬼としての強靭なものになってしまったのだろう。


 また、月のものが重くなった。一ヶ月のうちの一週間のことを考えると嫌になってくる。もともとあまり上がらなかった気分も、その一週間は酷く落ち込み、腹部の鈍痛と頭痛にイライラし、早く時が過ぎ去るのを祈るようになった。どうせ子供なんて作らないのに。自分が産む子供は自分と同じく吸血鬼となるだろう。過酷な運命を自分の子供に背負わせたくなかった。


 自分の身体がどれだけ変わってしまったのかについて考え始めると、気分が鬱々としてくるので、あまり考えないようにしている。


 ベッドから出て、掛け布団を整える。ベッドの上だけは綺麗な状態で死守しようという彼女の決意の表れである。ベッド以外の場所には、脱ぎ捨てた服や下着、本や筆記用具などが散乱している。

 ふと、周囲の人間は自分がこんなだらしない部屋に住んでいるとは思わないだろうな、ということに思い当たると、クスリと笑いが溢れた。いつもとは違う清々しい朝だ。鼻歌を歌いながらダンスでも踊りたい気分だ。


 顔を洗い、長い髪を櫛で梳かす。腰まである長い白銀の髪は密かなカーミラの自慢だ。


『教室で僕に話しかけてみなよ。今日みたいな調子でさ』


 ロビンが昨日かけてくれた言葉を思い返す。不思議とその予定に怖さはなかった。どちらかというとワクワクしている。新しい日常が今日から始まる気がして、彼女はますます笑みを深める。


 二年前、自分が吸血鬼になってしまったことに気づいたときには、こんな気分で朝を迎えるなんて想像できなかった。


 ロビンはなんでこんな私を受け入れてくれたんだろう。自分の容姿に自信はある。ちょっと控えめな胸が悩みのタネだが、それを補ってあまりある魅力が自身にあるということは自覚していた。でも、胸か。もう成長しないのよね。ちょっと悲しくなった。


 それでも自分は吸血鬼だ。一般的には人間の敵である。一度自分の身体能力を試してみたが、自分の細い腕からは想像もつかないほど強い力を出せるし、細い足からは想像もできないほど早く走れるようになっていた。


 身体を傷つけても、すぐに治ってしまうし、心臓を貫いても死なないのには流石に驚いた。


 魔術は以前よりも簡単に扱えるようになったし、身体の中に存在するマナが以前とは想像もできないほど増えているのを感じた。今の自分であれば、人間にとっては失われた技術である魔法を使えるかもしれない。力技で非効率的だからやらないけど。


 兎にも角にもロビンという変わった人間に出会えたのは奇跡に近いのだろう。あの日、一番賢い選択を彼女は取らなかった。ロビンを口封じし、つまり殺してしまい、自分は逃げるというものだ。もしくは、彼女の誓いとは反するが、ロビンを眷属とし、自分の支配下に置くもの。だが彼女はそれを取らなかった。いつか見つかるだろう、とは思っていたがいざ見つかってみると彼女の優秀な頭脳でも最適な手段は取れないものなのであろう。


 カーミラは寝間着を脱ぎ捨てると、ソファに打ち捨てられていた学院の制服に袖を通す。あら、皺になってる。スカートのひだに皺ができていることに気づくと、簡単な皺取りの魔術を使い、皺をなかったことにした。


 さて、ロビンに話しかけるのはどんなタイミングがいいかしら。カーミラはドキドキしながら、その瞬間を想像する。朝食を一緒に取ろうか、昼食を一緒に取ろうか。それとも、授業間の休み時間に談笑でもしようか。どれも捨てがたいし、全部やってしまっても問題ないか。カーミラは自分が舞い上がっていることに気づきながらも、それを抑えるすべを知らなかった。


「決めた。まずは朝食を一緒に食べましょう」


 学院に入学してから、初めての友達との朝食。踊りはやる心を必死に外には見せないように取り繕って、部屋のドアを開けた。






 魔法学院は全寮制の教育機関であるため、各学舎には食堂が設けられている。貴族舎の食堂は当然、通う貴族の子女らを鑑み、美しい装飾が施され、価値の高い芸術品が飾られ、一流のレストランにも引けを取らない豪華さとなっている。


 ロビンはどこかしら。カーミラはキョロキョロと周囲を見回す。いた。食堂の隅の方で一人でもそもそと食事を取っている。厨房の前にある、受け渡し口から自分の分の食事を受け取り、ありがとう、と返答する。


 朝食の乗ったトレーを持って、ずんずん、と歩を進め、ロビンに声をかける。


「おはよう、ロビン。朝ごはん、ご一緒してもいいかしら?」


 背後からかけられたウキウキとした声に、ロビンは口の中のものを吹き出した。


「お、おはよう。カーミラ。えっともちろん。一緒に食べようか。」


 随分いきなりだね。ロビンは小声で文句を言う。何故か周囲を気にしてソワソワしている。何を気にしているんだろう、とカーミラは首をかしげた。


「だって、待ちきれなかったんだもの」


「心臓に悪いよ。こっちにも心の準備ってものがあるんだけど」


「そりゃ悪い事したわね」


 ちっとも悪びれていない顔でカーミラが言葉だけの謝罪をする。カーミラはロビンの隣の席に座るとナイフとフォークを手にとった。


「ロビンは何が好きなの?」


「……僕はチキンが好きかなぁ。スパイスが効いたローストチキンとかね」


「やっぱり男の子ね。真っ先にお肉が好きって出てくるなんて」


 顔は頼りなさそうだけど、とカーミラは付け足した。


「カーミラは?」


「私はどちらかと言うと野菜が好きね。お肉とかお魚とかはあんまり好きじゃないの」


 さっきから、ロビンは居心地が悪そうに、ソワソワと周囲を見回したり、もじもじしたりしている。トイレにでも行きたいのかしら、とカーミラは疑問に思った。


「ねぇ、さっきから何をもじもじしているのよ」


「……あのね、君が舞い上がっていることはその顔を見ればなんとなくわかるけど」


 もう少し周りの状況を確認した方がいいよ。ロビンは小さなため息をつきながらそう告げた。






「おはよう、ロビン。朝ごはん、ご一緒してもいいかしら?」


 背後からかけられた声に、ロビンは心臓が飛び出そうになった。幸いにも心臓は飛び出ず、口の中で咀嚼していたものが飛び出ただけだったが。確かに昨日、話しかけてみろとは言った。でももう少しあとの話になると思っていたのだ。


「お、おはよう。カーミラ。えっともちろん。一緒に食べようか。」


 食堂中の空気がざわめくのを感じた。そりゃそうだ。今まで誰とも交流を持つことのなかった、麗しき公爵令嬢が明らかに釣り合わない自分に声をかけたのだから。しかも寄りにも寄って朝食を一緒に食べないか、というお誘いだ。


 学院の傾向として、食事は同性の友人と食べるか、一人で食べるものだ。異性と一緒に食べる者は少ない。異性同士で食事を一緒にするのは、それこそ婚約者同士であったり、恋人同士であったり、よほど親しい関係である場合だけだ。


 色めき立った食堂中の学生の気配を感じて、ロビンは居心地の悪いものを感じた。そんなことも露知らず、ロビンの隣に座ったカーミラは、他愛の無いことを話しかけてくる。


 お願いだから、もうちょっと周囲の状況を気にしてくれ。ロビンは切実にそう思った。


 こっそりと周囲を見回すと、グラムがニヤニヤした顔でこちらを見ているのがわかった。あれは絶対後で根堀り葉掘り効かれるな。ロビンは諦めた。


 っていうか、この状況にカーミラは気づいていないのだろうか。彼女の顔を横目で伺うが、ものすごく楽しそうにこちらへ話しかけてくる。あぁ、これは舞い上がって周囲なんて見えてないな。ロビンはそう思った。


「……あのね、君が舞い上がってることはその顔を見れば何となく分かるけど、もう少し周りの状況を確認した方がいいよ」


 ロビンがそう告げると、カーミラはキョトンとした顔になって、周囲を見回した。


「あらやだ、なんかすごく注目されているわね」


 そりゃそうだよ。ロビンは口には出さなかった。


「まぁ、僕が言い出したことだし、別に構わないけど」


 ちょっと覚悟が足りてなかったかもしれない。注目されるだろうな、というのはなんとなく想像できていたが、ここまでとは思わなかった。それに、食事を一緒に取ろうとカーミラが言ってくるのについては完全に誤算だった。予想以上に世間知らずだな、このお嬢様は。ロビンはため息をつく。


「あのね、異性が一緒に食事を取るのは、学院では婚約者とか恋人とかそういう関係の人だけだよ。知らなかったの?」


 そう話すと、カーミラの顔が少し赤くなった。


「そ、そうなのね。知らなかったわ」


「君はもっと学院の常識を学んだほうがいいね」


「だって、教えてくれる友達いないし」


 興味もなかったんだもの。カーミラは小声でつぶやいた。


「じゃあ、僕が教えるしかないか」


「迷惑かけるわね」


「覚悟の上さ」






 朝食を食べ終わり、授業が始まる。学生たちは各々の学年に応じた教室へ向かい、思い思いの席に座る。ロビンたち2年生も授業のために教室へ向かった。しかし、普段とは決定的な違いに色めき立った。


(カーミラ・ジギルヴィッツがロビン・ウィンチェスターと座っている!?)


 流石に授業中ということもあり、騒ぎ始める学生はいなかったが、それでも大半の学生は授業へ集中できず、昨日までではあり得なかったその光景を凝視していた。


 ロビンもそういった周囲の気配を感じ取り、もじもじと居心地が悪そうにしている。


 ロビンはこれまで極力目立たないことを目標に学院生活を送ってきた。それは、彼が子爵家であるとはいえ、庶子の生まれであるということに由来する。そのため、授業も基本的には後ろの席で受けていた。


 始まりは、朝食終了直前のカーミラのこんな言葉で始まった。


「せっかくだから、一緒に授業を受けましょうよ」


 キラキラと目を輝かせたカーミラの一言に、ロビンは首を横に振ることができなかった。心の底から浮足立った少女の気分を奈落に突き落とす真似は、目立たないことを信条としているロビンにも流石にできなかった。


 あぁ、居心地が悪い。授業内容は右から左へ抜け、集中できていない自分に歯噛みする。


 ちらりと隣の少女を見てみると、真面目を絵に書いたような少女の性格らしく、黒板とノートの間で目を行ったり来たりさせている。


「ウィンチェスター君、珍しく最前列に座っていると思えば、あまり授業に集中できていないようだが」


「申し訳ございません、バート先生」


 魔術学の担当教師の言葉に、言葉だけの謝罪をしながら、ロビンは席を立った。やんごとない事情があるんです。どうしようもないでしょう。心の中だけでとどめたが、仕方ないだろ、というのがロビンの本音だ。


「ふむ、では罰、ではないが、今学習していた魔術の理論について説明してくれるかな?」


 魔術の理論ね。ロビンは読書を趣味としていることもあって、今日の授業で教えられていた範囲については、すでに把握していた。


 魔術とは一言で言えば、体内に保有しているマナを媒介にすることで、工程を飛ばして、結果を得る技術である。この中で工程を飛ばすという段階で、魔術式というものを利用する。魔術式は魔族言語で記述された式であり、どのような演算で、マナを変換し、工程を飛ばし、指向性をもたせるかという役割を担っている。魔族言語は非常に難解であり、完全に理解している人間の絶対数が少ないため、魔術学院では基本的には教えないが、高等教育機関である魔術大学では魔族言語の講義が存在し、魔族言語を理解したものは、新しい魔術を開発する研究者になることが多い。


 魔術式は、マナを属性に変換させる部分と、変換させた力に指向性を与える部分に分かれており、前者をインターフェース、後者をインプリメントクラスと呼ぶ。インプリメントクラスには、インプリメントメソッドと呼ばれるものを保持しており、そこに変換させた力にどのような指向性、つまり振る舞いをもたせるのかが魔術式として記述されている。


 魔術式は、すでに先人が開発されたものを利用することが主であり、羊皮紙に記述した魔族言語による魔術式を、杖に記憶させることで利用可能になる。羊皮紙は杖に記憶させる際に燃えて消えてしまう。利用する際は、各々が決めた詠唱に従って、記憶したどの魔術を利用するのかを選択し、実行する。マナの扱いに長け、魔術を深く理解している者であれば、詠唱なしに魔術を展開することもでき、そのものは一般に「スペル・キャンセラー」と呼ばれ、各方面にて重用される傾向にある。


 魔術式のインターフェースとインプリメントクラスは、入れ替え可能なものもあり、属性をそのままに振る舞いを変化させることができる。


 そのような感じの内容を掻い摘んで説明し、席に座る。無事、魔術学の教師はロビンの回答に満足したようだった。


「ふむ、ちゃんと勉強しているようだな。その調子で励むように。さて、ウィンチェスター君が説明してくれたように、今の段階でお主らにできることは先人が開発した魔術を杖に記憶させ、実行することだ。今日は、新しい魔術を授ける。マナの保有量から現時点では使えるもの、使えないものもいるだろう。だが将来使えるようになる可能性も十分にあることに留意するように。ではここに用意した羊皮紙を各自持っていきなさい」

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