第四話:自称婚約者と悪友
午前の授業が終わり、昼休みとなった。カーミラがうにゅーっと伸びをしてから、こちらを向く。
「えっと昼食も、朝食と同じで、異性同士で食べるのに特別な意味がある感じ?」
「そうだね、基本的に食事は一人で食べるか、同性の友人と食べるものだよ」
「残念ね。じゃあ、一人で食べることにするわ」
心底残念そうな顔で、カーミラが小さくため息をつく。いやに懐かれたな。ロビンは初めて会ったときのカーミラを思い出し、笑みをこぼす。
「まぁ、食堂に行くまでは一緒に行っても問題ないから、一緒に行こうか」
えぇ、とカーミラは笑顔を返す。そんな感じで二人で食堂に向かおうとしたそんなときだった。
「ロビン? 婚約者に内緒で異性といちゃいちゃするなんて、私に喧嘩を売ってるの?」
髪型はピンクブロンドのショートカット。鼻筋はすっと通っており、眦はキツめの印象を受ける。身長はロビンよりも頭一つ分程度低く、そばかすのある顔がチャーミングな少女がロビンの前に仁王立ちした。アリッサ・ホワイト。ロビンの婚約者を自称する、困った少女である
「ロビン、あんた婚約者なんていたの?」
「いないよ、彼女が勝手に言ってるだけ。あ、紹介するね。彼女はアリッサ・ホワイト。僕の実家と彼女の実家が近くて、小さい頃から交流があるんだ。アリッサ、こちらはカーミラ・ジギルヴィッツ。紹介は……」
「必要ない。カーミラさんって有名人でしょ。私だって知ってる。というか、自称ってなに?」
ずいと、アリッサがロビンに迫る。自称は自称だろう。ロビンはこの困った少女に、困った顔で答えた。
「あのね、僕は子爵家ではあるけど、妾の子。君みたいな大領地との婚約なんて、そもそも父が許さないよ」
「あら、私のお父様は問題ないと言ってるけど」
「マジで?」
「マジ」
なんでこの困った少女に気に入られてしまったのだろう。ロビンにはとんと検討もつかない。確かに、幼少期ロビンの実家によく遊びにきていた。彼は妾の子であるがゆえに、父や母からの愛情は受けていたが、ウィンチェスター本家からは疎まれる存在にあった。そのため、本来であればアリッサが実家に遊びに来ようと相まみえるはずはなかったのだ。しかし、幼少期の迂闊さを呪うが、彼女とエンカウントしてしまった。子供というのは不思議なもので、会ってちょっと話せば、もう友達になってしまっている。そんなふうにアリッサと交流を深めているうちに、いつのまにやらアリッサはロビンの婚約者であると公言するようになったのだ。もちろん親同士の約束などはない。
「ともかく、その婚約の話を受けることは多分無いよ」
「私、押しが強くて、自分が決めたことは絶対に果たすタイプの人間なの。絶対逃さないからね」
ロビンは大きくため息をついた。ふと、横を見やると、カーミラがキラキラした目でこちらを見ていた。あぁ、これはアリッサと仲良くなりたいという、カーミラの全身を使った感情表現だ。丁度いいか、とロビンはアリッサに向き直る。
「えっと、カーミラとは色々訳あって、話せば長くなるから話さないんだけど、友人になったんだ」
「ふぅん。私にも話せないことなの?」
「面倒だから話したくないんだよ」
主に誤魔化したり、でっち上げたりするのが面倒だ。
「相変わらず面倒くさがりだね。ま、そこが好きなんだけど」
「はいはい、ありがとう。それで、カーミラにどんな心境の変化があったのかは僕にはわからないんだけど、今までカーミラって友達いなかったじゃない?」
「そうだね、『私は友達なんていりません』、っていうオーラがすごかったね」
「うん。だけど、友達欲しいな、って気分になったみたいなんだよ」
「なにそれ?」
うん、僕にもちゃんと説明できない。ロビンは説明を放棄した。
「とにかく、アリッサにはカーミラと交流を深めて、できれば友達になって欲しいんだ」
アリッサはう~ん、と考え込む。何を考えているのかはロビンには推し量れないが、彼女が基本的にはお人好しな面を持っていることを知っている。まぁ、それ以上に理屈っぽくて、押しが強くて、有言を確実に実行する性格が前面に押し出されているせいで、ロビンにとっては困った少女であるのだが。
「わかった。交流を深めましょうっていうのには異論はない。でも友達になるのはだめ」
あ、カーミラが隣ですごくがっかりした顔をしている。ロビンはカーミラの方を向いていないが、隣から発せられる雰囲気で察した。
「友達になるのって、誰かに友達になってほしいってお願いされてなるものじゃないでしょ? 仲良くしてて気づいたら友達になってるものだと私思う」
ほら、理屈っぽい。ここは、わかった、と言って首を立てに振ればいい場面だろ。ロビンは困った少女の困った面を再確認した。
「カーミラさん?」
「はい!」
いきなり話しかけられたカーミラが、ビクリとしながら返事をする。
「とりあえず、一緒にお昼ごはんでも食べましょっか」
「えぇ、もちろんよ。ありがとう、アリッサさん」
「さん、はいらない。貴方公爵家でしょ? 私に敬意を払う必要はないと思うよ」
「じゃあ、私も呼び捨てで構わないわ」
「あれ、噂と違って気さくなんだ」
「ずいぶんはっきり言ってくれるわね。噂が何なのかは知らないけど」
思ったことをそのまま口に出すのも悪いところだ。ロビンは心のなかで頭を抱えた。この困った少女に、どれだけ辛酸を舐めさせられたか。ロビンは小さい頃を思い出して小さくため息をついた。
「じゃあ、ロビンごきげんよう。私とカーミラは一緒にお昼ごはんを食べることにしました。殿方は殿方同士でどうぞ」
アリッサはそう言って、カーミラを引き連れてずんずんと食堂の方へ歩いていく。
「さて」
僕もお腹が空いたことだし、食堂にいこうかな。ロビンは気を取り直して授業の後片付けを済ませた。
カーミラは表に出さないまでも緊張していた。自身が望んだ状況であるとはいえ、同性の友人と何を話せばよいのか全くわからないからだ。お互い無言で食堂へ向かうと、各々の食事を受け取り口で受け取り、手近な席へ腰掛ける。
「で」
アリッサがカーミラに話しかける。
「ロビンとはどういう関係?」
あぁ、まずそこからか。カーミラはこのロビンの自称婚約者がなんの目的で昼食に誘ったのかちょっとだけわかった気がした。
「ロビンは、ただの友達よ。ロビンも言ってたけど、話せば長くなるからきっかけとかは追々話すとして、アリッサの心配するような間柄じゃないわ」
「ふぅん」
信じていない顔だ。カーミラは少しだけ不安になった。アリッサがじとりとカーミラを見つめる。まぁ気になるわよね。カーミラは半ばその視線を受けなければいけないという事実に諦めをつけた。しばらく睨まれたあと、何を思ったのか、アリッサはいきなり破顔した。にっこりと笑った笑顔にカーミラはアリッサが何を考えているのか全然わからなくなった。
「でも、私もカーミラとは仲良くなりたいな、って思ってたの」
「え?」
「私、可愛いものが好きなの。カーミラとっても可愛いじゃない。ねぇねぇ、今じゃなくていいからハグさせてよ」
ハグ、ハグかぁ。経験ないわね。カーミラはちょっとだけ困った顔になった。この少女、カーミラが思っていた以上にグイグイくる。悪い娘では無いのは確かなんだけど……。この押しの強さに慣れるのには時間がかかりそうだ。
「えっと、もうちょっと仲良くなってからでいいかしら?」
「いつでもいいよ。ハグさせてくれるなら。約束ね」
はぐらかそうとしたが、約束にすり替えられてしまった。カーミラは珍しく苦笑いを浮かべる。
「しかし、あのカーミラの初めての友達がロビンなんてね」
「それはどういう意味かしら?」
「ロビンって、変わり者じゃない? だから友達も比較的少ないし、あんな変わり者と友達になるような人なんて、きっと本人も変わり者だと思うの」
暗にカーミラを変わり者だと言っている。確かに、自分を普通の人間であるとは思わないし、カーミラも自身を変わり者であると認識している。ただ、ここまではっきり言われると、思うところがあることは確かだ。うふふ、と愛想笑いを浮かべながら、パンをちぎって口に運ぶ。
というか、彼女は自称ロビンの婚約者ではなかったか。ふと気づく。自分自身も変わり者だと言っているのと同義だ。カーミラは愛想笑いを強くした。
「もちろん、私も変わり者! 変わり者同士仲良くしてね」
確かに友達が欲しいと、たくさん欲しいと、ロビンの提案を受け入れたのはカーミラだ。だが、この先自身の周りに変わり者ばっかりが集まってくる想像をして、カーミラはちょっとだけ嫌な気持ちになった。だが、カーミラは知らない。この先彼女の周りに集まる人間が、彼女の想像以上に変わり者ばかりになっていくことを。
時間としては同じ頃。ロビンは、悪友のグラムと食堂でエンカウントし、一緒に昼食を食べていた。
「なぁ、ロビン」
「なに?」
「お前、いつの間にカーミラ嬢と仲良くなったんだよ」
「えーと……」
正直には話せない。まともな言い訳を考えないとな。ロビンは頭を抱えた。
「かくかくしかじかで」
「ぜんっぜんわかんねぇよ」
しょうがない。ロビンは頭をフル回転させて、それっぽい出会いのきっかけを語りだした。
「図書館でさ、同じ本を借りようとしたんだよ。彼女も読書が好きみたいでね。趣味が近いところがあったんだろうね。その流れで、図書館で話すうちに、カーミラが噂されているような人間じゃないってことに気づき始めて」
「ふんふん、それで?」
「なんか、気づいたら友達になってた」
「なんだ、ドラマチックでもなんでもねぇな。期待した俺が馬鹿だった」
ドラマチックな展開ってなんだよ。まぁ真実を話すならば、非常にドラマチックな内容になるのは確かなのだが、そんなことを話せば、彼女が吸血鬼だとバレてしまう。
後で、カーミラと口裏を合わせておかないとなぁ、とロビンは心の中のTODOリストに「カーミラと口裏を合わせる」を追加した。
「当然お前も雰囲気で察していると思うけどさ、噂になってるぜ」
「だろうね」
当然だ、これまで他人との交流を一切ないがしろにしてきた、カーミラが突然ロビンという友人を手に入れたのだ。朝食を一緒にとり、教室では隣の席に座り、親しげに一緒に勉強している。この状況が噂にならずに、何を噂にするというのだろうか。
噂の内容は想像つく、「下級貴族のロビンが、公爵家のカーミラを見事射止めた」だとか、「身分違いの恋、ついに成就」とかそのへんだろう。
「まぁ、気にしてないよ。気にするだけ疲れるし、面倒くさい」
「ところがどっこい」
グラムがパンを噛みちぎりながら、身を乗り出す。
「お前を排斥しようっていう動きもあるらしい、これも噂だけどな。いつか因縁つけられるかもな」
「うわぁ、それはまた面倒くさいなぁ」
「まぁ、悪知恵の働くお前が、簡単に誰かにやられるとは思えねぇが、気をつけとくにこしとくことはねぇな」
そう言って、グラムはずずっとスープを啜る。こいつは本当に伯爵家の息子なのだろうか。皿をもってスープを啜るのはマナー違反だよ。ロビンはグラムに苦言を呈した。
「気にするやつなんていねぇよ、俺は馬鹿でボンクラな伯爵家の次男だからな」
「そういうふうに自分のイメージを仕立て上げるって、君も結構抜け目ないよね」
グラムはこう見えて、非常に頭がよく、魔術の腕も悪くない。伯爵家の息子だけあって、相応の人格と腕前を持っている。しかし、将来的に都合がいいから、という理由で、わざと馬鹿なふりをしている、と本人からこっそり教えてもらったことを思い出す。その理由までは知らないし、聞きたくもないけど。
「よせやい、褒めるなよ」
「褒めてはいないよ」
ロビンは上品にスープをスプーンですくって、口に運ぶ。これが本来のマナーだ。
「ま、お前と仲良くしておけば、面白いことが起きるんじゃねぇかなっていう俺の直感は正しかったわけだ」
当然、俺にも紹介してくれるんだろ? グラムがニヤニヤとこちらを見る。
「まぁ、そのつもりだよ。今日の放課後にでもね」
「公爵家のご令嬢とお近づきになれるんだから、さぞ面白いことが起きるんだろうな」
いまから、ワクワクが止まらねぇな。グラムがチキンを噛みちぎりながらそんなことをのたまった。面倒なことは嫌だっていつも言ってるだろ。そもそもその直感ってなんだよ、初めて聞いたぞ。にっこり笑ったグラムの顔を殴りつけたい衝動をロビンは必死で抑えた。
「で、彼がグラム・ハンデンブルグ。僕の……悪友かな? なんかどうしてもカーミラと友達になりたいって」
「名前だけは知ってるわ。どうぞよろしくね」
午後の授業も終わり、放課後、ロビンは昼食時にグラムとした約束を果たしていた。カーミラの隣にはアリッサがいる。4人も人間が集えば、立派なコミュニティだよなぁ、ロビンはぼうっとそんなことを考えた。
「ジギルヴィッツ様、どうぞよろしくお願いいたします」
グラムからは普段でてこないような言葉に、思わず吹き出しそうになる。いけないいけない。ロビンはわずかに肩を震わせた。
「えっと、そんなかしこまらなくていいわよ。人となりはだいたい把握してるわ。ロビンに接するように気軽に接して頂戴」
「話がわかるじゃん。心配しないでくれよ、TPOはわきまえるから。ロビンとは入学当初から仲良くしてる。こいつと一緒にいると面白いことと遭遇できそうな直感がしてな」
その面白いことが、今この状況なんだろ。ロビンは呆れて言葉もでなかった。
「ちょっと、グラム、あんまり汚い言葉をカーミラに教えないでよね。感染ったら大変だから」
アリッサが目を三角にして、グラムに詰め寄る。
「はぁ? 感染るわけねぇだろ」
「感染るわよ。ロビンにも感染さないでよね」
「残念ながら、ロビンはすでにこっち側の人間なんだよなぁ」
グラムとアリッサは仲が悪い、訳ではないのだが、お互い顔を合わせると、こうやってじゃれつくような会話をいつもしている。ロビンという共通の知り合い(片方は悪友で片方は自称婚約者だが)がいることで、気は合っているようなのだが、これが彼らのコミュニケーションのとり方なのだろう。ロビンはとうの昔に納得した考えを思い出した。
「アリッサとグラムって仲いいのね」
カーミラがキョトンとして顔で告げる。仲良くない! という二人の声がユニゾンして、ロビンとカーミラに届いたのはそのコンマ1秒後であった。
「どこからみても仲いいじゃない」
ロビンは、呆れた顔をしながらも、二人にそう告げた。カーミラがその言葉に頷き、どこからともなく四人の間に笑いが起こった。
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