第十六話:帝国騎士団長

 三人は風のように帝都を駆ける。もう日も変わり、後数時間で朝日が昇ろうという、そんな時間だ。流石の帝都も、すっかり明かりが消え人の気配は無い。


 カーミラはその吸血鬼たる膂力で。ロビンとアレクシアは自身のありったけのマナを筋力強化に注いで、全力で地面を蹴る。帝都の綺麗に整備された道々に、くっきりと三人の足跡がつき、罅入る。美しい街並みの一ピースを少しばかりとはいえ破壊してしまうことに、ロビンは若干のバツの悪さを感じるが、今はそんなことを気にしている状況ではない。


 とにかく早く。風のように。帝都の外へ出れば安全なのかと問われれば、そんなことは無いと言い切れる。だが、帝都の中にいるよりかはいくらかマシなのである。


 三度目の曲がり角を右へ曲がると、帝都の東門が見えてくる。ジェンが言うには東門が一番警備が薄いとのことであった。もう少し、後少し。気が逸るロビン。当然ながらカーミラも同じ気持ちであった。だが、そんな二人の気持ちに待ったをかけるようにアレクシアが口を開く。


「止まれ!!」


 アレクシアの突然の叫び声に、二人は咄嗟にブレーキをかけた。慣性によって数十歩程、靴を滑らせ、ようやっと身体を停止させることができた。


 アレクシアの視線の先。そこには一人の男がいた。大きな門の前に、一人で暇そうに突っ立っている。口笛を吹きながら、ウロウロとするその様がえらく不気味に感じられた。


 口笛を吹き終わった男がえらくゆっくりとこちらを向き、ニヤリと人好きのする笑みを浮かべる。


「よぉ。お三方。こんな夜中に何処へお急ぎだい?」


 誰も答えない。その問いへの答えは持ち合わせていないのだ。誰が言えるだろう。今すぐ帝都を逃げなければならない、などとバカ正直なことを。


 ロビンは自身の師がどのように感じているんか知りたくて、ちらりとアレクシアを見た。そして驚愕に目を見開いた。あのアレクシアが冷や汗をかいている。つぅっと、こめかみから顎にかけて一筋の汗が伝い、顎から地面へ滴り落ちた。


「……貴様。何者だ」


 アレクシアが敵意を隠そうともしない声色で、男に問いかける。


「ビリー・ジョー。どっちもファーストネームみたいな名前だろ? 気に入ってんだ」


 飽くまで陽気に、男、ビリーが応える。人懐っこい微笑みを浮かべながら。


 ビリー。その名前にアレクシアは聞き覚えがあった。いや、聞き覚えがあったというレベルではない。ロビンとカーミラを後ろ手にかばい、その男を睨みつける。


「帝国の誇る騎士団長様が、何故ここにいる?」


「いやぁ、皇帝陛下直々に戻ってこいって言われちゃあなぁ。しっかし、あのガキンチョの直感には感心するぜ。本当に東門で待ってたら来るんだもんなぁ」


 答えになっていない答えを飄々と口走る帝国騎士団長。ロビンはいつかのアレクシアの言葉を思い出す。


 ――帝国の騎士団長。奴には気をつけることだ。寝ている間も含めて一週間筋力強化を維持する化け物がいると話したことがあったな。奴がそうだ。――


 目の前にいるのは化け物。アレクシアをも恐れさせる化け物なのだ、と理解した。いや、してしまった。彼女の言葉を思い出して、咄嗟にマナを放出し、男のマナを探ったのだ。


 異常だった。全身にマナが浸透している。それだけならば良い。その状態は、静かに波紋も無い水面のように、しかしながらその内は南からやってくる嵐のように、相反する二つのイメージをロビンに想像させた。そのアンバランスさが、彼の筋力強化の熟練度をそのまま表している。


 アレクシアが視線を決して男から離さず、後ろにいる二人に小さく声をかける。


「ウィンチェスター。ジギルヴィッツ。貴様らはペルモンテで新型の転移魔術を使えるようになっていただろう。今すぐそれを使って逃げろ」


 アレクシアの考えた最善策。それは自身が一人で目の前の男と対峙し、後ろの二人は逃げる、ということだった。その言葉に怒気を隠さない様子でカーミラが即座に反応する。


「馬鹿言ってるんじゃないわよ! せっかく助けたのに置いていく? 三人で! 三人で帰るのよ!」


「足手纏いだと言っているのだ! 馬鹿者!」


 苛烈な彼女のいつにも増した剣幕に、カーミラが思わずひっと息を飲む。


「……行ってくれ。お願いだ。私では貴様らを守りきれん」


 絞り出すように、アレクシアが声を出す。


「おーい、作戦会議は終わったか? だぁいじょうぶ。俺からは手を出さない。弱い者いじめって言われたくないからなぁ」


 ビリーが朗らかに笑う。アレクシアも人並み外れた筋力強化の使い手だ。勿論ロビンも。カーミラに関しては、吸血鬼としての力を抑えているためビリーにはその力量は知るよしも無いだろう。だが三人が帝都にこうして存在している、それだけで三人が並々ならぬ力量を持っていることは彼にもわかるはずだ。


 なのに、ただただ朗らかな微笑みを浮かべている。それが子供たちになんともいえぬ不気味さを感じさせた。


 ともすれば得体のしれないその存在に恐怖を抱いてしまいそうになりながらも、その騎士団長を一睨みし、ロビンが一歩前に出る。


「先生。あいつがどれほどの化け物なのかって、僕にもなんとなく分かります。でも、先生一人で戦うよりは、三人で戦ったほうが勝率は少しでも上がるはずです」


「そ、そうよ!」


 見捨てるつもりなんてさらさらない、とカーミラが鼻息を荒くする。二人の絶対に譲らない、という気配を背中で感じ取ったアレクシアが、ふっ、と笑う。


「……そうだったな。貴君らはいつもそうだ。よろしい、では今から私の指示に従え」


「はい」


「わかったわ」


 アレクシアが額から滴る冷や汗を拭う。そして、二人の方を振り返らずに、ただ一つの指示を与えた。


「『絶対に死ぬな』」


 呟いたアレクシアが、地面を蹴って男に肉薄する。数百歩ほどの距離を一蹴りで踏破せしめる。ロビンが、カーミラがその後に続く。


「そうこなくっちゃなぁ」


 アレクシアの拳を、カーミラの蹴りを、ロビンの手刀を、ビリーは全て両手で捌き切る。視力を強化しているのだ。でなければ、三人のこのスピードに着いてこれるはずがない。


「まぁず一人!」


 ビリーが、カーミラの右頬に拳を突き刺す。ぎっ、とおよそ人間が発したとは思えない声を上げて、カーミラが吹っ飛ぶ。


「次ぃ!」


 後ろ回し蹴りが、ロビンの腹に直撃する。筋力を強化しているのにも関わらず、内臓まで衝撃がおよび、身体が宙を舞った。


「最後ぉ!」


 ぶん、と振り回した腕がアレクシアに襲いかかる。なんとか両腕をクロスさせてガードするも、衝撃は殺しきれず、数十歩ほど後ずさった。


 ごろごろと地面を転がり、ようやく止まったカーミラが立ち上がる。ペッと口から血を吐く。その中には白いものも混じっていた。歯だ。


 ロビンは、胃の中から何かが逆流してくるのを感じ、こらえきれずそれを吐き出した。胃液ではない。血だ。驚くべきことに、彼の一撃は強化で守られたロビンの腹筋を貫通し、内臓までダメージを与えていた。


 アレクシアは両腕をぷらぷらと振り回す。折れてはいないが、罅が入っている。何という威力だ。彼女は予想以上のビリーの戦闘力に舌を巻く。


「ふぅん。そっちの坊主と、赤髪の姉ちゃんは筋力魔術使いか。そっちの綺麗な茶髪の嬢ちゃんは……なんだろうな。人間じゃねぇだろ?」


 看破された。だがそんなことはどうでも良い。それに、看破されたのならもう隠す必要もない。カーミラの瞳が血のように真っ赤に染まる。そして、背中から翼がぐにゅうと生えてくる。釣り上がった頬が、その発達した犬歯を顕にする。


 その様子を見て、ビリーがひゅうっ、と口笛を吹いて、ニヤリと笑う。


「こりゃ驚いた。吸血鬼か。まだ戦ったことないんだよなぁ。なんで吸血鬼が人間と一緒にいるのかは知らねぇが。ま、俺は馬鹿だからな。考えねぇ」


 ロビンも出し惜しみをしている余裕など無い。脳の強化をする。まだ腹とその中身がじんじんと痛むが、そんなことはどうだって良い。思考が加速される。景色がスローモーションになる。


「へぇ、そっちの坊主は天才かぁ。脳の強化なんて、今日び誰もできやしねぇぞ」


 楽しい三人組だ、とビリーが構える。攻撃してこい、全部捌き切ってやる。そういうポーズだ。


 カーミラが飛び、その鋭い爪をめちゃくちゃに振り回しながらビリーに向かって滑空する。流石の騎士団長も吸血鬼による上空からの爪の連撃にはいささか分が悪いようである。その鋭い爪を捌き切ることに集中していた。一方で、ロビンが地面を蹴って跳躍する。ビリーがカーミラの爪を拳で捌く、その合間を縫ってロビンが拳を突き立てる。脳を強化したロビンにとっては、カーミラの攻撃をいなすことに集中している男は隙だらけであった。


 アレクシアは、ロビンの反対側から、何度も男を打擲する。その右手で、その左手で、脚で、ともすれば頭突きで。自身の身体全てを武器とし、男を打ち倒そうとする。


 何発入れただろう。何発ぶん殴っただろう。ロビンは自身の拳が男にクリーンヒットした回数を既に数えるのを諦めていた。カーミラの爪に関しても、ビリーは全て捌ききれている訳ではない。何度か斬撃を受けている。アレクシアの攻撃も全てクリーンヒットしているはずだ。だが、男は痛みを堪える様子もない。


 岩を殴っているみたいだ。ロビンはそんな感想を抱いた。


「ふぅん。こんなもんかぁ」


 数分経過し、ビリーは少しずつ飽き始めていた。そろそろ終わらせるかぁ、そうボソリと口にした。


「いかん!」


 アレクシアがロビンとカーミラを殴り飛ばす。多いに手加減されたその拳に吹き飛ばされ、一体何を!? と思った二人だが、ビリーの両手が、コンマ数秒前まで二人がいた位置に突き刺さっているのを見て、顔を青ざめさせる。


 何という化け物なのだろう。この男は。


「よく反応したな。合格なのは、姉ちゃんだけか。そういや、名前聞いてなかったな」


 飽くまで飄々と、ビリーがアレクシアに名を尋ねる。


「アレクシアだ。別に覚えなくても構わん。これから死ぬ人間に覚えてもらおうなどとは思っていない」


「俺が死ぬ? まさか」


 そんなこと他の誰でもないアレクシアが一番良くわかっていた。アレクシアの力が目の前の男に遠く及ぼないであろうことを。また、ロビンがいても、カーミラがいても、それは変わらないことを。数秒間睨み合った後、二人はまた目にも留まらぬ速さでぶつかりあった。


 そこから先はロビンにもカーミラにも手出しできない領域であった。人外のスピードで殴り合う二人。殴り、蹴り、そしてお互いそれをいなす。激しい攻防に、ただただ眼を見張って眺めるしかできなかった。だが、数秒間じっと見つめていると少しずつだが状況が分かってくる。僅かにアレクシアが劣勢であった。


 このままいけば、アレクシアが殺される。ロビンもカーミラもそう感じた。


 遂にカーミラが決意に満ちた顔をした。人を殺したくない。殺さない。それが彼女を人間足らしめていた最後のタガである。それを意図的に外す。学院に入学し吸血鬼に変異させられて以来、ずっと抑え続けてきた吸血鬼の本能を開放し、それに身を任せる決意をしたのである。


「カアァァァ……」


 魔法薬で茶色に染まった髪の毛が逆立つ。瞳の色が鮮血のような色から、時間の経った血液のようなどす黒い赤い色に変化していく。口からは、およそ人間の形をしたものが出すはずのない、邪悪な吐息が音を立てて吐き出された。


「か、カーミラ! ダメだ!」


 もうカーミラには何も聞こえない。今や彼女は心まで吸血鬼となったのだ。


 先程とは比べ物にならないほどのスピードで、殴り合う二人に肉薄する。その鋭い爪をビリーに突き立てる。


「おっと」


 だが、彼も一筋縄ではない。咄嗟に邪魔なアレクシアを蹴飛ばし、その見た目以上の切れ味を誇る爪を既のところで避ける。


「それが嬢ちゃんの本気か? いいね、いいね」


 呟きながら、笑いながら、拳をカーミラに向かって突き出す。少女はコウモリにその身を変化させ、猛スピードのその右拳を避ける。コウモリの群れは、ビリーの背後に目にも留まらぬ速度で移動し、そしてまた少女の姿に戻る。


 カーミラがその小さな口を、目いっぱいに開いて、ビリーに噛みついた。いや、正確には噛みつこうとした。騎士団長は、そっと上体をかがませそれを避けた。その体勢のまま、身体をねじって、カーミラを蹴飛ばそうとする。吸血鬼という存在は伊達ではない。その蹴撃を避け、爪で男を薙ぐ。騎士団長がそれをギリギリで避ける。避けた後でニヤリと笑った。


「こりゃ手加減してらんねぇな」


 ロビンがビリーのその言葉に、耳を疑った。手加減? 手加減と言ったのか? この男は。


 次の瞬間。ビリーの動きはそれまで以上に速さを増し、その四肢でカーミラを何度も打ち据える。コウモリに変身する暇も、避ける暇も与えない。


 吸血鬼の身体は強靭だ。傷つけられてもすぐに治る。しかし、それも無限ではない。マナによって驚異的な回復を実現しているだけであり、マナが切れれば傷は治癒しなくなる。


 アレクシアだけが状況を正しく把握していた。彼女はビリーに殴られ続けながらも、それを意に介さずめちゃくちゃに攻撃し続けるカーミラを殴り飛ばし、ビリーを睨みつける。


「やっぱり、最後は姉ちゃんか」


「同じ筋力強化使い同士だ。たやすく打ち破れると思うなよ」


 アレクシアは、自身の強化に回すマナを全開にした。方向性もいつもと変化させる。より強靭な肉体に、より頑強な肉体に。付随的にスピードも攻撃力も上がるが、強化の方向をより防御力に尖らせたのだ。


「ま、あんまり時間かけると、ガキンチョに怒られるからなぁ。弱い者いじめはやめろって」


 「弱い者」と言われたことに、少なからずアレクシアが顔をしかめる。そんな彼女の様子に気づいたのか気づいていないのか、呑気な口調で、そろそろ幕引きだ、とニヤリと笑う。


 ゆっくりだった。今までと比較して。


 酷くゆっくりとビリーがアレクシアの両肩に両手をかける。彼女も一瞬自分が何をされているのか測りかねた。肩にそっと手をおかれ、ニヤニヤと笑う男の表情を見てから彼が何をしようとしているのか感づいた。だが、その目的に気づいた時にはもう遅い。遅かったのだ。


「がああああああああああ!!!!!」


 口をこれでもかというほどに広げ、アレクシアが悲鳴を上げる。全身に浸透しているマナが、体内を巡らせているマナが、一斉にぐちゃぐちゃに動き始めたのだ。それも、持ち主を害す、そういった方向にその性質を変化させて。


 アレクシアの穴という穴から血が吹き出る。身体全体を襲う痛みに、飛び出そうな程に目を見開く。感電したかのように全身をビクビクと無数に痙攣させる。


 拷問中ですら、悲鳴一つ上げなかったアレクシアが悲鳴を上げていた。尤も、彼女が拷問されている様子など、この場にいる誰一人知らなかったが。


「これで終いだ」


 ひとしきり悲鳴をを上げ終え、全身から力という力が抜け落ちたような様子の、アレクシアが酷くゆっくりと地面に膝をつく。どさり。終わりを告げた音が響く。


「待たせたな。お二人さん」


 化け物よりも化け物らしいその男がにやりと笑って、ロビンとカーミラをぐるりと見回した。

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