第十八話:眷属になった少年

 ロビンとビリーの攻防は一進一退の様相となっていた。ロビンが殴る。それを弾くビリー。お返しとばかりに殴り返すビリー。そしてそれを弾くロビン。殴る、蹴る、頭突く。そしてそれを弾く、避ける、いなす。そんななんとも泥臭い殴り合いだった。


 騎士団長は以前とは全く違うロビンの実力に舌を巻いていた。帝都で相まみえたときは、ビリーが一発殴っただけで吹き飛んでしまいそうな少年であった。だが、今の彼はどうだろう。濃密なマナが全身に浸透し、分厚い鎧のようにビリーの攻撃を防いでいる。異常なまでの成長っぷりだ。


「坊主。なかなかやるようになったじゃねぇか。そんでもって、その眼」


 ビリーは目の前の少年を気に入っていた。何よりもその眼が良い。自身を親の仇とばかりに睨みつけるその眼光が。実際に彼はロビンにとって敬愛してやまない師の仇であるのだ。当然である。


「ぞくぞくするなぁ。その眼をした人間を俺は何人も殺してきた。それが礼儀だからだ。坊主。お前はどうなるのかな?」


 その言葉には応えない。応える義理も無いし、言葉も持ち合わせていない。ただただ、目の前の大柄な男を打倒する。そのために今ロビンはここに存在しているのだ。


 筋力強化の魔術は、マナのコントロールが重要である。それは、自身の肉体に合せてマナを変異させる必要があるということもあるが、それとは別にもう一つ理由があった。行き過ぎたマナの供給は、自身の肉体を破壊するのである。勿論脳の強化も同様だ。自身の身体を壊さない程度にマナを浸透させる。戦いながらそれを維持するということに、緻密なコントロールが必要不可欠なのである。


 だが今、ロビンはそのセオリーを多分に無視した方法を取っていた。日々の鍛錬で徐々に増え、今では常人の二倍ほどはあるマナの量。それを惜しみなく全身に浸透させているのだ。肉体がぼろぼろと崩壊していく音が、彼の身体の中でまさに音を立てて響いていた。そのうるささに辟易とする。


 ビリーを殴る。今度は当たった。その一撃は、浅くはあれど彼にダメージを与えることに成功しているようだ。ビリーがくぐもった唸り声を上げる。だが、その一方で、一回拳を突き刺す、その度にロビンの筋肉の筋が数本切れ、鋭い痛みが指先から肩にかけて走る。


 気にしている余裕はない。痛みなど二の次、三の次である。


 とにかく、この憎き男を殺さなければならない。


「捨て身……か。いいね。その感じ。そういうの、好きだぜ」


 ビリーがニヤリと笑ってロビンをぶん殴る。両腕をクロスさせ、その拳を受けるが、衝撃は殺しきれず十数歩程後ずさる。


 頭は沸騰しており、アドレナリンで極度の興奮状態になってはいたが、一方で冷静に状況を俯瞰している彼もいた。脳の強化の賜である。


 このまま殴り合っていても、決定的な打撃は与えられない。千日手だ。その事実にロビンは気づいていた。


 そしてこのまま続けていれば、マナの保有量の差から、ロビンのマナが先に切れ、騎士団長は強化の解けた自分をいともたやすく殺すだろう。


 強化した脳で、高速に回転する頭で、打開策を考える。


 無論その間も、ビリーはロビンを打ち据える。彼が考え事をしているなど、ビリーには関係が無い。また、当然ながらロビンも同様にビリーに反撃する。


 ――考えろ。考えろ。


 ふと、アレクシアの最期の姿が脳裏によぎった。アレクシアはどうやって倒された? 確か奴が彼女の肩に手を掛けて、それで悲鳴を上げて、そして倒れた。


 あぁ。なんでこんなことに気づかなかったのだろう。同じことをやればいいじゃないか。しかし、ビリーの身体に両手を当てて、じっとマナを操作する暇なんて、彼が与えてくれないことはロビンにもよく分かっていた。


 ならどうする? 答えはすぐに出た。脳の強化によって、彼のマナの操作能力は超越したものとなっている。ならばこそ、答えは一つである。


 ビリーがロビンを殴る。蹴る。それを躱し、カウンターとばかりに、一発いいのをくれてやる。そう、この瞬間だ。


「ぐっ!?」


 ビリーの動きが一瞬止まり、うめき声を上げた。ロビンは心のなかでほくそ笑んだ。ビリーは何が起こったのか理解できていない顔をしている。


 拳を当てる、その瞬間にロビンはビリーがアレクシアにしたことと同じことをしたのだ。相手のマナを、自身を害する方向に変異させる。当然ながら一瞬のインパクトの際に行われるものだ。一発の効果は少ない。


 だがそれでいい。ビリーの動きが、一瞬止まった。動きを止めることに成功したのだ。


「ああああああ!」


 ロビンが雨あられと、拳を突き刺す、つま先を突き刺す。その度に、相対する男のマナを少しずつ操作する。


「こ、こりゃ! ぐっ!」


 ビリーの顔色がどんどん悪くなっていくのが分かる。拳を突き立てる。蹴りを入れる。


 何度男を打擲しただろうか。数えるのも馬鹿らしいほどにロビンはビリーをぶん殴った。そして、ついに、彼の口から少なくない量の血液が吐き出された。少しずつ変異させられた自身のマナによって身体中をずたずたにされているのだ。


「ぼ、坊主。や、やるじゃねぇか」


「うるさい! うるさい!」


 ビリーはもはや反撃する力も失ってしまっていた。だが、ロビンは攻撃の手を緩めない。ビリーが低いうめき声を上げる。ややあって、眼から、耳から、鼻から、口から、おびただしい量の血を垂れ流し始める。この勝負はロビンの勝利だ。まだビリーは倒れていない。だが、なんとなくロビンはそう確信した。


 ビリーが血まみれになりながらも、ニヤリと笑う。もう、立つ力も残っちゃいない。そんな状態でありながら、満足気にビリーが笑った。


 死ぬ場所は戦場であれ。それが彼の哲学であった。


「……よ、良かったな。仇、討てたじゃねぇか」


 数秒かけて、ゆっくりとビリーが地に倒れ伏した。


 ハァ、ハァ、と肩で息をしながら、ロビンは倒れたビリーを見下ろす。そして、自身に残っている全てのマナをその右拳に込めて、その脳天に突き刺した。ぐちゃりと音がし、ビリーの頭蓋が砕ける。脳漿が、血液が、ロビンの顔にピピッと飛び散り、そしてそれが彼が師の仇を討ったという、何よりの証明となった。


 満足気に笑う。いや嗤う。そして、ゆっくりとロビンも頭が砕けたビリーの亡骸の横に倒れる。マナの過剰供給。もう彼の肉体はオーバーワークを通り越してぼろぼろであったのである。


 ――ごめん、カーミラ。


 ロビンの意識はそこで途切れた。






 アリッサとヘイリーは、大広間をこっそりと抜け出していた。他ならぬロビンを探すためである。一度は大広間に転移魔術で避難したアリッサだったが、尋常じゃない様子だったロビンに、悩みに悩んだ末、探しに行くことに決めたのであった。勿論一人では怖いから、ヘイリーも無理やり引っ張ってきた。


 大広間を出て、足早に女子寮の三階へ向かう。廊下の壁が破壊されているのを見て、すかさずその大きな穴に走り寄った。そして見つけた。ロビンだ。倒れている。隣には、頭の無い死体が転がっていた。あそこは裏庭。慌ててアリッサは踵を返し、ヘイリーの手を引っ張って走り出した。


「ロ、ロビンが!」


「アリッサ! 皆に! 念話を!」


「う、うん!」


 アリッサが杖を振り、仲良し六人組に念話を送る。「とにかく裏庭に集合!」とだけ。そして、愛しい彼が死んでしまうかもしれない、そんな恐怖と戦いながら、裏庭に向かって走り抜けた。






「やっ」


 また、この空間か。ロビンは自身を取り巻く真っ白な空間と眼の前の少女にやれやれと肩をすくめた。


「久しぶり」


「うん! でも僕はずうっと君たちのことを見てたから、久しぶりって言葉はなんか違うかな?」


 緑色の髪の少女が笑う。


「それで、流石に僕は死んだよね?」


「うん、バッチリ! 虫の息だよ。あと十分ぐらいで死ぬ。いやぁ、人間にしては頑張ったほうじゃないかな。チートも上手いこと使ってくれて僕は大満足だよ」


「そっか……」


 目の前でウキウキと喋る少女とは正反対に、ロビンは暗く顔を伏せた。


「ん? どうしたの? 今更死んだのが悲しいとか、そういうタイプの人間じゃないよね? 君」


「……いちいち煩いよね、君。……いや、僕が死んだら、カーミラが悲しむだろうな、って」


 ロビンのその言葉に、少女がやっぱりニッコリと満面の笑みを浮かべる。


「その悲しみこそが、神々を喜ばせるんだよ! 本当、君って良い働きをするよね。アレクシアとか言ったっけ? 彼女も、うん、素晴らしいよ!」


 ニコニコと嬉しそうに笑う少女。だが、もう怒る気力も、憤慨する気概もない。何しろ自分はもう死ぬのだ。


 でもまぁいいか、とロビンは思った。カーミラの両親は彼女を受け入れた。他にも沢山の友達がいる。僕がいなくても、なんとかやっていけるだろう。


「いやー、しかし、戦争ってのも面白いよねぇ。ちっぽけな人間が、ちっぽけな者同士殺し合ってるんだもん。愚かで、可愛くて、愛おしくて、そんでもって笑える」


 彼女にとっては人間の生き死になどそんなものなんだろう。ロビンは大きくため息を吐く。


「で、死んだ僕はどうなるの?」


「あぁ、君たちが信仰しているメーティス教だったっけ? 大体そのとおりだよ。メーティス様はどちらかと言うとお優しい方だからね」


 メーティス神って本当にいたんだ、とロビンは少しばかり驚く。ロビンはメーティス教の敬虔な信徒ではない。その教義については素晴らしいとは思うが、メーティス神、その存在に疑いを持つ心があったのは確かだ。


「君はー。うん。多分夜空の星になるよ。妖精(ティターニア)のお付きだもんね。神々を多いに喜ばせてくれたご褒美、ってところかな?」


「ご褒美、ねぇ」


 まぁ、今となってはどうでも良いか、とロビンは目をゆっくりと瞑った。なんとなく眠いのだ。


「そうそう。そのまま眠るんだ。星になった後は、君の望むタイミングで転生することになる。この世の行末を見守るも良し、転生して新たな人生を歩むも良し」


 転生かぁ。今はあんまり考えられないなぁ、とロビンはぼうっと思う。この数ヶ月。それはそれは濃密な時間だった。だがそれまでの自分の人生は、あまりにも無価値だった。人生というものにどれだけ価値があるのか、ロビンには理解できなかった。もう一度やり直すなんて御免こうむる。そんな心持であった。


「……あっ」


 しばらく無言の時間が続いた後、唐突に少女が驚いた様な声を出す。この少女が驚く様なんて、想像もつかない。思わず瞑っていた眼を開け、少女を見遣る。なんだか少しばかり残念そうな顔をしていた。


「うーん。良かったね?」


「良かった?」


「君、まだ死なないみたいだよ。うぅん。少し残念だけど、それもまた一興かもね」


「へ? それってどういう……」


 ロビンが少女に問いかける暇もなく、真っ白な世界から強制的に意識が飛ばされる。






 仲良し六人組。周囲からそう呼ばれる子供達。カーミラ以外の四人が裏庭に集まっていた。アリッサがロビンに覆いかぶさる。グラムが傷だらけの身体で、顔を歪ませる。ヘイリーが嗚咽しながら涙を流す。エイミーが膝を着く。


「ロビン! ロビン! 起きて!」


 アリッサがロビンに必死で声をかけ続ける。だが、彼はただ短い感覚で浅い呼吸をするだけで、その言葉に何も返さない。返せない。目は固く閉じられ、アリッサの悲鳴じみた声でもそれが開かれる様子はなかった。


「ヘイリー! 治癒の魔術は!?」


「……も、もう。この状態では……」


 嗚咽しながらもヘイリーが残酷な事実を告げる。治癒の魔術はもう効かない。勿論ポーションもである。ロビンの身体はそれほどまでにボロボロになっていた。


「そんな……! ねぇ、ロビン! 起きて! 目を覚まして!」


 アリッサの眦から涙がポロポロとこぼれ落ち、ロビンの制服に黒い染みを作っていく。痛ましいその姿に、ヘイリーもグラムもエイミーも目を伏せた。


 数秒ほど経っただろうか。その場に遅ればせながらカーミラが駆け足でやってきた。アリッサからの念話を受け取ったものの、倒れ伏した教師たちを放ってはおけず、一通り治療してからこの場所に向かったのである。


「アリッサ、裏庭に集合って……」


「カーミラ! ロビンが! ロビンが!」


 カーミラが倒れ伏すロビンを見る。ぼろぼろだ。吸血鬼の力を開放していない彼女でも分かる。もう手遅れ。そして次にその横に転がる頭の無い死体を見る。見覚えのある体躯の男だ。きっとビリー・ジョーだろう。


「約束、できないって……。でも、誓いは破らないって」


 茫然自失とした様子で、カーミラがぼそぼそと呟く。


 カーミラはことの経緯がなんとなく想像できた。ロビンは仇を討ったのだ。アレクシアの仇を。だが、彼の身体の様子、マナの様子、それらを鑑みるに、過度の筋力強化によって、身体の崩壊を招いたのだろう。その想像はまさに正鵠を射たものであった。


「どうしよう! カーミラ! ロビンが死んじゃうよう!」


 泣きながら、嗚咽しながら、アリッサがカーミラにすがりつく。どうしようもないことはアリッサにもよく分かっていた。でも、叫ばずには、すがらずには居られない。


 大好きな少年が。自身が婚約者だと喧伝して周っている少年が。ぼんやりとしていて、それでいて周囲をなんだかんだ的確に観察していて、変わり者で、ともすればどっかにふらりと行ってしまいそうな少年が。今、後数分で息を引き取ろうとしているのである。


 少しばかり逡巡する。だが、彼女の心は決まっていた。すがりつきながら、ただただ泣いているアリッサの頭をそっと撫で、カーミラは一つだけ決意をする。


 それは、自身が打ち立てた二つの信念、その一つを破る決意であった。


 一つは、決して人を殺さないこと。吸血鬼である自分が人間を殺してしまったら弱い物いじめになる。それに、人を殺すなんてまっぴらごめんだ。


 もう一つは、決して眷属を作らないということ。これから自分が永遠を生きていく。そのことを考えるだけで、鬱々とした気分になるのだ。百年後、友達は皆死んでしまっているだろう。千年後、知っている人間は誰もいなくなるだろう。そんな悲しい運命を他の者に味合わせるなんてまっぴらごめんだ。


 だが、カーミラは後者を。眷属を作らないという信念を今、破る決意をした。


「ねぇ、アリッサ」


「……ロビンが!」


「ロビンが起きたら、一緒にぶん殴ってやりましょう。無理するなって。心配かけるんじゃないわよって」


「か、カーミラ? 何言って?」


 アリッサをゆっくりと両手で優しく引き剥がして、カーミラはその場にいる皆を見回す。


「ごめん! 私皆にずうっと隠し事してた! 知ってるのはこの中じゃロビンだけ! だから、ごめんなさい!」


 この後に及んで、この白銀の少女は何を言っているのだろうか、とその場の誰もが思った。だが、そんな皆の表情を無視して、カーミラがロビンに歩み寄る。


「ごめんね。ロビン。貴方にとってはもしかしたら……。ううん、これは私の願望の押し付けかもしれない。でも」


 こうするしかない。こうせざるを得ない。大好きで大好きでたまらないこの少年を失うのは、カーミラにとって考えたくもない未来そのものなのだ。


 口を開き、犬歯を発達させる。そしてロビンの首筋に、ずぷりとそれを突き刺した。初めてだ。人間の血を飲むのは。今まではこっそりとネズミや、兎などの小動物の血を啜って我慢していた。その美味さにカーミラが少しばかり目を見開く。


 白銀の少女の発達した犬歯に、そして今目の前で行われている行為そのものに、他の四人が瞠目する。人間の血を啜る。それは吸血鬼という存在以外の何者でもない。隠し事、それは彼女が吸血鬼であるということだ。だが、そんなことまで即座に思い当たる人間はその場に誰一人として存在しなかった。ただただ成り行きを眺める。それしかできなかった。


 驚くべきことに、青ざめたロビンの顔に、血の気が戻っていく。ボロボロだった身体が徐々に治っていく。


 血を啜る。カーミラがロビンの血を啜る。その度に、ロビンの顔に生気が戻っていく。


 数分程だろうか。カーミラがロビンの首筋に齧りついていたのは。カーミラがゆっくりと彼の首筋から口を離す。


 ややあって、ロビンがゆっくりとその眼を開いた。周囲を見回してから、ゆっくりと上体を起こし、そしてそのおさまりの悪い黒髪をガシガシと掻きむしって申し訳無さそうに少しだけ苦笑

 その様子に、白銀の吸血姫がニコリと微笑む。


「……おはよう、ロビン」


「おはよう。カーミラ」


 数秒後、裏庭に歓声と、嬉しさに泣きじゃくる声が響いた。


 アリッサがロビンに抱きつく。ヘイリーが泣きじゃくる。グラムがニヤリと笑う。エイミーが泣きながら微笑む。そしてカーミラはロビンの隣でただただ微笑んでいた。


「数ヶ月越しに叶ったみたいだね。僕のお願い」


 カーミラだけに聞こえる程度の声量で、ロビンが呟く。


「え?」


「『君の眷属になりたい』って」


 その言葉に、カーミラが怒ったような、照れたような、恥ずかしがるような、そんな複雑な表情を浮かべて言うのだった。


「ロ、ロビンだけ。特別なんだからね」

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