エピローグ

 レイナール連合王国とギルムンド帝国との戦争はその後、二十年に渡り続いた。最終的に勝者となったのは王国側であったが、王国は危険な帝国の領土を自身の物とすることを良しとせず、両国には終戦に向けた講話が結ばることとなった。王国と帝国の間には不平等条約が結ばれ、帝国はその後数十年に渡りその条約に悩まされることになるのだが、戦争終結の約五十年後、その条約は破棄され新たな和平条約の締結をすることとなる。後の歴史書では、その発端となった戦争を南北戦争と呼んだ。戦争における数々の悲惨出来事を子供たちに伝えると共に、南北戦争中における目覚ましい技術の発達についても触れられていた。


 まず一つは、魔術の発達。帝国における大規模転移魔術の成功。それは王国の魔術研究をより活発にし、戦争が始まって五年で王国においてもその技術が確立された。最初は防戦一方だった王国側もそれにより帝国への侵攻を可能とした。現在では、大規模転移魔術は平和利用され、各国をスムーズに移動するための一般的な技術となった。


 他にも、攻撃魔術の発達、治癒魔術の発達、それらを応用した日用魔術の発達等、挙げると暇がない。


 二つ目は、王国の政治経済の発達。長らくの平和によってともすれば停滞していたとも言える王国の政治経済が時の女王、エライザによる大改革によって一気に変貌したのだ。君主制と貴族制を織り交ぜたような王国の政治統制が、共和制への第一歩を踏み出したのである。奴隷の解放。身分差の撤廃。市場の自由化。その他諸々。それらによって、王国内の経済がみるみる発達し、併せて平民の地位向上にもつながった。エライザ女王は、後に王国共和制の母と呼ばれることになり、その辣腕が後世の歴史家に高く評価されることとなった。


 王国の経済の発達は、やがて周辺諸国にも伝播し、ガンダルシア大陸全体の経済の発展につながっていく。これもエライザ女王の功績とされている。


 以上が、一般的な歴史書にて触れられる、南北戦争とその後の歴史のあらましである。


 しかし、マニアックな歴史書や、歴史小説には必ずと言って良いほど登場する、影の人物が居た。


 「王国の聖女」、その人である。


 南北戦争初期、攻め入る無数の帝国軍を単騎で退ける、帝国の重要人物を拿捕し王国の捕虜とする等、その快挙を挙げれば両手では数え切れない程であった。幾人もの小説家たちが彼女を題材に小説を書き、そしてその小説はそのどれもがベストセラーとなった。


 あるものは、その女性を、神の使いであると書いた。


 あるものは、その女性を、天才魔術師であると書いた。


 あるものは、その女性を、人の姿をした怪物であると書いた。


 そしてあるものは、その女性を、吸血鬼であると書いた。


 いずれも、根拠のないフィクションとして扱われたが、そのどれもが「王国の聖女」を気高く、誇り高く、当時の王国貴族の鑑であるかのように描いた。


 小説だけではなく、芸術としてもその女性は残されている。白銀の長髪をたなびかせ、右手には杖を、左手には盾を、そして軍隊の最前線に立ち戦士たちを鼓舞する。その様な理想の女性像として描かれた。勿論音楽としても、彼女に捧げる曲は数え切れない。


 その姿、立ち居振る舞いはまさに聖女そのものであり、誰もがその女性像に憧れるに至ったものであった。






 そんな小説を読んでゲラゲラと笑い声を上げる少年がいた。隣では白銀の長髪と金色の瞳を持った少女がむすりと不機嫌そうな顔をしている。


「はははは、カーミラ。君ってこんなに素晴らしい人間なの?」


「知らないわよ! 勝手に書かれたんだもの! 著作権? 肖像権? これってそんなものの侵害じゃないかしら! っていうかロビン! いつまで笑ってるの!」


「だって、面白すぎて……だめだ、無理無理。あ、これ著者がエイミーだね、エイミーから見た君ってとっても素晴らしい人間みたいだよ。アハハ」


「えぇ? あの娘なにやってるのよ……」


 ロビンは笑いすぎて、涙さえ流している。カーミラはそんなふうに笑い続けるロビンをみて、少し涙目になりながらも、やっぱり不機嫌そうに頬をふくらませるのであった。


「それにさ、君が、今やカーミラ・ジギルヴィッツ聖女教団が崇める神様になってるとか。ぷぷっ! もう面白すぎて!」


「笑い過ぎだって! 怒るわよ!」


「はは……ははは……」


 ロビンの笑いの衝動がようやく落ち着いてくる。少女がじとりとロビンを睨みつける。私は不機嫌だ、という精一杯の意思表示であった。


「でも、この頃は楽しかったね。皆がいて、皆で笑って。勿論辛かったことも、苦しかったこともたくさんあったけどさ」


「……うん」


 ロビンが遠い目をする。もう百年以上前のことだ。だけど、今でも昨日のことのように思い出せる。変わり者ばっかりであったが、それでも愉快な仲間たちと激動の時代を駆け抜けた。


「皆、死んじゃったね」


 今日は、エライザ女王の命日であった。数々の歴史的偉業を成し遂げた女王の命日である。当然、王国全体の休日となり、今頃街では「エライザ様万歳」と民が大声で叫んでいるのではないだろうか。あるものは昼から酒をたしなみ、あるものは出店で珍味を頬張り、あるものはダンスでも踊っているのだろう。


 エライザとは色々あった。それでも、カーミラにとってもエライザにとっても、お互いが大切な人だったんだろう。ロビンは少しだけかの女王に思いを馳せた。エライザ危篤の一報を受け、カーミラがエライザの元に駆けつけたのは記憶に新しい。そこでどのような会話がなされ、どのような心温まるやりとりがあったのかはロビンは知らない。だが、エライザが息を引き取り、その後で彼女の寝室から出てきたカーミラは腫れぼったい目をしてはいたが、晴れやかだった。


 今日はそんな日である。王国民は皆お祭り騒ぎ。だが、二人にとっては過去に思いを馳せざるを得ない、そんな日でもあった。友人たちと過ごしたかけがえのない日々。そしてもう戻ってくることはない日々。


「うん」


 カーミラがポツリと相槌をうち、少しだけ寂しげで気怠げな顔をする。


「でも、皆の孫や曾孫がたまーにたずねてきてくれるから、寂しくないっちゃあ寂しくないんだけどねぇ」


 ロビンが笑う。あの時親交のあった友人ら――その中でもカーミラとロビンが吸血鬼であることを知っているもののみだが――は、子孫にロビンとカーミラの秘密を家の秘密として語り継ぎ、そして定期的に子供たちや孫たちがこの屋敷へ足を運んでくれる。二人は見た目こそ学生時代のそのままであったが、気分はすっかりおじいちゃんおばあちゃんだ。


 王国の中でも特段小さく、そして辺境にある領地。その中のさらに辺境にある控えめな屋敷に二人は住んでいた。二人で住むのには丁度良いサイズの屋敷だ。使用人も必要ない。


 別にこの領地の領主というわけではない。この領地は、ロドリゲス領。戦争終結後、エライザがアレクシアの功績を讃え与えた領地である。


 まだまだ共和制の考え方は浸透してないとはいえ、領主とはどこの領地でも名ばかりのお飾りになっている。貴族はその地位を失ってはいないが、実質それぞれの領地は民草による自治を認められ、平民、貴族問わず選挙なるもので選ばれた長が運営しているのが実情だ。


 ロドリゲス領も例にもれず、選挙で選ばれた平民が自治長として、わっせわっせと領地の行政やら立法やらを担っている。まぁ、せいぜい頑張ってくれ、というのがロビンの感想だ。もうロビンは政治やらなにやらに関わる気はない。エライザの存命中は、政治に関してあれやこれやと意見を聞かれたものだが、もうあんな背筋が冷たくなるようなやりとりはごめんである。


「ねぇ、ロビン」


 白銀の少女が少しだけ目を伏せて、ロビンに問いかける。


「ん、なんだい?」


「私ね。今でもちょっとだけ後悔してるの」


「何を?」


 ロビンが不思議そうに首を傾げる。後悔なんてたくさんした。しつくしたと思っていた。だけど、こんな改まって言う後悔なんて二人の間には無い、そうも思っていた。


「貴方を眷属にしてしまったこと。永遠を生きるのは私一人で十分だったんじゃないかって。貴方を無用に付き合わせてしまったんじゃないかって」


 ロビンは、カーミラのいつになく真剣な顔を眺めてから、ふふふ、と微笑む。なぁんだ、そんなことか。本当に最初から最後までこの少女にはくだらないことをくよくよ悩む癖がある。


「なんだ、そんなことか」


「そんなこととはなによ!」


 カーミラが鼻息を荒くしてロビンの方を向く。


「あのね、思い出してくれないかな?」


「何をよ?」


「うーんと、最初に言ったのは、ロドリゲス先生に殺されかけた時だったかな」


 ロビンは当時を思い出す。あれは痛かった。いや、痛さも感じなかったかもしれない。何しろ腹に風穴が空いていたのだ。今思えばぞっとする出来事ではある。


「……あの時のことはね、必死だったから全然覚えてないのよね」


 嘘だ。カーミラが耳まで真っ赤にして、そっぽを向いているのがその証拠だ。


「それ以上に必死だったことも沢山あったと思うけど、それも覚えてないの?」


「えぇ、覚えてないわ」


 嘘だ、ロビンはカーミラの頭脳の優秀さを知っている。彼女の記憶力は非常に良いことなんてとっくに分かっている。


「じゃあ、あの時、僕がなんて言ったかも覚えてない?」


 カーミラの顔が更に赤くなる。なんだろう、もう百年以上一緒に生きているのに、カーミラは未だにこんなふうに恥ずかしがり屋な面を見せる。そのことをロビンはちょっとだけ不思議に思う。だが、そんな彼女の一面が愛おしくて愛おしくてしょうがないのだった。


「僕はあの時君に言ったんだよ」


「……うるさいわね」


 カーミラが、聞こえない、聞こえなーいと、耳に手のひらを押し当てて、椅子から立ち上がりどこかへ行こうとする。ロビンは彼女の腕を取り、耳から無理やり引き剥がした。


「ちょ、やめなさいよ! 身分違いよ! あんた私の眷属でしょ! 命令よ!」


「心にもないことを言うのはよくないなぁ」


 ロビンが楽しそうにニヤニヤ笑う。抵抗は無駄だったようである。ロビンに抵抗するのを諦めて、カーミラはぶすっとした表情を浮かべる。勿論顔はリンゴのように真っ赤だ。


「あの時、僕は言ったんだよ」


 そう、あの時から、ロビンの心は決まっていたのだ。そうなる運命であったのかもしれない。


「『君の眷属になりたい』ってね」


 その言葉に、カーミラの顔の赤さが最高潮になる。


「……ねぇ」


「なんだい?」


「今考えればさ、それってさ……」


「それって?」


「ただの……プロポーズよね」


 ロビンはニッコリと笑って、そうかもしれないね、とだけ言った。






 それから百年経ち、二百年経ち、千年経った。レイナール連合王国は王国ではなくなり、レイナール連合共和国と名前を変えた。魔術はますます発達し、人々の生活を豊かにしている。最近では、マナを利用しない科学とかいう技術も発達してきている始末だ。


 ここ数百年で人権なんて考え方も出てきた。人間が持っている最低限の権利だという。「すべての人々が生命と自由を確保し、それぞれの幸福を追求する権利」だとか、「人間が人間らしく生きる権利であり、生まれながらに持つ権利」だとかいう意味らしい。


 歴史は語る。千年前の戦争の話を。時の女王陛下の話を。そしてその裏に居た「王国の聖女」の話を。その戦争がどのように今の世の中に影響しているのかを。


 人間は愚かだ。今でもなにかといえば戦争を繰り返す。だがその度に技術が発達し、何かしらの発見があり、そして世界はより良くなっていった。


 世界は少しずつ良くなっていく。技術が進歩する。医療が進歩する。身分の差がなくなる。個性が受け入れられるようになる。皆が教育を当たり前に受けられるようになる。貧しい人間が少しずつ減っていく。不治の病だった病気が、今や当たり前の様に完治するようになっていく。


 共和国は今やそんな世界を牽引する大きな国だ。大陸中の国をまとめ上げ、そして新たな技術の発信地となっている。国際平和なんて言うのを言い出したのも共和国である。それでも戦争という諍いがなくならないのが人間が人間たる所以ではあるのだが。


 そんな共和国の片隅に、幽霊屋敷と呼ばれるこじんまりとした屋敷があった。近所の子供たちの絶好の肝試しスポットとして評判だ。だがその屋敷の扉は決して開くことはない。その決して開くことのない扉の奥から、時折少女の美しい笑い声と少年の優しげな笑い声が聞こえるのだという話だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る