第十四話:出発
三人がエライザに怪物退治の顛末を報告してから、二回の安息日が過ぎた。ロビンとカーミラ、アレクシアは帝国へ渡るため――つまり山越えの準備のために――、その二回ともを王都でのお買い物に費やした。
一つは防寒具である。高い山脈を渡るためには、極寒の頂上付近の寒さに耐えられる装備が必要不可欠であった。三人が通るルートには雪が降り積もっている。その雪は一年中解けることがない。無策で雪中行軍するとなると、三人とも行き倒れになる可能性がある。
もう一つは、魔術である。大陸の南に位置する王国では滅多なことが無い限り雪などは降らない。そのため、日用魔術である防寒魔術は学院では配布されていなかった。勿論、ロビンもカーミラも防寒魔術など杖に記憶させていない。アレクシアは杖を利用した魔術は使えないが、筋力強化さえあればなんとかなる、とのことだった。やっぱりこの人、脳味噌まで筋肉で出来ているんじゃないかな、とロビンは口に出さずに、その疑問を心の隅に追いやった。
最後の一つ――正確には一つではないのだが――はテントや携行食等を始めとした、山越えに必要な数々の品であった。
王都に存在しているそれらが売っていそうな店という店を巡って、ようやっと山越えの準備が完了した。あとは出発するだけである。
三人は次の安息日を出発日として定め、地図を広げ、山越えの詳細なルートについて話し合い、万全の準備を整えた。
ところで一つ、カーミラには気がかりなことがあった。先日大喧嘩し、そして仲直りした、大切な友人のアリッサのことであった。
ロビンを巡るライバルだ、と宣言されたものだが、これからカーミラが行うことは、本意ではないとは言えロビンを独り占めする行為である。必ず詳細は伏せながらも、アリッサには説明をしなければならない。そうでなければフェアじゃない。
山越えの計画についてあらかた話し終えた一行は、では今日は解散、という流れになった。思い思いにそれぞれの居室へ帰っていく。ロビンが当然のように、カーミラと一緒に寮へ向かおうとしたが、カーミラはそれを丁寧に断った。
――アリッサに、なんて説明しようかしら。
大切な友人に隠し事をしている後ろめたさは勿論ある。だが、それに関しては王女命令であるため、多言することは許されない。つまり、悩んでいることは、どこからどこまでを話すべきか、その一点につきた。
暫く悩んだ後、悩んでいても無駄だということに気づいたカーミラは、気を取り直して足早にアリッサの部屋に向かった。
アリッサの部屋の前に着き、控えめに三回ノックをする。
「はぁい」
大切な友人の声に、カーミラは「私、カーミラよ」と声を投げかける。数秒も立たないうちに彼女の部屋の扉が開き、魔法薬のつんとした匂いがカーミラの鼻を刺激した。
「どうしたの? カーミラ」
「えっと、話があって」
カーミラのなんとも言えない表情にアリッサが数秒ほど考える。
「うん。入ってー」
「お邪魔します」
アリッサの部屋はまさに工房(アトリエ)といった雰囲気だった。数え切れない数のフラスコ、壁にかけられた薬草類、棚には魔法薬の材料と思しき様々な魔獣の素材の瓶詰めが陳列されていた。
「ごめんね、散らかってて」
「私の部屋よりは散らかってないわよ」
「はは、確かにそうだね。あ、座りなよ」
アリッサが部屋の隅に置かれた椅子を指差す。カーミラはその椅子を持ち上げ、ベッドに座るアリッサの近くまで持っていき、腰掛けた。
「で、話ってなに?」
うーむ。何から話して良いものか。カーミラは半ば勢いで、なんの対策もせずにこの場所に来てしまったことを早くも後悔していた。ええいままよ、出たとこ勝負だ。カーミラは意を決した。
「えっとね。とある方から依頼を受けて、しばらく遠くへ行くことになったの」
「遠く? 授業は?」
「学院長には許可を貰ってるわ。授業に出られなくなっちゃうのはちょっとだけ気が重いけどね」
「そっか。気をつけてね」
そうじゃない。言いたいことはそうじゃないのだ。
「えっと……アリッサ……」
「なぁに?」
アリッサが、ピンクブロンドの髪を左手で弄びながら、カーミラに微笑みかける。うん、とても言い辛い。カーミラは困ってしまったが、言わなければ始まらない。
「一緒に行くの」
誰と、とは言わなかった。いや、言えなかった。これで察してほしい、とそう願ってしまった。カーミラの気まずそうな顔に、アリッサの微笑みが消える。少しだけ険のある雰囲気をアリッサが醸し出し始めた。
「……あぁ、そういうこと」
「うん。……あ、勿論二人きりじゃないわ。ロドリゲス先生も一緒……」
ピンクブロンドの少女は、目を伏せて、何かをじっと考えている風であった。罵られるだろうか。嫌われるだろうか。アリッサからしてみると、カーミラがこれからしようとしていることは明確な協定違反ともとれる、それだけのことだ。少なくともカーミラはそう考えていた。
「えっと、アリッサ」
「私も着いていく、っていうのは駄目なんだよね」
「うん。必ず三人だけで行くように、っていう命令」
あ、まずった。命令。その言葉は使ってはいけなかった。カーミラは迂闊な自分の口を呪った。
「命令?」
「な、なんでもないの。忘れて」
命令なんて言ってしまったら、その主が誰かなんてすぐに想像できてしまうではないか。
「王様、いや違う……。アーノルド王子もデズモンド王子も……違うよね。ご両親が授業を蹴ってでも遠くに旅をしろなんて言うはずがないし……。ってことは、エライザ王女殿下……?」
ほら。やっぱりバレた。カーミラは思わず頭を抱えたくなる衝動を必死で押さえた。
「の、ノーコメントで」
「それ、答え言っちゃってるのと一緒だよ」
ふふ、とアリッサが苦笑する。一方でカーミラは、申し訳無さと恥ずかしさで思わず顔を伏せてしまった。
「カーミラに命令できるのなんて、カーミラのご両親か、王族ぐらいだもんね」
「の、ノーコメントで……」
「ふふ、そういうことにしとく。だぁいじょうぶ。誰にも言ったりしないよ」
アリッサがニコリと笑う。
「ねぇ、カーミラ。きっと、私が『抜け駆けしないで』なんて言うと思ってたんでしょ」
思わずカーミラは伏せていた顔をアリッサの方に向けてしまった。なんでわかったのだろう。
「カーミラの考えていることなんてお見通しだよ。カーミラって案外単純だよねぇ」
「単純って。今まで言われたこと無いわね……」
「単純だよ。そんでもって、すごく優しい」
アリッサが上を向き、天井を見つめる。遠い目で天井ではない遥か遠くを見つめているかのようだった。数秒間なにやら考え事をしているのだろうか、無言になり、その後で静かで真剣な声色――ともすれば怒りを堪えているようにも聞こえる――でゆっくりと話し始める。
「……あのね。恋愛なんてね。なりふり構っちゃいけないんだよ。私はなりふり構わなかった。お父様にも三年かけて説得して、ロビンと婚約しても良いって言質をとった」
うぐーっと、両腕を上げ、アリッサが伸びをする。顔は依然として上を向いたままだ。今、アリッサはどんな表情をしているのだろう。カーミラは少しだけ不安になった。
「カーミラも、なりふり構わないで。私に遠慮なんてすることないの」
「でも」
「いいの。私とカーミラはおんなじ人を好きになっちゃったって、それだけなんだよ。言ったでしょ。恨みっこなしって」
上を見ていた顔をカーミラの方に向けてアリッサがニコリと笑う。もう、いつもどおりのアリッサの声色だ。カーミラはその表情に、胸のつっかえがすっかりと下りた、そんな気持ちになった。
「無理やりロビンを連れてどっか行っちゃったりとか、そういうのだったらちょっとだけ怒るかもしれないよ。でもどうしようもないんでしょ?」
「うん」
「ならしょうがないよ」
アリッサの言葉に、カーミラは目頭が熱くなるのを感じた。どうして、この少女はこんなに優しいのだろうか。初めて出会った時、彼女はカーミラに「ロビンの婚約者」であると言った。今思えば、明確な所有権の主張だったのではないだろうか。この男は私のものだから、絶対に手を出すな。そういうことだったのではないだろうか。
でも、カーミラがロビンを好きになって、それを自覚して、アリッサはそれでも良いと言ってくれた。カーミラのこの気持ちは、アリッサにとって明確な裏切り行為以外の何者でもないのにも関わらず、だ。
「ねぇ」
アリッサが優しくカーミラに語りかける。
「絶対無事で帰ってきて。こないだも言ったけど、私はロビンが大好き。でもそれと同じくらいカーミラも大好きなの」
「うん」
もう、カーミラの涙腺は限界だった。最近涙腺が緩みっぱなしだ。弱くなったのだろうか。いや、失っていた数々の感情を思い出したのだ、この数ヶ月で。後から後から涙が溢れてくる。この優しい少女に、自分は何を持って恩返しをすればいいのだろうか。カーミラは途方に暮れてしまった。
不意に今まで微笑んでいたアリッサが険しい表情になる。
「いい? ロビンも、カーミラも、絶対無事に帰ってくること。カーミラはロビンを守ってね。きっとロビンもカーミラを守るはずだから。約束」
「う,、ん、約束」
ベッドから立ち上がって、アリッサがカーミラの頭を抱きしめる。その優しいぬくもりに、増々カーミラは涙が止まらなくなってしまうのだった。
「ねぇ、泣かないでよ。二人が無事で帰ってきてくれれば、それでいいんだから」
「うん、うん」
「だから約束」
「うん、約束」
暫く、カーミラのすすり泣く声がアリッサの部屋に小さく響いた。アリッサはカーミラの白銀の髪の毛をいたわるように、手櫛で梳く。
数分ほど経って、涙腺のダムが元に戻ったのか、カーミラの涙はようやく止まった。グスングスン、と鼻を啜って真っ赤な目でアリッサを見つめる。
「今日」
「なに?」
「今日は、アリッサの部屋に泊まる」
普段の凛とした姿とは打って変わって、小動物のような愛らしさを見せるカーミラに、キュンとしたアリッサは思わずぎゅうっと抱きしめてしまった。
「ふふ、一緒に寝よっか。カーミラちゃん」
「『ちゃん』は余計よ」
カーミラがアリッサの言葉にムスリと頬をふくらませる。その様子に、再びキュンとしてしまったアリッサは再度強くカーミラを抱きしめるのだった。
思春期の少女二人の語らいは、明け方まで続いた。
一週間経ち、とうとう出発の日がやってきた。準備は万全。三人は朝日が昇ってまだ間もない時間に学院の前庭へ集まっていた。
「忘れ物はないか? ウィンチェスター。ジギルヴィッツ」
「はい。十回くらい確認しました。絶対大丈夫です」
「私は五回くらい確認したわ」
うむ、とアレクシアが二人の言葉に頷く。まず向かうのは、コンタストヴォンノだ。王家直轄領を超え、キューベスト領の北端。山脈沿いにある、宿場街である。
王国から帝国に向かう者、つまり山越えをする者は、まずコンタストヴォンノを拠点とする。そこで、山の天候を見極めて、山越えをするタイミングを測るのである。
王家直轄領の北端にある、ヴォレイアトゥヴァシラの街を経由し、王都直轄領をまたぎ、そしてコンタストヴォンノへ一気に向かう。一行が選んだコンタストヴォンノへの旅程はそういうルートとなっていた。
アレクシアが前もって借りてきてくれた馬の手綱を、二人がそれぞれ手に取る。
「さて、出発だ。王都直轄領で野盗などに遭遇することは無いとは思うが、念の為気をつけるように」
「わかりました」
「まぁ、遭遇したとしても野盗など敵ではない。少し魔術を使って見せればすぐに逃げ出す」
「まぁ、そうでしょうね」
ロビンは苦笑しながら同意した。野盗に魔術師はいない。魔術師は貴族であっても平民であっても潰しの効く人種である。そのようなハイリスクなことをする魔術師はそもそも存在しないのだ。魔術を使えない生活に困った平民が、野盗や盗賊に身をやつす。それが王国における常識であった。
ロビンとカーミラが馬にまたがり、さぁ出発だ、という時に、学院の方から声が聞こえた。
「カーミラ! ロビン!」
アリッサの声だ。まず振り返ったのはカーミラだった。そして、それにつられてロビンも振り向く。アリッサだけではない。グラムも、ヘイリーも、エイミーもやってきていた。
「アリッサ。どうして?」
「ふふ、お見送り」
アリッサが悪戯に成功した男の子のようなニヤリとした笑顔をみせる。
「なんか、暫く留守にするんだってな。アリッサから聞いたぜ。水くせぇなぁ」
グラムがニヤニヤしながら馬上のロビンを杖で突く。
「カーミラ様。旅のご無事をお祈りしています」
ヘイリーが涙ぐみながら、カーミラを見つめる。なんだか今生の別れみたいだ。ロビンは思わずぷっと吹き出してしまった。
「ロビン、なんですの?」
「いや、なんでもない」
いけないいけない。ヘイリーに睨まれてしまった。
「ジギルヴィッツ様。ウィンチェスター様。これを」
エイミーが木彫りのペンダントをカーミラとロビンに手渡す。
「これは?」
そのペンダントをぶら下げて見遣りながら、ロビンがエイミーに尋ねる。
「私の家に古くから伝わるおまじないです。旅に出る人に、その旅の無事を祈って渡すんです」
「エイミーが作ったの?」
カーミラが驚いたように尋ねる。
「はい、貴族様方には少しみすぼらしいものかもしれませんが」
ロビンはその言葉にニッコリと笑う。
「そんなことないよ。ありがとう、エイミー」
「ありがとね、エイミー。すごーく嬉しい」
そういえば、ロドリゲス先生にはないんだ、とロビンが少しばかり余計なことを考えてしまった。思わずアレクシアの方をみると、少しだけさみしげな顔をしている気がした。
「勿論ロドリゲス先生にも用意していますよ」
やっぱり、エイミーはエイミーだった。心優しいこの少女は、アレクシアの分もちゃんと用意していたのである。アレクシアの顔が少しだけ綻んだのを、ロビンは見逃さなかった。
「ロービーン!」
アリッサが唐突に大声を上げる。急に大声で声をかけられたロビンは目に見えてうろたえた。
「な、なに? アリッサ」
「ちゃんとカーミラを守ること!」
「……わかってるよ」
ロビンが髪の毛をくしゃくしゃとかき混ぜる。そんなことわかっている。そのために自分がいるのだ。だが、アリッサの言葉によってその決意をもう一度新たにした。
「……時間だ。名残惜しいのはわかるが、行くぞ」
アレクシアが出発の時間となったことを告げる。ばいばい、と手を降って、ロビンとカーミラが馬を歩かせ始める。
「ロビン! カーミラ! ロドリゲス先生! 絶対無事で帰ってきてね!」
アリッサが大声を上げながら、腕を大きく振る。その様子にロビンもカーミラもニッコリと笑って、手を振り返すのであった。
「良い友人を持ったな。ジギルヴィッツ」
「えぇ、自慢の親友たちよ。あんな友達を持てて、私本当に幸せ」
カーミラがアレクシアの方は向かずに、応える。
まずは、コンタストヴォンノ。長い旅路の始まりである。
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