第十話:リュピアの森の調査

 学生の一人、確かグラム・ハンデンブルグとかいったか、の話によると、森の南側に傷のつけられた木があるとのことだ。クインは、昨日の魔術学院での聴取を思い出す。とはいえ、森の南側といっても結構広い。連れてきた騎士たちを総動員して、件の木を探させていた。


 客員という立場として遇しているアレクシアは、今はクインの近くでなにか考え事をしている。怪物処理人であれば、確かにヘルハウンドの討伐は職務内容の内なのだろうが、ヘルハウンドは既に討伐された後である。調査への同行について理由を尋ねても、彼女は決して口を開こうとはしなかった。機密事項であるの一点張りで、それ以降はその話題を出そうものなら梨の礫もない。クインは何度目かわからないため息を密かに吐いた。


 リュピアの森は、比較的面積の少ない森林地帯である。北と東はリシュリア山がそびえ立ち、西はリシュフィリアの街と接している。南にはリシュリー平原が広がっており、その中心にリシュフィール魔術学院が存在する。マナの純度はこの近辺では高めで、中級者向けの素材採集地として頻繁に魔術師が訪れる。しかし、今は王国の命により閉鎖されており、森の中には人っ子一人いないはずだ。


 若い騎士から、傷の着いた木が見つかったとの報告を受け、騎士団全員と宮廷魔導省から借りてきた一員を傷の着いた木の前へ集める。


「傾注!」


 副団長が集められた騎士と宮廷魔術師の前に立ち、声を張り上げた。クインは副団長へ労いを込めた目配せを送り、騎士たちを見回した。ネイトの方をチラリと見ると、欠伸をしているのが見えた。騎士の前でだらけを誘発するような行為はやめてほしいものだ、と頭を抱えそうになるのをぐっとこらえる。


「これより、リュピアの森の探索及び調査を始める。箝口令が敷かれているため、他言無用だが改めて説明をする。三日前に、この森でヘルハウンドが出現した。本来であればこの森では存在し得ない特定魔獣である。ヘルハウンドは既に討伐されたとのことだが、他に異変がないとも言い切れない。第一の目的はかの魔獣がどこからやってきたのかを特定することである。諸君らの力量を持ってすれば、この森程度の野獣や魔獣には遅れは取らないと考えているが、万が一を考え慎重に行動してほしい。

 また、今回の調査には、宮廷魔術省から、バーカロウ魔術長を始めとした数名と、ロドリゲス女史が同行する。宮廷魔術師の方々とは密に連携を取り、調査を円滑なものとすることを期待する。ロドリゲス女史は彼女の判断で、自由に調査、探索を実施するとのことだが、基本的には我々のそばで行動すると仰せだ。客員として手厚く遇するように。以上」


「団長からの訓示をよく胸に刻み、職務に励むように、では行動を開始せよ!」


 ブランデンの言葉に、騎士団は敬礼によって返答し、一行は森の中へと歩を進めた。







「どうだ? なにかわかったか?」


 森の中を調査しながら進む一行を尻目に、クインはネイトに声をかける。森の中に蔓延するマナの流れはクインにも把握できているが、専門家の意見が聞きたかった。


「不自然なくらいいつもの森ですね。私も何度かここへ足を運んだことはありますが、その時と何も変わらない。その変わらなさが不自然極まりない」


「そうか。なにか感じたら、すぐに言ってくれ」


 学生からの聴取によれば、ヘルハウンドの死体は森の入口からそう遠くない位置にあるという。木を何本数えれば良いかも教えてくれた。森や山での行動に慣れている者の言だ。学院を卒業したら、王宮騎士団にスカウトしてみるか、クインは昨夜の聴取を思い出しながら顎に手を添えた。


 騎士たちは思い思いに周囲を観察し、異変を探し、それでも隊列を乱さずに行動をしていた。普段の訓練の賜である。その後には宮廷魔術師達が、時折探索魔術を行使しながらついてくる。宮廷魔術師はマナを感じ取る専門家だ。なにか異変があれば、すぐに知らせてくれるだろう。


 若い騎士が傷の着いた木を数十本数え終わる頃、解体されたヘルハウンドの死体を見つけた。三日経った死体だ。蝿や蛆虫が湧き、凄惨な腐臭を放っている。クインは思わず袖口で鼻を塞ごうとしたが、鎧を着ているため、鼻を覆い隠せないことに気づき、諦め、口で呼吸するように努めた。


「いやぁ、ひどい匂いですねぇ」


 ネイトが宮廷魔術師が着るローブの袖口で鼻を塞ぎながら、クインに近寄る。それを少し羨ましそうに見ながら、クインはヘルハウンドの死体に近寄っていく。


「あぁ。この死体は片付けなければならないな。魔獣は野に還らない。そうだったな」


「正確には、野に還るのに、酷く時間がかかる、ですけどね」


 蝿や蛆虫が湧いているでしょう? 時間はかかりますが、徐々に分解されますよ。ネイトは悪臭に眉をしかめながらそう言った。


「しかし……結構な種類の魔術を使ったものですね。基本的には上級魔術。マナが豊富な人間でないとここまで魔術を連続で行使できませんよ」


 ネイトが杖でヘルハウンドの死体を突つく。解体されてはいるものの、どんな魔術を使ったのか、それがどこに当たったのか、専門家の目には一目瞭然である。


「確か、止めを指したのはジギルヴィッツ公爵家の」


「次女だ」


「それなら、納得できますねぇ。マナの保有量は大凡遺伝で決まります。公爵も公爵夫人も相当な魔術の手練れだったはずです」


「ふむ、それにしてもほぼ一人でヘルハウンドを殺してしまうとは信じ難いが……」


「不可能ではないですよ。私だってやろうと思えばできます」


 ふわぁ、と欠伸をしながら、ネイトがのたまう。そりゃあ、宮廷魔術長のお前ならできなくもないだろうが、といいかけてやめた。大事なのは学生がヘルハウンドを倒したという事実ではない。この死体がどこからやってきたのかということだ。


「ここから、こいつのやってきた足取りを追うのは簡単そうだな」


「ありがたいことに、そこら中の木をなぎ倒しながらここまで来てくれたみたいですしねぇ」


 退屈そうにネイトが話す。それを聞いたクインは、騎士団、宮廷魔術師全員に聞こえるよう大声を張り上げた。


「諸君、これより我々はこの死体がどこから発生せしめたのか、それを追う、隊列を組み十分に注意しながら行軍せよ」


 はっ、と大勢の声が上がり、思い思いの位置で敬礼を行う。ヘルハウンドはどうやら、東の方からここまで来たようだ。騎士達はあっという間に隊列を組み、東を向いた。クインとネイトが先頭に立つ。


 いざいかん、とするその時だった。今まで黙って着いてきていたアレクシアがクインに近寄る。


「オールマン騎士団長。私はこの死体をもう少し調べたい。ここからは別行動とさせてほしいが、問題ないか」


 死体なぞ調べても、何もわかるものはないと思うが、という言葉が喉まで出かかったがそれを飲み込む。王家直属の怪物処理人に対して、自分に裁量権が無いことをクインは重々承知していた。


「問題ないが、客員を森の中放置して、さようならでは騎士団の面目が立たない。死体を調べるのは構わないが、我々が帰ってくる時に合流し、街まで一緒に帰還するということでいかがだろうか」


「それで構わない。苦労をかける」


「了解した。

 諸君、ロドリゲス女史は死体を十分に調査するため一時別行動を取る。

 調査を完了せしめた後、この場所で合流することとする。

 では、全軍、進め」


 隊列を組んだ騎士団は、ヘルハウンドがやってきたであろう方向に突き進んでいった。






 騎士団の姿が見えなくなってから、アレクシアは死体を検める。解体され、素材も回収済となり、ボロボロになってはいるが、どのように殺傷されたのか、どのように戦闘行為を行ったのか、彼女の経験からすればそれを推し量ることも可能だった。


 腐臭には慣れたものだった。アレクシアは自身のこれまでの人生を決して綺麗な道だったとは思っていない。怪物を殺し、怪物を調査する。そんな日々であった。しかし、その経験からわかることも確かに合った。


 解体されたヘルハウンドの死体をつかみ、裏返す。ここが背骨の部分。素材を集められてわかりにくくはなっているが、いくつもの大きな穴が開いている。これが魔術攻撃によるものだ。


 アレクシアはその穴に触れる。淀んだ小さなマナの流れを感じるためだ。騎士団も宮廷魔術師達もここまで死体の損傷が激しいと気づけなかったのも無理はないだろう。


「これは、死んだ後につけられた傷……」


 自身の推測を裏付けるかのように、ぼそりと呟く。魔獣を屠る際に魔術を用いれば、術者のマナと魔獣のマナが混じり、どす黒い気配となったマナが僅かに残留する。一部の人間には常識だ。騎士団も宮廷魔術師達も、死体そのものには興味を持っていなかった。だから気づかない。魔術で攻撃した跡に残留したマナが存在しないことに。


 アレクシアは腐った魔獣の体液で服が汚れるのも気にせず、死体を隅々まで調べる。ヘルハウンドほど大きな身体を持つ魔獣だと少し骨ではあるが、それを気にした様子もない。


「あった」


 彼女は背骨の中央から僅かに頭側、そこに合った小さな穴を見つけた。


「これが致命傷」


 魔術で攻撃した跡ではない。じっくりと穴を見る。骨を砕き、恐らくは心臓まで届かせた。


「レイピアにしては穴が大きすぎる……。木の杭……いや違うな。だとしたら穴はもっと綺麗なはず」


 これまでの経験や、本などで得た知識、師と仰ぐ人物の教え、全てを総動員して、致命傷となった空洞の原因を探る。怪物処理人の洞察眼は常人では考えられないほど優れている。それは自身の経験もさることながら、脈々と受け継がれてきた先人の知恵によるものが大きい。自身の頭の中を整理するようにぶつぶつと考えを小さく口に出していく。


「投石によるものではない……尋常じゃない膂力で意思を投げれば似たようなこともできるけど、多分違う……。穴が直線になっていない……。手刀……か? それも鋭く長い爪を持った者の」


 鋭い爪を持った人間型のなにかが、ヘルハウンドの急所を一突きにし、骨を砕き、心臓を潰した。


「いや、心臓をえぐり取った?」


 空洞の近辺に勢いよく巻き散らかされた血液の跡を見つけ、そう推理する。驚くべきことにアレクシアはその洞察力で、ヘルハウンドがどのように屠られたのか、正解を導いた。


 確か、この魔獣を斃したのは、学生四人だったはず。ただの学生にこんな力任せな戦いができるはずがない。恐るべき膂力を持ち合わせなければこんな状態の死体は出来上がらない。


 また、アレクシアが舌を巻いたのは、証拠隠滅の手際の良さである。魔術による攻撃は、魔獣の息の根を止めてからすぐに行われたはずだ。一見すると上級魔術で滅多打ちにしたようにしか見えない。知恵もある。厄介な相手だ。


 学生四人。その四人のどれかが次の標的だ。アレクシアの眼が冷たく細められる。


 正体は恐らく、吸血鬼、人狼のどちらか。いや、筋力強化の魔術を極めたとしても同じことができるかもしれない。だがその可能性は低い。アレクシアがそう断じたのには訳がある。筋力強化の魔術は自身の身体に馴染ませるのに膨大な時間がかかる。また、才能も必要だ。筋力強化によって、怪物と対等に渡り合うことを可能としている自身がその証人だ。


「リシュフィール魔術学院か」


 次の目的地が決まった。幸いにも、自分の身分、権利は王家から賜ったものである。王家の印が着いた書簡を見せれば、いかようにでもなる。


 学院、であれば新任の教師として潜入すればよいだろうか。アレクシアの頭の中で今後の予定が立ち上げられていく。


 学院への潜入方法を十通りほど考えた時点で、騎士団一行が帰ってきた。礼儀としてその成果を聞いてみる。


「案外早かったな。首尾の程は?」


 声をかけられたクインが意外そうな顔をした。アレクシアに成果を尋ねられるとは思わなかったのだろう。


「成果は芳しくない。何もなかった。いや、何もなかったということがわかったというのが正しいな」


「ふむ、つまりヘルハウンドは自然発生した、と?」


 アレクシアのその疑問に、クインの隣で眠そうな眼を擦っていたネイトが答える。


「いえ、自然発生はありえませんね。状況だけを見るなら、何者かが召喚した、としか思えません。

 ですが、召喚した者も一筋縄ではいかない相手でしょう。

 魔術を行使した痕跡がまるでない。これでは調査のしようもありません」


「なるほど、きな臭い、ということか」


「まぁ、そういうことです」


 ネイトは再び欠伸をする。クインがその態度に眉を潜めた。


「王宮にどう報告すればいいか、それが今の悩みだ。調査したが何もわかりませんでした、では済まないだろうからな。しかし、これ以上はどうしようもない。そのまま報告するしかない……か」


 クインが大きくため息をつく。何かの始まりでなければよいが、とクインがぼやいた。それは例えば戦争。例えば内乱。考えられる可能性はいくらでもあった。


 ともあれ、これ以上の調査が難しいことが判明した以上、帰還せざるを得ない。クインは、ヘルハウンドの死体の片付けを部下に命じ、今後のことに思いをはせるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る