第十一話:王都での一日

 最近カーミラの機嫌が悪い。いや、機嫌が悪いというのは語弊があるかもしれない。元気が無いというのが確かだろう。ヘルハウンドとの死闘からは二週間ほど。一週間で謹慎という名の養生期間も終わり、再び相まみえた頃からだ。カーミラとしては一生懸命表に出さないようにしているようだが、ロビンは目ざとくそれに気づいていた。


 ロビンの半生は、他人の顔色を伺うことで成り立ってきたと言える。ウィンチェスター子爵、つまりロビンの父親が気まぐれで、使用人に手を出したことから全てが始まった。運が悪く、手を出された使用人は妊娠。つまり、ロビンの母親となった訳だが、本妻や第二夫人からすると、その存在は疎ましいもの以外の何者でもない。ウィンチェスター子爵が、使用人に遊び半分で手を出すような人物であったとはいえ、せめてもの良識があったことも災いした。ロビンは子爵家の庶子として遇された、つまり貴族としての地位を得てしまったのである。


 小さい頃はまだ良かった。大人たちが自分を疎ましく思っていることは容易に理解できたが、大人としての立場から直接的な攻撃を受けることはなかった。


 問題は物心ついてしばらくしてからであった。本妻や第二夫人の息子、つまりロビンの腹違いの兄達の態度がある日を境に豹変した。直接打ち倒されることもあったし、魔術の標的にされたこともあった。母親は自分に愛情を注いでくれてはいたが、貴族の子息に物申すことなど恐れ多く、ロビンはされるがままの状態となっていった。


 そのような状況下でロビンが選んだ道は、他者の顔色を伺い、自身の脆くすぐに崩れ去りそうな立場を、物分りの良い知恵者であると周囲に認識づけることだった。知恵は、父親に頼み、ウィンチェスター家の子爵家としては膨大な蔵書を読むことで補った。他者の顔色を伺う術は、境遇からか自然と身についていった。他者の感情や気分がわかれば、自身が取るべき対応もはっきりする。


 そうして、ロビンは数年かけて、大人たちと兄たちに、自分が人畜無害な存在であると認識付けたのである。


 その頃には、ロビンを直接的に攻撃してくるものはいなくなり、ロビンは実家での自分の立ち位置を明確に作り上げたのだった。


 そんな経験を持つロビンにとっては、カーミラがいくら隠そうとしても、様子がおかしいことは明白であった。どうすべきだろうか。ロビンは思案する。カーミラを元気づけてあげたい、そんな気持ちが自然と湧き出てきたのであった。今までのロビンであれば面倒くさいと切って捨てていただろう。カーミラと出会ったことで自身が変わってきたことに、ロビンは気づいていない。もし、気づいていたとしても、恐らくそれが好ましい変化であると、少し微笑みを浮かべただろう。


 グラムやアリッサは気づいていない。二年近く、近寄り難い公爵令嬢の仮面を被っていたカーミラの偽装は、グラムとアリッサにとってまさに完璧だった。


 気晴らしが必要、かな。原因は簡単に推測できた。魔獣との戦い、その一件だろう。あの時カーミラは「ごめんなさい」と言った。心の中に小さな棘としてそれが突き刺さっているのだろう。そうと決まれば、善は急げだろう。


 全ての授業が終わり、放課後となる。ロビンはカーミラの姿を探し、寮に帰る群衆の中に白銀の長い髪を見つけると、走り寄った。カーミラの容貌は目立つ。見つけるのに苦労はしなかった。


「カーミラ」


「あら、ロビン。何か用?」


「次の安息日だけどさ、二人で王都にでも行かない?」


「デートのお誘い?」


 カーミラは妖艶に笑ってみせる。無理をしているな。ロビンからするとそれは無理くり貼り付けた笑顔にほかならない。彼女の精神が少し限界に踏み入っていることを感じた。


「そ、デートのお誘い」


「誘ってくれるのは嬉しいのだけれど……」


 少し気まずそうに断りの文句を告げようとするカーミラをロビンは遮った。


「身分違いかな?」


「……私がそんなこと気にするように見える?」


「見えないから誘ってるんだけどね」


 カーミラは小さくため息をついた。


「わかったわ。エスコートは貴方に任せてもよろしくて?」


「勿論。退屈させないように、全力を尽くすよ」






 安息日。二人は学院から馬を借りて、王都までの街道を走っていた。学院から王都までは、馬の並足で五時間ほどの距離にある。リシュフィリアの街は王都と学院の中間地点にあるので二時間半。結構な距離ではあるが、疲労回復の魔術を使って馬を走らせれば二時間ほどで到着することも可能だ。馬に乗る魔術師の間では疲労回復の魔術は必須となっていた。


 王宮に直結する都であるから当然だが、王都は高い塀に囲まれている。南門の近くにある繋ぎ場に馬を繋ぎ、常駐している馬の世話人に百クラムほどのチップを握らせる。世話人に、おおよその帰る時間を伝え、入門手続きを済ませる。学生という身分は便利なもので、王都に入るのにも特別な根回しは必要ない。名前と年齢を門番に告げ、次の瞬間には通って良いと許可を出される。


「まずはどこに行こうか?」


 色々計画を練っていたロビンではあるが、一応の礼儀としてカーミラに声をかける。計画が決まっていたとしても、男性が女性にこれからの予定を尋ねるのは王国のデートにおけるマナーの一つであった。そして、女性側からは特に無いと答えることもマナーのひとつであった。


「今日はあんたがエスコートしてくれるのよね?」


「仰せのままに」


 貴族の学生からすると、王都は人気の遊び場だ。学院からは比較的近く、王都だけあって様々なものがある。美味しいデザートが評判の喫茶店から、騎士御用達の武器防具屋まで至れり尽せりだ。東にある屋台街に行くと、王国内外から集まった様々な珍味が所狭しと並ぶ。ちょっと危険な香りのする遊びが好きな学生には、裏通りが人気である。所謂スラム街というやつなのだが、魔術を使える人間にとって、スラムに住む住人は大した脅威にならない。魔術の使えない平民が襲ってきても簡単に対処できてしまうのだ。それを目当てに裏通りをうろつく学生も多いと聞いている。


 ロビンはカーミラを伴って、街の中央にある大きめの食事処に入った。貴族も利用するという味には評判のあるレストランである。特にデザートには定評があり、甘いものの好きな貴族の婦女がこぞって利用しているということだ。少々値段が高いのが玉に瑕だが、ヘルハウンドの討伐金を受け取ったロビンの懐は普段よりも潤っている。


 ロビンは、前菜を少しと、野菜が好きなカーミラに野菜のスープと、それほど肉の主張が強くなさそうな料理を選び、水を運んできた給仕に僅かなチップを渡して注文を伝える。


「いいお店ね。ロビンが選んだとは思えないわ」


「はは、僕だって女性をデートに誘うときは、それ相応の店を選ぶよ」


「そりゃそうね。アリッサと一緒に来たりもするの?」


「アリッサと? そんな経験は一度も無いけど」


「婚約者じゃなかったっけ?」


「自称だよ。アリッサが勝手に言ってるだけ」


「まんざらでも無いんじゃない?」


「まさか。大変に困ってるよ」


 どちらともなく、ふふ、と笑うと、前菜で頼んだサラダが届いた。彩りも美しく、季節の野菜を使った美味しそうなサラダだった。ロビンは大きめの器に入っているそれを、カーミラの取皿に取り分ける。ありがとう、とカーミラはにっこりと微笑んだ。やっぱりこうやって見ると綺麗だなぁ、とロビンは少しぼうっとした。


「それじゃあ、食べましょうか」


 カーミラがフォークを片手に、ロビンに微笑みかけた。






 食事も一通り終わり、腹もくちくなったところで、女性にとっては別腹のデザートを頼む。以前雑談の中で、苺の乗ったショートケーキが好きだと聞いていたため、それを一つ頼む。程なくして、カーミラの前にきらびやかに生クリームの装飾が施されたショートケーキが運ばれてきた。


「覚えててくれたのね」


「思い出すのに昨日一日使ったけどね」


 苦笑しながらロビンは返答する。カーミラは小さめのフォークを手に取り、ケーキを一切れ取ると口に運んだ。んー、と感嘆の声を挙げながら、幸せいっぱいそうな顔でニッコリと微笑む。


「お気に召したようで、何より」


「これ、本当に美味しいわよ。ロビンも一口どう?」


 マナー違反ではあるが、女性の誘いを断る方がもっとマナー違反だろう。そう考え、ロビンは、じゃあ一口、とカーミラに伝えた。


「はい、あーん」


 ちょっとまて。予想外だった。はい、あーん、じゃねぇよ。ロビンは心のなかで毒づいた。意識せずにやっているのか、意識してやっているのか、それについては、カーミラの悪戯っ子みたいな笑顔をみて後者だと気づいた。一つため息をついて、カーミラの伸ばしたフォークをぱくつく。


「確かにおいしいね」


「私があーん、ってしたんだもの。美味しいに決まってるでしょ?」


 さもありなん。ロビンは苦笑いをこぼした。その苦笑いに気づいているのかいないのか、カーミラは目の前のケーキを堪能しようと、気を切り替えたようだ。ケーキがその姿を消すのに、それほど長い時間はかからなかった。


「で」


 ロビンはカーミラが水を飲み一息ついたところで、口火を切った。カーミラの顔が少しだけ凍りつくのがロビンにはありありとわかった。自身とカーミラを対象として消音の魔術を使う。これで自分たちがどんな会話をしているのかは周囲にはわからない。


「何を悩んでるのかはだいたい想像つくけど」


 カーミラは無言を貫く。だが、その顔は不安そうに歪んでいた。


「あのときも言ったけど、君のせいじゃないよ」


「理解してるわ」


「納得はしてないって顔してるね」


「そんな顔してる?」


「してる」


 ロビンはそのやり取りにくすりと笑う。カーミラは観念したようにため息をこぼす。


「夢に見るのよ。ロビンが死んでしまう夢。グラムが死んでしまう夢。アリッサが死んでしまう夢。その度に飛び起きて、そして後悔するの」


「うん」


「私は力を持つものとして、相応の責任があると思ってる。弱き者を守る責任。義務といってもいいかしら。あの時、私はそれをわかっていながら、何もしなかった。ただ皆が傷ついていくのを眺めてただけだったわ」


 それが許せないの、と絞り出すようにカーミラはこぼした。あぁ、この少女は吸血鬼という存在でありながらも、どうしようもなく人間なんだ、ロビンはそう思った。しかし、そう考えた上でロビンは言っておかなければならないことがあった。


「あのね、まず一つ言っていいかな?」


「なに?」


「僕たちのことを馬鹿にしすぎ」


「はぁ!?」


 カーミラは予想外の言葉に、思わず立ち上がる。そして、それが周囲の注目を集めていることに気づいて赤くなりながら、席につく。


「あのね、僕は、勿論グラムもアリッサも、弱き者なんかじゃない」


「でも実際……」


 ロビンはカーミラの言葉を遮る。


「僕らは魔術師だ。その腕前の多寡はあれど戦う力を持ってる。確かに君は吸血鬼で、魔術も上手くて、魔獣を簡単に倒せちゃう、そんな人間かもしれない」


 カーミラは、徐々に激しくなっていくロビンの口調に目を白黒させている。


「でも、弱き者、なんていわれちゃ僕は黙っちゃいられないよ。人間を舐めるな」


 珍しく饒舌にそして悪辣にカーミラに向けて言葉を発するロビンにカーミラは思わず黙り込んだ。


「僕らは等しく力を持ってる。確かに強弱はあるだろうさ。でもね、力を持っている人間がその命を何かに奪われるとき。それは誰の責任でもなく、その人自身の責任、もしくは命を奪ったその現象自身の責任なんだよ」


 だから、君がその責任を負う必要は無いんだ。ロビンは険しい表情から一転して、柔らかい笑顔をカーミラに向ける。さて、多少荒療治になってしまったが、結果はどうだろう。ロビンはまじまじとカーミラの顔色を伺う。カーミラは呆然とした顔をしていた。


「そんなこと、考えたこともなかった」


「君は何でも背負い込み過ぎなんだよ。もう少し人に頼るとか、そういうことを覚えた方がいいんじゃない?」


「うん、でもね」


 カーミラの表情が歪む。金色の瞳から、涙が溢れ、頬を伝う。こうなると慌てるのはロビンの番だった。


「すごーく、怖かったのよ。ロビンが死んじゃうかもって、グラムとアリッサが死んじゃうかもって」


「け、結果的に死んでないし」


「でも死ぬかもしれなかったじゃない! そしたら私……また一人ぼっちになっちゃう」


 やばい、ロビンは狼狽した。消音の魔術で会話は聞かれていないとはいえ、周囲の注目をこれでもかとばかりに集めている。周りからみたらただの痴話喧嘩か痴情のもつれだ。


「一人ぼっちにはしないよ。約束する」


「本当に?」


「うん、約束する」


「嘘じゃない?」


「僕は君には嘘なんてつかないよ」


「でも」


「ひとまず泣き止んでくれないかな? 僕ら格好の注目の的だよ」


 話の続きはまた後でゆっくりしよう。ロビンはそうカーミラに伝えた。カーミラは周りを見渡して、耳まで真っ赤になった後、涙を拭った。


「落ち着いた?」


「えぇ。ごめんなさい。取り乱したわ」


「いや、それは謝るほどのことじゃないよ。ともかく注目を集めすぎたね」


 帰ろうか。とロビンが言い、カーミラが頷いた。ロビンとしてはこの後の予定も色々計画していたのだが、もうそれどころではなくなってしまったのであった。


 予定よりも早い帰り道、ロビンは考える。自分にこの気高く優しい少女の隣にいる資格があるのだろうかと。それはどんなに考えても答えの出ない、闇の中で小さな石を探すような問いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る