第十二話:真夜中の誓い

 カーミラと二人で王都から引き返し到着する頃には、すっかり日が暮れてしまっていた。予定を全て前倒しての帰り道だったため、馬を走らせる必要がなかったためだ。馬に乗っているから、ということもあるかもしれないが、帰り道では二人の間に会話はなかった。


 カーミラのメンタルケアは、彼女の涙によって完全なものとはならなかった。当然メンタルケアの専門家ではないロビンであるので、予定を全部終わらせたとしても、それが完全なものになったかどうかについては怪しいものである。


 ロビンは馬を進ませながら、カーミラの表情を伺う。今朝までの顔色と比べて大分ましにはなっていはするが、それでも胸のどこかにつっかえたものが在るような、そんな表情が読み取れた。


 それと同時に、ロビンはヘルハウンドの襲撃を受けてからずっと考えていたとりとめのないものを頭で整理する。


 ロビンはその出自から、自分の命にさほど価値があるとは思っていない。周囲の人間の思惑次第では、吹けば飛ぶような命であることは、重々承知していた。そのことが、魔獣からの襲撃で死にかけたロビンが、それ自体を大したものだと考えていない理由であった。


 死ぬならば、いつ死んでも良い。現世への未練は特になかったし、泥臭く生き抜く気にもなれなかった。明日自分の命は無いかもしれない、周囲の環境からそう教え込まれて幼い頃から生きてきた。まだ折り合いがつかなかった時分には、自身の境遇に対して酷くやり場のない怒りを覚えた記憶があるが、それも時とともに折り合いがつき、そうしてロビンの人格が形成されていった。


 ロビンの友人らが、彼を変わり者であると言って憚らないのは、根本的にはそんな彼の性根が起因していた。貴族は命を惜しまず、名を惜しむものではあったが、それにしても彼は自身の生命というものを軽んじているふしがあった。


 もちろん、学院の中でそうそう命の危険が迫る出来事などは発生しない。そのため、ロビンの自身の命を軽んじる性根自体が周囲に伝わることはなかったが、性根は性格となり、そして立ち居振る舞いに現れる。そのため、彼の少ない友人たちは揃って言うのであった。彼を「変わり者」である、と。


 二人は学院の馬小屋に馬を繋ぎ、ロビンが馬小屋の管理人に心ばかりかのチップを握らせる。夕食の時間はとうに過ぎてしまっているだろう。軽いものでも厨房に頼んで、部屋に用意してもらおうかな、などとロビンは今後の予定を立て始める。


 カーミラの表情はまだ優れない。ロビンは、しばし逡巡し、カーミラに声をかける。


「夜」


「何?」


「夜、僕の部屋に来ないかい?」


 カーミラの顔が少し赤くなり、驚いたような表情を浮かべる。彼女の顔を見て、とんでもないことを口にしてしまったことに気づく。あまりにも考えなさすぎた。


「い、いや、特に深い意味は無いんだよ。えっと、昼間の話の続きを、と思って」


「あ、あぁ、そういうことね」


「君なら誰にも気取られずに、僕の部屋までこれるだろ?」


「えぇ」


 じゃあ、皆が寝静まった頃に、とロビンはカーミラに伝えると、二人は簡単に別れの挨拶をすませ、寮に戻った。


 ここから、脳味噌を沸騰させて考える時間だ。ロビンは両手で頬を叩く。乾いた音が学院の前庭に響いた。






 そもそもの発端は、あの夜だ。一目惚れだった。一目惚れというと恋愛的な感情に勘違いされるかもしれないが、それは断じて違う、とロビンは考える。確かに、カーミラ・ジギルヴィッツという少女に僅かな憧れを抱いていたことは事実だ。だがそれは恋と呼ぶにはあまりにもささやかであった。きっと偶像崇拝に近いものである。自分の手の届かないものを畏れ、敬い、そして愛でる。そういった感情だったはずだ。


 しかしながら、あの夜、カーミラの本性を知ったあの夜、ロビンは確かに一目惚れをした。その在り様に魅入られた。例えるなら、初めて生涯仕えていきたいと考えられる主君に出会った騎士のような心情だろう。他者の顔色を伺い、心中を察することに長けたロビンだからこそ、彼女の貴き誇りと、それでもなお人間であろうとする美しさを、その顔貌に見た。


 彼女を孤独から救ってやりたいと考えた。その時に自分が側にいれずとも、彼女を取り巻く数多の人間の一人でありたいと願った。それほどまでに、あの夜の出来事はロビンの根本を覆してしまうほどの衝撃を以て、ロビンを今の人格たらしめていた。


 願いはわかった。自分がどう在りたいのかもわかった。彼女に引けを取らない、誇り高き人間でありたい、とそう望むようになったのだ。


 ロビンは続いて考える。では、今の自分はどうだろうか。彼女の側にいるべき人間なのだろうか。変わり者と呼ばれ、全てを達観してきた。魔術の腕を磨くことはなく、戦う力は人並程度にすら届いていない。心のなかに確りとした信念が在るわけでもない。


 僕は、カーミラの友人たりえるのだろうか。


 僕は、カーミラの側にいる資格を有しているのだろうか。


 グラムは凄い。ロビンはよくつるむ悪友に思いを馳せる。魔術の腕も確かだし、それを扱う術も身につけている。アリッサは凄い。彼は自称婚約者に思いを馳せる。魔法薬の作成を趣味とし、その知識はもはや魔術学院の教師の域まで達しているのではないだろうか。


 さぁ、僕になにがある?


 答えは何もなかった。小さい頃から空っぽだったロビンには何もない。全てを諦めて、全てを甘んじて受け、全てを面倒くさく思い、そう生きてきた。


 僕にはなにもない。


 カーミラとロビンを繋ぎ止めているのは、ただ彼女の秘密をロビンが偶然知ってしまった、というそれだけだ。


 僕にはなにもない。


 彼女は公爵家であり、ロビンは子爵家の庶子だ。


 僕にはなにもない。


 ロビンは、大きくため息をつくと、厨房からもらってきた紅茶に口をつける。とっくに冷めてしまっており、お世辞にも美味しいとはいえない。しかし、長時間の熟考によって頭の中にモヤが掛かったようになってしまったロビンにとっては、良い気付け薬となった。


 不意に窓から、コツコツ、と音がする。以前と同様にコウモリがロビンの部屋の窓を突付いていた。ロビンはおもむろに椅子から立ち上がると、窓を開けた。


 一匹のコウモリがロビンの部屋に入ってくると、続けざまに無数のコウモリがロビンの部屋に押し寄せた。コウモリの群れはうねうねと形を変えながら集まっていき、次第に人の形となる。ロビンが瞬きをして目を開く、その瞬間にはコウモリは姿を消し、目の前に白銀の髪と金色の瞳を持つ小さな少女がいた。


「来たわよ」


「早かったね」


 二人の間の会話はそこで止まってしまった。所在なさげにしているカーミラに、椅子に座りなよという意味を込めて、手で導く。カーミラはロビンを見、そして椅子を見、少しため息をつくと、ゆっくりと椅子に座った。


 無言の時間が続く。お互いに何から話せばよいのか迷っていた。最初に静寂を打ち破ったのは、ロビンだった。


「あのさ、昼間はごめん」


「えぇっと、何を謝られているのかしら?」


「いや、色々と無神経なこと言ったかなぁ、と思って」


「いや、あんたの言うことも尤もよ」


 ロビンはこの表情の優れない少女を元気にするために、どのように接すればよいか悩んだ。何を話せばいい? 何を語ればいい? もう、考えすぎて脳味噌が沸騰してしばらく時間が立っており、自分でもよくわからなかった。


 とにかく、ロビンはたどたどしく、今まで自分が考えていたことを話すことにした。


「ずっと考えていたんだ。僕は君の友人として相応しいのかってことを。爵位もだし、妾の子だし、身分的には勿論釣り合わない。魔術だって、落第しなければいいかな、なんてずっと思ってた。グラムみたいに討伐隊についていった経験も無いし、アリッサみたいに魔法薬も作れない。じゃあ、何が僕にできるんだろう、ってずっと考えてた」


「そんなことないわ。ロビンは私に友達を作ってくれた」


 カーミラが反論する。


「私が吸血鬼だって知っても、誰にもそれを言わずに、秘密にしてくれた。私のことを怖がらずに有りのままで接してくれた。それがどれだけ私を救ってくれたのか、あんたにはわからないでしょうね」


「そりゃそうさ。大層なことをした覚えは無いからね」


 ロビンはカーミラの言葉にちょっと恥ずかしくなって、自分の髪の毛をかき回した。


「でもさ、それだけじゃだめなんだ」


 きっと、とロビンはボソリと呟く。


「君が言ったように、百年も経たずに君の友達は皆死んでしまう。君はまた一人ぼっちだ。僕にできることは何かって考えた。

 それはさ、君と友達でいられる期間をできるだけ長くすることなんだ、そう思った」


「えっと、どういう意味?」


「僕にはまず力が足りない。覚悟も足りない。君のとなりに立つために必要なものが何一つ揃っていないんだ」


「そんなこと……」


「僕は君と出会うまで、自分なんてどうなってもいい、って考えてた。明日死んでしまっても、それは仕方ないことだなって。あの日野獣に襲われたときに考えていたことも、自分に対しては『あぁ、仕方ないか』だけだった」


 ロビンは残っていた紅茶を飲み干す。


「それじゃだめなんだよ。カーミラ。僕はそれじゃ君の隣に立つことはできない」


 カーミラの表情が見る見る変わっていく。眦から涙が溢れ、頬を伝う。ぽつりぽつりと雫が彼女の服を濡らしていった。


「それって、私と友達でいるのをやめるってこと?」


 あちゃ、また泣かせちゃったな。困り顔で、ロビンはハンカチを差し出す。


「ごめん、誤解させちゃったね。僕はカーミラの友達だよ。それはきっと多分、ずっと変わらない」


 カーミラが涙を流しながら、少しだけほっと胸をなでおろす。


「君にとって、僕は脆弱な存在かもしれない」


 だったら、とロビンは続けた。


「脆弱な存在じゃなくなればいい」


 カーミラがロビンから受け取ったハンカチで、涙を拭う。


「どういうこと?」


「僕は君の隣に立つために、これから最大限の努力をするってこと」


「えっと、そんなの必要ないと思うけど」


 なんかあったら、私が守るし、とカーミラは告げる。


「それじゃだめなんだ。君を不安にさせないように、君の秘密を墓まで持っていけるように、僕には力が必要だ。

 勿論一朝一夕でなんとかなるものじゃないのもわかってる」


 知恵はある。そこに自信はあった。だが、それ以上の大きな暴力には太刀打ちできないことは先日思い知った。魔術の腕を磨くことで兄たちから疎まれるような未来を想像して、今までは本腰を入れて訓練などしてこなかった。


 訓練を続けることで、体内のマナ保有量は徐々にではあるが増えていくとどこかの文献で読んだことがある。ただロビンはそうしなかった。それは、ロビンが政治的な身の上から自身の身を守るための処世術であった。


「これからは僕が君を守る。そして死なない。いや、君の周りの人間をまとめて守る」


 守れるようになるまでのインターバルについては触れないでおいた。


「だから君が一人ぼっちになることは無いんだ。もう君が誰か死んでしまうんじゃないかって怯えないで済む世界を作る」


 我ながら大きすぎることを言っているな、とロビンは顔が熱くなるのを感じた。カーミラはぼうっとした目でこちらをただ見ている。


「例えば僕が、魔獣に出遭っても、戦争に駆り出されても、暴漢に襲われても、君は何も心配すること無いんだ」


 僕は死なない。そのための力をつける。血の滲むような努力が必要だろう。そこに達するまでに幾度も挫折するかもしれない。でもそれがなんだ。


 あの夜、ロビンの人生は彩りを変えた。灰色にくすんでいた景色は鮮やかに変わっていった。


 全て君がもたらしたものだ。ロビンは心のなかで、カーミラに感謝の言葉を贈る。


「僕はその全てを打倒し、そして君の下に帰ってくる」


「えっと、なんかプロポーズされてる気分なんだけど……」


 カーミラのツッコミに、耳まで顔が赤くなるのを感じた。いや、そういうことではないんだけど、とロビンは両手を振った。


「え、えっと、つまり僕が言いたいのは……」


「言いたいことは伝わったわ」


「そう、かな?」


「痛いほどね」


 カーミラはにっこりを微笑むと、椅子から立ち上がりベッドに腰掛けていたロビンの隣に座った。


「つまり、これからは、あんたが私を守ってくれる、ってことでしょ?」


「端的に言うとそうなるかな?」


 色々端折ってるけどね、それ。とはロビンは言わなかった。


「カーミラ」


「何?」


「誓うよ」


 ロビンはこの時、自分の人生を決定づける大きな誓いをカーミラにした。後に二人はこの夜のことを度々思い出しては、お互いにからかい合ったりするのだが、それはまだまだ未来の話である。


「僕は天寿を全うする。何があっても寿命で死ぬまでは君を一人になんてしてやるものか。そして、僕が死んだ後も後悔なんて絶対させない」


 真っ直ぐにカーミラを見る。


「君は、数十年後、僕が死んでから思うんだ。僕と過ごした数十年は素晴らしいものだった。後悔なんて何もない。君は僕から色々なものを与えられて、色々なことを経験して、そして僕のことを思い出して、ニッコリと笑うんだ。あぁ、楽しかったなって。綺麗な日々だったなって。悪くなかったなって」


 そんな未来を必ず作って見せるよ。ロビンは最後にそう付け足した。カーミラの表情が屈託の無い笑顔になったのはその数秒後だった。

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