第十三話:会合

 ヘルハウンドを学生が打倒せしめた日から、一ヶ月が過ぎようとしていた。ハワードは普段どおりの学院長としての執務をこなしながら、平和とはいいものだと改めて実感していた。


 平和というのは、味の薄いスープのようなものである。味見した時は丁度いい味に思えても、それを口に運ぶにつれ、徐々に味を感じなくなっていく。そしてそれがなくなって、しばらくしてからまたスープを口にすることで、味を感じるようになるのだ。


 ハワードが学院長という任についてから、もう百年にはなるだろうか。魔術師は体内のマナが関係しているのか長寿な者が多い。マナの保有量が多ければ多いほど、生命力に溢れ、身体は若々しさを保つ。王国の平均寿命は約八十歳。それと比べると、ハワードは随分と長生きをしていることになる。彼は自分の確かな年齢を既に忘れかけていた。化け物じみた寿命の長さに自分でも驚いている。まだまだ死神が迎えに来る様子もない。もうしばらくは、魔術を学ばんとする学生たちを導くという、やりがいのある仕事に就けそうだ、と嘆息する。


 使用人に紅茶を頼み、運ばれてくる頃には、今日中にやらなければならないプライオリティの高い仕事は終わっていた。一息つこうと、部屋の中に誰もいないのをいいことに腕を挙げ、思いっきり伸びをした。紅茶を啜り、益体の無いことを考え始めた頃、学院長室にノックの音が響いた。


「入ってきなさい」


 入ってきたのは、バート・マクラッケン。この学院で魔術学の教鞭を執る優秀な教師だった。元は宮廷魔術師の一人であり、ハワードの強力な伝手から半ば強引に引き抜いた、学院自慢の魔術師であった。


「学院長。それが、なんと説明すればよいのか……」


 学院長は首を捻る。聡明な彼が言葉を濁す事態というのは、どういう事態なのだろうか。


「王家の印のついた書簡を持った女性が、学院長にお目通り願いたいとのことで……」


 王家の印付きの書簡。それはそう易易と手に入るものではない。吉兆か凶兆かでいったら、間違いなく後者であろう。それだけの権力が王家の印にあった。やれやれ、と首を小さく横に振ると、ハワードは、案内してあげなさい、と小さく指示をだした。


「それが、勝手に着いてきてしまって……」


 もう扉の前にいるのです、とバートがハワードに申し訳無さそうに告げる。小さくため息をこぼすと、ハワードは扉の前に立っているだろう人物に声をかけた。


「そこなもの。部屋の中に入ってきなさい」


 扉が開き、廊下から現れたのは、いかにも闘争を生業としている容貌の長身の女性だった。


「アレクシア・ロドリゲスという」


 ハワードは学院長についてからの百年。いや、学院長ではなく一介の教師だった時分も含めると、恐らく百五十年。全ての学生の名前と顔を覚えている。リシュフィール魔術学院に、ジョーンズ学院長有り、と言われる所以がそれだ。卒業した学生達は、あるものは軍に入隊し、あるものは王宮で要職に付き、あるものは領地に帰り領主となって辣腕を奮っている。このレイナール連合王国の全ての魔術師を把握しているといっても過言ではない。王国に唯一のこの魔術学院に王国中の魔術の素養を持ったものが集まってくるのだから当然である。


 しかし、ハワードの目の前に立った、この女性については見覚えがない。


「流れか」


「いや、ギルムンド帝国の出身だ」


 帝国の出身か。ハワードは長いひげの生えた顎を撫で回し納得する。魔術を工業や製造業の一部として利用する王国とは違い、帝国の魔術は争い事に特化したものだと聞いている。結果、こういった化け物が野に放たれる。ハワードはひと目で、アレクシアと名乗るこの女性の力量を察していた。


「して、書簡を見せてもらおう。マクラッケン先生が検めてはいるとは思うが、儀礼上欠かせぬのは理解できるな?」


「これを」


 アレクシアは、書簡を取り出すとハワードに手渡した。確かに王家の印だ。偽造には感じない。王家の印は魔術によって刻印されるものであり、容易に偽造できないように作られている。内容を確認し、アレクシアにそれを返却する。


「怪物処理人、か」


 王家の暗部中の暗部。その実態を正しく知っているものは少ない。多くの人間は都市伝説じみた噂の一つに過ぎないと切って捨てている。


 その力は、吸血鬼、亜人、大型の魔獣、普通の魔術師が束にならないと勝てないような驚異に、単身で立ち向かい、そして打倒せしめる。人道的観点から単身で怪物に対峙させるというのは王家の評判に響く。しかし、強い魔術師というのはえてして招き入れることが困難である。王宮の騎士や宮廷魔術師にも限りがある。そのため、人並み外れた力を持つ者を怪物処理人として、極秘裏に単独で対処に当たらせる。任務は基本的に極秘であるため関連した人物にも箝口令が敷かれる。つまり任務についた者が死のうが、満身創痍になろうが、王宮としては知らぬ存ぜぬを通せば良い。箝口令を破ったものは、処罰し、ただの都市伝説であると切って捨てれば良い。死人に口はないのだから。実に効率の良いやり方だが、実に胸糞の悪いやり方である、とハワードは心の中で憤慨した。


 ハワードはバートに、退室するように命じ、アレクシアをソファに導く。


「それで、この平和な魔術学院に貴殿のような者が何用かな?」


「ひと月前。ヘルハウンドをこの学院の学生四人が打倒せしめたと噂を聞いた」


「ふむ。王宮にも学院にも箝口令が敷かれていたはずだが」


「先程見せた書簡が、その情報を私が入手できた証拠だ」


 確かに、ハワードも僅かな違和感を覚えた事件であった。学生四人がヘルハウンドのような大型の魔獣を殺す、実に信じ難い話であった。しかし、止めを刺したのはジギルヴィッツ公爵家の令嬢。公爵夫人は確か学院卒業後、当時の王女の近衛に所属したと記憶していた。近衛隊は有事の際、王家の旗を以て戦に当たる。それ故に並大抵の実力でなければ登用されない。事実、当時起こった戦役で、多大な功績を残したと、風の便りで聞いた。


 その公爵夫人の令嬢である。学院に入学する前より、さぞかし過酷な訓練を受けてきたのであろう、と想像していたため、抱いた僅かな違和感も、自然と時とともに飲み込まれていった。


「その件について、調査すべき、と私が判断した」


「ふむ。私としてはにべもなく断りたいものだが」


 その書簡がそうはさせてくれまい? と、ハワードがアレクシアを睨みつける。アレクシアは怖じた様子もなく、首を縦に振った。


「で、何をご要望かな?」


「私をこの学院の臨時講師として雇っていただきたい」


「何ができる? 教師として」


「筋力強化の魔術には一日の長があると自負している」


 筋力強化の魔術。他の魔術とは違い、杖に記憶させた魔術式を介さず、マナを自身の四肢に馴染ませ、強靭な肉体にするという、離れ業だ。この鼻持ちならない女が臨時講師を務めている間に学生が身につけられる可能性は低いが、口実としては問題なさそうだ。


「あい、わかった。では、必要な手続きや部屋の用意などに一週間もらおう。一週間後にまた来るがよい」


「承知した」


 アレクシアがソファから立ち上がり、僅かに礼をすると、踵を返す。


「言っておくが」


 ハワードの怒気すら孕んだ声に、アレクシアの足が止まる。


「この魔術学院の学生らに、不要に手を出したら、王家を敵に回してでもそなたを殺す」


 それだけの力が、ハワードには備わっている。そして、それも十分に承知しているのか、アレクシアは振り返り言った。


「罪の無いものには手を出さない。約束しよう」


 アレクシアは、扉を開け、学院長室を出ていった。見送りは必要ないだろう。見送りとして人をつけるほど、彼女に良い感情を持っていなかった。


 怪物処理人という過酷な職務について同情はする。しかし、それが自身の学院に堂々と潜入してくるとなると話は別だ。学院に怪物がいるとでも言いたいのか。そんなことは有り得ないし、あったとしても学院の教師陣も一筋縄ではない。癖のある性格を持った者も多いが、今となっては全ての教師がハワードの引き抜きによって構成された凄腕の魔術師ばかりである。並大抵の怪物であれば、次の瞬間には灰となっていることは想像に難くない。


 しかし、ヘルハウンドか。この一件がここまで尾をひくものとなるとは、ハワードも予想していなかった。いや長らくの平和で楽観していたといったほうが正しいかもしれない。ヘルハウンドが何故リュピアの森に出現したのかについても、王宮は原因不明との連絡を寄越した。王宮がひた隠しにしているのか、それとも本当に原因が不明なのか、それはハワードにも預かり知らぬことであった。


 ふと、事件に関与した四人の学生が脳裏をよぎった。ロビン、グラム、アリッサ、カーミラ。カーミラについては、真面目で優秀な学生であることは当然知っていたが、入学以来一人も友人がいないという一点について、ハワードも人知れず憂慮していた。


 そんな彼女が、最近になって親しい友人ができ始めた。とても喜ばしいことだ。自身のことのように嬉しく思ったことは記憶に新しい。


 まさか、彼女が。そんな考えに思い至り、首を横に振って否定する。この学院の長である自分が学生を信じてやらずに、誰が信じるのか。ハワードは深いため息をつき、飲みかけの紅茶を呷った。






 アレクシアはハワードとの邂逅を終え、リシュフィリアの街の宿で一息ついていた。ハワード・ジョーンズ。あの学院長は厄介だ。聞けば二百年は生きている化け物だという。どれだけのマナを体内に有すればそこまで長生きできるのであろうか。アレクシアの想像にも及ばない量なのだろう。調査に横槍が入らないことを今はただ願おう。宿に帰る途中で買った水をぐいと飲むと、ベッドに横になる。


 学生四人。そこが怪しい。アレクシアは魔獣の死体を調べ尽くした段階であたりをつけていた。あの魔獣に止めを刺した人物。カーミラ・ジギルヴィッツとか言ったか。そいつが一番臭い。怪物の臭いがする。


 アレクシアはどうやって料理してやろうかと想像し、獰猛な笑みを浮かべる。


 王家から賜った怪物処理人の資格は強力だ。各方面にコネクションがあり、王国の中でも間接的に絶大な権力を持っている学院長ですら、それに逆らうことはできない。


 いざとなれば、王家の権威をちらつかせて強引に要求を通すこともできる。


「喉元まで食いついたぞ」


 くくく、と笑いながら、アレクシアはひとりごちる。


 アレクシアはまだ若い。20歳の前半である。詳しい年齢は既に忘れてしまった。十年前くらいから怪物を殺すことに自身の意義を見出し、それ以来ずっと怪物を殺し続けてきた。魔術の才能は一点を残して絶望的だった。筋力強化の魔術。それ以外の魔術はからっきしだ。だが、それだけでいい。生き物を殺す時に派手な装飾や、演出は必要ない。ただ、強靭な肉体で打擲する。それだけでよいのだ。そのことを考えると、自身の才能は極めて自分に合った才能であると喜ばしくなる。


 勿論、相手は怪物だ。強靭な肉体だけではままならない場合もあった。いかなる状況においても怪物を殺し尽くすため、王家から支払われた決して少なくない報酬は、異形を相手にするための魔術具にほとんどが消えていった。準備も万全。覚悟も十年前に終えた。私は、怪物を殺すための人形である。


 アレクシアは壊れたような微笑みを浮かべて、その時自身がどのような感情を抱くのかについて思いを馳せた。


 人間を矮小であると本能で理解している怪物どもを屠るときは胸がすっとする。何故、どうして、そのような断末魔を上げながら、奴らは死んでいくのだ。その瞬間にアレクシアは自身が生きているという実感を得られる。


 十年前、あの忌々しい事件がなければ、アレクシアが異形を殺し尽くす職務につくなどありえなかっただろう。だが、今となっては、アレクシアはその出来事に感謝さえしていた。最初は復讐心と正義感だった。しかし、それはいつしか愉悦を求めるものに変わっていった。


 いつ、楽しみを覚え始めたのかについては、遠い出来事のようで覚えていない。自分の三倍は身の丈がありそうな魔獣の頭を踏み潰した時だろうか。自身の奪った命を数えることもせずに愚かにも命乞いをしてきたワーウルフの腸を引きちぎってやったときだろうか。思え返せばきりがない。どれも素敵で、綺麗で、きらびやかで、素晴らしい記憶の数々だ。


 次はどんな素敵な戦いとなるだろうか。


 そのことに思いを馳せるだけで、アレクシアの心は躍り、自然と顔が笑顔を形作るのであった。

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