第四話:公爵家からの招待
「あら、ロビン。帰ってきてたの」
ウィンチェスター子爵との親子の語らいを終え、執務室を退室し、自身に充てがわれた小さな部屋に向かうロビンに、ウィンチェスター子爵の第二夫人、カリーヌ・ウィンチェスターが声をかけた。
正直、この人は苦手だ。ロビンは心の中で苦虫を噛み潰したような顔をした。幼い頃、この女性から向けられた、まるで虫でも見るかのような瞳が今でも忘れられない。とはいえ、ロビンの尽力によって、二人の関係はなんとか普通に会話する程度の状況にまで改善してはいたのだが。
「ご無沙汰しております。学院が式典のために長期休暇に入りまして」
「学生の身分はいいわね。私も息子に会いたいわ」
カリーヌの息子。ウィンチェスター子爵の次男と三男がそれにあたる。長男は王家直轄領に点在する関所の一つに、三男は王家直轄領のとある村の衛兵として今は働いている。ロビンと比較すると優秀でもなんでも無い兄たちである。大した仕事に就けないのは当然であった。
「兄上達は、職務に励んでいると窺っています。国を守る大切な仕事ではないですか?」
「国を守る、大切な仕事、ねぇ。私はあの子達が不憫で仕方ないわ。あんなつまらない仕事にしか就けないなんて」
それは、貴方の息子がボンクラだからです、とは口が裂けても言えない。とはいえ、何を返していいのかわからなかったため、とりあえず愛想笑いでごまかした。
「でも、ロビン。貴方があの子達のサポートをしてくれる、ってそう信じているから、ある程度は安心しているのよ。貴方の知恵を、あの子達に貸してあげて頂戴ね」
ロビンが小さな頃から必死で築き上げたもの。「知恵物で、それでいて邪魔者にならない」、そんな印象操作が確かに功を奏していた。実力は兄達には及ばない。だが、頭は切れる。それがロビンが周囲に与えようとした印象なのであった。
「勿論ですよ。兄上達の補佐。それが僕の最大の使命ですから」
ロビンのその言葉に、気を良くした第二夫人がにっこりと笑う。この笑顔については、今でも苦手だ。確かに美しい。もう四十にも差し掛かろうとしているその年齢を感じさせない、なんとも美しい微笑みであった。だが、その美しさが彼にとってはトラウマのひとつなのであった。
では、ごきげんよう、ロビン、とだけ告げて、カリーヌが鼻歌を歌いながら去っていく。カリーヌが曲がり角を曲がり、見えなくなったのを確認してから、ロビンは小さくため息を吐いた。
「あら、カリーヌにいじめられた?」
油断していたところに背後から掛けられた声に、ばっと振り向く。今日はなんて不運なんだろうか。ウィンチェスター子爵の第一夫人、グレイナ・ウィンチェスター、その人であった。
カリーヌも苦手であるのは間違いないが、ロビンはこの女性について、カリーヌ以上に苦手意識を持っていた。自分の父親が、どうして二人を結婚相手として選んだのか、その理由が全くもって理解できない。
「ご無沙汰しております。グレイナ様。別にいじめられてはいませんよ。兄上達をよろしく、とお願いされただけです」
「ふぅん。私の息子のことも、当然よろしくしてくれるのよねぇ?」
ニコリと笑いながら、グレイナがロビンを睨めつける。この瞳である。カリーヌも同様だが、彼女はそれ以上。この瞳がどうしても好きになれない。
「勿論ですよ。兄上の補佐が僕の使命ですから」
ロビンはカリーヌに告げた内容をそのままグレイナにも答える。その言葉に、少しだけ満足気な笑顔を彼女が浮かべる。
「よろしい。そのように自身の立場を弁えているのなら、私からはなにもありません。精々精進いたしなさい」
歯に衣着せない、そんな言葉に、ロビンはやはりただただ愛想笑いをするのであった。笑顔のまま数秒ほどじろりとロビンを睨めつけて、では、と告げ去っていった。
「……疲れる……」
本来心休まるはずのこの実家という空間で、ロビンは安心して日々を過ごせた試しがなかった。この時ばかりは、どうしても自分の出自を呪ってしまう。
気を取り直して、ロビンは自身の部屋に向かうのであった。
ロビンは自室に戻り、貴族の子供にしては質素なベッドに寝転んでいた。自室に戻ってから数時間程が過ぎている。もうすっかり夕暮れどきであった。ぼんやりと、今日は疲れたな、等と考えていると、突如乱暴な音で扉がノックされた。
「えっと、どうぞ」
ロビンがノックに答えると、息を切らして入ってきたのは、彼の父親だった。
「どうしたの? 父さん」
「ろ、ろ、ろ、ろ」
「ろろろろ?」
「ロビン! お前、本当に何をやったんだ!?」
ウィンチェスター子爵が一枚の手紙を差し出してくる。差出人は、グレゴリウス・ジギルヴィッツ。ジギルヴィッツ公爵、その人である。
ロビンは混乱した。確かに、招待されるとは聞いていた。だが、ジギルヴィッツ公爵その人から手紙が送られてくるとは露ほども予測していなかったのである。
「公爵から手紙が送られてくるなんで異常事態だぞ!? 私はカーミラ様から送られてくるとばかり!」
「父さん、落ち着いて! 僕も同じだから! 同じく混乱してるから!」
手紙の封は開けられていない。飽くまでロビン宛であるからだ。何のつもりだろう。招待状なら、カーミラが送ってくればいいではないか。兎にも角にも、ロビンは手紙の封を開け、内容を検める。
「えぇっと……。
『はじめまして、ロビン・ウィンチェスター君。私はグレゴリウス・ジギルヴィッツと申します。突然のお手紙に大変驚いていることだろうと思います。なので先にまず謝っておきます。ごめんなさい。カーミラから色々と話を聞きました。カーミラから、我が家へ招待したいと前もって伝えて貰っているはずだけど、ちゃんと伝わってるかな? この手紙は、その件について正式にご招待するという意味の手紙だよ。君の立場が色々と複雑だっていうことはカーミラから聞いている。だから、変に横槍が入らないようにこの手紙をウィンチェスター子爵に向けて届けたんだけど、もしかしたら迷惑だったかもしれないね。改めてごめんなさい。
ところで、学院でカーミラが大層世話になったみたいだね。君の口から、学院でのカーミラの様子や、王女殿下から命ぜられた様々なことについて直接話を聞きたいんだ。
幸い、ウィンチェスター領と、ジギルヴィッツ領はそんなに離れていない。三日後にカーミラが迎えに行くと思うから、娘と一緒に我が家まで来てくれないかな?
急なお誘いで大変申し訳なく思っているよ。でも移動やら諸々はカーミラが全部上手いことやるはずだから、万事心配しないで待っていてほしい。
王宮で一度会ったけどゆっくり話はできなかったからね。会ってゆっくり話ができるのを楽しみに待っているよ』
だって」
ウィンチェスター子爵がロビンに向かい合う形で、手紙を覗き込む。逆さまになっていても存外人間というものは文字をちゃんと認識できるものである。子爵は手紙の内容を読み上げるロビンの声を耳に入れるまでもなく、内容を検め、そして何やら複雑そうな顔をし始める。
「……ロビン。王女殿下に命ぜられた様々なこととは一体何だ?」
「えっと……機密事項、ってやつになるのかな?」
「……王宮に行ったのか?」
「の、ノーコメントで」
ロビンの言葉に、ウィンチェスター子爵が頭を抱え始めた。自分の息子が何やらろくでもないことに巻き込まれているのはなんとなく予想していたのだが、まさかそれが王宮やら王家やらが関わっているとは全くもって予想していなかったのである。
父の様子を見て、ロビンはあの人の良さそうな公爵に、なんでこんな手紙送ってきやがったんだ、と心の中で毒づいた。機密事項も何もあったものじゃない。
「ってか、三日後って……」
カーミラどうやって三日でここまで来るつもりなんだろう。ロビンは首を傾げた。そして、数秒ほど考えて、あぁ、と思い当たった。魔法を使うつもりなのだろう。魔法を使えば、ここまで一瞬で転移することができる。マナ切れが心配だが、転移程度であれば空っぽになることは無いだろう。最悪マナ回復のポーションをがぶ飲みすれば事足りる。
ずうっと頭を抱え続けていたウィンチェスター子爵が絞り出すように、呟く。
「なるほど……理解した。ジギルヴィッツ公爵も、粋なことをなさるものだ」
「どういうこと?」
「これはだな。ロビン、お前宛の手紙でありながら、私宛の手紙でもあるんだよ。明言はしていないが、『息子さんが大変な事態に巻き込まれていますよ』と、言外に知らせてくれているんだ。カーミラ様が王女殿下に何かを命ぜられるのは別に不思議でもなんでも無い。公爵家の娘だ。王家と繋がりがあって当然。勿論命令の内容にもよるがな。それと、お前が王宮にいた、というのも少し調べればわかることだ。秘密でもなんでもない。……だがそれらを合わせると……」
子爵が大きくため息を吐いた。
「ロビン。大事なことを私に話していないだろう。全く」
「いや、だって話せないよ。話すな、って言われているもの」
もうそれは、喋ってしまっているのとほぼ同義なのだが、公爵からの手紙である程度ことのあらましが父親に想像されてしまっている以上、隠し立てする必要もない。話すな、と言われている、その事自体は秘密でもなんでもないのだ。話すなと言われたその内容が秘密なだけで。
「そりゃそうか……。とにかく、お前がなにやら大変な事態に巻き込まれ始めている、というのはよく分かった」
子爵がロビンの頭をぐりぐりぐりと力強く撫で付ける。いた、いたい、とロビンがその手を振り払おうとするが、中年男性の力はロビンの想像以上に強い。
「どんな帰結になろうとも、私はロビン、お前を応援する。だけど約束だ。何もかもが終わったら、必ず無事に帰ってきなさい。必ず元気な顔を見せなさい」
約束だ、と子爵がその灰色の瞳でロビンをじいっと見つめる。
「このことは、カリーヌにもグレイナにも言わないほうが良いな。ようやくお前の立場が安定し始めてきたのに、それをわざわざ乱すこともあるまい」
「あ、それはありがたいよ」
「今まで、お前の微妙な立場には何もしてやれなかったからな。これぐらいはさせてくれ」
ウィンチェスター子爵は、ぐりぐりとロビンの頭を撫で付けていた右手をゆっくりと手放すと、ではな、と言ってロビンの部屋から出ていった。
「しかし、三日後、か」
どこに転移してくるつもりなんだろう、とロビンは少しだけ首を傾げた。
そして三日後。ロビンは自室でダラダラしていた。あぁ、そう言えば今日カーミラが来る日だっけか、と思いながらもダラダラしている。身支度は整えている。ジギルヴィッツ公爵家にお邪魔するための荷物の整理等も昨日のうちに終わらせていた。
また、筋力強化の鍛錬は、アレクシアに言われたとおり時間を見つけては毎日欠かさず続けていた。このことが、もう居なくなってしまったアレクシアと自分を繋ぐ唯一のものだと感じるのだ。
兎にも角にも、そんなふうにぼーっとしていると、乱暴に扉がノックされる音がロビンの耳朶を打った。ロビンが返事をする間もなく、バタン、と扉が開けられる。ロビンが帰ってきた時に迎えてくれた使用人の女性だ。
「ろ、ろ、ろ、ろ、ロビン坊ちゃま!」
「……うん、なんとなく想像できた。カーミラが来たんでしょ?」
「そそそそ、そうです、ジギルヴィッツ公爵家のご令嬢が!!!」
「うん、わかってる。父さんを呼んできてくれる? 今すぐエントランスに来てって。カリーヌ様とグレイナ様にはくれぐれも内緒で」
ロビンが使用人に微笑みかけながら、父を呼んでくるように、そして子爵夫人らには内緒で、と指示する。今は朝方。カリーヌもグレイナも今の時間であれば、ダイニングで朝食を取っているはずだ。勿論ウィンチェスター子爵も一緒に。だが、幼い頃からロビンを気にかけ、色々と気を利かせてくれる目の前の女性であれば、こっそりと子爵に耳打ちをして、そして確実にエントランスまで連れてきてくれるはずだ。
「か、かしこまりました」
足早にロビンの部屋を出ていった使用人を見送って、ロビンは昨日支度した荷物を、よっこらせ、っと持ち上げる。
エントランスまではそんなに遠くない。ロビンは足早にエントランスに向かう。
二階からエントランスに降りる階段をゆっくりと下ると、見慣れた白銀の少女の姿が見えた。父親に強引に彼女に対する恋心を自覚させられたロビンとしては、なんとも気まずいことこの上ない。だが、そんなことは心の奥底に追いやっておく。
「や、やぁ、カーミラ。お待たせ」
あ、だめだ。心の奥底に追いやったはずの感情はその実追いやることはできなかったようである。ロビンはどもりつつもカーミラに待たせたことに対する謝罪を述べた。
「遅いわよ。ロビン」
「ご、ごめん、ごめん」
そんなふうに他愛もない挨拶を交わしていると――当然ロビンとしては色んな意味で緊張しまくっていたのだが――、息を切らしたウィンチェスター子爵が駆け寄ってきた。
「カーミラ・ジギルヴィッツ様。ようこそ、我がウィンチェスター子爵家の邸宅にお越しくださいました」
子爵が跪き、カーミラに挨拶を述べる。
「ウィンチェスター子爵。父からお手紙をお送りしたとおり、数日ほど息子さんをお借りしていきますわ。あぁ、そんなに畏まらなくてもいいですわ。ロビンのお父様。ロビンと私はお友達。お友達のお家にお邪魔するのって、そんな大仰なことではないと思いますの」
その言葉に、ウィンチェスター子爵は顔をゆっくりと上げる。ほう、と思わずため息が漏れた。噂には聞いていたが、これほどまでに美しい少女であるとは思わなかった。百聞は一見にしかず。まさにその通りである
「愚息を、何卒よろしくお願いいたします」
「えぇ、勿論です。お客様として手厚く遇することをお約束させていただきますわ」
カーミラがニッコリと微笑むと、ロビンの方を向く。
「じゃ、ロビン、行くわよ。戴冠式まで時間がないの。さっさとウチに来てもらわないと、色々と計画がおじゃんになっちゃわ」
「計画がなんなのかは知らないけど、時間が無いっていうのには賛成」
では、子爵、ごきげんよう、と公爵令嬢らしい微笑みを浮かべ、一礼する。そして、二人はウィンチェスター子爵の邸宅を後にするのであった。
「ロビンめ。あんな美少女から好かれているとは……」
隅におけんな、あいつ、と子爵がひとりごちた。
数秒ほどぼうっと立ちすくみ、まだ朝食の最中であることを思い出して、足早にダイニングへ戻る。ロビンが公爵家に呼び出された。そのことは彼の妻たちには内緒にしておかなければならない。なんと言い訳すればいいのか考えれば考えるほどに、彼の足取りは少しだけ重くなるのであった。
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