第三話:父との会話

「えっと、最初に言っておくけど、全部は話せないよ」


「あぁ、なんとなくだが、そんな気はしている。話せる範囲で話してみろ。私はお前の話を聞きたい」


 ロビンは何から話してよいか、少しばかり悩んだ。カーミラが血を啜る姿、その姿に相まみえて、そして全てが始まったのだ。だが、そんなこと話していいわけがない。


「……女の子に会ったんだ。えっと、カーミラって子」


「ジギルヴィッツ公爵家だな。うむ、聞いてるぞ。さすが私の息子だ」


 あんな美しい少女とお知り合いになるなんて、自分の血筋を確かに感じる。そう思った。ウィンチェスター子爵が若い美空だったとしても、放ってはおかないだろう。爵位の差など関係ない。女性とは愛でるものだ、愛おしむものだ。そこに身分の差などあってはならない。ジギルヴィッツ公爵家の次女、その少女の美しさは王国中の貴族が知るところである。


 ウィンチェスター子爵は鼻高々であった。


「で? どこまでいったんだ?」


「ど、どこまでって……」


「なんだ、キスぐらいはしてないのか? 父さんなら、間違いなく抱いてるな」


 不敬罪でしょっぴかれること間違いないがな、はっはっは、と豪快に笑う。ロビンはこの暑苦しく、豪快で、そして女性にだらしない父親のことが、大っ嫌いで、そして大好きだった。一見矛盾した感情のように聞こえるかもしれない。しかし、彼の中でその矛盾した感情が確りと同居していた。


 キスぐらいはしてないのか? という父親の質問に、忘れかけていた雪山での出来事が思い出される。


「えっと……えぇっと……その。キ、キス、された」


「された!? キスを!? うーん、あんまり感心はしないな。そういうものは、男の方からやるものだぞ、ロビン」


 本当に何を言っているのだろうか、この父親は。ロビンは心の底から困った顔をする。


「い、いや。いくらなんでも身分違い過ぎるよ」


 ロビンのその言葉に、ウィンチェスター子爵は、はーっ、っと深いため息を吐く。


「いいか、ロビン。美しい女性というのは、誰にとっても平等なものだ。身分の差など関係ない。マリアを私が抱いて、お前が生まれたように、愛に身分など関係ないんだ」


「い、いや、きっとなんかの間違いだよ」


「……ロビン。父さんも、そこまでお前が鈍感だと呆れざるを得ないぞ」


 父が呆れきったような顔でロビンを見つめる。女性からキスをされたのだ。普通はありえない。女性から男性にキスや、それに近い行為をする時、それは女性が並々ならぬ好意を抱いている、その証拠に他ならないのだ。少なくとも、ウィンチェスター子爵はそのような人生哲学を抱いていた。


「いいか? 結婚するとかしないとか、そういうことは関係ない。ロビン。お前は一人の女性に恥をかかせたんだ。分かるか? カーミラ様は、きっとお前を好いている。父さんには分かる!」


 何もそこまで力強く断言しなくても、とロビンは思った。だが、目の前の父親の言うことも一理ある。ロビンも、あの夜カーミラがどうして自分に口づけなどしたのか、ずうっと疑問に思っていたのだ。しかしそこはそれ、ロビンはカーミラが自分のことを好いている、という仮説には至らなかった。朴念仁ここに極まれり、である。


「ロビン。人の顔色を窺うことがお前の特技であることは、父さんはよーく理解している。だがな、なんでこと愛という人間にとって至上なものになると、お前はそう鈍いんだ。父さんは悲しいぞ」


 おーいおい、と泣く振りをし始めた。その様子を見て、ロビンは、この親父、僕をからかって遊んでるな、と少しばかり憤慨した。


「常識的に考えて、僕がカーミラになんかするわけにはいかないでしょ」


「違う! 違うぞロビン! さっきも言っただろう! 愛に! 貴賤は! 無いのだ!」


 あぁ、うるさい。大声で叫び顔を近づける父親に、ロビンは耳を塞ぎ、顔をしかめた。本当に暑苦しい父親である。


「アリッサちゃんとはどうなんだ? キスぐらいはしたか?」


「父さん……なんでそんなに僕の恋バナを聞きたがってるの? アリッサともなにもないよ。身分違いでしょ」


「だからだなぁ……」


 父さんなら、あんなウェルカムな態度を取られたら次の日には抱いてるな、うん、とボソボソと呟く父。分かり合えない。こと恋だの愛だの、そういう方面の話において、この親子は全くの平行線であった。


「まぁ、いい。お前が男の顔になった理由は父さんにはなんとなく想像がつく」


 先程までなんてことだ、と言わんばかりの表情を浮かべていた子爵が、一転してニヤリと笑いながらロビンを見つめる。


「カーミラ様、だろ?」


 本当に、母親も母親だが、父親も父親である。どうしてこうも鋭いのだろうか。ロビンは苦笑いを浮かべた。


「まぁ、そんなとこ」


「成長したな。ロビン」


 子爵がニコリと微笑む。息子の成長を心から祝う、そんな顔だ。


「思えば、私はお前にとって良い父親ではなかったのかもしれない。まず、お前をこの世に生み出してしまった、そのことが父さんの大きな後悔だ。お前のことを愛していないわけじゃないぞ? だがな、生まれてきて不幸になることが約束されている者を、どうやって祝福してやれば良いのか、終ぞわからなかった。悪かったな」


「いや、父さん。僕は父さんの息子で良かったと、今は心から思ってるよ」


 確かに、とロビンが続ける。


「正直に言うと、昔、小さい頃は、父さんを恨んだりもした。なんで僕を作ったんだって。僕は何のために生まれてきたのかって思った。でもさ。今は違うんだ。僕を守ってくれる人が居た。僕に笑ってくれる人ができた。今はそれだけで、生まれてきてよかったと思ってるんだ」


 なんだか言ってて恥ずかしくなってきた。もっと恥ずかしい、「カーミラと会えた、それだけで生まれてきた意味はある」、そんな内容の台詞は心にしまっておいた。ロビンは少しだけ顔が赤くなるのを感じる。


 そんなロビンの言葉に、ウィンチェスター子爵がぼろぼろと涙を流し始めた。男泣きというやつである。実に暑苦しい。


「うぅっ、うぅっ。ロビン! ぼんどうに! ヴぁるがっだ! どうざんを! ゆるじでぐれっ!」


「父さん、父さん、鼻水が」


 ロビンは自身の父親を宥めすかすのに、実に数十分の時間を費やしたのだった。






 それから、ロビンは学院での生活について父にかいつまんで報告をした。話せないところは当然あるため、そこは伏せながら。


「色々あったんだな」


「まぁ、色々あったよ。でもなんとかやってる」


 ひとしきり、不都合が生じない範囲で父親に報告を終えたロビン。そんなロビンを見て、やはりウィンチェスター子爵は、息子の成長が嬉しくて嬉しくてたまらなくなってしまうのであった。


「カーミラ様、アリッサちゃん。それにヘイリー様とエイミーさんだったか。どの子が本命なんだ?」


「だから、父さん、そういう話じゃなくて……」


「当ててやろうか? カーミラ様だろう?」


 ウィンチェスター子爵は学生だった頃から、様々な女性と浮名を立たせた猛者である。その経験はロビンとは比較しきれない。子供達の恋模様なんて、彼からすると実にわかりやすいものであった。ただ息子から話を聞いただけ。それだけで、事の本質を確りと見抜いていたのだった。


「っ!? べ、別にそういう感情は」


 途端に慌て始めるロビンに、子爵がいつになく真面目な顔を彼に向ける。


「ロビン。私は吐いてはならない嘘というのが世の中には幾つかあると思っている」


 子爵が、ロビンの方をがっしりと掴んで、そして真剣な眼差しで彼の瞳を見る。


「その中でも一番吐いてはいけない嘘は、自分に向かって吐く嘘だ」


 そう、自分に嘘を吐く。それは誰しもがやりがちな嘘であり、そして何よりも罪深い嘘なのである。自分らしくあれ。自分に正直であれ。それもウィンチェスター子爵の人生哲学の一つなのであった。とはいえ、自分に正直過ぎた結果、痛い目を見たことも数しれないのだが。


「いいか、息子よ。お前は嘘を吐いている。他でもない自分自身にだ。カーミラ様のことが好きなんだろ?」


「好き、って……そんなこと考えたことも」


 うーむ、重症だ、と子爵は思う。ロビンはその生まれもあり、自分をとかく無価値だと断ずる癖がある。その悪癖については、彼にも多いに思うところがあった。だが、そうしてしまったのは自分である。その負い目から、今まで何も言えずにいた。


「……じゃあ、質問を変えよう。カーミラ様が、他の男とキスしたり、抱き合ったりしているのを想像してみなさい。決して美男子だとか、人格者だとかそういう男を想像するんじゃないぞ。チャラチャラしてて、だらしなくて、見るからにカーミラ様を不幸にしそうな男を想像しろ」


「……うん」


 ロビンが想像したのは、他でもない目の前の父親であった。


「どんな気持ちだ?」


「……なんだか、ムカムカしてきた」


「それが、お前がカーミラ様に恋をしている証拠だ」


 ウィンチェスター子爵が、ゆっくりとロビンの肩にかけていた手を離し、そして彼の尻をバシンと叩く。存外の強さで放たれたその平手に、ロビンは思わず、いてっ、と叫んだ。


「アリッサちゃんは気の毒だがなぁ」


「なんで、アリッサが出てくるのさ」


「アリッサちゃんは、お前のこと、本気で大好きだぞ? 多分愛してる、までいってる」


「はぁ!? ただ、僕のことからかって婚約者だ、婚約者だって言ってるものだとばかり」


 本当にこの息子は、どうしようもない。子爵は本日何度目かわからない大きなため息を盛大に吐いた。


「ロビン……お前、それはアリッサちゃんが不憫すぎるぞ。お前はもうちょっと男女の機微だとか、そういうものに敏感になりなさい」


 話している内容が内容だけに、素直に首を縦に振れない気持ちもあるが、いつになく真剣な父親の視線に、ロビンは思わず肯定の返事をした。


「……えっと、はい」


 子爵がニッコリと笑って、満足気に頷く。


「王国は一夫多妻制だからな。別にカーミラ様が第一夫人で、アリッサちゃんが第二夫人でも全く問題ないんだぞー」


「いや、だから身分差が」


「そんなの、ぶち壊してやりなさい。王国の慣例だとか、身分だとか、世間体だとか気にする必要はない。そんなことを指摘してくる輩がいたら、父さんがぶん殴りに行ってやる。例えそれで、私がしょっぴかれても、そうする」


「な、なんでそこまで」


 ニコニコと微笑みながら、子爵がゆっくりと告げる。


「父さんが、私が、私なりにお前を愛しているからだよ。お前は幸せになる権利がある。今まで幸せな人生とは言えなかっただろう。それは私の責任だ。本当に申し訳なかった。だけどな、だからこそ、好きな人ぐらいは、お前のその手に収めて欲しいんだよ」


 だから、と子爵が続ける。


「まずは、言いなさい。『僕はカーミラのことが好きです』。はい!」


「えっ!? えぇっ!?


 いきなり何を言い始めるんだろう、この父親は。ロビンはもう話があっちこっちにいく、この父親との会話に混乱しっぱなしだった。


「『僕は! カーミラのことが! 好きです!』。はい!」


「ぼ、僕は、カーミラのことが……」


 言いよどむ。それを言ってしまうと、取り返しがつかない。そんな気がした。


 だが、答えはもう出ていたのだ。それは、初めて出会ったあの夜からだったのかもしれない。確かにロビンはカーミラに恋をしていたのだ。今でも受け入れられない。いや、受け入れてはいけない気がする。でもたった今、その彼も気づいていなかった感情を、父親の言葉によって強引に気付かされてしまった。気づくのに随分とかかった気がするのは誰しもが思うところなのではないだろうか。


「……好きです」


 言ってしまった。あぁ、言ってしまった。言ってしまったのだ。何度も自分に嘘を吐き、そしてごまかし続けた、そんなささやかな想い。身分違いだ、と。釣り合わない、と。そう切って捨てていた、その仄かな想いを。


 ウィンチェスター子爵はその余りある経験から、ロビンの恋心、それをはっきりと自覚させたのであった。


「うん、それでこそ、私の息子だ。いいか? 絶対にモノにしなさい」


「モノにしなさいって……」


 子爵のなんとも極端な意見に、ロビンが思わず呆れた顔を浮かべる。


「いいから! 恋には何もかもが関係ないんだ!」


「えぇっと……はい」


 勢いに押し負けて、頷いてしまった。もう後戻りはできない。いや、この父親が許してくれないだろう。


「結末がどうあれ、父さんはお前を応援する。頑張れ」


「あ、ありがとう?」


「どういたしまして」


 父親がにっこりと笑う。それにつられて、ロビンも思わずニコリと微笑む。苦笑いではあったが。


「あ、ところで、ジギルヴィッツ公爵家にお呼ばれされてるんだけど、行っていいかな?」


 話の流れを完全に無視して放たれたその言葉に、ウィンチェスター子爵が愕然とする。


「な、な、な、な」


「なななな?」


「なんでそれを最初に言わないんだー!」


 何をすればいい? 親御さんに挨拶!? 正礼服を着て、髭も剃らねば! 等と飛躍した言葉を発し始めた目の前の父親に、ロビンは笑顔を引っ込めて、呆れ顔でため息を吐いた。


「あのね、父さん。そんなんじゃないって」


「え? 結婚のご挨拶にいくんじゃないのか?」


「確かに、僕はカーミラのことが好きだけど……。いや、そうじゃなくて……。とにかく! そんなんじゃない! もっと、こう、気軽な、そんな感じ」


「そうか、父さんは思わず自分の息子が早くも行くところまで行ってしまったのかと思ったぞ」


 本当に恋愛の話になるとうっとおしい男だ、とロビンは心中で嘆息する。だが、それも、それでも、その男は彼の父親なのである。そんな父親を疎ましくも思い、そして好ましくも思った。


「是非もない。行ってきなさい。失礼のないようにな」


「そりゃ、失礼なんてしないよ」


「チャンスをモノにするんだ! ロビン!」


「だーかーらー」


 父と子の会話は、その後もこの調子で数時間程続いたという。ロビンの精神的な何かがガリガリと削られていったことは言うまでもないだろう。

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