第六話:遭遇

 その後、何度か野獣を危なげもなく蹴散らしつつも、一行は開けた場所に出た。色とりどりの花が咲き誇り、まるでその場所だけなにかに守られているようでもあった。


「森の中にこんな場所があったのね」


 カーミラが、うっとりとした声を上げる。確かに、この場所は美しい。ロビンとグラムもそれに頷いた。


 アリッサは輝くような笑顔で、薬草の採取を始めている。あっちへ行ったりこっちへ行ったりと忙しい。花より団子ではないが、綺麗な風景よりも、実利を取っているようだ。


 そろそろ昼食時だ。これくらいだったら全然ピクニック気分でもよかったかも、とロビンは一瞬思案するが、あのときはあのときで妥当な判断をしたのだ。カーミラに対するちょっとした罪悪感を振り払った。


「そろそろお昼にしようか、カーミラ、持ってきた食事を皆に配ってあげて」


「了解よ」


 カーミラが持ってきたのは、干し肉と硬めのパン。実用重視で、危険な場所ですぐにお腹を満たせるように考え抜かれたものだ。私はまだいい~、と採集を続行しようとするアリッサを無理やり引っ張ってきて、隅の方に手頃な倒木を見つけ、四人で腰掛ける。


「私はまだいいのに……」


 干し肉をかじりながら、アリッサがロビンを恨めしげに睨めつける。


「いざというときにお腹が減りました、だと危ないでしょ。素材は逃げないから今は食事だよ」


「はぁい」


 ロビンはもそもそとパンをかじる。意外といけるな。さすがリシュフィール学院が誇る料理人だ。実用重視ではありつつも、中にレーズンやくるみが練り込まれており、味に食感に飽きが来ない。


 カーミラもこのような食事は初めてだったようで、百面相しながら、パンをちぎっては食べちぎっては食べしている。


「ところでよ」


 干し肉を飲み込んで、グラムがアリッサを見た。


「アリッサはどんな魔法薬を作ってるんだ?」


 ふふん、とアリッサが胸を張った気がした。同世代のそれよりも豊満な胸が強調され、カーミラが少し羨ましげにそれを見た。


「基本は治癒のポーション。その他にもマナ補充のポーションとか、スタミナ回復のポーションとか。あとは依頼次第なところかなぁ」


「依頼もくるんだ」


 ロビンは少し驚いた。魔法薬の依頼が来るということは、それ相応の実力があると市場に認知されているということである。


「馴染みの魔法薬店からたまにね。変身薬とか、透明になる薬とか。あと睡眠薬とか幻覚剤なんかも多いわね」


 幻覚剤に関しては自分で使おうとは思わないけど。アリッサが水筒を取り出して水を飲みながら付け足す。


 幻覚剤。飲むと基本的には幸せな幻覚が見えたり、気分が向上したり、幸せな夢がみれたり、いわば麻薬の一種である。薬草や、毒キノコなどから作るのが一般的だが、そちらは依存性が高く、法律で禁止されている。ただし、魔法薬である場合は別だ。依存性は少なく、効果も一時的なものでコントロールが効くため、魔法薬の場合のみ嗜好品として国に認められている。


「幻覚剤については、作っててあんまりいい気分はしないけど、結構良い商売になるの。なんでも、王都辺りで急速に需要が高まってるんですって」


「なんだか世知辛い情報のような」


「幻覚剤でも飲まないとやってられないって人が増えたってことだからね」


 だから作っててあんまりいい気がしないの、とアリッサは首を横に振ってみせる。同感だ。ロビンは王都の現状に思いを馳せ、そしてやめた。


「あ、あとね、たまーにだけど媚薬の依頼なんてのもくるよ」


「それって違法じゃねぇのか?」


「限りなくグレーゾーン。最初に見た人を強制的に好きになっちゃう~、とかそういうのは法律でだめってなってるけど、ちょっとむらむらするな、とかその程度ならね。

 店長……あ、いつも薬を卸してる魔法店の店長のことね、が言うには、中年の男性とかがよく買っていくんだって」


 なんでなのかしらね~、ニヤニヤしながらアリッサがロビンの方を向く。そんなの男性機能の衰えの改善に決まってるじゃないか、こっちを見るな、はしたない。ロビンは手を上下に振ってアリッサの視線を追い払った。しっしっ。


「媚薬、欲しいならちょっと分けてあげることもできるけど……」


 アリッサは皆を見回す。


「必要そうな人は誰もいないね」


「思っててもそんな悲しいことは言うもんじゃねぇよ」


 グラムが眉をしかめる。


「私とロビンは相思相愛だから必要ないし」


 ちょっと待て、いつ相思相愛になった。自称婚約者にロビンは頭を抱える。


「カーミラはそんなの使わなくても、可愛いから問題なし!」


「えっと、ありがとう?」


 カーミラが干し肉を口からぶら下げながら、困った顔をする。


「グラムは~……ノーコメントで」


「うるせぇよ、ほっとけ」


 ぶん殴るぞ、と凄むグラムを傍目に、グラムも品性とか喋り方とかさえなんとかすれば顔は整ってるからモテモテになるんだろうけどな、ロビンは思案する。考えてみれば、一番顔が平凡なのはロビンだけだ。そのことに思い至って、ロビンは少し悲しくなった。


「さって、食べ終わったし、採集さいかーい」


 アリッサがいち早く食事を終わらせ、また薬草を採集するために走り去っていく。結構歩いたはずだし、何回か野獣と対峙したりもしたはずなのに、あの元気はどこから湧いてくるのだろう。


「アリッサってなんであんな元気なの? 僕もう疲れたんだけど」


「ロビン、それはお前体力枯れすぎだぞ」


 もうちょっと運動しろ、運動。グラムがロビンの腰をバシンと叩く。それを見てカーミラが、アハハ、と笑った。


「私、友達と一緒にこんなところに来れるなんて夢みたいなの。今すごーく楽しいわ」


 カーミラがロビンの方を向く。


「ロビン、ありがとう」


「えっと……」


 そこまではっきりとお礼を言われると恥ずかしくなってくる。グラムがニヤニヤしながらロビンを横目で見遣る。


「僕はそんな大したことはしてないから……お礼なんて」


「多分全部ロビンのおかげよ。少なくとも、私はそう思ってるわ」


 だから、ありがとう、とカーミラは微笑む。ロビンはなんだかくすぐったくなって、髪の毛を掻きまわした。


「……えぇっと、僕アリッサの手伝いしてくるね」


 ロビンは残りのパンを口に放り込むと、そそくさとアリッサの方へ走り去っていった。ゆっくりと食べていたカーミラと、食事は終わらせたが、ただだべっていたグラムが残される形となる。


「あいつさ」


 グラムが空を見上げながらカーミラに話しかけた。


「貴族の誇りとか全然もっちゃいねぇし、何かって言えば本ばっかり読んでるし、ぼんやりしてるようで周りの人間をすげぇ的確に観察してたりとかして、本当に変わり者なんだよなぁ」


「それは、ちょっとだけわかるかもしれないわね」


 カーミラはロビンと出会った夜を思い出す。君は人を傷つけるようには見えない。その言葉は深くカーミラの心のなかに突き刺さっていた。カーミラは不安だった。自分がいつか自分の意思とは関係なく人を傷つけてしまうのではないかと。勿論、今カーミラの周りにいる人間は皆カーミラを残して死んでしまうだろう。一人ぼっちを選んでいた理由にはそれもある。それ以上にやはり怖かった。自分が誰かを傷つけてしまうこと。吸血鬼の本能とやらがあるのかはわからないが、いつか人を襲って血を吸ってしまいたくなってしまうんじゃないかということ。


 それを全てぶち壊してみせたのが、ロビンの一言だった。変わり者じゃなければ出てこないだろう。ただ、それを思い出すだけでカーミラは優しく、赦されたような気持ちになって自然と笑顔になってしまうのだ。


「俺は、あんたがロビンの友達になってくれて良かったと思ってるよ。あいつの出自は知ってるだろ?」


 本人も隠す気は一切ないしな。と、グラムが付け足す。


「そもそも、そこから変わり者なんだよな。普通は恥ずかしがったり、隠したがったりするもんだろ? あいつ全然気にもしてねぇでやんの。学院卒業したら、商人にでもなるかなぁ、だってよ、笑えるよな」


「確かにそうねぇ」


 ふふ、とカーミラが小さく笑いをこぼす。


「だから、もう一回言うけど、あんたがロビンの友達になってくれて良かったと、本当に思ってるんだよ。カーミラ。あんたはロビンの強い後ろ盾になる。ロビン自身はそんなこと全然考えてないだろうけど、きっとロビンが本当に困ったときに助けてやれるのは、カーミラ、あんただ」


 俺じゃちょっと力不足だしな。グラムはバツが悪そうに頭を掻いた。


「口が悪くて、品性のかけらも感じさせないのに、すごーく友達思いなのね」


「口が悪くて、品性のかけらも感じさせないのに、は余計だ」


「ふふ、ごめんなさい、でも貴方もロビンのすごーくいいお友達ね。私は貴方ともお友達になれてよかったと思ってるわよ」


 そりゃどーも、とグラムは話を切り上げて、地面に横になった。


「帰りのために少し休むわ」


「どうぞ、私はここでロビンとアリッサを眺めてることにするわ」






 日が傾き始めた頃、アリッサの採集は無事終了した。途中で野獣に襲われることもなく、大量の素材を袋に詰め込んで、アリッサはホクホク顔だ。


 この場所が結界に守られているようだ、と着いたときに考えたが、あながち間違いではなかったのかもしれないな。ロビンは帰りの荷支度を済ませる。


「ありがとー! 無事、一ヶ月分くらいの素材が採集できたわ!」


「それは良かったわね」


「ロビンも、途中で手伝ってくれてありがとね」


「どういたしまして、じゃあ、そろそろ帰ろうか」


 帰るまでが、遠足です、とも言うしね。ロビンはグラムが傷つけた木の方を見遣る。グラムのおかげで、帰り道も迷うことはなさそうだ。


「まぁ、ここまで来るときもそんな大変じゃあなかったし、問題ねぇとは思うけど、気を緩めるなよ」


 はぁい、とグラム以外の三人の声が重なる。


 朝早かった往路とは打って変わって、日が傾き始めた森はより鬱蒼としており、最初の印象とはだいぶ違ったように見えた。グラムが目印をつけた木を探しながら、迷わないようにゆっくりと歩いていく。こりゃ、帰る頃には真っ暗になってるかもしれないな。誰がそう思ったかもわからないが、知らぬ間にゆっくりとした足取りは足早なものに変わっていく。


 不思議なことに、往路では何度か遭遇した狼の群れには出遭うことはなかった。無駄な体力を使わなくて喜ぶべきか、なにかの凶兆であると考えるべきか。それは誰にもわからなかったが、ロビンは僅かながらの違和感を感じていた。


 妙だ。順調すぎる。グラムも同じような考えを持っているのか、少しだけ表情が険しくなっている。


「待て」


 グラムが密やかに声を上げる。彼が見ていたのは、彼が目印として傷をつけた隣の木だった。


「こんな傷。来るときあったか?」


「いや、なかった、と思う」


 その木は、まるで巨大な爪でえぐり取ったかのような傷跡がついていた。その傷の巨大さから察するに、この傷をつけた犯人のサイズが大凡にではあるが予測できた。


 獣が木にこのような傷をつけるとき、それは自分の縄張りを主張するときだ。巨大な獣。恐らく魔獣。四人の頭の中に嫌な想像がよぎった。


「嫌な予感がする。急ぐぞ」


「うん」


 アリッサが不安そうな顔をする。カーミラもわずかに緊張をにじませた表情を浮かべている。一行はできる限り音を立てないよう、しかしながら足早に帰り路を駆け抜けた。


「俺が傷をつけた木は全部で328本。今259本目を通り過ぎたところだ」


 もうすぐ森を抜けられる。グラムはボソリとつぶやいた。


「待って」


 カーミラが声を上げる。カーミラには、周囲のマナが異質なものに変わっていく様子が感じられた。経験したことのない、邪悪な意思の感じられるそれが、この森には相応しくないものが存在していることを証明していた。


「感じる? マナが変異しているわ」


「今俺も感じた。何かが近づいてきている。アリッサ、俺とロビンの後ろに。カーミラ、杖を出してくれ」


 アリッサはゆっくりとロビンとグラムの後ろへ行き、カーミラが杖を構える。周囲を包むマナは、加速度的に邪悪なものへ変貌していっていた。それに反して、全く音がしない。風の音さえも。それが異様に不気味だった。グラムは辺りを見回し、僅かな異変も見逃さないよう全身の感覚を研ぎ澄ませた。


 がさり。しばらくの無音のあとだった。


 ロビンからみて右斜め前から、木の葉がなにかにこすれる音が聞こえた。がさがさがさ、とそれは彼らのいる場所にどんどん近づいてきていた。


 咆哮。この世のものとは思えない音が、四人の耳を打った。木々の隙間を縫って現れたのは、巨大な黒色の体躯を持った狼だった。燃えるような真っ赤な目がこちらを見据えている。


「っ……ヘルハウンド!!」


 グラムが吠える。本でしかみたことねぇよ。舌打ち混じりにグラムが呟く


「どうして、こんなところに……」


 アリッサが絶望的な声色でつぶやいた。カタカタと歯の根が合わなくなり、身体が恐怖で震える。リュピアの森は確かに学院近辺では危険な素材採集地ではある。しかし、それは飽くまで学院の近辺としてはの話だ。危険な魔獣が頻繁に出現するような場所に学院を構えることは常識的にありえない。


 ヘルハウンド。地獄の使者とも呼ばれるその魔獣を王国ではその危険度から特定魔獣として登録している。


「どうする? 一か八か逃げるか?」


 グラムがロビンに耳打ちする。幸いにも、黒い狼はまだこちらを威嚇するのみにとどまっている。


「そうしたいのはやまやまだけど……」


 逃して貰えそうにないよ。ロビンがそう呟くと同時に、黒い狼がこちらへ向かってくる。


「散れ!!」


 グラムが叫ぶ。ヘルハウンドは大きな爪を振り上げ、ロビン達が数瞬間前にいた場所を薙ぎ払う。グラムの声にとっさに反応でき、四人は辛くも攻撃を避けることができた。


「さぁて……」


 ヘルハウンドはグラムをターゲットとしたのか、その燃えるような赤い目で睨みつけている。


「ここからどうするか」


 ぎりっと、歯を食いしばらせてグラムがつぶやいた。

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