第七話:魔獣との戦い

 にじり寄るヘルハウンドから、刺激しないようにグラムがゆっくりと距離を取る。後ずさりながら術式を展開し、杖をマナの剣に変化させた。低い唸り声を上げて威嚇するそれに、ロビンはアリッサを後ろ手にかばった。


 グラムが動く。杖を振りかざし、袈裟懸けに剣を振るう。


「かってぇ!」


 マナによって作られた剣は、マナを保持していない野獣の類や弱い魔獣には絶対的な効果を持つ。マナの濃度は魔獣と比べて、人間の方が濃いからだ。野獣はマナによる護りがなく容易く斬りつけることが可能であるし、弱い魔獣であればマナの濃度の高さで勝る人間が有利だ。しかし、ヘルハウンドのような危険な魔獣となれば話は別だった。体内に留めておくこともできず周囲に溢れ出すマナの壁が、グラムのマナの剣をはじく。


 それを明確な敵対行為と見なした魔獣は明確な敵意をグラムに向けて放つ。


「グラム!」


「わかってる!」


 ヘルハウンドが猛スピードでグラムに肉薄する。そのスピードは往路で遭遇した狼などの野獣とは比べ物にならないくらい速いものだった。


「術式展開! 炎壁!」


 ロビンは、グラムとヘルハウンドの間に炎の壁を出現させる。しかし、それは悪手だった。炎の壁によって、視界を遮られたグラムが一瞬、魔獣の姿を見失った。炎の壁を物ともせずグラムに接近した魔獣がその凶悪な爪を振り払う。


「っ!」


 既のところで、致命傷は避けた。だがかすった。利き腕の肩から胸にかけて、ざっくりとえぐれたような傷がついた。少なくない血液がグラムの身体を滴り落ち、地面に赤い文様を形作っていく。


「グラム!」


「まだ大丈夫だ!」


 ジクジクと痛む傷跡を無視して、グラムが叫ぶ。しかし、利き腕を傷つけられてしまった。剣による攻撃にはもう期待できない。


 ヘルハウンドの標的は炎の壁を出現させた、ロビンに移った。魔獣はマナの流れを感じることができる。そのため、魔術で攻撃した場合、誰が攻撃したかを魔獣は即座に特定することができる。そんなことを、どこかの本で読んだなぁ、などど酷く場違いなことを考えた。


 考えろ、使える魔術は二十。どの魔術がこの状況を打破できる? アドレナリンで興奮状態になったロビンの頭が急速に回転していく。


 しかし、魔獣はロビンが考えている暇を待ってはくれない。咆哮を上げ、ロビンの肩口に向かってその巨大な顎門を開いた。


「避けろ! ロビン」


 グラムが叫んでいる声が酷く遠くに聞こえた。左の肩が酷く熱く、魔獣特有のマナと獣臭の混じった香りに鼻がやられる。噛まれた。ヘルハウンドの荒い息を左耳に感じながら、ロビンは右手で杖を振り上げた。


「っ術式展開、氷……槍!」


 ロビンが使える中でも最も殺傷能力に優れていると考えられる魔術である。ヘルハウンドの後方に巨大で鋭い氷の槍が現れ、回転しながらヘルハウンドを刺し貫く。


 短く悲鳴を上げた魔獣は、ロビンの肩から離れる。ひとまず助かった。だが、致命傷は負わせていない。逆に中途半端に傷を負わせたことで、魔獣が怒り狂う結果となった。


「カーミラ!」


 ロビンがカーミラに向かって叫ぶ。


「幻術を見せる魔術、使える!?」


「術式展開、恐怖幻術! 長く持つものではないから、注意して!」


 カーミラは即座にロビンの意図を理解し、恐怖の幻覚を見せる魔術を行使した。一転して、ヘルハウンドが恐慌し、付近の木に自身の身体をぶつけ始める。何度目かの体当たりの後、どす、と鈍い音を立てて、木が倒れた。


 恐怖に心を支配されたヘルハウンドはメチャクチャな攻撃を四方八方にし始める。逃げるなら今のうちか? ロビンがそう考えた時、短い悲鳴が聞こえた。


「アリッサ!」


 やぶれかぶれで魔獣が放った爪での一撃が、アリッサを捉えていた。ロビンは暴れる魔獣を掻い潜って、アリッサの元へ駆けつける。傷は胸から腹にかけて。恐慌していたことが幸いか、傷は深くはなかった。しかし、動ける状態ではない。短く浅い呼吸をしているアリッサの肩を叩く。


「意識はある?」


「な、なんとか……すごく痛いけど」


「なら良かった」


 魔術の効果が切れ恐慌から我に返った魔獣が、ロビンの背中を切り裂く。ざくり、と音が聞こえた気がした。やばい、これは致命傷になりかねない。とっさに、ロビンが取った行動はアリッサに覆いかぶさるというものだった。しかしこれではいい的だ。


「ロビン!」


 グラムが駆けつけて来るのを気配で感じた。次の瞬間、グラムの悲鳴が聞こえる。


 満身創痍。逆転の手口はない。凶悪な力の塊にはここまで歯が立たないとは考えもしなかった。


 もう一度背中に衝撃。すでに痛みも感じなくなっていた。意識が遠のいていくのを感じた。


「よくも」


 薄れゆく意識の中で、カーミラの怒りに満ちた声が聞こえた気がした。






 カーミラは静かな怒りに身を任せていた。グラムは足を傷つけられ血まみれで倒れ伏している。ロビンはアリッサに覆いかぶさったまま動かない。アリッサの様子はカーミラからは伺いしれないが、深い傷を負っていることは確かだ。


「よくも」


 大切な友達をここまでいたぶってくれた。その言葉は声にならなかった。カーミラは自分の吸血鬼としての力が抑えきれずに周囲に漏れ出ていくのを感じた。ここまで怒りに震えたのはいつぶりだったろうか。


「最初からこうしておけばよかった」


 誰も傷を負っていなければ、誰か一人でも倒れ伏しておらず立ち上がっていれば、カーミラの金色の瞳が血のように真っ赤に染まっていくことに気づいただろう。


 ヘルハウンドはカーミラを視界に捉えると、怯えたように後ずさる。今更怖がっても、叙情酌量の余地はない。


 カーミラは、左足に力を入れる。細い足がギリギリと音を立て、筋肉が収縮していくのを感じる。全身の血管が浮き出て、その膂力が尋常ではないものを暗に物語る。


 ためた力を開放する。魔獣の中でも反射速度に特徴を持つヘルハウンドですら反応できないほどのスピードで、カーミラが跳んだ。


 右手を振りかぶる。手の形は刃を模したように指を揃え、爪を伸ばす。鋭いそれは、吸血鬼にとって絶対の武器となる。


「死になさい」


 魔獣の急所、心臓に近い箇所に狙いを定め、手をまっすぐに突き刺した。途中に骨の感触を感じたが、それはカーミラの手を止めるには脆すぎた。皮膚を突き破り、骨を砕き、そして心の臓に到達した。心臓の感触を感じると、カーミラはそれを強く握りしめた。魔獣が悲鳴を上げる。


「ああああああ!」


 腕を引き抜き、心臓をえぐり取る。ピクピクと痙攣する魔獣を一瞥し、右手に掴んだそれを見遣る。まだドクンドクンと収縮を繰り返すそれを、カーミラは握りつぶした。


 魔獣の痙攣は徐々に収まり、命の灯火がなくなっていくことを感じた。


 すとんと、魔獣の上から地面に降り、ふう、とため息をつく。


 怖かったのは自分が吸血鬼であると、感づかれてしまうことだった。意図的に力を隠した。意図的に積極的に攻撃せずにいた。やりようはもっとあったはずだ。だが、自身の正体が白日のもとにさらされることがどうしようもなく怖く、身体が動かなかった。いや、動かそうとしなかった。


「ごめんなさい」


 小さく呟く。先程まで血の色に染まった目が、今はカーミラの生来のものに戻っていた。


「ごめんなさい、皆」


 最初からこうしておけば、皆傷一つ負わずに助かった。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


 涙が溢れる。不甲斐ない。どうして私は。なぜ私は。そんな考えが頭の中をぐるぐると回る。


「カーミラ?」


 ロビンの絞り出すような声が聞こえた。はっ、とカーミラは今しなければいけないことに気づく。皆の治療だ。涙を拭い、ロビンの元へ走り寄る。


「ロビン! 大丈夫?」


「……なん……とか」


 ロビンがふらふらと立ち上がろうとしたので、カーミラは手を差し伸べた。なんとか立ち上がれたロビンは、アリッサをちらりと見遣ると、カーミラの方を向いた。


「僕とアリッサは、まだ大丈夫。アリッサは気絶しちゃったみたいだけど。グラムの様子を見てきてくれる? 多分あいつが一番やばい」


「わかったわ」


 カーミラはグラムの元へ走り寄る。ひどい傷だ。もしかして、死んでしまったのでは、と縁起でもない考えが頭に浮かぶが、短く、浅い呼吸を繰り返していることに、ほっと胸をなでおろす。


「術式展開、上級治癒」


 薄い緑色の光がグラムを包むと、グラムの傷が徐々に治っていく。はっはっ、という短い呼吸が深く静かなものに変化していった。


 向こうではロビンが、アリッサに治癒魔術をかけていた。


 グラムの治療は一通り終わった。しばらくは血が足りないだろうが、滋養のあるものを食べて、ゆっくり休息を取れば問題ないだろう。


 カーミラは、アリッサの治癒を続けているロビンのもとに歩み寄る。


「ロビン、貴方も治療しないと。アリッサよりも貴方の方が重症よ」


「うん、わかってるけど。女の子の身体に傷が残ったら可哀想だからね」


 アリッサの傷が徐々に消えていく。


「こんなもんでいいでしょ」


「術式展開、上級治癒」


 カーミラがロビンに治癒魔術をかける。


「ここまでひどい傷に治癒魔術をかけられるのって初めてだけど、なんか気持ち悪いね」


 血管が伸長しつなぎ合わされ、肉が盛り上がり、傷を覆い隠し、そして傷なんてなかったかのようにもとに戻っていく。自分の肉がうねうねとうねりながら、傷がなくなっていく感触にロビンは眉をしかめて苦笑いした。


「ロビン、ごめんなさい」


 治療を終えたカーミラの酷く怯えたような声にロビンは眉をひそめる。


「なにが?」


「最初から、私が全力を出していれば、皆無事だったわ」


 予想もしなかった言葉にロビンは言葉をつまらせる。う~ん、とロビンは唸り、ぐぬぬ~、と考える。


「うまくいえないけどさ、今こうして皆生きてる。それだけで十分じゃないかな?」


「でも」


「いいんだよ。それで。生きてることが奇跡みたいなものなんだから」


「でもそれじゃあ」


「カーミラ、君は君の持っている力で僕たちの命を救った。命の恩人だよ。謝られる謂れがないよ」


 とにかく、とロビンは話題を切り替える。


「皆を起こさないとね。で、学院に帰ろう」


 その前に証拠隠滅だけどねぇ。ロビンはカーミラの肩を叩いた。いくらなんでも、一箇所を除いてほとんど傷がない状態の死体は変だ。


「カーミラ、ヘルハウンドにありったけの魔術を打ち込んで」






 グラムとアリッサは数分後に目を覚ました。


「うわ、これカーミラがやったのか?」


「えっと、私も必死だったから、よくわからないんだけど、ありったけの魔術を打ち込んだら」


 なんか倒せたの。カーミラはそう弁明した。


「なんというか、さすがカーミラ」


 アリッサは恐る恐る巨大な魔獣に近寄ると、ツンツンと杖でその死体をつついた。うん、死んでるね。アリッサはホッとしたように、一言つぶやいた。


「さって、ここに来てやるべきことは!」


 アリッサが他の三人を見回し、ニヤリと笑う。


「学院へ報告だろ?」


 グラムがヘロヘロの身体をロビンに支えてもらいながら、そう返す。


「違う! ヘルハウンドの素材回収! こんな貴重な素材どんなにお金積んだってなかなか手に入らないのよ」


 ヘルハウンドの出現が報告されると、王国の騎士団一個師団が討伐に赴く。それだけ強敵であるし、またそうそう出遭う魔獣でもなかった。その素材は市場には出回らず、王国の所有物となることがほとんどだ。ウキウキと、アリッサが大きめのナイフ、いや、鉈といった方が正しいかもしれない、を振り上げてヘルハウンドの身体をテキパキと解体していく。


「魔術でボロボロになってるから、使えそうな素材はあんまりないけど……」


 あ、肝は無事だ。アリッサがつぶやき、人間の頭ほどもある肝臓を取り出した。


「ロビン、袋」


「はいはい」


 ロビンは念の為に持ってきていた素材回収袋をアリッサに手渡す。アリッサはその中にヘルハウンドの肝臓と、取れるだけ取った牙やら、骨やらを放り込んでいく。


「なんっつーか」


「うん」


「野に生きてるよな、あいつ」


「皆まで言うなって」


 ロビンとグラムはヘルハウンドの体液やら、血液やらで全身を汚しているアリッサを見てこそこそと話す。


「なんか言った?」


 いえ、何も言ってないです。ロビンとグラムの声が重なった。


「オッケー、取れるだけ取ったし、帰ろー」


 解体を始めてから、数十分しか経っていない。ロビンはアリッサの手際の良さに舌を巻いた。


「なぁ」


「なに? グラム」


「あいつ、なんであんなに元気なんだ?」


「僕に聞かれても……」


 一通りの素材を袋に放り込んだアリッサがホクホク顔で、ロビンの元へ歩み寄る。


「はい、ロビン。持って」


「えぇ? 僕も血が足りてなくてフラフラしてるんだけど」


「可愛い可愛い婚約者のお願いが聞けないっていうの?」


 アリッサがじとりとロビンを睨めつける。自称だけどね、自称。そんな言葉を飲み込んで、ロビンは袋をアリッサから受け取った。予想以上に重い。袋の重量に自分の身体が振り回されそうになるのを、意地で押さえつけた。


「カーミラ、ありがと、こんなにいい素材が手に入るとは思わなかった!」


「えっと、どういたしまして?」


「うん」


 なんでも作り放題! とはしゃぐアリッサを尻目に、ロビンが薄暗くなった森を見回す。


「じゃあ、さっさと帰ろう。流石に二回も遭遇するとは考えられないけど、野獣でも今の僕らには脅威だ」


 その後は、驚くべきことに、野獣に遭遇することもなく、魔獣に遭遇することもなく、一行は無事に森を抜け、学院への帰還を果たしたのであった。

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