第八話:学院への報告

 リシュフィール魔術学院は全寮制である。それは、学生達も寮に入って過ごすが、教師陣も入寮して過ごす。週に一度の安息日でもそれは同様であった。基本的には教師たちは学舎から離れた教師寮で好き好きに過ごすが、学院での様々な問題に対応するため、週毎に一人宿直の担当が選ばれる。


 この学院で教師をしているアンジェラ・ゴソウは、今週の宿直の担当であった。基本的には宿直と言っても、問題を起こす学生がいない限りは平和なものである。ここ数年問題という問題も起きていない。アンジェラは、安心して紅茶を淹れ、夕餉をとり、自身の研究分野の論文を読む。


「ゴソウ先生。ゴソウ先生」


 規則正しいノックの音が聞こえる。この声は、ジギルヴィッツ公爵家のカーミラの声ではなかったか。優秀な生徒だ。休日に勉強でもしていて、私に聞きたいことでもあったのだろうか。はたまた図書館の鍵を貸してほしいなどのお願いだろうか。宿直中とはいえ安息日、普通の教師であれば貴重な休みの日に学生に勉強を教えたり、そういったことは嫌がるものだったが、アンジェラは学生に寄り添った優しい教師であった。おっとりした性格ではあるが、学生の話を聞き、学生の要望を常に可能な範囲で叶えられるように生きてきた。学生に頼られるのもまんざらではない。そう思いながら、ドアに向かった。


 ドアを開けたアンジェラは卒倒することになる。カーミラを始めとする四人の学生が血みどろの姿でそこに立っていたのだから。


「ゴソウ先生! 大丈夫ですか?」


 カーミラがとっさにアンジェラを抱き起こす。


「いえ、私は大丈夫です。大丈夫。問題はあなた達です。なんですか? その格好は? 怪我はしていませんか?」


「怪我は治しましたので大丈夫です。血が足りておらず、ふらつく者もおりますが、それよりも、学院長にお目通り願いたいのです」


「学院長に?」


「はい、リュピアの森に、ヘルハウンドが出ました」


「なんですって!?」


 アンジェラは自分の予想とは斜め上の問題に、再度卒倒するのであった。






 宿直のアンジェラから連絡を受け取ったハワード・ジョーンズは、学院長室へ足早に向かった。学生達がとんでもない格好で帰ってきたというだけでも大事であるのに、ヘルハウンドだと。この学校を取り仕切る学院長は心の中で悪態をつく。


 どう考えても、自分の手に余る。しかし、教育者として、この学院の平和を守るべきものとして、対応せざるを得ない。とにかく、件の学生達から話を聞かなければならない。


 学院長室のドアを開ける。そこには四人の学生が座っていた。カーミラ・ジギルヴィッツ、ロビン・ウィンチェスター、グラム・ハンデンブルグ、アリッサ・ホワイト。どの学生も大きな問題を起こす学生ではなかったはずだ。無謀にもヘルハウンドと戦うような、学生達では無いのは確かである。


 学院長が部屋に入ってきたことで、四人の学生達はソファーから立ち上がろうとした。四人の中には目に見えて顔が青ざめているものもいる。宿直のアンジェラが心配そうな顔を浮かべる。ハワードは手でそれを制す。


「座ったままでよろしい」


 学院長は、普段執務を行っている大きめの椅子に座ると、四人の顔を見回す。カーミラ・ジギルヴィッツは大きな問題がなさそうな顔をしているが、その他の三人の青ざめた顔と言ったらなかった。典型的な大怪我から治癒で無理やり回復させた後に襲ってくる貧血の表情だ。


「話を聞かせなさい」


 カーミラはリュピアの森で起こったことを自身の力に関係する部分は隠した上で話した。休日にアリッサの頼みで素材採集に四人で出かけたこと。その帰り道で、異様なマナの気配を感じたこと。そして、ヘルハウンドと遭遇したこと。ヘルハウンドと戦い、重症を負ったが勝利したこと。ハワードはため息をつく。


「本来であれば、君達全員を『なぜそのような危険なことをした』と叱りつけるべきであろうな。儂がここに来るまで、実際にそのように考えていたのも事実だ。しかしリュピアの森で遭遇したというのであれば、話は違ってくる」


 聞いてないぞ、という目で部屋の隅で立っていたアンジェラを睨みつける。アンジェラは優秀な教師ではあるが、こと緊急時の対応となると話が変わってくる。おっとりしていて小心者が故に、緊急の際には大事なことがいくつも抜け落ちていることが多いのだ。アンジェラはハワードの眼光に少しだけ小さくなった。


「まずは、君達が無事で良かった。しかし、ヘルハウンドを打倒したというのは……」


 俄には信じられん、という言葉は、ロビンによって塞がれた。ロビンは血が滲んだ大きな袋を中央のテーブルにドサリと置いた。


「ヘルハウンドの死体から採取した素材です」


 ハワードはゆっくりと椅子から立ち上がり、その中を検める。牙、肝、毛皮。どれをとっても宮廷魔術師をしていた頃に見た、ヘルハウンドの素材そのものであった。


「学生四人でヘルハウンドを……」


 あり得ない、という考えがハワードの頭の中に浮かぶ。とはいえ、それは今関係がない。この場面で気にするべき大きな問題は。


「このことは王国に報告する。異論はないな?」


 四つの頭が上下に振られた。


「この中で重症を負ったものはいるか? 見たところ、怪我自体は魔術で治しておるようだが」


 四人のうち二人の手が挙がる。ロビンとグラムだ。率先して戦い、重症を負ったのだろう。学生とはいえど、男であるな。ハワードは心の中だけで感嘆のため息を吐いた。


「ウィンチェスター、ハンデンブルグ。君たちはこの話が終わった後、医務室へ行きなさい。造血の魔法薬があるはずだ。顔が真っ青だ。ゴソウ先生、その折には同伴をお願いします」


「かしこまりました。ジョーンズ学院長」


「さて、君たちに今後の沙汰を下す。そして、儂の予想も付け加えておこう。四人は次の安息日まで、授業を休みなさい。自室で静かに寝ていること。自室を出るなとは言わんが、静かに安静にしていること」


 沙汰、という言葉に、罰がくだされるのではないかと内心ドキドキしていた学生達はホッと胸をなでおろした。


「次にこの件については、箝口令を敷く。努々他の学生達に言いふらしてはならぬ」


「かしこまりました」


「最後に、これは予想だが。君達には、王国から討伐金が支払われるだろう、それと同時にいくつかの事情聴取も行われるはずだ。王宮の動きは早い。

 私が今夜中に連絡し、二、三日の間に騎士が君たちに色々なことを尋ねに来るはずだ。ヘルハウンドの死体までの案内を依頼されるかもしれない、が、それは私から断っておく」


 当然だ。重症を負った学生たちをまたリュピアの森に向かわせるなどあってはならない。


「ヘルハウンドの死体がある場所を詳細に説明できるものはいるか」


「俺ができます。森の南側にナイフで傷をつけた木があります。傷の着いた木をたどっていけば、死体の場所まではそう時間もかからずたどり着けるはずです」


「あい、わかった。では、王宮への連絡の中には、そのように書いておこう。話は終わりだ。君達が無事で良かった」


 ゴソウ先生、彼らを医務室へ、ハワードはアンジェラへ顔を向ける。


「はい、かしこまりました、ジョーンズ学院長」


 アンジェラがロビンとグラムを伴って、医務室へ向かう。


「えぇっと、学院長」


「なにかね? ホワイト」


「ヘルハウンドの素材ですが、私達がもらってもよろしいのですよね?」


「あぁ、素材だね。勿論だ。君たちが打倒した魔獣の素材を取り上げたりはせんよ。素材の分配等は君たちが決めていい」


「ありがとうございます」


 アリッサは素材を取り上げられることが無いと知って、安堵のため息を漏らす。


「では、ジギルヴィッツ、ホワイト。自室に戻り、養生しなさい」


「かしこまりました」


 カーミラとアリッサが学院長室から出ていく。


 学院長室に一人残されたハワードは頭を抱えた。


「王宮にどう報告しろというのだ……。まぁいい。嘘偽りなく報告すればよいか」


 今後の王宮の動きを考えると、頭が痛くなってくるハワードであった。






 カーミラは自室に戻り、血塗れの制服を脱ぎ捨て、魔術で生成した水で身を清めるといつも着ているネグリジェに着替えた。今日は色々あった。いや、ありすぎた。そういえば夕飯を食べていない。細いお腹がくぅ、と鳴り、そんな些細なことに気づいた。


 ロビンは命の恩人だと、カーミラのことを評したが、カーミラは未だに今日のことを後悔していた。自分の保身を考えず、あらん限りの力を以て魔獣を打倒するに至っていれば、怪我人は出なかった。


 そう、怪我人が出る、その程度ですんでよかった。一歩間違えば怪我人は容易に死人へと変わっていただろう。カーミラはそのことに気づき、ぞっとした。誰も死ななかったのは奇跡に近かった。覚悟が足りない。いざという時大切なものを守る、そのためには自分を犠牲にしても良い、そんな覚悟が。


 カーミラはベッドにドサリと身を沈めると、先程まで想像していた最悪の未来を首を振る事によって振り払った。


 だが、今日は良かった。次は? 私はその時どうする? 大切な友達を守るために何ができる? カーミラの問いに答えてくれるものはこの部屋にはいなかった。


 カーミラが深い思考の中に沈んでいると、控えめなノックが聞こえた。ベッドから降り、ドアを開ける。


「こんばんは。カーミラ」


「あら、アリッサ」


 そこにいたのはアリッサだった。少し青ざめた顔をしている。


「どうしたの? 顔が青いわよ」


「えぇっと……」


 言いづらそうに、アリッサが短めの髪をくるくると右手で弄ぶ。


「全部終わって、部屋に帰ったら、今日あったことがすごく怖くなってきちゃってさ。もしかしたら死んでたかもしれない。私じゃなくても、ロビンやグラムがそうだったかもしれない」


 アリッサもカーミラと近しいことを考えていた。時に大きな命の危険はその者の人生をも簡単に変えてしまうとは言うが、今日の出来事は容易にトラウマになりかねない出来事である。


「珍しい素材が手に入って、嬉しい! って感情が先走ってさっきまでは大丈夫だったんだけど、ベッドに入ったらなんだか体が震えはじめちゃって、どんなにもう大丈夫って言い聞かせても止まらないの」


「しょうがないわ。あんなことがあった直後だもの」


「だから……お願いなんだけど。一緒に寝てくれない? 誰かがそばにいると安心できる気がするの」


 アリッサの吊り目が伏し目がちにカーミラを見遣る。なんだろう、この可愛い生き物は。持ち帰りたい。っていうか今持ち帰っていいよって言われてるのか。カーミラは強気なアリッサの普段見せない姿に混乱した。


 一緒に寝るのは構わない。だが、部屋の惨状をどう説明しようか。カーミラのイメージからは程遠い汚部屋にこの少女を招き入れるのは、少し躊躇された。うーん、と唸りながら考えた後、カーミラは全てを諦めた。どっちにしろ、今更になって恐怖を感じているこの少女を放置するという選択肢は存在しない。


「いいわよ。でも、私の部屋今汚れてるけど、あんまり驚かないでね」


 嘘だ。今だけではない。いつも汚れている。カーミラは掃除が大の苦手である。


「ありがとう」


 アリッサはカーミラに促されて部屋に入っていく。


「これは、確かに汚れてるね」


「い、今たまたまだから、普段は綺麗にしているのよ」


 嘘だ。カーミラには自分の部屋を掃除するという概念がない。ひとまず、床に散乱している脱ぎ捨てた服を端の方に追いやった。くすり、とアリッサが笑う。


「な、なによぉ」


「いや、何をやらせてもパーフェクトなカーミラの部屋がこんな感じなんだって思ったら、面白くて」


「だから、たまたま今汚いだけなの」


「はいはい」


 でもなんかちょっと安心した。アリッサは自身の震えが先程よりもましになっていることに気づく。


 カーミラに促されるままに、アリッサはカーミラのベッドに横になる。お互いに向き合って、お互いに身体をすんすんと嗅ぎ、ひどい匂いだね、とニッコリと笑い合う。カーミラはアリッサの手を握ってあげた。目に見えて震えていた先ほどよりはましになっているとはいえ、未だにアリッサの手はブルブルと震えていた。


 数分程度無言の時間が続き、アリッサがぽつりと呟くようにカーミラに話しかけた。


「あのね」


「うん」


「私何もできなかった。ただ守られてるだけだった。皆があんな目に合ったのは私のせいなのに」


「うん」


「私が森に行こうなんて言い出さなかったら、あんなことにはならなかった」


「それは……」


「死んじゃうかもしれないって。はじめて思った。ロビンも、グラムも、カーミラも」


「うん」


「すごい怖いの。大切なものがなくなってしまうんじゃないかって想像するだけで」


「私も、怖かった。いえ、今も怖い」


「カーミラも?」


「私も、最初からありったけの魔術を打ち込んでいれば、皆怪我しなかったかもしれない。ただ呆然として、グラムとロビンが戦っているのを見ているしかできなかった」


「うん」


「でも、大丈夫よ。もう全部終わったの」


 カーミラはゆっくりと、アリッサを抱きしめようとした。びくりと、一瞬アリッサの身体が震え、カーミラの手が躊躇に止まる。だがそれは一瞬のことで、カーミラはアリッサをぎゅうっと抱きしめた。


「全部終わったのよ。皆無事だった。今はそれだけでいいじゃない」


「うん、そうだよね」


「だから、泣かないで」


 アリッサは自分でも気づかないうちに涙を流していた。それに気づくと、もう感情の濁流は止まらない。


「怖かったよぉー」


 涙が次から次へと溢れてくる。何もできなかった後悔、自分に原因があるかもしれない怖さ。ぐちゃぐちゃになったアリッサの心は涙を容易には止めてくれそうもなかった。


 カーミラは優しい笑顔を浮かべ、アリッサの細い髪を手で梳くようになで続けた。

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