第六話:王国での政変
アーノルド、デズモンド、両殿下の死亡。そのニュースはまたたく間に王国全土を駆け抜けた。アーノルドは毒殺。デズモンドは遊行中に、暴漢に襲われた、とのことであった。
アーノルドを毒殺した犯人はすぐに見つかった。アーノルドの側仕え。つまり侍女であった。犯人だとされた彼女は必死に涙ながらの否定をしたが、すべての証拠が彼女を犯人であると決定づけていた。「私はやっていません!」と何度も繰り返す彼女に下されたのは拷問の後の死刑であった。裁判を経ずに下されたその極刑は、異例な速さで執り行われた。
デズモンドを襲った暴漢は、その場で数多の魔術によって射殺(いころ)された。デズモンドの護衛を担当していた近衛が必死で止めるも、その凶刃にはあまりにも力不足で、そして遅かった。いきり立った複数人の護衛がメチャクチャに魔術を打ち放ち、次の瞬間には僅かな肉片しか残さないまでに暴漢をめためたにしたとのことである。結果的に、暴漢が何故、デズモンドがその時その場に現れることを知っていたのか。どうやって厳重な警備をくぐり抜けて、デズモンドを即死せしめたのか。全てが闇に葬られることとなった。暴漢は魔術も使えない平民であり、そんな矮小な平民が魔術を得意とする王族を殺したというニュースは王国の全国民に大きな驚きを与えていた。
アーノルド、デズモンドの両殿下は、王国の民草に人気があった。気さくで優しく、気取ったところがない人格者。その二人が奇妙なことに、ほぼ同じタイミングで死んでしまったのである。国民は深い悲しみを抱くとともに、これは政変ではないのか、とまことしやかに噂が流れ始めた。
二人が死んで、誰が一番得をするのだろう。それは、王位継承権第三位のエライザ王女殿下、その人である。だが国民は、花にも例えられ、ともすれば妖精とも比喩されるような、かの美しい姫が、進んでその様な企てに加担するとは思わなかった。どうせ、裏に汚い貴族がいるのだろう。それが民草たちの共通の認識であった。そう、エライザも同様に国民には絶大な人気があったのである。アーノルドやデズモンドに負けずとも劣らないほどに。
やがて、国民は口々に心配するようになる。一度に子供を二人も亡くした今上の国王陛下の悲しみはいかほどであろうか、と。国王も勿論民草に人気があった。善政を敷き、税は減らし、魔獣などの被害も少なくなり、何よりも治安が良くなった。そんな国王を誰もが心配した。もう長くはない、そう言われて数ヶ月。この事変が国王陛下の命を更に短くするのではないか、と。
一方で国民の興味は、次の国王にも向けられた。あの可憐な王女が、女王となる。本当に大丈夫だろうか。政治はできるのだろうか。貴族の傀儡にはされないだろうか。国民は多いに心配したのであった。
クレイグ公爵は、グノーブル・レイナール二世――つまり今上の国王である――に呼び出されていた。エライザに呼び出されたのが約一週間ほど前。半ば脅迫、というか脅迫そのものであったエライザの報告書によって、自領に戻る気力も失い、王都にとどまっていたのだ。そのことは、当然グノーブルの耳にも入っており、此度の呼び出しと相成った。
一週間。一週間である。まさかあの王女が、ここまで早急にことを進めるとは彼も予想だにしていなかった。アーノルドは毒殺された。解毒の魔術も効かないほど強力な毒だったとのことだ。一方デズモンドは暴漢に刺殺された。治癒も間に合わないほどの一撃の致命傷だったとのことである。
クレイグ公爵にとって、国王の用件は容易に推し量れるものであった。両殿下の死亡。その裏側の話である。だが、真実を口にすることは許されない。真実を口にした瞬間、自身の死が決定づけられるのである。
国王であるグノーブルは、王弟であるクレイグ公爵を重用していた。政治に、軍事に。グノーブルとクレイグ公爵の仲は良好。十数年前、グノーブルが戴冠した時も、彼はそれを心から祝福したものだ。クレイグ公爵は自らの身の程を弁えていた。自身が王という身分に相応しくはないということを。
国王の寝室、その大きな扉をノックする。しゃがれた声で、入れ、と扉の奥から何度も聞いた言葉を耳にすると、扉を両手で開き、部屋の中に入る。病に伏したグノーブルの弱りきった姿に心を痛ませながらも、最敬礼をする。
「ゲイナール。よく来てくれた」
ごほごほ、と咳をしながらも、ゆっくりと上体を起こし、国王がゲイナール・クレイグを見遣る。
「陛下。この度はなんと申し上げてよろしいものか」
「……うむ。息子をいっぺんに二人も失った」
「お気持ち、お察し申し上げます」
グノーブルは、目を真っ赤にしていた。泣いていたのだろう。クレイグ公爵は、思わず真実を口にしてしまいそうになる。全てはエライザが仕組んだことだ、と。だが、喉まででかかったその言葉は、やはり口をつくには至らなかった。公文書偽造。つまり、彼は兄であるグノーブルを長年に渡って欺き続けていたのである。決して私腹を肥やすためではなかった。この国を思えばこそ、その一心ではあった。だが、クレイグ公爵が国王を欺き続けていた、その事実は変わらないのである。
「して、ゲイナール。この裏側について、何か知っているか?」
「いえ、寡聞にして存じ上げませぬ」
グノーブルが、大きくため息を吐く。
「……いいのだ。わかっている。言えないのであろう?」
クレイグ公爵は驚愕に目を見開かせながら、目の前の国王陛下を見遣った。
「エライザ……。鳶(とんび)が鷹(たか)を生む、とはこのことよな。あの娘は優秀過ぎる」
国王は全てを知っている? 彼は、自身の行く末を一瞬だけ案じた。
「ゲイナール。余は、お前を罰しようなどとは、微塵も考えていない。例え仮に、余を数年に渡り、欺き続けていようと……な」
やっぱりだ。クレイグ公爵はもはや、グノーブルの顔を直視することができなかった。
「アーノルドは毒殺。デズモンドは暴漢。どこをどうやっても、エライザにはたどり着かぬ。そのことは余が一番良くわかっている。だがな、余は確信しているのだよ。すべてはエライザの掌の上」
冷や汗がダラダラと背中を伝うのを感じた。
「余が悪かったのだ。王位を素直にエライザに継いでおけば、せめて内示でも出していたら、恐らくこうはならなかった。次の王に一番相応しいのはエライザだ。余よりもだ。余もよく分かっていた。しかしなぁ、やはり子供とは可愛いものだ。親として、子の才覚、そこに優劣を見出すのを躊躇してしまったのだよ」
「子を慮る、陛下のそのお気持ちは尊いものでございます」
「だが、その思いが、アーノルドとデズモンドを殺した……」
クレイグ公爵は俯き、そして、もう何も言えなくなってしまった。
「ゲイナール。そなたは、アーノルドを次の王に据えようと、色々と手を引いてくれたな。あの馬鹿な息子に。感謝する」
グノーブルは、絞り出すようにそこまで言うと、遂に激しく咳き込み始めた。尋常ではない様子に、クレイグ公爵が慌てて立ち上がり、側に寄り添う。
「兄上! まだ死んではなりませぬ!」
激しく咳き込み、右手で口を押さえる。その手から、赤いものがぽたりと落ち、ベッドを汚すのが見えた。喀血である。
結核。大陸では、時折猛威を振るう疫病の一つである。グノーブルは、肺を結核にやられていた。一度かかると滅多なことでは治らない。不治の病として人々から恐れられる病気である。咳は止まらない。グノーブルの口からは次から次へと血が吐き出される。
「医者! 医者を呼べ!」
クレイグ公爵が叫ぶ。その声を部屋の扉の前で控えていた近衛兵が聞き、部屋に飛び込む。
「近衛! 医者だ!」
「は、はっ! 今すぐに!」
近衛兵が走り去る。三分。三分もすれば、医者がやってきて、咳止めの魔法薬をグノーブルに飲ませるだろう。
だが、それは飽くまで対症療法。様々な魔術を持ってしても、結核という病気に人類は未だ打ち勝っていない、それが現状だった。
「兄上! 私は兄上に忠誠を誓っております。そしてこの国に!」
クレイグ公爵が、グノーブルの背中をさすりながら、叫ぶように声をかける。嘘偽りない、彼の本音である。
「……や、やくそ、く、してくれ、るか?」
「約束でもなんでもいたします!」
だから死なないでくれ、そう言おうとしたが、グノーブルの次の一言がそれを遮った。
「え、エライザ、を、支えてやってくれ」
息子二人を殺した真犯人。そう確信していたとしても、グノーブルにとっては、エライザは可愛い可愛い愛娘であったのだ。
グノーブルは、激しい咳によって、酸欠になりながらも、エライザのことを思い出す。
エライザは聡明な娘だった。彼女が四歳の時だったろうか。唐突にグノーブルの執務室にやってきた彼女は、父親である国王にこう問いかけた。
「おとうさま。どうして、『きぞく』と『へいみん』がいるんですか?」
最初は子供の素朴な疑問だと思った。その言葉にニコリと笑って返答しようとした次の瞬間に、娘から出た言葉に目が飛び出しかけたのをよく覚えていた。
「どちらもひとしくやくにたち、そしてやくにたたないのに、どうしてわけられているんですか?」
僅か四歳の幼子である。それが、貴族と平民、「どちらも等しく役に立ち、そして役に立たない」と言ってのけたのである。四歳の娘は、驚きに言葉も出せない彼に更に続けた。
「むしろ、へいみんのほうがかずがおおいぶん、おそろしいのではないですか?」
たどたどしい言葉で、しかし瞳の奥に確りとした理知を感じさせながらエライザが続ける。グノーブルはその続けられた言葉に返す言葉が無かった。この王国ではあまりにも当たり前過ぎたのだ。貴族、平民。その身分の差が。確かに幼い頃考えたことはあった。だが、その時も、娘から問いかけられた時も答えは出なかった。
「彼らは王家に忠誠を誓わない。領主にも忠誠を誓わない。忠誠というものに、興味がないのです。良き政(まつりごと)を行わなければ、民草は離れるでしょう。そして、いつしか内から食われるのです。平民という毒によって。そのことを理解している貴族は果たしてどれだけいるのでしょうね」
ねぇ、宰相、と居室に呼び立てたジェシーにニコリと微笑む。四歳の頃、父親に同じことを言った記憶がある。その時父はなんと答えただろうか。確か、答えになっていない答えを告げられた気がする。「エライザ、君がもう少し大人になったら、その答えがきっと見つかる。君は賢いからね」、とかだっただろうか。
ちゃんちゃらおかしい。連合王国では絶対とされている国王でさえ、その言葉に答えられなかったのだ。
「それを理解している貴族などおりますまい。……ジギルヴィッツ公爵ぐらいでしょうかな」
「あぁ、ジギルヴィッツ公爵。彼は人格者ですからね。領地でも善政を敷いていると聞いていますよ」
エライザは椅子から立ち上がり、窓まで歩く。そして、窓の外を見遣った。いつもと変わらない、美しく数々の花が咲き誇る中庭がその目に映った。
兄を殺した。それも二人もだ。だが、彼女の心には波紋一つ起こらなかった。予定調和。兄たちにはいつかこうなって貰う予定だったのだ。計画は彼女が齢十四のときから立てていた。はなから王位は自身が継ぐしか無い、そう思っていたのである。その上で、聡い彼女はそれを誰にも悟らせなかった。
「アーノルド、デズモンド両殿下の死には、王女殿下は関係しているのですか?」
ジェシーが馬鹿みたいな質問をしてくる。当たり前だろう、とエライザはその麗しい目を細める。どうやったら、二人の王子がこんな示し合わせたタイミングで死ぬというのだ。
「ふふ。私は何も知りませんわ。犯人は捕まったのでしょう? あぁ、片方はその場で殺されてしまったとか。怖いものですね」
振り向かずにエライザが応える。言わずともわかるだろう、と。そのようなニュアンスをふんだんに盛り込んで。ジェシーはその言葉にやはり顔を青くするのだった。
「もうそろそろですね。お父様が私を呼び出します」
「左様ですか」
ジェシーの言葉に、ニコニコと微笑みながらエライザが振り返る。
「ねぇ、デイヴィッド宰相?」
「はっ」
「私はこの国を愛しています。だから壊されるわけにはいかないのです。帝国なんて蛮族に」
「承知しております」
微笑みは絶やさない。エライザは物心ついたときから、笑顔という仮面を常に被り続けてきた。それは優しさや、慈しみなどからくるものでは決して無い。彼女にとっての威嚇そのものであった。
「この国を壊すのは、私なのですよ。デイヴィッド宰相。私が壊さなくてはならないのです」
「お、王女殿下。ど、どういう意味で……」
「王が統治し、貴族が統治し、平民や奴隷がそれに従う。その構造に疑問を持つものは果たしてこの国にどれだけいるのでしょう」
私は、それを壊したいのです。微笑みを深くしながら、エライザはジェシーにそう告げた。
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