第七話:戴冠式
やせ細った国王が、フラフラとしながら王宮の謁見台へ歩き民衆の前に姿を表す。眼下には、王都の民衆、そして王国中から集まった王国民がひしめき合っていた。国王という身分に未練は無かった。未練があるとすれば、政変という形でこの戴冠式を迎えてしまったこと、その一点であった。
「皆の者。本日は、よくぞ集まってくれた」
国王の言葉に、ザワザワとしていた民衆が、すっと静まり返る。国王の一言一言を聞き漏らすまいとしているのだ。
「アーノルド、デズモンドは、余にとって良き息子であった。そして、皆の者にとっても良き王子であったのではないかと思う」
グノーブルが集まった国民をぐるりと見回す。
「このような形で、二人も息子を失ったことに、深く悲しみを抱いている。願わくば、この王国中が余と同じ気持ちになっていて欲しい、そう願う」
国王は言葉少なに、集まった民衆たちへ始まりのスピーチを告げる。異例の言葉の少なさだった。民衆は国王の悲しみ、それを容易に推し量ることができた。国王が、とぼとぼと謁見台に据えられた玉座に腰掛ける。
葬儀は厳かに行われた。アーノルド・レイナール。デズモンド・レイナール。両殿下とも、気さくで人格者であり、国民達には多いに人気があった。その死に、葬儀に、集まった民衆達の殆どが涙を流し、両殿下を悼んだ。
メーティス教の神官長が死者を弔う祈りを唱える。集まった民衆、皆が皆、黙祷を捧げ、謁見広場はしんと静まり返った。
葬儀の締めくくりとして宮廷魔術師達が、空へ儀礼用の魔術を放つ。ひゅーん、と大空に飛んでいった炎の塊は、上空でどかんと爆発した。死者、特に王家に対するそれへの餞である。
葬儀の式次第、全てが終了し、玉座に顔を伏せながら座っていた国王が、再び立ち上がり戴冠の儀の開始を告げる。
「……して、本日は、皆も知っている通り、併せて戴冠の儀を行う。エライザ。こちらへ」
謁見台、その奥から美しいドレスを纏ったエライザが少しだけ痛ましい表情をしながら、しずしずと歩いてくる。国民達は、両殿下の死を悼んでいらっしゃるんだ、と目頭を熱くした。
「今日、この瞬間より、王権は私グノーブルより、我が娘エライザへと引き継がれることとなる」
エライザが国王に向かってゆっくりと跪く。そして、国王がゆっくりとその頭上の王冠を持ち上げ、エライザの頭に載せた。
エライザ女王の誕生である。
その場に集った王国民達が、涙を流しながらも、大声で叫ぶ。「エライザ女王陛下万歳」と。
王冠をかぶったエライザがゆっくりと立ち上がると、謁見台の最も手前に立ち、そして群衆に手を振る。その美しさに、誰もが見惚れ、誰もが新たな女王の誕生を祝った。
「親愛なる連合王国の民よ。此度、王権を授受するに至ったエライザです。アーノルド、デズモンド両殿下の薨御(こうぎょ)におかれましては、大変私も心を痛めました。言葉を飾らずに申します。お兄様方は、私を心から愛してくださいました。そして、私も。愛するお兄様方がお亡くなりになったこと、今でも信じられません」
そこまで話し、エライザが伏せ気味だった顔を民衆にはっきりと見せる。
「そして、女王というこの立場。今も私の肩に重くその重圧がのしかかっております。親愛なる連合王国の民よ。私への忠誠、そして救いの手を私は期待しております。何も分かっていない小娘を、何卒皆様のお力で助けてやって下さいまし」
エライザがその瞳を涙で濡らしながら、ニコリと国民に笑いかける.。
国民向けの戴冠式。それは、群衆の歓声によって終わりを迎えたのであった。
国民向けの戴冠式が終わった後は、厳かに貴族諸侯に向けた戴冠式が行われた。王宮の大広間で行われたそれは、諸侯の歓声と拍手によって締めくくられた。
その後は、新しい女王の誕生を祝うパーティである。王家の威厳を以って行われるそれは、両殿下の死を悼む意味も込めて、連合王国史上としては比較的質素ではあったが、それでも絢爛豪華な祝賀会となった。
「女王陛下。此度はご戴冠、誠にお慶び申し上げます」
「ありがとう。女王なんて過分なこの立場、ギリミッシュ伯爵のお力添えを心から期待しております」
玉座に座るエライザの元には、ひっきりなしに貴族達が挨拶へ押し寄せるのであった。その鬱陶しさと忙しなさにエライザは辟易としていたが、そんなことはおくびにも出さなかった。
「女王陛下……」
数十人であろうか。貴族の挨拶を捌いた数は。数えるのにも飽き飽きしていた頃、見知った顔がエライザの眼の前に踊りでた。
「あら、ジギルヴィッツ公爵」
「ご戴冠、心よりお慶び申し上げます」
「ふふ、ありがとう。ところでカーミラは?」
公爵が、ちらりと大広間の隅を見遣る。つまらなそうに軽食をつまむカーミラが視線の先に居た。あの娘らしい、とエライザが微笑む。
「その様子だと、全てカーミラから聞いたみたいですね」
「えぇ。陛下のご意図も、確りと承知いたしました」
公爵は決して笑顔は見せずに、ただそう告げる。
「ん、それならばよいのです」
「ですが、努々お忘れなきように。カーミラは、我々にとって最愛の娘。無下になされた時、我々がとる手段も、もはや決まっております」
「ふふ、公爵。貴方のそういうところ、嫌いではないです」
エライザの微笑みに、失礼仕ります、と公爵が踵を返す。
さて、貴族達からの挨拶ももうすぐ一段落迎えるはずだ。エライザにはこのパーティでやらなければならないこと。いや、やると決めていたことがあった。
その後、数人の貴族の挨拶をいなし、それ以上貴族が自らのもとに駆け寄ってくることがないことを確認した後、エライザは玉座からゆっくりと立ち上がる。
ぱぁん、と手を叩く。その音は大広間中に響き渡り、パーティに出席した貴族達誰しもが、何事かとエライザの方を見遣った。
「さて、お集まりの皆々様方。この様な席にはふさわしくないことは重々承知しております。ですが本日、早急にお伝えせねばならないことがございます。なにも戴冠式のこの日に、と思われる諸侯もいらっしゃるでしょう。ですが、時間がもうないのです」
一体何事だ、と諸侯が目を剥く。戴冠のパーティは、ただ王家に貴族が挨拶をして、そして、新しい王がスピーチをし、それで終わり。それがこの国の習わしであった。パーティの最中に女王から、伝えたいことがある、というのは、異例の事態であったのである。
勿論エライザが何を言い始めるのか、それを把握している者も少ないが存在した。ジギルヴィッツ公爵。クレイグ公爵。ゲルニッツ侯爵。ケヴィア伯爵。そして、デイヴィッド宰相。その五名であった。
「貴族諸侯。貴方達には、王家から十分な数の新型の転移術式が送られているはずです。漏れはありませんね? 返信は不要とは記載させていただきましたが、まさか読まずに捨てた者はおりませんね?」
パーティに出席していた数々の貴族達が首を縦に振る。
「近く、帝国が攻めてきます。本日のパーティが終わり、帰還したら、早急に軍を編成の上、王都に集まって下さい。転移の術式を軍の魔術師全員に記憶させるのを忘れずに。魔術の使えない兵は、後からでも構いません。ことは一刻を争います」
寝耳に水であった。帝国が攻めてくる。そんな夢物語をだれが信じようか。王国の貴族たちの間では、まさに言葉通りの夢物語であったのだ。そんなエライザの言葉に、貴族の一人が叫ぶ。
「女王陛下! ですが、帝国とは不戦条約が!」
「その不戦条約が破られる、とそう言っているのです。良いですか? これはお願いではありません。王権、それによる命令です」
エライザがニコリと笑う。それは相手に安らぎを与える意図を持ったものではない。彼女にとっての威嚇、そのものであるのだ。
エライザの言葉を聞き、静まり返っていた大広間が、次第にザワザワとしだす。皆が皆、女王の言葉についてどう思うかを相談しあっているのであった。まぁ、こうなるでしょうねぇ、と
エライザがニコニコと微笑みながら、しかし目は一切笑わせずにことの成り行きを見守る。
そして決定的な瞬間が訪れた。
大広間の大きな扉が乱暴に開けられる。一人の兵――王宮付きの兵、その大隊長である――が息を切らして大広間に入ってきたのである。
「き、貴様! このような華やかな場に何用があって入って参った!」
貴族の一人がそれを見咎めて叫ぶ。しかし、入ってきた兵は息を切らしながらも、その言葉に臆することなく、叫ぶ。
「伝令! 伝令!」
エライザが、いらっしゃい、とばかりに手でその兵を招く。女王直々に、伝令兵を近くに呼ぶなど異例なことだ。女王に招かれた兵が眼を白黒させながら、導かれたとおり恐る恐る玉座の近くまで駆け寄る。
「さ、何が起こったのか、諸侯にも聞こえるように大声で話してくださいな」
「はっ! メガラヴォウナ山脈、その王国側の麓に帝国軍が突如現れたとのことです! 数は一万から二万! 現在キューベスト伯爵が国境沿いの砦にて応戦しておりますが、帝国の軍勢は圧倒的であり、押し負けるのも時間の問題である、とのことです!」
エライザは心の中でほくそ笑んだ。本当に良いタイミングだ。何もかもがエライザの都合の良いように進んでくれる。
「さて、貴族の皆々様方。もはやパーティを続けている場合ではございませんね。一刻も早く、王都に兵を招集して下さいまし。もはや魔術師だけで構いません。早急に、迅速に」
エライザのその言葉に、しんと静まり返った大広間は、数秒後阿鼻叫喚の縮図と化した。
時は戴冠式の数時間前に遡る。
時は早朝。ティコストバシラ大壁。その砦に駐在する検問兵は、ワインを煽りながら、いつもどおりの退屈な任務を遂行していた。実に退屈な任務である。攻めてくるはずのない帝国を常に警戒し続けるという。
いつものように、ワインをやりながら、仲間同士でポーカーに興じていた。
「レイズだ」
「ふぅん。強気じゃねぇか。じゃ、俺もレイズだ」
「ドロップ。俺は降りた」
「他には? レイズするやつは? いねぇな? んじゃ、オープンだ」
検問兵達が、手札を見せ合う。
「フルハウスだ。悪いな」
勝ったのは最初にレイズを宣言した男だった。最後にレイズした男の手は、ツーペア。小さく舌打ちをして、トランプを投げ捨てる。
「ついてるじゃねぇか」
「へっへっへ。悪いなぁ」
勝った男がチップを総取りし、木樽でできたジョッキをぐいと飲み干す。気を取り直して、負けた男達が、次のゲームだ! と囃し立てる。
だが、勝った男がそれに乗ることはなかった。気づいた。いや、気づいてしまったのだ。
「おい、どうした。まだ賭けは始まったばかりだろうがよ」
「……お、おい、あれ。見ろ。見ろ!」
男が塀の向こう、メガラヴォウナ山脈側を指差す。
光だ。無数の光が浮かんでいた。メガラヴォウナ山脈その麓に。兵たちは皆が皆目を疑った。帝国からの侵攻。絵空事にすらならない話だ。
「キュ、キューベスト伯爵へ、伝令を送れ!」
「分かった!」
兵士の一人が、紙に「敵襲」とだけ書き殴ると、魔術の使える別の兵士がそれを配達の魔術で伯爵へ送った。
一斉に火矢が飛んできたのはその次の瞬間だった。
「やべぇやべぇやべぇやべぇ。おい! お前! 魔術師だろ! なんとかしろ!」
「いや、待ってくれよ! あの数……。何人いるんだ?」
「知るか! とにかく応戦だ! 大壁を超えさせるな!」
多勢に無勢。そんな分かりきったことを言い始める者はいなかった。とにかく弓矢を構え、矢を放つ。しかし、それの数千倍の矢が彼らの頭上から降り注ぐ。傍らにあった盾を頭の上に構えて、精一杯の抵抗を試みる。
「おい! 魔術師だろ! なんと、か……」
兵の中で唯一魔術を扱える者は、首に弓を生やして絶命していた。
次の瞬間、帝国の魔術師が放ったであろう魔術が、砦のど真ん中で炸裂した。爆発。炎上。
かくして、宣戦布告もない一方的な虐殺が始まったのであった。
歴史深い大壁は帝国の攻勢によっていとも簡単に崩れ去った。平和ボケした王国の兵士達にとって、何万いるかわからない帝国の軍勢は驚異以外の何者でもなかったのだ。
一方で敵襲の一報を受けたキューベスト伯爵の判断は迅速であった。コンスタントヴォンノの南、ノティアトヴォンノ平原に五千の兵を展開し、帝国を迎え撃つ。それと同時に、王宮へ配達の魔術によって伝令を出した。「帝国より奇襲あり。兵の数はおよそ一万から二万。勝てる見込みはなし。王国の北の地で殉ずる」と。
北方を守るキューベスト伯爵は善戦したと言えよう。帝国の軍勢を、数日とは言え押し留めたのである。だが、圧倒的な数の力にキューベスト領の兵士たちは見る見る死んでいき、そして帝国の軍勢は三日かけて伯爵の首を討ち取ることと相成った。
もはや抵抗する力等微塵も残っていないキューベスト領は、当然の帰結として帝国の占領下に置かれた。
帝国の侵攻。誰しもが夢にも思わなかった事態が、今幕を開けたのであった。
戴冠式の夜、全ての王国貴族諸侯に王家から直々の手紙が届いた。内容は簡単である。「帝国からの侵攻あり。至急兵を整え、王都へ迎え」。
その内容に、王国中が震撼した。
しかし、エライザの入念な下準備の甲斐あってか、魔術師のみで編成された兵が王都に集まるのは実に早かった。二週間。二週間である。帝国式の転移術式。その量産が功を奏したのであった。
陣はヴォレイアトゥヴァシラの南、キンズプレンズ平原に敷かれ、およそ一万の兵及び騎士が帝国の侵攻を待ち構える。
陣の最後方。そこには、他でもないエライザが居を構える。エライザがテントから姿を表し、騎士団長クイン・オールマンを筆頭にした騎士団達、そして武勇にかけては右に出るものがいないと自負する武闘派貴族達が最敬礼をする。
エライザの右手側、そこには彼女直轄の怪物処理人達が跪いていた。約百名。その誰もが怪物よりも怪物らしい、一騎当千の猛者たちである。
「帝国の蛮族どもが、恥知らずにもこの歴史深き王国に攻めてまいりました。宣戦布告もございません。愛国者諸君。諸侯らの働きに私は、多いに期待いたします! 戦果を! 勝利を! 私に見せて下さいまし!」
エライザのときの声に、貴族、騎士、怪物処理人が揃って応えた。
「イエス! ユア! マジェスティ!」
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