第十八話:夏季休暇の終わり
カーミラ誘拐事件――ロビンがそう言っているだけだが――の首謀者二人は、終身刑となった。罪状はとある貴族のご令嬢の誘拐。王国での誘拐の罪は、誘拐の対象が高貴な身分であればあるほど罪が重くなる傾向にある。そのご令嬢が公爵家の次女であることは箝口令がしかれ、王宮内の限られた人間のみ知るところとなった。王家直轄領である魔術学院で公爵令嬢が誘拐されたとなれば、その責が王家に向かうことを恐れたこともあるが、主に学院長の辣腕によるものであった。
二人の罪状等については、学院長が関係者らを集め、こっそりと教えてくれた。勿論、カーミラが吸血鬼であることは表沙汰にはなっていない。さすがね、あの狸親父、というのはカーミラの言である。
それはそれ、これはこれとして、夏休みも残り一週間となった。仲良し四人組は今や、ヘイリーと平民舎のエイミーを加えて、仲良し六人組となっていた。
貴族舎と平民舎は玄関すらも別々の建物となっているが、それぞれの学舎は長めの連絡通路で繋がれており、その中心には貴族と平民が交流するための部屋がある。尤も、平民との交流等もとより求めていない貴族の学生と、基本的に貴族を怖がっている平民の学生なので、その部屋を使うものは殆どいない。部屋にいくつか配置された机や椅子は、埃がどっさりと積もっている有様で、如何にその部屋が長年使われていなかったのかを物語っていた。
その部屋を最近良く使うようになったのが仲良し六人組である。部屋の惨状を見たアリッサがまず言ったことは部屋の掃除をしよう、ということだった。カーミラは少しだけ嫌そうな顔をし、ロビンは面倒だなぁ、という顔を浮かべた。その他のメンバーは特に掃除を面倒がる性格ではなかったので、アリッサの指揮によって、「交流室を綺麗にし隊」が結成され、今では学生が勉強したり、だべったりするのに最低限問題のない品質を保っている。
さて、仲良し六人組が何故この部屋に集まっているのか。それは、夏休みの宿題、その一言につきた。コツコツ計画を立てて進めるカーミラとヘイリー。夏休みが始まって一週間ほどで全て手を付けてしまうロビンとエイミー。問題は、歴史学の教師であるロニー・ラドクに頼み込み剣術の訓練に明け暮れていたグラムと、ひたすら魔法薬と向き合っていたアリッサだった。当然のごとく宿題なんて一切手を付けていない。二人はカーミラに泣きついた。このままでは、進級して真っ先に廊下に立たされてしまう、と。
しょうがないわね、とカーミラがウキウキした顔で彼らの頼みを承諾したことから夏休み最後の勉強会が始まった。カーミラにとって、友達と夏休みの宿題を片付ける――尤もカーミラは宿題を全て終わらせてしまっていたが――のは初めての経験だ。当然、ロビンもヘイリーも巻き込まれた。せっかくだから、エイミーも呼ぼうとなって、今彼らは交流室で夏休みの宿題を片付けるに至っている。
貴族舎と平民舎のカリキュラムは少々の違いはあるものの、こと魔術に関連する授業や歴史等に関して言えばほとんど同じである。出されている宿題に違いはあるものの、同い年のエイミーと他の五人の求められているレベルに違いはない。かくして、グラムとアリッサの夏休みの宿題を、既に宿題を終わらせてしまった四人が手伝うという図式が完成した。
アレクシアによるロビンの筋力強化の訓練は束の間の休息期間となっていた。シェリダンが終身刑となったことにより、学院に魔獣及び魔法生物の講義を担当するものがいなくなった。その穴を埋めるように、アレクシアが魔獣及び魔法生物の授業を担当することとなった。怪物処理人として、魔獣や魔法生物への知識を蓄えていたアレクシアにとって、その知識を披露することはそんなに難しくないという学院長の判断だ。筋力強化の授業は次年度から取りやめになった。やはりというか、習得できそうな見込みのある学生が少なすぎたためである。
アレクシアは次年度に向けて、授業の準備に奮闘している。平たく言えば、ロビンの訓練をしている暇がなくなってしまったのだ。そこにきて、グラムとアリッサの宿題を手伝いたいので、一週間ほど訓練を休みにしてほしい、というロビンの要望であった。アレクシアとしては苦渋の決断であったが、背に腹は代えられぬ、とロビンの要望を承諾する形となった。ただし、一週間は長すぎる、五日の休息だ、というのがアレクシアの譲れない最後の条件だった。彼女はロビンの訓練のため――ともすれば、それをストレス発散に利用している節もロビンには感じられたが――、徹夜も厭わない覚悟で次学期の準備をする決意に至ったのであった。
兎にも角にも、そんなわけで仲良し六人組は文字通り仲良く、交流室でグラムとアリッサの宿題を手伝っているのであった。
「あー! こんなんわかんねぇよ」
グラムが悲鳴じみた声を上げる。
「ハンデンブルグ様、わからないのはどこですか?」
エイミーがすかさず、グラムの元へ歩み寄る。グラムは、今詰まっている箇所をペンで指し示す。その脇には、手慰みに書いた落書きがあった。「ロビンの顔」と書かれている。そんな暇があるなら、もっと早く声をかけてくれればいいのに、とエイミーが小さくため息を吐き、ここは、こういうことですよ、とグラムにわかりやすく教えていく。
エイミーは平民舎の学生でありながらも非常に優秀な学生であった。平民舎での中間試験、期末試験では、常に五位以内に入っているというカーミラ並の化け物である。他人に教えるのも上手く、彼女が天才ではなく、常日頃から努力を欠かさない人柄であることがありありと分かった。天才という人種は得てして人にものを教えるのが下手くそである。アレクシアなんかがいい例ではないだろうか。
一方でアリッサはつまらなさそうに、机に突っ伏してペンを弄んでいた。本を読んでいたカーミラが、流石に見咎めて、ちゃんとやらないと終わらないわよ、と注意する。
「わかってる、わかってるけどさー」
魔法薬学以外に興味なんてない、と言い切るアリッサに、グラム以外の四人が盛大にため息を吐き、呆れた顔になる。カーミラが怒気を背負って、助けてって泣きついてきたのはアリッサ、あなたよね、と凄んで見せると、はい、やります、と急にやる気を出し始める。まぁ、それも数十分の話であり、すぐに集中力を切らし机に突っ伏してしまうのだが。このやり取り何回目だろう。ロビンが横目でその様子を見ながら、やれやれと肩をすくめた。
基本的に、グラムとアリッサが順調に宿題を進めている間は他の四人は暇である。暇であるとは言え、雑談なんてし始めようものなら二人の集中力を阻害してしまう。そのため、本を読んだりだとか、自分の勉強をしたりだとか、思い思いに過ごしていた。
二人が「ここわからない」と言い始めた時に、他の四人の出番がやってくる。カーミラとロビンは普通に教えてくれる優しい先生である。エイミーはわかりやすく教えてくれる素晴らしい先生である。しかし、ヘイリーは「なんでこんなこともわからないんですの!?」と怒りながら教えてくれる、ちょっとだけ怖い先生だった。
「そういえばさー」
アリッサが宿題に疲れ果てたのか、雑談タイムに入ろうとする。ヘイリーがアリッサを睨みつけるが、アリッサは気にした風でもなく続ける。
「先週、カーミラは結局どこ行ってたの? ロビンもなんか怖い顔してたし」
先週、つまりカーミラ誘拐事件の件についてだった。ロビンとカーミラは気づかれないように顔を見合わせて予め示し合わせておいた言い訳を話し始める。
「なんか、突然リシュフィリアの街に用事があったのを思い出して、一人で買い物に行ってたんだってさ」
「そうそう。日用品が切れちゃったのに気づいて慌てて飛んでいったの。ごめんね、アリッサ。約束すっぽかす形になっちゃって」
「本当にそれだけ?」
アリッサが訝しげにロビンとカーミラを睨めつける。
「本当にそれだけよ。ないと困る大事な日用品だったから」
「大事な日用品って?」
カーミラは困った顔を取り繕って、アリッサに言う。
「えっと、男性がいるこの場ではちょっと」
あっ、とアリッサが察した。カーミラが言っているのは要は生理用品のことであることに気づいたのである。確かに切れちゃうと大変だ。きっと、予定日が次の日とかだったのだろう。アリッサは一人で納得した。
「ごめんね、詮索しちゃって」
「いいのよ。心配かけてごめんなさいね」
カーミラが若干の罪悪感を感じつつも、納得してくれたアリッサにほっと胸をなでおろす。一番恥ずかしかったのは、こういう筋書きにしようとロビンと話していたときであった。恥ずかしさに顔から火が出そうになりながら、生理用品を切らしたってことにしましょう、と話し合った数日前を思い出すと、今でも枕に顔をくっつけて、「きゃー」って言いたくなる。ロビンの反応が「ふーん、じゃあそれにしよっか」程度の反応だったのが不幸中の幸いだった。この男、女性の心の機微にはとことん鈍チンであった。
「なぁ、男がいる前で話せない日用品ってなんのことだ?」
グラムがロビンにひそひそと話しかける。
「ここは詳しく聞かないのがエチケットだと思うよ」
ロビンはグラムに困った顔を向けながら、自分のことを盛大に棚上げした上で、人としてのエチケットを説くのであった。
グラムとアリッサの夏休みの宿題はなんとか五日で完了した。今日からまたアレクシアの死ぬほど辛い特訓が始まると考えるとロビンのテンションはダダ下がりであった。あぁ、さよなら平和な日々、こんにちわ、辛い特訓の日々。
いつもどおり、学院の前庭でロビンとアレクシアが向かい合う。
「いつもどおり地味だね」
「分かってたけど地味だよなぁ」
「二人共、そういう事言わないの」
「でも地味なのは事実ですわよ」
「筋力強化って難しいんですよね、ウィンチェスター様すごいですね」
いつもよりもギャラリーが多い。気が散りそうになるが、アレクシアの冷たい表情をじっと見つめて、集中力に変える。
「なぜ貴君は、集中が途切れそうになると私の顔をみるのだ?」
貴方の顔が怖いからです、先生、とは流石に言えなかった。
「えっとなんとなく、なんとなくロドリゲス先生の顔をみると集中が増すというか、なんというか」
「ふむ。まぁどうでもいいか。ではいつもどおりやってみろ」
良かった、なんとかごまかせた。ロビンは安堵のため息を吐くと、マナを全身に行き渡らせていく。両腕に浸透させる。オーケー、できる。次に両脚に浸透させていく。オーケー、これも問題ない。
「えっと、できました」
「うむ、やはり素晴らしいな。一皮剥けたのではないか?」
「えっとそうですか?」
「あぁ、強化にかかる時間が以前と比べるまでもなく早くなっている。実戦が人を成長させるとは言うが、ここまでとはな」
アレクシアが感心したようにロビンの身体を撫で回す。
「ねぇ、アリッサ。自称婚約者のあなたとしては、ロビンとロドリゲス先生のああいうのって有りなの?」
「あの二人から、そういう雰囲気になる可能性を感じ取れる? カーミラ」
「……確かに感じ取れないわね。どちらかというと蛇と蛙の関係性って言われたほうがしっくりくるわ」
ギャラリーがまた勝手なことを言っている。アレクシアは気にしないという表情を取り繕って入るが、ひくひくと頬がひきつっているのが、ロビンだけにはわかった。
「つ、次の段階に進むぞ。身体の中心部。つまり胸筋と腹筋、後は背筋。それらを強化してみろ。今の貴君であればできるはずだ」
「わかりました」
ロビンは言われるがままに、身体の中心部へのマナの浸透を試みる。やり方は今までと一緒だ。筋肉、骨、血管、あらゆる身体を構成する細胞をマナで認識し、そしてマナをそれに同調させる。じわりじわりと、マナが胴体を構成する筋肉や骨に浸透していくのがわかった。今までとは違う、新たな境地への進出に、ロビンの心臓が高なっていく。
「で、できました」
アレクシアがロビンの胸と背中を撫で回す。
「驚いた。本当に出来ているではないか」
珍しく、アレクシアが心の底から驚いたような表情を見せる。これはロビンではなくてもわかる。アレクシアは本当に心の底から驚いているのだ。
「ここまで早く、胴体の強化に成功した話は聞いたことがない」
「そ、そうなんですか?」
すぐにでも霧散しそうになるマナを必死で胴体に留める。
「ふむ、ではその威力を身を持って体感してもらおう。強化を緩めるな。そのままだ。
ハンデンブルグ! 丁度良いこちらへ来い!」
アレクシアがグラムを呼ぶ。グラムは突然呼ばれて、驚きながらも、こちらへ走ってきた。
「ハンデンブルグ。貴君はマナの剣をよく使っていたな。それで、ロビンの胴体を両断しろ」
呼ばれたことも予想外だったが、近寄ってきて言われたことも予想外だった。グラムは顔を青ざめさせる。同様にロビンも顔を真っ青にした。下手すれば死ぬじゃないか。
「さ、流石に危険なんじゃ」
「そ、そうですよ。やめましょうよ、ロドリゲス先生」
「やってみればわかる。さぁやってみろ」
この鬼教官は自身の意見を変えるきはさらさらないらしい。グラムはおっかなびっくりマナによって杖を剣に変化させ、ロビンの身体を切り裂いた。次の瞬間には上ロビンと下ロビンに分かれているという嫌な想像に、思わず目をつぶる。同様の想像をロビンもし、目をつぶる。恐怖でマナの霧散を防ぐのに必死であった。
鈍い手応えをグラムの腕が感じた。まるで鉄や岩石でも斬ろうとした時のようなそれだ。グラムはそーっと目を開く。
「あれ?」
「切れて……ない」
ほっとした瞬間に、ロビンの筋力強化が切れる。
「効果は実感できたか?」
「えっと、はい」
確かにこれは凄い。人体の急所の中でも狙われて危険なのは胴体だ。特に腹。骨も何もないその部分を切り裂かれるだけで、腸が飛び出し、容易に致命傷になりうる。
グラムのマナの剣の切れ味は折り紙付きである。マナを持たない野獣などであれば力など入れずとも容易く切り裂くことができる。なのに、ロビンの胴体には傷一つついていない。
「ふむ、怖がって強化が解けたか。残りは、首から上の強化だ。それと同時に、感情の揺さぶりによってマナを霧散させない特訓も追加する」
ロビンの素晴らしい成長を目の当たりにして、ご満悦なのか、鬼教官は、今日はこれで訓練はおしまい、ということにした。ロビンは未だに先程の上ロビンと下ロビンの想像が脳裏に焼き付いていてドキドキしていたが、それ以上に筋力強化の効果の凄さに興奮していた。
アレクシアが踵を返し、学院に戻っていく。それと同時に、ギャラリーがロビンの元に集まっていった。
「すごかったですよ! ウィンチェスター様!」
エイミーが興奮冷めやらぬ様子で、ロビンを褒め称える。
「貴方も中々やるようですわね」
ツンとした表情を崩さずに、ヘイリーがロビンをちらりと見る。
「なんか、私の知ってるロビンとかけ離れてく……」
アリッサが何故かがっかりしている。
「ロビン、やっぱりあんたって凄いわね」
カーミラがニッコリと笑ってロビンを褒めてくれる。
やいのやいのと、騒がしい六人を、アレクシアがふと振り返り見遣る。
「良い仲間に、良い成長。ふむ、ウィンチェスターの成長の源泉はそこなのかもしれないな」
アレクシアにしては珍しく、優しげな微笑みを浮かべると、また踵を返し、学院に戻っていった。
夏休みが終わる。色々な思い出を残して。
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