第八話:困ったやつ
ふん、と鼻息を荒げる少年がいた。彼はジョニー・クレイグ。貴族舎で魔術を学ぶ四年生、つまり最終学年である。親の爵位は公爵、そして彼はその長男。カーミラと同様、王家の傍流となる由緒正しき貴族であった。
両親からは、貴族という立場の者は特別なのだと常々聞かされてきた。あぁ、俺は特別なのだ、少年の脳にそういった考えが刷り込まれるのは時間がかからなかった。自分は特別で、貴族も特別で、それ以外の人間は有象無象である。王国の貴族にありがちな考え方であった。親から教えられ、それを曲解して学んでしまった少年は、今日のこの平民との交流会というものがくだらなくて、くだらなくて仕方がなかった。
会場のテーブルの上に所狭しとおかれた皿、その上に盛り付けられているカナッペを一つ自分の皿に取り、むしゃくしゃする気持ちと共に、それを口に放り込む。
「なんだか、ご機嫌が麗しくないご様子ですね」
取り巻きの一人、伯爵家の少年が、ジョニーに苦笑いしながら声を掛ける。
「あぁ、私の機嫌は全くもって麗しくないぞ。何故、私のような高貴な身分のものが平民などという薄汚れた者達と同じ部屋にいなければならないのだ」
「クレイグ様の仰るとおりかと、平民等取るに足らない存在。学院長も貴族として落ちたものですね」
ふん、ともう一度鼻をならすと、彼はサンドウィッチを皿に取り、それをまた口に放り込む。もぐもぐと咀嚼しながら、平民のグループに混じり、楽しそうに会話をしているカーミラを遠目で見つめた。
「ジギルヴィッツ。同じ公爵家だというのに、彼女には貴族の誇りがないらしい」
ははっ、と嘲笑しながら、取り巻きの顔を見回す。
「クレイグ様の仰るとおりですね。何でも、ジギルヴィッツはウィンチェスターや、ハンデンブルグ、ホワイト等と仲良くしているとか」
「ふん、そんな情報私の耳にも入っている。妾の子に、品位のない男、魔法薬の臭いが鼻につく女。実にジギルヴィッツに相応しいではないか」
ジョニーが、ニコニコと楽しそうにしているカーミラを睨みつける。ジョニーにとって、カーミラ・ジギルヴィッツという少女は目の上のたんこぶと言っても過言ではない。同じ公爵家ながら、自身よりも成績優秀、魔術の腕も秀でている。年下だということが、彼の自尊心の深いところまで傷つけてはいなかったが、それでもカーミラに負けるのは許さない、という実家のプレッシャーもあり、ジョニーはそのプレッシャーにともすれば押しつぶされそうだった。
全く鼻持ちならない。鼻持ちならないのだ。ジョニーは白銀の少女の何もかもが気に食わなかった。その美しさが気に食わない。その驕り高ぶった態度も気に食わない。そして、平民と仲良さそうに話しているところも気に食わない。
「ジギルヴィッツよりも、俺の方が優れている、そうだな?」
取り巻きの一人が媚びへつらったような笑いを浮かべながら、ジョニーに返事をする。
「えぇ、勿論でございます。クレイグ様はやんごとなきお方。たとえ身分が同じジギルヴィッツでさえも、その輝きには引けをとらないでしょう」
その答えに満足気に鼻を鳴らす。格が違うのだ、カーミラ・ジギルヴィッツと私では。ジョニーは心の中の淀んだ思いが、すっと消えていくのを感じた。
もう一度、カーミラの方を見遣る。仲良し四人組の噂は上級生まで浸透していた。四人組と聞いていたはずだが、いつの間にか親しげな人間が一人増えている。
先程、すっと収まった腹の煮えくり返り具合がまたも再燃するのをジョニーは感じた。何故、ジギルヴィッツはあんなに楽しそうなのだ。何故、ジギルヴィッツはあんなに親しげに本心からの笑顔を周囲に振りまいているのだ。ジョニーの周囲には、ジョニーに媚を売ることしか考えていない、クズどもばかりだ。そんなクズどもでも周囲に侍らせておけば、なにかしらの役には立つ。だが、ジョニーには本当の意味で友人と言える存在がいなかった。
身分の高いものは孤独なものだ。そう考えて人生を生きてきた。カーミラも数ヶ月前までは孤独の権化といっても良い学院生活を送っていたはずだ。その噂を聞いて、胸がすっとしたことがつい昨日のことのように思い出せる。
ところが、今はどうだ? 奴は孤独か? 何故あんなに楽しげな笑顔を浮かべている? ジョニーの中にどす黒い感情が沸き起こる。ジクジクと心をゆっくりと蝕んでいくそれは、さながら呪いのようだった。
「つまらん」
「仰るとおりでございます」
ニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべた取り巻きが、ジョニーがボソリと呟いた独り言に律儀に反応する。イライラする。ジョニーはその苛立ちを鎮めるために、左手に持っていたワイングラスを一気に呷った。
一方で、カーミラが引き起こした交流の波は、徐々に広がっていき会場全体に伝播した。平民舎の学生達は、恐る恐るではあるが貴族舎の学生達に話しかけ、貴族舎の学生達も部分的にではあるが、おおむね好意的に平民舎の学生を受け入れていた。
「ジギルヴィッツ様は魔術の腕もご堪能だとお伺いしてます。具体的にどのような訓練をしたのか教えてもらえますか?」
エイミーがカーミラにニッコリと笑いながら話しかける。
「私は学院に入る前に母にみっちりと仕込まれたの。学院に入るまでに上級の魔術まで使えるようになりなさい、って。正直つらすぎてあまり思い出したくない思い出だけどね」
カーミラが、母の訓練はスパルタだったわ、と顔を青くさせながら、笑顔を作る。そのカーミラの表情に貴族、平民問わずに笑い声が起き、和気あいあいとした空気が作られる。
「ウィンチェスター様はどんな魔術が得意なんですか?」
平民舎の一年生がロビンの方を向く。ロビンは困ったような顔をしながら、返事をする。
「僕は魔術はそんなに得意じゃないんだ。器用貧乏でさ。あ、でも最近筋力強化の魔術に適正があるってロドリゲス先生、ってわかるかな? に言われて、その訓練をしてるところ」
「ロドリゲス先生、あの変わった先生ですね。平民舎でも授業をしていますよ。まず真っ先に言った言葉が、『私は諸君らに一切の期待をしていない』でしたからね。平民舎でも皆驚いてました」
アレクシアは、初めての授業で冒頭に言った台詞を平民舎でも言ったのか。ありありとその光景が想像できて思わず吹き出しそうになる。
「ロドリゲス先生も、カーミラのお母様と同じでスパルタ気質でさ。いや、カーミラのお母様がどれだけスパルタだったのかは知らないけど、ロドリゲス先生は僕にゲロ吐かせるまでマナを酷使させるよ」
毎日毎日大変だよ、とロビンが苦笑いを浮かべると、誰からともなく笑い声が起こる。
「ハンデンブルグ様は如何ですか?」
エミリーが控えめにグラムに話しかける。
「俺は、実家の討伐団とかに参加したこともあるからな。実戦重視の魔術が得意っていうか、好きだぜ」
「アリッサは、魔法薬学においてはもうプロ並みの知識を持ってるって専らの評判だよ」
平民舎の学生達の数名が、アリッサの方を見遣ったのを目ざとく見つけて、ロビンが先手を打って望まれている回答を答える。
「いや、プロ並みって言うとなんか恥ずかしいよ。実益も兼ねた趣味ってだけ。でもそうだね、魔法薬の知識に関してはちょっとだけ自信があるかな」
平民舎の学生から感嘆の声が上がる。魔法薬学の作り手は平民の魔術師にとって人気の職業である。怪我を治すポーション、体力を回復させるポーション、需要は尽きない。それでいて、魔法薬学が比較的難易度の高い学問であることもあり、平民の魔術師が努力次第で大金を稼げる職業であるため、魔法薬学師は彼らの将来の夢の上位に食い込むほどである。
「そう言えば、ヘイリーってどんな魔術が得意なの?」
ロビンがヘイリーに顔を向ける。
「私は、人を癒やす魔術が得意ですわ。これでも、上級治癒も使えるんですのよ」
「へぇ、すごいね。上級治癒まで使えるなんて。治癒の魔術に関して言えば、カーミラ顔負けなんじゃない?」
「か、か、か、カーミラ様と比較されるなんて、そんな畏れ多いですわ」
カーミラがヘイリーに少しだけ困った顔をむける。
「ヘイリー、上級治癒の魔術は凄い難しくて、私も使えるようになるのに、相当時間がかかったわ。ヘイリーは治癒の魔術に適正があるのね。誇ってもいいことよ」
「あ、あ、あ、ありがとうございます」
ヘイリーはカーミラの言葉に真っ赤になって押し黙ってしまった。こいつのカーミラ信者具合はとどまることを知らないな、とロビンは思ったが、当然口には出さないでおいた。
そんな形で、会場の至るところで、小さなグループ同士の交流が始まっていた。ある者は貴族舎の学生に得意な魔術を尋ね、ある者は平民舎の学生に故郷の文化・風俗を尋ね、またある者は、貴族というのがどういった存在で、何を大事にしているのかを尋ねていた。
ロビン達一同は、ごめんね、やることがあるから、とエイミー達に手を振って別れると、会場全体の監視に戻った。
「平民舎の学生たち、いい子達ばっかりだったね」
ロビンがなんともなしに、カーミラに話しかける。
「そりゃあ、魔術学院に入るのには学費もそれなりに必要だし、平民っていっても良いところのお坊ちゃんお嬢ちゃんよ。勿論例外もあって、王国から奨学金が出るほど優秀な学生はまた別。でもそういった子も、文字が読めるか、とか、マナーがちゃんとなってるか、とか、そういうところまで勘案した総合的な評価で選ばれるの。いい子達なのは当然よ」
ロビンはカーミラの答えに、へぇ、と感心したように頷いた。
「知らなかったよ。っていうか、カーミラよく知ってたね」
「私の両親がね、学院に入学する直前に教えてくれたの。『貴方は貴族だから、簡単に魔術学院に入れるかもしれないけど、平民は学費が払えなくていくら才能があっても学院に入れない子がたくさんいるんだよ、だから魔術学院で学んだことは何一つ無駄にしてはいけないよ』って」
ロビンはまたまた感心してしまった。カーミラの両親の人格者っぷりは、カーミラの人となりをみればなんとなく想像がつくが、こうして彼女自身の口から、その教えを聞くとなんという聖人君子のような人間なのだろうか。
「カーミラのご両親は凄いね。カーミラを見てたら簡単にわかるけど、そこまで立派なご両親だとは思わなかったよ」
両親を手放しに褒められたカーミラは少し顔を赤くして、後頭部を掻き毟った。
「ありがとう、ロビン。私も両親のことは尊敬しているわ。両親のような立派な人間で在りたい、ってそう思ってる」
「公爵だから、僕が会うことはできないだろうけど、一度会ってみたいものだよ」
カーミラはロビンのその言葉に、ふふ、と小さく笑った。
「私もロビンを両親に会わせたいわ。私の一番の友達だって」
示し合わせたわけでもなく、二人でニッコリと笑い合う。ロビンは、この白銀の少女の飽くまでも実直に人間であろうとするその姿が誇らしかったし、カーミラは自分にたくさんの可能性を与えてくれたロビンが誇らしかった。
交流会も、残り一時間程度で終わろうとする頃だった。何事もなく終了するだろうと誰もが思っていたその時。会場の隅から、つんざくような悲鳴が上がった。交流会の実行委員たちは、何事かと思い、皆が皆その方向を即座に振り向いた。
「下がれ! 薄汚い女め。この私に話しかけようとは身分というものを弁えていないようだな」
エイミーがその小さな手から血を流し、涙を浮かべて俯いていた。
「も、申し訳ございません。ど、どうかご容赦を」
「私は高貴な公爵家の長男だぞ! 貴様なぞが易易と話しかけて良い相手ではないのだ!」
会場に点在している学院の教師たちは、突然起こった異常事態に自身がどう動くべきか測りかねているようだった。率直に言うと、おろおろとしていた。
そして、そういった教師たちを差し置いて、迷いなく真っ先に動いたのはカーミラだった。広い会場に所狭しと並んでいる学生たちの合間を縫って走っていく。ロビンとヘイリーもそのカーミラの様子に気づいて、走り出した。
カーミラがことの中心人物である二人の前へ立つ。その目に静かな怒りを湛えながら。数秒後、ロビンとヘイリーが遅れてその場へたどり着く。
「一体、なんの騒ぎかしら?」
白銀の少女が静かに中心人物である二人に尋ねる。エイミーの手から流れる血に気づくと、小さく、エイミー、と呼び、彼女を庇うように前に立ちふさがった。
「これはこれは、ジギルヴィッツの次女ではないか」
騒ぎの中心人物は、カーミラの同位の公爵家、その長男である、ジョニー・クレイグだった。カーミラは彼を、キッと一瞥し、すぐにエイミーの方に向き直った。カーミラは教師達がおろおろとしている理由が少しだけ分かった気がした。爵位の高すぎる者――例えば公爵家だが――は、教師陣からすると腫れ物である。学院長の権威に守られているとはいえ、公爵家の人間にあれこれ手出しするべきかどうか迷っていたのだろう。だから初動が遅れた。大広間の各所に点在している実行委員達もどうようであった。
「エイミー。痛くない? すぐに治してあげるからね。術式展開、キーコード治癒」
薄緑の光がエイミーの右手を包み、エイミーが負った浅い傷を癒やしていく。ありがとうございます、と泣きながら小さくエイミーが呟く。カーミラは彼女を安心させるように、優しく笑いかけて、頭を撫でる。
「貴様、この私を無視しているのか?」
カーミラは答えない。エイミーの傷の治療を終えると、再びジョニーを見据えた。
「ジギルヴィッツ。貴様は同じ公爵家ではあるが、貴族の立ち居振る舞いというものを理解していないようだな。付き合っている薄汚い変わり者たちにでも毒されたか?」
鼻を鳴らして、ジョニーがカーミラを、そしてその友人等を侮蔑する。綺麗に白銀の少女の地雷を踏み抜いた事も知らずに。
「クレイグ。貴方、自分が何を言っているのか分かっているの?」
カーミラの目が一瞬赤く染まる。周囲の学生たちが、目の錯覚ではないかと、目を擦り、瞬きをする。ただ次の瞬間には、彼女の目は生来のものに戻っていたため、誰しもが自分の勘違いだったと思った。
カーミラの苛烈な怒りは、彼、ジョニーに向かって、一直線に伸びていた。
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