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 陽は落ちた。

 少なくとも行き先に車が向かう先に、人工光はなかった。

 運転席におさまった清志郎はハンドルへ手をかけ、じっと前方に視線を向けていた。

 助手席にはビニール紐によって、後ろ手に拘束された森川がいた。無表情の顔に昨日今日と混じった細々した傷があり、衣服もよごれていたが、生死の境をさまよう状態ではなかった。自由を奪われているだけで生命的には無事といえた。

 ヘッドライトで照らす先には、常に土がむき出しの未整備であり、自然なまま申し訳程度に平たい荒れ地だった。

 そこを走り続ける。

 やがて清志郎はいった。

「無免許だ」

 淡々とした口調で告白した。

 森川は微塵も反応しなかった。視線もまったく動かさない前だけを見てた。閉ざされた口は、よもや永遠に言葉が発せられないようにさえ思える。

「そんなに笑うなよ」清志郎は躊躇せずに独りよがりをいった。「ほんと、お前の反応は自信になるぜ」

 適当、好き勝手にいって運転を続ける。

 森川は瞬き以外、何もしない。呼吸も恐ろしく静かで、まるでしていないようだった。

「ラジオでもつけるか」

 沈黙に耐え切れなくなったというよりは、適当を使って、清志郎そんなことを言い出す。

「落語でもやってないかな」

「どうせなにもできないよ」

 オーディオのスイッチ類へ手を伸ばしたとき、森川が口を開いた。

 清志郎は即座に反応しなかった。勝手知らぬオーディオを操作をしていたが、やがて「それ、お前の決め台詞なのか」顔を見ずにいった。

「どうでなにもできない、とか言いってるけど」清志郎はオーディオ操作を続けつつ言う。「むしろ、なにもできねえのは、いままさにお前の状態そのものだっていう、そういう矛盾に気がづかないもんかね」

「そうでもない」

 挑発するでもなく、落ち着き、心底そう思っている様子で答えた。

「ったく、お前も厄介なとこまで鍛え上げたもんだね、精神」

 清志郎はため息を吐きながらいった。

「この会話」森川が口を開く。「展開によっては、交渉に発展する可能性はあるのか」

「ほら来た、最近の若いやつはすぐ実利第一主義で人間関係こなそうとする、もはや、どこいっても気さく会話もできねえ」

 自身も大して相手の年齢が変わらないにもかかわらず、清志郎は平然と述べる。

「あるのかないのか」

 戯言をすっきりと無視して再度確認を仕掛けてくる。

「交渉の可能性はあるさ」

 清志郎は不快さをみせず、明確に答えた。その上で告げた。

「おれの目的はあの子をここから解放することだ。交渉で出来るならそれでいい」

 ハンドルを握り、前を向いたままいった。

「お前は負ける、あの人には勝てない」

 やがて脈絡なく森川から放たれたそれは、どこか鏡に向かって言っているようにも見えた。

「或って或る者のことか」

 清志郎は慎重、静かに添えるようにその存在を口にした。

「いいよ、あの子が解放されるなら負けてもいい」

「負けて、お前が死ぬだけだよ」

 事実的な口調で伝えてくる。

「あとは何も変わらない、いまのままがずっと続く、何も変わらない」

「わるいな」清志郎は顔を向けずに言う。「おれはお前ほど複雑な生き物じゃない」

 森川は無表情を保っていた。

「おれはあの子を解放できれば後はなんでもいい」

 清志郎は宣言して続ける。 

「で、そのためにおれはいまこうして遠慮なくこの《空き箱》に手を出している。これは決勝戦だ。だって、おれはいま、お前たちから濃厚に狙われるんだろ、だとすれば、そのうち向こうからどんどん仕掛けてくるんだろ、で、おれはお前たちが来たところを返し討ってく。これ繰り返す。そうすればいずれそっちは最後のひとりになる」

「夢物語だな」

 一言で切り返された。愛玩以外に動物へ欠けるような言葉だった。

「しかたねえだろ、なんせ、こっちは御大の居場所がわからねえ、調べる自信もねえ。だからこの雑な方法だ。あ、プロの方法だからな、やりたくても、お前はマネすんなよ」

 清志郎はかまわなかった。やすく噛みつかず、好きにいった。

「仕掛けて来た奴をかたっぱしから討ってく。で、記念すべき最初のひとりがお前だ、森川。来てくれてうれしいよ。盆と正月にサンタクロースが家に来てくれたくらいうれしいさ。おれは、この土地ではお前しか知ってるヤツがいないしな。ダークな意味で、この土地で頼りになるのはお前だけだ。それに調べたら、お前の妹が、あのコンビニでビジネスに勤しんでるってのは、随分有名な話だった。特殊な風景のコンビニってんでも有名だったし、しかも二人とも顔が目立ち過ぎる」

「情報を流した奴がいるのか」

 声に鋭いもの含まれていた。情報を流した裏切り者がいるのか、それともこの土地に対して攻撃的な思想を有する者によって流されたのか、それとも。

 いずれにしても、それは或って或る者の敵であり、この土地にとっては滅ぼさなければならない者である。森川の内部に組み込まれたシステム動き、心臓がぎわりと音を立てた。

「いや、一般人がつくった彼女のファンサイトがあった、彼女非公認のな」

「……………」

「完全にお前の妹のルックのファンがつくったサイトだ。それに、おまえら顔似てるし、やっぱ目立ってるらしいぞ、お前のこともしっかり書いてあった。こぼれ話として、彼女には双子の兄がいるらしい、とか。ファンの情報収集への執念はじつに素晴らしい、なんせ、おれ救ってくれた」

 根底で褒めているのかいないのか、聞いても判断の難しい、ややっこしい言い方をした。

 話を聞いて、しばらくの間、森川は黙していたが、やがて「くだらん」と、ひとことつぶやいた。

 すると、そこへ清志郎は「交渉の話に戻るか」自ら会話をそちらへ運んだ。

 交渉について持ち出したのは森川の方だった。それをまるで清志郎はむしろ自ら促進するようなかたちで仕掛ける。

 会話の流れに、人工的な支離滅裂を含ませている。

 呼吸や間合いを狂わせるようとする、その小癪性を、森川が気づいていることはわかっていたし、安易にひっかかるとも思っていたいなかった。

 ただ、いまの清志郎には手数を惜しむ気持ちはなかった。

「おれは現在、こうしてお前へ自首しているわけだが」

 運転しながら、隣で拘束状態の森川へそう話しつづける。

「このまま、ドカンといって、おれをお前らのボスへ差し出してくれてもいい」

「それは何の作戦だ」

 問いかけた後で、森川は眉間にしわをよせた。

「だって、そうすれば、お前たちのボスの場所がわかるだろ。ボスのまえに差し出されるんだから」

 素の様子で答えを返す。 

「おまえたちのアジトの場所がわからん、どこいっていいかわからんのだ」

「ボスとか、アジトとか、子供みたいな表現だな」

 苦笑ほどまではゆかないもののをみせる。

「本気なのか」森川が訊ねる。

「そりゃあ言ってる時と、やってる時だけは常に本気だわな。いや、まあ、のちのち、ああ、あれはどうにも脳ミソが面白くなり過ぎてからあんなことしたんだなあ、ってのばっかだが。けど、そういうの、あんだろ?」

 森川へ問いかけた。

 昨夜、発砲され、腕や腹をナイフで刺した相手に対し、極めて軽々とした口調でしゃべるかけてくる。

 はっきりいって異様な人間だった。だが、口調と態度のせいか異様さない。不気味なりそうだが、不思議となっていない。

 考え、森川はいぶかしげに清志郎を見た。

「おれを殺さないのか」

 会話の流れを断って、森川は訊ねた。

「殺さない、おれは眠らせるだけだ」

 清志郎は戸惑わず、明瞭な口調でそう返す。

「ねむり一族の末裔か」

 森川が前を向いてつぶやく。それから続けた。

「お前、偽物なんだろ」

 一瞥を入れた。

 森川はさらに続けた。

「先祖から受け継いだ特別な薬でどんな人間も眠らせることができる。でも、実際はそんな薬は存在しない。素早い当身で相手の急所に打って意識を奪うだけ。お前が人に与えてるのは眠りじゃなくて、気絶だ。素人にしか通じない雑な曲芸だ。しかも、誰でも眠らせられるという名目で攻撃の依頼も受けることも」

 そこまで話して森川はまた一瞥を入れる。清志郎からの反応はなかった。ひとときして視線を前へ戻し「有名な話だ」と言葉を添えた。

 清志郎は黙したままだった。

 森川は「他の嘘もある」言葉を重ねる。

「適当に走っているというのも嘘だ、お前はトリナシに向かってる。場所はわかってるはずだ」

「ああ」

 清志郎はかんたんに認めた。

「ネットで調べた」

 情報源も口にした上で、続けた。

「そして、お前に自首する、ってのは、お前を混乱させるために言ってみただけだ。意味はない、意味がないのに、どういう意味なんだと考えさせることで、そこに油断が生まれると目論んだ。油断が生まれなくても別によかった、そこの効果はさほど期待してねえ」

 すべて話しまっている。

 そうではなく、すべて話ているように聞こえるだけか。

 もはや、森川は清志郎とそれなりの量の会話を交わしてしまった。いまとなっては、そう語られても、どこまでが真実か否かの判断がつきにくくなっていた。既に、森川にとって、清志郎との間合いは、やっかいな代物と化している。

 森川が内部で情報整理しているのを見切ったように、清志郎はそこへ情報を追加する。

「お前を捕まえてこうして強制的に道を共にするのも計画のひとつだ。夜、ここは道を知ってないとヤバいって話だったからな、知らないと干上がった海底落ちるって。お前はカナリアだ、ヤバい場合はピヨリと鳴いてもらおうという算段だ。おれと一緒に死のは嫌だろ、もし一緒に死で、下手したら墓標も並べられちまうぜ。だから、照れてないでヤバい道だったら何か、音、だせよ。音に芸術性までは求めないから」

 やや間があいた後だった。

「運が良かったな」

 ふと、森川がそういった。どういう意味かについては話さない。

 だが、清志郎は様子を変えなかった。

「あ、ちなみに、お前の妹のファンサイトの管理人はあのコンビニの店長だ」

 ここまでの会話の流れを無視するような、情報だったが、やり取りをするなかで、この種の刺激には慣れ始めたのか、森川はさほど驚きをみせなかった。

「その店長本人から話を聞いて、シフトも代えさせて妹を今日出勤にさせた」

「あいつは無関係だ」

 清志郎は反応しなかった、そのまましゃべる。「店長の話を聞いてるうちに、お前の妹がいる、あのコンビニを襲撃すれば、お前が来るだろうと思った。まえにも似たなことがあってお前は似たように駆けつけた」

「お前も好きなことばかりやるんだな」

「人を巻き込む場合は可能な限りエンターテイメント体験にしようとはしている、ケガもさせない。申し訳なくも実際に出来てるかはさておき、気持ちはそれでいるさ」

「悪党みんなそんなことばかりを言うよ」森川がいった。

「誰も傷つけないのが理想だ。その理想は何度も死んだ、それでも何度も息を吹き返しやがる」

「思想犯めいている、嫌いな種類の人間だ」

「なあ、はからずもお互いの青春を持ち合ってちまってるぜ、いままさに」

 まるで気づかせるように清志郎はそっと笑みながら森川にいった。

 かすかだが、森川は虚をつかれたかの表情を浮かべた。だが、そのかすかな変化もすぐにかき消された。

 森川は口を開いた。

「あの子はお前を信じてる、お前が同じ一族だと」

 話を戻すうように、それを持ち出す。

「だが、違う。お前は偽物だ、偽物の一族だ」

 淡々とモノさばくようにいった。

「あの子のなかに流れる血とは別物の血だ、お前と同じものは何も流れてない。お前は、お前の親と、その親から、ずっと嘘の血を受け継いだだけの人間だ。遥かむかしに、お前の先祖がついた嘘を子孫が受け継き続けてここにいるだけだ。お前は本物じゃない。あの子とは違う。お前の血は、ねむり一族を騙り、ありもしない睡眠薬を売って生きて来たただ人間の末裔でしかない」

 清志郎は口を閉ざして聞いていた。

「眠れない相手から意識を奪うため、曲芸めいたことまでやる」その滑稽さ強調するうおうに言う。「ねむり一族って嘘をつき続けるために、お前の先祖がつくった可笑しな体術のことは知ってる。お前らは先祖代々受け継いだ奇妙な一撃昏倒の当て身技でなんとか嘘の血をつないできた。だが、そんなものここでは塵だよ」

 そこで言って、ふと、今度は森川が口を閉ざした。

 それから程なくして、言った。

「やっぱり、どうしてもあの人には勝てないよ、死ぬんだ」

 わずかだが、言葉の最後に感情のゆれがあった。

「あの子はお前を信じたが、お前は辿りつけず、あの子には、いつまでも願った助けはこない。そしていずれ、あの子も、お前が偽物だったと知る。あの子の心も死ぬ」

 話す。森川にみられた小さな感情のゆれは、もうどこにもなかった。

「お前はあの子を信じさせただけで終わりだ。お前はあの子に嘘つき、罪をつくったけだ」

 既に過去のものとして語る。それから森川は「世の中、こんなことばかりだ」と吐露するようにった。

 それからは、しばらく言葉は途切れた。

 車内にはタイヤが砂利をはじき、シャーシに当たる音だけがよく聞こえた。

「おれは子供のとき父親が好きだったよ」

 ふと、清志郎がいった。

「で、今日まで年を食うにしたがって、だんだん、わかってきた。おれの父親ってのは、とんでもないインチキなもんなんだった、ってな、完全にわかってきた。おれの父親の正体ってのは、おれが子供のときと思ってたのは全然違う生き物だった」

 いったい何の話を始めたのか、森川には、はかりかねるように相手を見る。

 かまわず清志郎は続けた。

「でも、けっきょく、最後までその親父のことは好きだった」

 言って、清志郎は笑ってしまっていた。「インチキ野郎って、正体がわかっても好きなんだぜ」その笑みを浮かべたまま「たまんねえだろ」と、一度、森川へ顔を向けた。

「信じたいと思ったものが、信じるに値するものだった」

 顔をまえへ戻す、笑みは続いていた。

「おれはそれになりたい」

 また新しく笑ってみせた。

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