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 数分後、コンビニから車へ戻って来る清志郎のその手には靴下があり、その背後には、サンドイッチを口に咥え、いかり肩で歩く工具入れを持った若い女性があった。

 木助は窓越しにその光景を目にし「おっと」と、声を漏らし、少し愉しそうな表情をした。

 清志郎は助手席のドアを開き、車内へ乗り込んだ。それから「全速全身」と、言い放つ。

 だが、発車するよりの前に、赤見はフロントへ回り、進路をふさぐように立つと、持っていた工具はボンネットへ置き、咥えていたサンドイッチは上着のポケットへおさめた。

『出ろ』

 動きだけで伝わるよう大きく口を動かして告げる。

 すると、木助は「おい、見たか」と清志郎へ声をかけた。

「ああ」

「いま、食ってたサンドイッチを直でポケットへ入れたぞ」

「おれ達には無い文化だ」

 清志郎は淡々と答えた。

『出ろ』

 今度も動きだけわかるように、口を大きくあけて告げてくる。

 すると木助が「出るの?」と童子のように助手席へ問う。

「出ない」清志郎は即座に回答すた。

『ころすぞ』

 そういわれ清志郎は、数秒ほど間をあけた後、窓を開け、顔を半分出した。

 それから。

「応援ありがとう」

 一方的に言い、窓を閉めた。次には平然と「すべて終わったぜ」と木助へ告げた。

 すると、赤見は工具入れを手にとり、いかり肩で回り込むと、後部席のドアをあけ、車内に入って来た。

 木助は極めて、無関係者の構えで「終わるどころか、新鮮な問題を生産したんじゃないかよ」といった。

 清志郎は木助を見た後、後部座席を見た。

 そこには眉間に、強く深いシワを寄せた赤見の顔があった。

「絶対安静って言ったでしょ」

 まず立場の遠慮などない叱り方だった。

「なのに、なんで、いま、外に、出てんの」

 露骨に区切り区切り、ひとつひとつを、はり手を叩きつける如く言う。

 攻め問われた清志郎だったが、様子は微塵も変えず「その話は、長引くかのか?」と逆に訊ね返した。

「傷だ! 傷が縫ったばかりだ!」

 とたん、犬歯をむき出しにして叫ぶ。コンビニの駐車場に容赦なく響き渡った。

 その指示を聞かない患者への怒りは濃く、高く激しいものだった。

 だが、清志郎は怯まなかった、無表情のままじっと見返す。

 見返され、赤見も強い眼で見返す。

 しばらく、見合い続いた後、ふと、清志郎は顔を影らせた。

「助けたい人に助けを求められた」

 真っ直ぐに告白した。

「待たせたくない」

 急に、ひどく人間らしくなって言う。その変化はじつにはっきりしていて、赤見が虚をつかれていたところへ続けた。

「木助、頼む。車でこのまま先生を、先生が望む場所までお送りしてくれ」

 清志郎はそう告げると、見は、ちょっと待って、と言いかけた。

「時間が惜しい」

 清志郎は、過ぎるほど落ち着き、内臓まで響くような低く存在感で制した。

「先生、秘密は走りながら話す」

 赤見は開きかけた口をゆっくりと閉ざした。後部座席からしばらく清志郎の様子をうかがった。しかし、根負けしたように息をつく。

 次には顔をあげて「あやしい」と、これまでとは違い、素に返ったようにつぶやいた。

「いいよ、ならしてみて、秘密の話」

 それから、調子をわずかに戻し、上から試すように促した。

「ああ、だいじょうぶだから」

 何が大丈夫なのか。赤見はまず主語なく言って、二人の意識を向けさせた。その上で、工具入れへ手を乗せてみせた。

「この鞄のなかにはいつも装填済みの銃が入っている。だから、あやしげな男たちの車に女性ひとりで乗っても大丈夫」

 実物こそ見せなかったが、鞄の表面をさすり、じつに露骨な警告を口にした。それも、様々な場面で何度も口している気配があり、芝居じみた口調には、ややクセがついてみえた。ただ本人も、それを相手に伝えることを事態を愉しんでいる節はあった。それを伝えて相手の反応を見るのが好きなのだろう。

 だが、ふたりはこれといった反応は見せなかった。こういう場面に慣れているというより、渇いているようだった。木助は、どこか作業的に間をあけると、前を向き、エンジンをかけ直して、サイドブレーキを外した。

「で、先生、どこへ、どこまで送りましょうか」

 銃の件は聞いていなかったように訊ねる。

 問われた赤見は物足りなさげな表情をした。

「いいのよ、だったらあなた達が行きたいところへ向かって。その間に話して、わたしに、わたしが貴方へ下した完璧な診断を無視していいと思わせたら、そこで降りる」

 腕を組み、さほど深さも柔からさもない、後部座席に背を預ける。

「ゲームだな」

 清志郎がフロントガラスの向こうを眺めたままいった。

「変わった仕事してるしね」すると、赤見は自身へ言い訳するようにいった。「代わりに、変わった体験くらいしてなきゃ割にあわない、とかって、あるでしょ、気持ちのとき」

「そういう日もあるね」

 淡々と認めて、清志郎は一度、手で髪を後へなでつけた。

「あー、あと、ごめんごめん」赤見は小さく謝り「寝てないからナチュラルハイ、ちょっと入ってる」小さな言い訳を追加した。

「先生は夜通し、お前の治療をしていた。安定するまで持ってくださった」

 木助がハンドルを握りながら説明した。

 自身のことを話され、赤見はやりにくそうに一度、黙ったが、それを振り払って口を開く。 

「さあ、特別な話して、本気のやつね。でないと、わたしはたぶん、覆されない」

 一定の礼儀感は含みつつ、しかし、叩きつけるようにいった。

「絶対安静の相手に対して、まあ、なんと攻めた要求だこと」

 清志郎は感想を述べた。

「だって、線引きってあるでしょ」

 赤見は言葉で打ち返す。

「ここからある一定のラインを越えたところから先は、矛盾を放棄して進むべ領域、貴方がわたしをそこへ誘い込んだ。そこに立ったら、徹底しなきゃ」

「なんのために」

 そう清志郎が問い返すと、それは不意打ち似た効果を発し、赤見は黙してしまった。

「さあ」

 一度は、その問いを払うように声を発したが、答えられず、みじめな気分になることを避けるためか顔をあげた。

「わたしはずっとそうやってきた」

 詳細な言葉による回答ではなく、自身が今日ここに存在しているのは、今日までの生き方によるものであり、そして、いまこうして生きている現実がこそがつよい正解である、という気持ちを宣言した。それは、はからずも自己確認の作業となり、赤見の視点は自身の内側へと向いた。

「先生さ」

 そして清志郎が呼びかけると、赤見は我に返った。

「おれの商売、こいつから聞きましたか」

「聞いてない」

 顔を左右に振ったその仕草は、少女的な印象を帯びていた。

「彼からは治療の依頼を受けただけ。好奇心で患者の素性は詮索しない」言った後で、発言と現状の矛盾に気づき「この場は特別、そう、特別編」補足した。

「おれはね、先生、ねむり一族、ってのの末裔なんだ」

「ねむり一族?」

 いぶかしげに聞き返す。

「代々、眠れない人から依頼を受けて眠らせるのが家業」

「それ、人殺しなの」

 異様な業界に勤める者と読解力が働き過ぎたのか、そう読み取って赤見は聞いた。

「いいや、比喩ではなく、実際に、人をただ眠らせるだけ」

 慌てず、明確に伝えた。

「不眠症を解消するの?」

「そういうのふくめて、眠れない人間を眠らせてきた」

 やや間があいた。

「聞いたことあるかも」

 ふと、頭の片隅に住んでいた記憶に気づいた。

「世間には妙なのがいるって。依頼を受けて、どんな人間でも眠らせる」

 好奇心は患者に対して持ち込まないといっていたが、けっきょく、興味をわかせてしまったのか、赤見の声はわずかにあがっていた。

「特別な眠り薬で眠らせるんでしょ」

「ええ、先祖代々の秘伝の眠り薬で。副作用は無しです」

 清志郎は前を向いたまま肯定した。

「本格的に思い出してきた、世の中にはそんなのがいるって」

 そこではっきり赤見はいった。

「あなた、どんな人間だって眠らせられるんでしょ」

「しくじったことはない」

 断言には、傲慢さも自身もなく、声は渇いていた。

「うそ」

 赤見もまた断言した。

「副作用もなく、誰にも効く眠り薬なんてない」

「それがあるからこそ、我が一族が特別たる所以で」

「あ、わかったわかった」

 溜息を吐きながら赤見は、おおざっぱに受け入れた。

「どうせ何をいっても、言い訳しか出てこないんでしょ」あきらめではなく、固定の距離を決めて続けた。「でも、そこはもういい。それで、貴方が、その〝ねむり一族の末裔〟だからなんなの」

 攻撃性を静かに増す。

「この世にねむり一族はおれ以外もういない。おれが最後のひとりだ」

 対して、清志郎は何も変えなかった。

「おれには兄弟もねえ、親戚もいない、そっち方面はずいぶんむかしに全滅した。残ってた親父も二年前に死んだ」

 脈絡のない話をされた感じはあった。だが、清志郎のどこまでも落ち着いた様子には、安定感があり、赤見は苛立ちは覚えなかった。

「助けきゃいけないのは、そのいないはずのもうひとつの末裔だ」

 その奇妙な言い回しは、作為的だった。

 そして大きく反応したのは運転席の木助だった。それまでどの話にも口を挟まず、無反応で運転に徹していたが、助手席の清志郎へ顔ごとわずかに向けた。顔はすぐに前へ戻したが、視線は不安定に動き、ひどく気掛かりにあるのがわかった。

「その末裔がおれに助けてを求めてきた」

 そのときだけ、清志郎の声は訴えるようだった。

 だが、すぐに音調を戻した。

「ところが、調子に乗ったせいでやたれた」

「それが昨日の夜なのか」

 木助が声を発した。

「ああ」

 清志郎は苦笑に留めてうなずいた。

「だから、すぐに助ける。傷が治ってからってのはナシだ」

 けん制するようにいった。

「助けるんだ。傷が治ってからとか、そういうことに躍起になって場合じゃねえ、こればかりはいますぐ助けにるしかねえ」

「いたんだね、清志郎」

 ほんのわずかだが、木助は感情は高ぶってみえた。声も震えていた。

「まだおまえの一族がいたんだね」

 ついには泣き出しそうだった。

 その様子から、赤見にも他に末裔がいたことが如何に、重要なことなことがは感じとれた。

 すると、清志郎は「落ち着けよ」あたらしく苦笑して運転席の木助を宥めた。

「はは」

 それから、笑った。

「そうか、わかったぜ、先生」

 清志郎に笑い声とともに振り返られ、赤見は、はっとなった。

「鎮静剤打ったろ、どうもまだ効いてるらしい。どうりで制御不能でしゃべっちまうな。あれは効くからなあ」

 顔をまえへ戻し、清志郎は笑みを静かにといた。

「眠って治めるよ」

 言い放つと、静かに目をつぶった。

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