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 赤見が目を覚ますと車は停車していた。

 いつの間にか、眠ってしまっていた。

 赤見はドアに半面を預けたまま見ると、運転席も助手席も空だった。

 頭がすっきりとしていた。朦朧としたところが微塵もない、どれほど眠ったのかはわからないが、質の良い眠りだったらしい。

 後部座席に身を沈ませた状態から見えるフロントガラスの向こうには、わずかに青くある空だけが広がっていた。サイドガラスの先の同じだった。青みの乏しい空と、かすかに焦げたような雲が流れている。

 空しか見えない空間にいると、海に漂流でもしているのではないかという錯覚も可能だった。だが、そこまで想像の豊かさを保ったまま大人にはなっていない。むかしなら、そんなことも想ったりしたかもしれない、そう考えることもまた、想像の作業領域ともいえたが、いずれにしても他愛のないことだった。

 完全に身を起すと、空の下に柵が見えた。

 木助が柵のまえに背中を見せて立っていた。手には飲みかけらしき缶珈琲を持っている。

 絶えず風が吹いているのか、木助の後ろ髪が揺らめいていた。

 ひどく背を真っ直ぐに立っている。そんな小さな感想を頭のなかでつぶやき、赤見は車を降りようとした。その際、一度、鞄へ手をのばしたが、少しして、けっきょく、何も手にせず降車した。

 ドアを開け外に出ると、とたん、風に包まれた。不意打ちにかるく驚いた。髪を自由に弄ばれ、冷えた外気によって、一瞬のうちに現実感が戻って来た。

 冒険者のために吹くような風のなかを進み、木助のいる柵の傍まで寄った。

 高台から望む街の景色があった。

 コンクリートで固められたその場所からは街が一望できた。立っている広場を頂点に、家々が段々と建ち下り、家々の合間には鮮やかな過ぎるほど緑が見えた。街は延々と続き、小学校や、路には塵ひとつ落ちている感じがない。

 新品の街だった、くすみはどこにもない。まだ包装紙を剥いで間もない印象を受ける。

 赤見が斜め後ろに立つと、木助は降り返った。

「あいつは」

「行きました」

 聞かされ、赤見は黙した。

 よく眠ってしまったせいか、苛立ちを起こすことができなかった。だが、すぐに感情を抑制させ、表情を中心に戻した。

「あんたは行かないの」

「あいつ、ひとりでやるもん宣言したもんで」

「なに、その子供番組の名前みたいな宣言」

「いや、じっさい、一緒にいると、足手まといになるだけですからね、おれ。運ぶだけですから」

「うん、それ、なんかわかる」

「おっ、攻めの姿勢ですね」

 なにやら嬉しそうな表情して返す。

 赤見はひとときほど、ただ顔を向けた後、あさっての方へ視線を放った。

「わたし眠っちゃったのか」

「いいえ」

 ごくかるく、木助は否定する。

「ヤツに眠らされたんですよ」

 言ってポケットに手を入れ、未開封の缶珈琲を取り出すと、赤見へ差し出した。

「どうぞ」

 言われ、赤見は缶珈琲を一瞥して手にとった。渡してしまうと、木助は再び、街の方へ身体を向けた。

 そのとき、赤見はふと、視界の端に白い気配を感じた。見ると、ウミネコが一羽、柵の上にとまっていた。一瞬、つくりものかと思ったが、羽毛は風に揺れ、ときどき、首を動かしているため、本物だとわかった。

 いるのはその一羽だけだった。周囲に仲間は見当たらない。

 少し探して、赤見はまえを向いた。街を望んで静かに呼吸を繰り返す。

「まえに来たときは何もなかった」

 よわい風が何度か吹いた頃、そう発言した。木助にしゃべりかけるために放った言葉というわけでもなさそだった。その光景の前にして、思ってしまうことがあり、だがどうとらえていいのか、咄嗟には整理もできず、それでも頭のなかから言葉こぼれてしまった。

 すると、木助はあくまでも添えるように。

「なんせ、この国はそこにある山をひとつ削って、まったいら平らにして、街にした国です」

 ほのかに体温のこもった口調のせいか、赤見の茫然とした感情をさらに乱すような、邪魔にはならなかった。   

「海の水を抜いて、そこに街をつくったりもしますよ、この国は」

 木助は、まったくもう、といった感じで言って、珈琲を一口含む。

 赤見は一瞥して、まえを向いた。

 それから口が自然と開いた。

「もう昇る場所がないから、低い場所をつくって、いまいる場所を高くした、とか」

 文学は嗜む方だった。

 そのせいか、ときどき、そんなことを口にしてみたくなる。だが、たいていは出来が悪い。今回もそうだった。あまりのつたなさに照れが働き、それをかきけすように「普通の街に見える」といった。

 木助は同意した。

「この街は、この惑星で最も普通に見える街につくったんです。ここは繋ぎ目だ、いちばん人の目に入る」

「普通に見える街に?」

「わたくしめ、旅客自動車運送業してますでしょ、無印の」

 胸に手をあて、言って示す。

 無印とは、つまり、無届、違法の言い換えのようだった。

「なもんで、どうしても学んじゃうんですよね、お客さんがしゃべりかけられたりして。みんな、先生になって教えてくれる、とくに客層があれなもんで、表裏の境なくいろんなことを教わる」

 赤見は黙って聞いていた。

「ここは海より低い。いくら、ここから遠くに、高い頑丈な壁を造って、水が入ってこないようにしても海抜はゼロ以下だ、恐怖はある。なにしろ、もともとここは人間の場所じゃなかった。この星がつくった場所じゃない。人が勝手に変えた。いずれ、海がここを取り戻しに来る日が来るかもしれない。人は、その恐怖を、はじめて見るのに、このどこか見慣れた街の光景を用意することで誤魔化すことにした。立派で、きれいな家ばかり建ってるでしょ。都心であんな家、普通に一生を働いてても手に入らない。けど、安いんですよ、ここの土地、建物もね。この向こうとこっちの繋ぎ目のあたりの場所は破格で売り出された。それは普通の恐怖に打ち勝つ数字だった。そりゃ、いくら安くてもここはね、って人はそれなりにいるでしょうが、それでも、数字の方に魅かれる人も大勢いる。とにかく、いろんなところが徒党を組んで、ここの土地を駆け足で売った、国策ですよ。大事業へ投資した結果の、利益の還元って宣伝だった。建てる家も法律を越えて優遇措置だらけにした。そして、ここはとんでもない勢いで街になった。普通の街みたいになった」

「安息の地であることを示す街をつくった」

 なんとなく、赤見はつぶやく。

 すると、木助が続けた。

「上に住むより、いい暮らしができる。そう見えるように、この星をつくりかえた」

 そう言葉を添えた。

 やがて街の景色から赤見は視線を柵の上にたウミネコへ移した。

「いつか、みんなここが海だったことを忘れる」

 風に混ぜるようにいった。

「はじめに誰かが想像してこうなった」

 そばで木助がため息を吐いた。

「想像だけで終わらせてたら可愛げある生き物だったのに」

「人間のこと?」

「おれ、まだ若いもので」木助は会話の何手か読み、先んじて言い訳した。「無責任に壮大な立場から言うの、好きなんです。自分の未来もまだあまり消化してないし」

「わたしも若い」

 反射的な様子で言っていた。だかたといって、何がつよい意図はなかった。ただ、言いたくなった。

 それから、赤見はまた街を見渡し、やがて口を開いた。

「ここにいると舞台の上に立ってるような気持ちになる。だから言うのかもね、なんとなく、そういう。世界をわかってるふりをして、自分を落ち着かせようとしてしまう。それって、装置なんだと思う、この時代を生きるためにどこかで仕込まれた」

「それに、気の合うふたりで話してると会話は自然と劇団化する」

 木助はぬけぬけと言ったが、赤見は、今回も一瞥しただけで、それについては言及はなかった。

「そこに人が暮らしてるだけで、どうしても安心してしまう」

 木助がいった。

 そしてひとときの間、会話は途絶えた。ふたりして、街を望み続けた。

 ウミネコは柵の上に乗ったまま動かなかった。風に畳んだ羽先をふるわせていた。

「あいつは死ぬよ」

 赤見は囁くように告げた。

 反応し、木助が無表情で見返した。

 間があいたあと、赤見は「たぶん」と補足した。

 木助は表情を変えず、赤見を見続けた。発言の理由や意図を訊こうとする動きはしなかった。むしろ、言った赤見に落ち着く時間を与えている様子だった。

「友達なんでしょ」

 続けて赤見が訊ねた。

「おなじ高校の同級生でした」

 まえを見て軽々とした口調でいった。

「あいつの親父さんには世話になりました。ええっと、そう、たとえば」木助は愛車を視線で示した。「この家業に手を染める時とか」

「犯罪に巻き込まれた若者ね」

「しかし、染まり具合には満足してます」

「良質の毛染めみたいに言うわね」

「似たようなもんでさあ」言って、すぐに「似てませんけどね」そういった。

「すぐに言い直した」そこを赤見は見逃さない。

「訂正も、運送も、光の速さがもっとうでして」ない帽子のつばへ手を添えて一礼する。「頼まれれば木星ぐらいまでは行くつもりです」

「よくわからない」

「そのへんはまあ、お互い、教養の種類が違うというところですね」

 気にせず、ほがらかに言った。

「ねえ、あいつの親ってさ」

 どうしても知りたいという感じではなく、言葉を投げた。

「ねむり一族の末裔です」

 当然だとばかりにいった。

「あいつの言った通りです。どんなに眠れない人も眠らせるのが家業。あいつも、あいつの親父さんも、親父さんの親父さんも、みんな末裔というわけです。まあ、そりゃあ、この世にいるみんな、何かの末裔といえば末裔ですがね。次が出てくると、元末裔ってことになるんでしょうが」

「あいつ最後のひとり、って言ってなかった」

「ええ」

 うなずき、珈琲を口に含む。もうすっかり冷えていた。

「あいつが終われば、ねむり一族も終わりです」

 その声や言い方には悲痛感は意図的に排除されていた。

「なのに、まだ他にもいて、その子に助け求められた。まだ子供らしいです、かわいそうです」

 言って木助は顔をあげた。

「あいつはやり切る気ですよ」

 少し間があいた後、赤見は手渡された缶珈琲へ視線を向けながら「難しい気分になる話だ」と、つぶやいた。

「せんせい、あいつはね、膨大な無茶して、最後に、おれは生き切ったんだ、って感じの生き方をしようとしている。あの親父さんと同じように、やり切る気です」

「あいつがあなたにそう言ったの」

「言ったような気がします」

 無責任に言い、木助は大きく息を吐いた。

「そうやって、あいまいを堂々と」

 あきれ半分、あとは、まあいい、として、赤見も息を吐いた。

「あんたもさっきのヤツと同じね、似すぎよ」

「一緒にいますからね、思想もクローン化される」

「それが適切な表現じゃないことだけわかる、センスないわね」

 放たれた発言で、赤見は結局、完全にあきれてしまった。

 会話はそこで、また途切れ、しばらく、よわい風の音だけとなった。ふたしして景色を前にし続ける。

「送って」

 赤見にちいさく言った。

 だが、その後、再び景色を見つめ直した。

「どうして海、消しちゃったんだろう」目に見える景色へ問いかける。「どうして、海を消してまで」

 後半は、つぶやきだった。

 すると、木助は間をあけて「んー」

、うなった。

「たぶん、人は滅びるのをやめたんですよ」

 つぶやくようにいった。赤見はじっと見ていた。

「サンドイッチ」

 だが、木助は脈絡なく、ぽん、とそう言った。赤見は虚をつられたような表情をした。

「ほら、せんせいのポケットに、サンドイッチが」

「え、おっ、っと」

 思い出し、声を漏らし、そっと、ポケットかサンドイッチを取り出す。

 不思議と、かたちはさほど崩れていなかった。

「忘れてた………」

 自覚はなかったらしく、ポケットの現実に対し、ひどく気を沈ませた。

「で、それ」

 呼びかけられ、木助へ顔を向けた。

 そこへ。

「そこのウミネコにあげてみませんか」

 提案され、また、虚をつかれた。そして、木助が指出す方へ顔を向ける。

 どこにも行かず、ウミネコはまだ柵の上にいた。いまは赤見が手にしたサンドイッチを見ている。

「じつは、あなたに、それをずっと言いたかったからここで待ってた」

 最たる仕事を終えたように、木助は肩の力を大きく抜いてみせた。

「へんなの」

 赤見は力を抜いて、そういった。

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