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 洗車道具をひとまとめにしたバケツを外の蛇口付近に置く。

 二人はドアを開けると車内へ乗り込む。

 木助は運転席におさまり、清志郎はメッセンジャーバックを前に回しつつ、助手席へ座った。ドアはほぼ同時に閉められた。木助は車内表示灯の操作ボタンを押し、貸切、と表示させた。その間、清志郎はシートベルトを絞め、追うように木助もシートベルトを締める。

 それらを経て、エンジンがかけられた。古い車体が細かく震え出す。

「行くかい」木助が宣言する。

「シートベルトが傷にしみる」

「絶対安静だからね、医学的には」

「行こうぜ」

 淡々と号令をかけると、車輪は動き出す。

 駐車場を抜けて、車道へ出る。通行車両の流れに乗って、進む。だが、すぐに赤信号で停車した。木助は機械のような正確さで停車線手前できっちりと停めた。

「或って或る者、って知ってるか」

 前触れなく清志郎が訊ねると、木助は「知ってるよ」かるく答えた。「それ、じつにやばいヤツだ」

 神妙な面持ちで答える。

 それから一呼吸おいてしゃべり出した。

「《空き箱》に関わっている時点で、とうぜん、その男も絡んでくるだろうとは思ってた。《空き箱》にいる伝説の男だ」

「いるのか、そんなの」

 信じても疑ってもいない、ただ疲労感を帯びた様子で訊ねる。

「さあね、会ったことのある人間は少ないと聞く。やっぱり男の伝説だよ。ときめくよねえ、いったいどこの誰なのか、名前も国籍も不明だ。とにかく、或って或る者、って呼ばている」

「いや、その、或って或る者、ってあれだろ」清志郎は窓ガラスにこめかみ当てながら言った。「世にいう、人に約束された土地を与えたもうた、とか、なんとかの」

「由来は知らない。或って或る者本人は伝説の男で、本当にいるかどうかはわからない、という、そういうプロモーション戦略だろうけどね、神秘性が力になることを知っているんだろ。けど、部下なら確実にいる」

「知ってるよ、森川」

「だれだ?」木助が一瞥した。

「お前の知らない男だ」

 ため息を吐くように伝えた。 

「この腹と腕のダメージは、昨日の夜、そいつと逢瀬で負った。この傷、きっと傷跡もしっかり残って一生忘れられない夜になるぜ、今後」

「嫉妬はしないな」

 木助はいったいどういう意味の発言は説明もせず、また聞かされた方は説明をしろとも催促しなかった。

「そいつ、たぶん、或って或る者のこどもたちだよ」

「なんだい、やつは自分の子供を手下にしてるのか」

「血は繋がってない、どっかから拾ってきたか、どっかから空き箱に逃げ込んできたか、そのあたりのパターンだろうね。或って或る者は、そういうのから優秀そうなのを引き取って、いろいろ仕込んで仕上げて自分のゲタにしてるって聞いた。何人かはごく近くに置いてるんだと」

「忠誠心、高そうだったもんなあ、森川」

 嫌気を誤魔化すように、清志郎は生あくびを混ぜていった。

「おれの知り合いの知り合いに《空き箱》に手を出して始末された奴もいるよ、生命を消された」

 信号は以前として赤いのままだった。

「《空き箱》は或って或る者の支配する土地だ。だから、たとえ、どんな人間でも《空き箱》に手を出せば始末される、どこの誰でも関係なしだ。しかも、最後の始末は或って或る者自らがつける形式らしい。可能な限り《空き箱》の手下や住民の前でその首謀者とわざわざ一騎打ちをしてみせる、そこで必ず勝って、必ず殺す。自身が、ただ過去に獲得した権力だけでそこにる存在じゃないことを観客に示して伝説を維持させる」

「どうにも自由過ぎる話だな」

「男は《空き箱》の外には一切出ないし、手も出さな。代わりに《空き箱》には手を出すな、そういう意味だ」

 そこまで話たところで、木助は静かに息を吐いた。

「決めた」

 ふと、清志郎は口を開いた。

「コンビニに寄ってくれ。お前に払う金をおろし、さらに靴下を買う」

「裸足のまま飛び出したんだね」

「動揺を隠せなかった」

 正直にいったのか戯れたのか、見抜けない発言を横にしつつ、信号が変わると木助はハンドルを切って、コンビニの敷地に入り、駐車した。

「じゃ、ちょっとそこまで行って来る」

 清志郎がそう伝えながらドアを開くと、木助はエアコンをいじりながら「コンビニ強盗するなよ」と、渇いた声で言及した。

 一瞥どころか微塵も反応しないまま清志郎はコンビニへと向かった。高く登った太陽の熱が、しっかりと傷にしみ入るのを感じつつ、自動ドアを抜けて店内へ入る。

 店内の入り口付近には、イートインスペースがあった。

 そこで、すぐに何か特別な視線を感じた。

 イートインスペースでサンドイッチを食べている若い女性がいた。足元には革製の工具入れが置かれていた。女性はサンドイッチを口へ運ぼうとしている手を止めたまま、入店してきた清志郎をじっと見ていた

 見覚えのある女性だった。

 ついさっき、この女性に、生身を糸と針を縫われた覚えがある。

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