第二章 消した海と陸の境目

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 空は曇っていた。

 朝から曇り続け、それは午後の入り口へ至っても、一向に晴れる気配はなく、町はひかり不足にあった。

 都内にあるその建物は、閉店して数年以上が経つ、地方銀行の元支店の店舗だった。

 看板はそのまま残されているが、自動ドアの電源は落ちて動かず、閉ざされたままで、窓にもすべてブラインドが下ろされていた。植え込みの木々も処理済みで、いまは土があり、雑草が自由に生えていた。

 表通りから完全は死角となる建物の裏手には、職員及び、出入りの業者用の駐車場があった。

 そこにタクシーが一台だけ白線に対して平行に停められていた。車の屋根には、木星を模した社名表示灯がついている。しかも、社名表示灯は木星を、木製で模してつくってあった。

 すると、店舗の裏口のドアが開いた。男がひとり出て来る。

 年齢は二十代前半ほどだった。眠いのかやる気がないのか、判断しかねる表情を所有していた。全身シックなデザインの黒いスーツを着ているが、生命力不足の表情のせいか、全体的に決まった感じがない。顔立ちそのものは、わるくもないため、すべてを合わせると、見た目は悪くない海底の生物めいていた。

 裏口から出た男が向かった先にタクシーが停車してあった。年式は三十年は経過していそうだった。車体の端々に、歴史を感じさせる角ばりある。

 男は後部ドアに鍵を差し込み、あけて、車体の屋根に片手を添えながら中をのぞきこんだ。

 無人の後部シートには、血痕が散らばっていた。

 男はそれを無表情で見ながら、屋根を撫でた。

「大活躍だったな」

 生き物へ話かけると変わらない口調だった。

 すると、再び裏口のドアが再び開き、若い女性が姿を現した。手には革製の工具入れを持っていた。

 年齢は二十代前後で、髪はベリーショートだった。妙に強い両眼をもっている。似顔絵をかかれた、まず間違いなく、書き手はそこを拾って書くことは確実だった。

 歩く速度が異様に速く、映像を早回しているようだった。

 女性が姿をみせると男はタクシーから身を離し、そちらへ身体を向る。

 間近まで来ると、女性の顔にはひどく疲労し、眠そうな様子がよくわかった。強い眼も、わかりやすく、おちくぼんでいる。

「帰ります」

 女性は人間味一切を排除してそう告げた。

「あ、はい」

 男は返事をしつつ、もっさりとした動きで会釈をした。

 それから女性は溜息をつくように口を開いた。

「動くと傷が広がります。わたしが許可するまで絶対に動かないでと伝えてください。縫いたてなので」

「ああ、なるほど、つまり、えー、フレッシュな縫い目というわけですね」

 抑揚のないしゃべり方で返す。

 女性は無言で見返してくるだけだった。

 疲れきって反応できないのか、それとも素がそういう人間なのか、判断は難しいものがあった。

 男は無言も対応した。ただ、相手の無言とはやや種類と狙いが違い、このまま気まずさを無視して通そうとするものだった。

「絶対安静にしてください」

 だが、女性はそれらをかわすようにいった。

「はい、お世話になりました、助かりました」

 男は、ああ、これ幸いと、自身が生産した気まずさからを誤魔化すように礼を述べる。それから車体へ視線で示す。

「………で、あの、赤見さん」

 近にいるのに、こっそりという感じで呼びかける。

「お送りましょうか」

 赤見、と呼ばれた女性は眠そうな目で開かれたドアから車内を見た。後部座席には清志郎の血が自由に散らばっていた。しばらく見て、顔を戻し、あとは黙して男を見返した。

 男は数秒して、なんとなく「あ、はい………」と力なく返事をして「じゃあ、また、いつか、そのうち、お願いします」と、じつに品質の悪い会釈をした。

「まあ、たぶんそのときも、きっと急で無茶なお願いなりそうでけどね。そのあたりはマネー的な部分で補いということで」

 赤見は黙って見返していたが、やがてごく浅く頭をさげると、次には早い速度で去ってゆく。

 彼女が角を曲がって、姿が見えなくなる男とは車体へ顔を向けた。

「よし」

 声をひとつ入れる。

「女医にフラれた経験を手に入れた」

 今度は友人へしゃべりかけように車体へ向けるようにいった。

 当然、車側からの反応はない。

「……………待ってろ、きれいしてやるからな」

 あきず車体へ向けてしゃべりかけ、方向を変えると歩き出した。裏口から建物の中へ入る。

 薄暗い通路を進み、ドアをあけて一室に入る。

 清志郎はベッドに横たわり、点滴した状態だった。上半身に包帯と腕に包帯が巻かれ、目は閉じているが、表情筋には油断できない張りがあり、真に寝ているかどうかあやしいい。

 部屋には飾り気がなかった。内部には小型の冷蔵庫やテーブルがあり、小さなクローゼットもあり、よわい生活感は漂っていた。部屋に一枚だけある小さく狭い窓は、カーテンを閉められ、かすかだが外界の光りがいくつかの線となって部屋に差し差し込んでいる。それらがそろいうと、部屋は少し優れた独居房めいた印象を生産したいた。

 部屋に入った男は横たわる清志郎のそばへ歩み寄った。

「最悪の気分だろうが、儀式的に聞いとく」男は肩の力を一切こめずに問う。「気分はどうだ」

 清志郎は静かに目をあけた。それからひとときの間、動かずにいた。

 やがて目だけを向ける。

「金は払うよ」

 問いとか無関係な返しをした。

「たかいよ」

 だが、男は苦笑気味に応じただけだった。

「そりゃあもう、べらぼーにね」

「木助」

「はいよ」

 呼ばれて男は返事をした。

 寝そべったまま、清志郎は男を見た。

「…………手術とか、したの?」

 古い女房へ話しかけるような口調になる。

「うん、なんかしてたよ」

 問われた木助は無関係者めいた様子で言う。

「それっぽいことしてた。おれ、手伝いで何回か、お湯とか沸かしたし。あー、で、で、そうそう、思い出したよ。その、先生が言うにはね、内臓的なのはラッキーで無事だったって、で、とにかく、どっさり消毒して、景気よく縫ったとか、なんとか縫わなかったとか」

 ふわりとした説明する。

 しっかりと安心を得ることが困難にして、味のない情報を与えられ、清志郎は、ただぼんやりと天井を眺めているだけだった。自身の本質的な生命維持関連の情報もわからない。だが、当人がそこにつよい関心は示した様子もなかった。

「せんせい、って、もしかしてあれか」

「うん、それだよ」

 合言葉のようなやりとりだったが、充分に疎通を果たしている様子だった。

「このまえ話した、ほら、つぶれかけの動物病院の二代目、赤見さんだ」

「来たのか、その、あぶないアニマル先生が」

「うん、チャレンジ精神で頼んでみたらホントに来た。なんか、まえから人間にも興味あったって話してたし」

「人体実験だな」

「一応、真剣に手術はしてたよ、表情はそれっぽかった。ときどき、あー、わからん、とか、しまった、とか、決めゼリフ口走ってたけど、おれ、聞こえないふりしておいた。いかんせん、手術されたの、おれじゃないし」

 無責任に言った後で、木助は思い出す。

「ああ、そういえば腕も刺されてたろ。なんか、それもさー………あー………ええっと、なんだったけっか…………いや、要するに、未来的には無事だって言っていた気がする」

 腕の負傷についても医師から詳しい説明もされていそうだったが、その詳しくをほぼおぼえてないのはあきらかで、木助は一切記憶の戦うことなく雑に伝えて来た。

 一方、清志郎は相手に対し追及、指摘をすることを最初から放棄しているらしく「や、やったぜ」と、低く渇いた声を発して反応するだけだった。

 そこへ木助は訊ねる。

「で、どうする、とりええずソーセージでも食うか」

「この状態で急にソーセージは食わん」

「栄養をつけろと先生がいっていた」

「だからと言って、タイミングも食物も無差別に仕掛けてくるんじゃねえ」

「そうそう、あとね」木助はかまわずしゃべる。「絶対安静だってさ。いやあ、絶対安静なんて言われたの、おれはじめてだよ。いま、ささやか興奮してる」

「それより、おまえは脳をまず絶対安静にしたほうがいい」清志郎は淡々といった。「人生単位でな」

「え、なに、どういう意味?」

 きょとんとして聞いてくる。

「言ってみただけだ」

 清志郎は顔を見ずに告げた。

「忘れろ、ついでにおまえの人生で愉しかった思い出もすべて」

「しからば人生を漂白するしかないねえ」

 本格的には聞かず、しかし快適な会話をしているかのように木助は飄々として返す。

 少なくとも重傷の患者へ接するような気遣いは不在だった。

 対して清志郎は相手を一瞥して「おまえと話してると、脳のシワが一本ずつ消えてくぜ」と作業的に感想を述べた。

「それで、ホントどうするの、この先の未来など」

「いますぐここを出る」

 清志郎は身を起す。痛み止めは効いているが、身体に力が入らず、手をつかい、重く緩慢な動きで上半身を持ち上げる。身体をひねって、床に足をつけた。

「退院だ、出口で笑顔と花束用意しろ」

「花なんぞ、ここいらじゃアスファルトに咲くタンポポか猫じゃらししか手に入らんぞ」

 木助は慌てずに言う。

「いますぐそれらを拾って来い」

「その種のクオリティの命令されるの、小学生依頼だよ」

「おれの靴はどこだ」

「ああ、それらね。靴も服も遠慮なく血だらけだったから、洗濯機で洗っといた。個人部屋はともかく、共用スペースに血がつくのが嫌だし。どっちもザツに外の干してる」答えながら木助は屋上を指さす。「とってきてやろう、生乾きだろうけど。あ、もちろん、運送業のプロとして有料の運び作業」

 言って、木助は部屋を出ようと進行方向を変える。だが、そのとき、足が何かを踏んだ。お手玉のようなそれは、木助が踏みしめると、とたん、ぱん、破裂して下半身を煙幕が覆った。

「ぬああ」

 下界を包む白い煙に、木助はパンを踏んでしまったような悲鳴をあげた。それから煙が上半身へのぼってこないように両手で払いのけつつ、煙のない方へと身を移動させる。

「いかん、おまえの商売道具を踏んでしまったぞ」

 謝罪はなく、木助は見たままの光景を報告した。

「あ、ちなにみこの玉、なんか、おまえが気絶してる間にずっと手に握ってた」いまはもう煙となって無くなってしまったそれについて話す。「おかしいな、たしか、どっか高いとこにおいてたはずだ…………なあ、というかこれ、吸っても眠らないやつだよな、眠たくなる成分入ってないはつだよね?」

「人体にはただ無害だ」

 淡々とした口調で教えた。

「部屋が粉にまみれになるだけだ」

 次に状況をそのまま口にする。

「よし、エアコンの空気清浄機能に助けてもらおう」

 聞いているのか否か、木助はリモコンでエアコンの設定を変えた。

 一方、清志郎はベッドから離れ、立ち上がると、裸足で歩き、クローゼットから前日と似たようなデザインのオレンジ色をベースにしたジャージの上着を包帯の上から羽織った。さらに移動して壁際に置いてあったふたつのスニーカーのうち、ひとつを手にとった。周囲を見回した後、壁のフックにかかっていたメッセンジャーバックも手にした。

「木助」

 靴とメッセンジャーバック、両手にぶらさげ顔だけ向けて呼ぶ。

「はいよ」

「行きたいところがある」

「どこだい」

「《空き箱》」

 場所を告げられ、木助は真顔のまま反応はしなかった。

「トリナシまで行く」

「トリナシ」木助は部分的に復唱して続けた。「トリナシに行くのか」

「行くには難しいのか」

 問いに対して、別の問いで返す。

「いいや」

 木助は丁寧に顔を左右に振ってみせた。

「あそこは何も拒まない」

 かるく、放り投げるように答えた。

「あそこはたいていのものを受け入れる、国籍も問わない、来た奴をぜんぶ受け入れる。夢の箱だ。何度か客も連れてったこともある、行くだけは出来る。行って帰ってくることだってできる。ただ、夜は道がマズい。あの中はまだ道が完全に整備されてない。元の海底がむきだしで、慣れないヤツが行く場合、平らな場所を選んで進まなきゃならない。昼まならなんとか目視で進むこともできるけど、夜は順路を知ってないとこの惑星の段差に落ちる」

 体験談を交えて語り、木助はひとつ呼吸を入れた。

「で、なかでは好き勝手できない。あのなかでは〈空き箱〉の主に逆らうことは許されない、この星のどんなステータスの人間でも、それは絶対だ」

 しばらく間き、清志郎は口を開く。

「ひさしぶりにどうしていいかわからない」

 壁を見ながら答える。

「どうするべきかがわからない」

 木助は黙して聞いていた。

「けど、これしかない、ってのがあるはずだ」

「〈空き箱〉へ向かうことが、それかい」

「きっと近い」

 顔を向けて答えてきた。

 木助は苦笑した。

「まるで親父さんみたいなことを言う」

「どうにもしかたねえ、血がオートで燃えてる」

 それは相手の発言に対する回答しては、相応しくもあり、だが、どこが別次元にも聞こえた。

「わからねえが、さすがにこいつだけは見逃すわけにはいかねえ」

 許せもしない。言葉では表現していなかったが、その意志は妖気化して、清志郎の全身から発せられているようにもみえた。

「見逃すわけにはいかねえ」

 一切の水分を取り除き、渇いたものを、さらに絞るようにして言い直す。ありったけに絞って、あわや、ねじ切れんばかりのところまで持ってゆき、これからの動きの根源となるものを極め限定する。

 いままでそうやってきた、頭のなかつぶやく。つぶやく必要があった。

 長い間、清志郎と似たような年月と似たような景色にいたためか、言葉にせずとも木助はある一定の線までは読み取った様子がだった。だが、木助もまた、わかった、と言葉にしていわなかった。

 時間だけを置いた。

「車内を洗う」

 ふと、そう言って、自車が停めてあるだろう方向へ顔を向けた。

「だから少し待って」

 清志郎という人間に対して、無差別的に落ち着かせるように言う。

「掃除か」

 すると清志郎は振返って告げた。

「助太刀する」

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