第一章 ねむり一族の末裔

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 地図から海がひとつ消けされた。

 はじめ、その地図を目にしたとき、誰もが、印刷ミスなのではないかという印象を受けた。

 大陸の端から端へ築かれた、人類最大の突堤によって湾は塞がれた。その後、およそ三年半にも及ぶ海水の組み出し作業によって、かつて、海底だった場所は露わとなった。それからさらに年月を消費し、海底は人が立つに堪え得るだけの渇きを経て、海抜マイナス数十メートルの陸地となった。深い海底は崖に似たものになった。そこに残った海水が渇くには、さらに数十年の時間がかかると計算されていた。その後、埋め立てられる予定だった。

 大突堤が完成したとき、まだ、地図にはその海があった。海水の組み出しがはじまったときも、まだ地図にあった。次第に底が見え始めると、次第にその海の名は地図から消えていった。

 首都圏に隣接した海を消し、首都圏の土地不足を解消せしめる。その計画は、発案時、ひどく無謀であるとされた。滑稽であると揶揄された。なにより海をひとつ消す、その行為に対し、技術的疑念と同時に、感情的反対の声が強く膨大であった。だが、事業計画のいくつかの偶然と、数奇な展開によって、突堤建設工事の着手まで至った。当初、海を消す計画を打ち立てた者たちの大半も、実現すると思っていた者はほとんどいなかった。それでも巨大な計画は、いつしか勝手に育っていた。そのまま怪物化し、次第に誰にもコントロールできないものへと変貌してゆく。

 無論、その事業計画によって、恩恵を受ける者も確実いた。それら者たちによって生成された、強い流れによって、突堤建設によって生じる問題への声は、じんわりと無いものにされていった。

 三浦半島から南房総まで突堤を建設する。建造に二十年。完成後の海水の組み出し作業には四年以上を要す。そう発表された。

 たとえ突堤を建設したとして、海の圧に耐える強度の突堤など造れるはずがないといわれた。だが、画期的な消波技術の開発と、海の圧に耐える強度を確保が可能であると、一部の名立たる有識者の発言も最大限に消費され、突堤は造られた。

 建設中、首都圏はこの突堤建設から発生した特需によって潤った。その利益は、社会の上層部だけではなく、下層部にまで行き渡り、総じて、国全体の景気を高めることとなった。よって、国内では、突堤建設は良きものとする声が主流となった。また、その人々の良き気分は、突堤完成後、首都圏の土地不足解消によって、予想される新たな建設ラッシュで、さらなる恩恵が発生するだろうという見方が濃く強かった。無論、利益については勝ち負けもあった。従来の港を大幅に失うことで、海上輸送ルートを断たれ、致命的なダメージを受けるものもいた。国は新規の港を用意し、その移転新規に伴い、金銭的な控除も含めた手厚い優遇処置を定めることで、問題の表層部を覆った。港の移転によって、二次的な経済効果を得る部分も謳った。

 じつに良かったのは着工から最初の三年間ほどだけだった。突堤に建設が進むに連れ、その利益を広範囲に配分する仕組みから、極めて限定的な部位に流れる仕組みを構築、完成され、その刺激により、景気はむしろ、建設前よりも後退した。

 人々の気分に静まりと、苛立ちにより、突堤建設を疑問視する声も少なかれ表面化したが、計画は中止されることはなかった。本来の土地不足解消よりも、もはや、計画中止による損害の恐れが、事業に関わる者たちにあらゆる手段を実行させ、中止を回避させてゆく。

 建設開始から十五年後、突堤は予定より五年早く完成した。予算の大幅な削減という経済的理由を、表向きは技術の驚異的飛躍という理由に書き換えての早期完成だった。

 首都圏に生成された新規の土地については突堤の完成当初から所有者も決定されていた。やがて突堤内から海水を組み出し終える。

 東京湾はこうして消滅した。景色の変貌に嘆きは絶えなかった。そのたびに、有識者は、もとより、いまこうして立っている、この東京という土地そのものが、そもそも埋め立て地であることを引き合いに出した。人々がよくよく知る東京湾の風景もまた、人によってつくられたものであると語った。だが、その話を耳にして落ち着く者はさほどいなかった。海が消えているという状態は、見る者の多くになぜか罪悪感を抱かせた。

 突堤の完成、そして排水完了により人々の気分は再び高まった。新たな国土の誕生は、人々に、あたらしい世界を手にいれた感覚と似た効果を発した。これで、なにかが大きく変わるかもしれない。そこに希望をみる部分もあった。この再加熱によって景気もまた良軌道へとのりかけた。だが、それも長くは続かなかった。

 首都圏誕生した広大な土地。そのほとんどは埋め立て前から持ち主は既に決まっていた。所有者は国内に留まらず、世界中の投資家も含まれていた。はじめ干拓地内部には簡易的ながら大型車両も通行可能な道がつくられた。建造物の大半は資材運搬の利便性の観点から元沿岸部より着手されていった。なかには採算を度外視し、事業者の趣向的なようすからまだ何もない干拓地の中心部へ建て、また、大突堤付近から着工するものもあり、それらの動きはやや奇抜な動向にみえた。

 大突堤は灰色で統一されていた。傍に建ち、その根元から見上げると、壁はまるで空まで延々と伸びているようであり、それが左右へ延々と左右へと果ては肉眼ではみえない。いつしかその大突堤のことを、ただ、壁、というようになった。

 干拓地内の開発が始まって間もなく、土地の権利管理が、ひどくずさんに行われていることが発覚した。巨大な詐欺もあった。権利者が百を越えて重複しているエリアもあった。あたらしく広大な土地の分譲は大きくしくじられていた。一部の開発は滞った。だが、慣行される開発もあった。工事の遅延は大きな損害になる。強引に突き進む場合も少なからず存在した。

 開発される土地、開発停滞の土地、それらは入り乱れ、濡れた荒野の近代建築が点在するような、奇妙な光景がつくられていった。

 広大な土地の権利関係の整理は安易には片付かず、排水完了から二年が経過しても解決される様子はなかった。

 このまごつきが事態を変転させてゆく。

 その空間はあまりにも広過ぎた。管理できたのは元沿岸部の一部のみであり、内陸部、壁際に至っては、行き届かなかった。狂ってしまった土地の権利関係をめぐっては、内地では大小さまざまな揉め事が日夜起こった。それらは公的機関では対処できる数ではなく、また、土地の権利者自身が怪しげな身分であったしたため、管理の目の届かない場所の問題解決においては、しばしば反社会的な者が投じられることがあり、そして、その流れは次第に主流となってゆく。犠牲の声のほとんどは内地まで聞こえなかったことにされていた。三度好景気の兆しをまえにして、人々の気分はそれらを些末な問題とさせた。

 あるとき、《空き箱》を出入りするようになった反社会的な者たちは気づいた。ここの自由度は尋常ではない。しかも、あまりに広大で管理態勢が不完全な干拓地への流入はじつに容易かった。やがて、それらの者たちは、ほとんど何も無いその土地と、それを高い囲う壁の様子から、いつしか《空き箱》と呼ぶようになった。

 《空き箱》へ、多くのならず者が入り込んでゆく。それらは内地の監視が不完全な《空き箱》の壁際に集中した。やがて、それらの者たちによって大小のコミュニティが生成された。違法にして粗雑ながら町めいたものも形成された。内地では困難になる違法な取引もここでは警察の目も届かず容易く行えた。こうした状況を受け、警察は幾度となく、摘発、取り締まりを行った。しかし、それらに投じることが出来る人的な量は限られたものであり、対して干拓地はあまりに広過ぎた。現行で組まれた予算では、とてもすべてのコミュニティを消滅させることはとてもできない、だがしかし我々は決して見逃しはしない、と、その宣伝的意味合いの方が強いものとなっていた。そして、この抜粋的な取り締まりが新たな事態を招く。

 取り締まりを受けた弱いコミュニティの大半はあっけなく消滅した。もとより、ならず者の吹き溜まりであり、繋がりに強い意志はなく、連帯感の深刻な欠如から、攻め込まれると無理をして領地を守ることなくあっけなく、明け渡し、退避していった。そして自身が出入りしていたコミュニティが消されると、すぐに《空き箱》の別のコミュニティへと移籍した。新しい世界では、誰もが新しい住人であり、受け入れる側にもまだ濃い先住民意識もなく、手軽にコミュニティの移籍が可能だった。

 摘発されては解散、別のコミュニティへ。これが何度も繰り替えされる。この繰り替えされる移籍によって、知り合い、が増えた。よってコミュニティ同士の横の繋がりが生まれた。

 横の繋がりが出来ると、自然と立て状況も発生した。場当たり的な摘発が、組織化を促進させた。

 元沿岸部の開発は、あくまでも内地の土地の延長としての意識が高く、順調であった。だが、離れて、中央部は未曾有の地であり、壁際に至っては果てであると思われていた。干拓地の奥で何かが起こっていることは、誰もが知っていたが、実際、生活に直結して何かが影響があるわけでもなく、一般的な問題意識は薄いものだった。

 干拓地でのならず者の組織化にも限界があった。いくつかの代表的な集団が形成されたが、やがて、それらの者たちの間でたびたび小規模な抗争が行なわれるようになった。この頃になると、組織には外国籍の者、もしくはそもそも国籍があるかも不明な出どころ不明な者たちも含まれるようになっていた。抗争では血が流れたが、やはり内地には無関係と感じさせるほど物理的な距離があった。

 長らく無法地帯だった。だが、元の沿岸部開発が終わり、次第に干拓地内部の本格的な開発を着手しようとすること、そろそろ不味いなということになった。片づける必要がある。抗争により統廃合を繰り返した結果、主な組織は三つとなっていた。しかも、濃厚な抗争を繰り返すことにより、それぞれの組織の強度は増し、もはや、うかつに手を出し、刺激するわけにはいかなくなっていた。

 その頃、その三日間は起こった。

 その男がどこから来たのかはわからない。ある空き箱に現れて、一晩で三つのうち、一つの組織へ乗り込み、ボスから末端の人間まで、拳銃ひとつで射殺していった。ほぼ皆殺しだった。

 二日目の晩に次の組織、三日目の晩に最後の組織、やはり、拳銃ひとつで乗り込み、大半を射殺した。

 その男は壁の王になった。壁際に廃船となった大型船を置き、そこを居城とした。

 男の名前は誰も知らなかった。調べたが、誰もその名前にはたどりつけなかった。

 男は《空き箱》からは一歩も出ず、《空き箱》の外には一切干渉しなかった。外から中へ干渉し、中の人間に危害を加えるものは撃ち殺した。

 やがて内地の人間は男と取引を行った。《空き箱》の開発を滞りなく行うことと引換に、干拓地においての男の存在を認めさせた。《空き箱》の開発前後で発生する利益は、直接、国の状態にも作用していた。

 男の存在は巨大したが、男は、表舞台はおろか、《空き箱》の中でも、滅多に姿を現わすことはなかった。

 男の存在を疑い、伝説でしかないと軽んじた幾多の人間が壁の覇権を奪おうとして、男に撃ち殺された。男は毎回、男の存在を脅かす者たちを残らず消してゆき、ひとりだけ、集団であれば、もっとも強い者を残し、拳銃を渡し、自身も同種の拳銃を手にし、必ず一対一で決着をつけた。その様子を男に与する壁の者たちはいつもじっと見守った。男が負けることは一度もなかった。

 壁のなかに住み、男に与する人間は男を芯から敬った。男は助けを求めて壁へやってきた者を拒否しない。

 男に名前はなく、名前をつけることも暗黙のうちに禁じされた。

 或って或る者。

 やがてそう呼ばれるようになった。

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