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 遠回りして帰れ、と言われた。

 それから、壁にそってを走り続けろ、と言われた。

 運転席に座っていた若い男はしばらく走り、やがて、トリナシから離れた壁の近く車を停車させた。

 車の薄いガラス窓の向こうには、狂気的な壁があり、壁の向こうには海がある。そこにいると車内にいても、海の強い波音が聞こえた。海は壁を攻撃し、かすかだが、いまいる場所を車体ごと振動させている。

 若い男は演技をしていた。表情こそ無に保っているが、内部は定まっていなかった。決してすべきではなかったが、若い男は耐え切れず、つたないその演技のなかで、バックミラーへ何度も視線を向けてしまった。

 相手に自分がいま演じていると見抜かれては終わりだった。とうぜん、相手はそういった演技を見抜ける者だともわかっていたはいた。

 それでもどうしても見てしまう。

 ついには顔ごと振り返り、自らの目で後部座席を見る。

 後部座席で、或って或る者が眠っていた。両目を固く閉じ、顔は前へ少し傾いている。

 ただ目を閉じているだけには見えなかった、本当に眠っているとしか思えない。

 いままで或って或る者のそばには常に、森川か夏村がいた。移動するときは、必ず、どちらかが助手席や、ときには後部座席にいた。

 だが、いまはどちらもいなかった。

 或って或る者が眠っている姿など、いままで誰も目にしたことがない。

 それがいま眠っている。無防備にしか見えなかった。

 そして、ここにいるのは自分だけ。

 その若い男は夏村の一派に属していた。夏村が仕掛けた昨夜の戦闘にも参加していたが、極度の緊張から準備を惰り、たちまち弾切れを起した。慌てて弾を補充しに現場を離れたとき、何者か襲撃されて気を失った。意識が蘇ったときには、既に夏村たちは処分された後だった。共謀者の洗い出しがまだ完了していないのか、目を覚ましてからも、誰にも咎められなかった。しかし、いずれは摘発され、罰を受ける可能性は高いと考えていた。

 いまこうして、運転席でハンドルを握っているのは偶然だった。昨夜の騒ぎの後片付けで、人がすっかり出払っていた。そこでたまたま、手近にいた自分が運転するよう指示された。

 その或って或る者が眠っていた。やはり、演技とは思えなかった、いつも見ている鉱物的な渇きは消え、ひどく人間らしく、おだやかな表情で、口には笑みにも見えるものさえある。

 そこにあるのは生き物の無垢な眠りだった。

 やがて若い男は上着から拳銃を取り出した。手は震えていた。

 夏村の罪に引きずられて始末される。その想像が頭のなかを占めていた。

 若い男は銃口を後部座席へ向けた。至近距離から心臓を狙う。

 安全装置を外す。その音が鳴っても、目覚めなかった。

 引き金へ指をかける。

 それから若い男は弾倉が空になるまで撃ち続けた。

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