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バックを渡して、元へ戻る際、自身に都合のいい間合いを調整した。
それは森川にもわかった。ほんとうに、わかりやすかった。ほとんど味のない手品だった。
最後はつまらない作戦に頼ったらしい。
似たような小癪は散々見て来た。それではだめだろう。だから、いつもそうであり、いつもの終わりになる。
ただ、森川もそこに気を取られたと言っていい。
次の瞬間、ユニークなことがあった。
「カイム」
と、清志郎が言った。
どこかの惑星の名前めいた響きだった。
だが、森川は思った。
確証はどこにもなかった。それでも、おそらくそうだと思った。
それは誰も知らない或って或る者の名前だと。
引き金を絞るのが遅れた。
生命が反応していた。
清志郎は踏み込み、銃口の軌道をかわしつつ、右肘を折り曲げ、拳を握る。肘の先を相手へ向けた。右拳は胸に添え、左手でその拳を押す、右肘の先を相手の胸部へ差し込む。
その肘先は或って或る者の心臓を叩いた。
銃声が鳴ったのはその後で、弾はただ自由に遥か彼方へと飛んで行った。
はじまりの光りはまだ瞬いていた。その瞬きも、間もなく終わった。
光は無差別にプレートへ降り注いでゆく。
銃口を力なく下へ落としつつ、或って或る者は一歩後ろへ下がった。
だが、急激に態勢を崩し、前かがみになり、片膝をつきかけた。
清志郎はうごかない。
或って或る者もうごかない。
光と風以外、静となった。生きている者だけが停まっている時間が流れた。
やがて或って或る者は、うつむいた顔のなかでわずかに笑った。
『 Hatte eine Leidenschaft』
清志郎にだけ聞こえる声で何かを言った。
間近でその見た目の奥底は青く、おそらく、それは秘密の色であり、ひどく疲れていて、もう何年も眠っていない老いた龍を思わせた。
「森川」
或って或る者は顔をあげて、呼んだ。
呼ばれ、森川は我に返った。
「こいつの言う通りにしてやれ」
そこへ指示を出し、銃に安全装置をかけ、上着の内側へ収めた。それから、セダンへと向かい、車内に入った。ドアが閉められて間もなく、セダンはトリナシの方へ走り出した。
清志郎は全身に朝陽を浴び、後はすべてを使い尽くしたように、そこに立ち続けていた。
しばらく風に吹かれた後、清志郎は森川へ歩み寄った。すると、森川は何もいわずカバンを返した。
清志郎はカバンを受取ると、中からスマートフォンを取出して手元で操作した。どこかへかけはじめた。カバンは手にぶら下げたままだった。
相手はすぐに出た。
「木助、迎えに来てくれ」
間を置かず、そう伝えた。それから、もう二言ほどやりとりをし、通話を終えた。
それから森川を一瞥した。だが、また何も言わずゆっくりと視線を戻した。
「ここには座る場所もねえな」
荒涼とした景色を瞳にとらえながら話かける。話かけるかたちになってはいるが、相手の反応を期待している素振りはなかった。
そのまま、ただふたりでいる時間だけが過ぎていった。陽はますます高くなりプレートに反射する光の色も種類も変わっていった。ひとつひとつが放っていた鋭い光が消え、温かみのある色になっている。清志郎はその変化を眺めて過ごした。
タクシーは清志郎が連絡をとってから十分足らずでやってきた。道なき土地を、好き勝手に土煙をあげ、木星タクシーの看板を《空き箱》の風にさらしながら向かって来る。タクシーは清志郎のそばまで来て停車する。運転手はシートベルトはつけていなかった。
運転席から木助が降りて来た。続けて助手席からは、見覚えのあるコンビニの店員だった青年、そして最後に後部座席から四季が降りてきた。
「相乗りな」
木助は指を左右に振りつつ、神妙な面持ちで言う、 その指には自身の名刺が挟まっていた。
昨夜、清志郎が青年に渡した名刺と同じものだった。
「お前がおれを紹介した客たちと、相乗りな」
わざわざ言い直す。
ここまで来る奇妙な手間などに対する嫌味を込めているようだった。露骨なまでに、わざとらしい言い方をしてくる。
ところが、言ってすぐ、木助の神妙な面持ちは崩れた。演じた当人にとって、そういった表情を維持には努力しなければならないらしい。そもそも、実際に心持ちはまったく神妙でもなかったらしい、いつもの飄々とした素の表情に戻った。
相変わらずだった。清志郎は小さな故郷に帰った気分になり、苦笑した。それから唇を固く結んだ四季へ歩み寄った。カバンからバイクの鍵を取出し差し出した。
アンモナイトのキーホルダーが揺れていた。
四季は何もいわず受取った。そこへ、清志郎は丁寧に一礼した。敬意があった。
青年はそのやり取りを、じっと見ていた。
すると、森川が「部下には伝えてある、迎えに行け」と告げた。
言われて清志郎は顔を向けた。目があったが、二人とも目立った反応をしなかった。
清志郎は大きく息を吸って吐き、それから木助のタクシーを指さした。
「お前も乗ってくか、きっと狭いが」
訊ねた。
ひととき、間があいた。
やがて森川は顔を背けた。
「おれの車壊しやがって」
けっきょく、問いに対する回答とは別次元のものが返す。
いまのところ、持っていた敵意は、潤いは失っているようだった。そのうえ、もう少しで笑いそうになっている。
木助はそこまでを見届け「乗れよ」と清志郎へいって、運転席へ戻っていった。
一方で、四季は兄を凝視していた。ただ、森川は妹は見ていなかった。森川はプレートの方を見ていた。すると、四季は気持ちを断ち切るように、元にいた助手席へ戻りかけた。が、ふと、動きを変えて後部座席へ乗り込んだ。
青年は清志郎のことを気していたが、四季に続いて後部座席へ乗り込んだ。
清志郎は車体へ近づき、途中で足を止めた。その場に立ち止まったまま、何かを想うような表情で、スマートフォンを操作して、画面を口元へ近づけた。
『 Hatte eine Leidenschaft』
それから耳の記憶を頼りに、或って或る者が口にした音を再現して音声検索を行った。
検索はすぐに終わった。
結果はドイツ語の訳がひっかかった。
『 情熱はあった』
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