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魚肉の缶詰をあけ、マヨネーズであえてどんぶりに持った白米の上へ乗せる。
そこにきざみ海苔をふりかえけて、ささやかな色どりにし、味噌汁はお湯をそそぐだけの即席。玉露で出された茶葉は相当高価そうだった。自動販売機で買えるお茶とは確実に香りが違う。もしかすると、茶葉の値段だけで、出された食事の原価を遥かに越えている可能性もある。
よって奇妙な原価バランスの食事風景が完成されていた。
「ごめんねえ、わーって勢いで、出来るのはこんなものしかなくって」
女性は謝罪の言葉を含めていったものの、申し訳なさは含まれていなかった。
「たしかに」青年は遠慮なく同意した。「すぐ出来るのはこんなもんですね」そして言い切った。「わー、って感じが作品からよく出ている」
返しに一瞬、きょとんとしたが、女性は次に軽く笑った。
無事、冗談が通じたこと見届けたうえで、青年は「では、ありがたく頂戴」手を合わせ、一礼の後、箸を手にとった。
青年が食事の場として通されたのは使用人のための食卓だった。別室があるわけでなく、拾い台所の一角に、小さなテーブルがあるだけだった。ついさっきまでは屋敷中の電気は消えていたが、いまは台所は煌々と明りがつけられている。そのため、テーブルに向かいあった青年の様子もまた露わだった。
「わたしがお昼ごはんにいつも食べてるやつです。それ、早いのよ、つくるのも食べ終わるのも、洗うのもね」
「好いセンスです」
口に運びながらじつに適当に褒める。それでも女性は気を悪くもせず「そうそう」と言ってたちあがると、冷蔵庫からつけものを取出し、小皿に持ってテーブルへ置いた。すさかず、青年は「あ、こいつはどうも」と恐縮してみせた。
しばらく青年が食事する様子を眺めていたが、ふと、女性はいった。
「旦那さま、寝たのね」
魔法でも真のあたしにしたような表情だった。
「あなたすごいわね、あの方にはどんなお医者さまに行ってもダメだめだったの、もうさんざん。いろんな薬も試したのに、ぜんぜん効かなかったんですよ。ひどい不眠症だったのに、わあ、さすがですねえ」
「そりゃまあ」
青年は口のなかのものをしっかりと飲み込んだ上で宣言した。
「わたしくめ、プロなのね」
淡々とそう答えた。
「あ、ねえ、ちょっと聞いてイイかしら」
「はい、どうぞ」
漬物を箸で掴みにゆきながら答える。
「どうやって寝かせたの」
下手に隠さず、好奇心を存分に展開させる。
「あれ?」青年は如何にも意外そうな表情を、ひょいとあげた。「なにも聞いてないんですか、こっちの正体」
問うと女性は少女のような表情で左右に振ってせた。
「いいえ、なあにも。だんな様からは、今夜、あなたがここに来るから、お部屋へ通せとしか教えていただいておりません」
返しを受け、少し間をあけた後、青年は「そうですか」と言って視線を一度外し、だが、すぐに戻した。
その戻した目をそのまま真っ直ぐに女性の目を合わせる。
とたん、女性は射抜かれたように動きをとめた。
「ねむり一族の末裔なんです」
そこへ告げる。女性はまたあたらしく動けなくなったが、はっ、と我に返った。
「ねむり、いちぞく?」
眉を顰め気味に問い返す。
「の、末裔です」食事を続けながら自身の情報の補足した。「いまここに座ってるのは」
食事は相変わらず遠慮などなく、がつがつと食べる。だが、微塵もこぼしたりしないし、総合すると下品さな印象はない。
どこか落語家の演じる食事風景にもみえる、そういった不思議さもあった。
「あなた製薬会社の方か、なんかですか?」
「ただの家業ですよ」
問いに対し、正確な回答とも思えなかったが、青年はあえてそういう言い方で話を進めることにした。幸い、女性は神経質にその部分を追及してこなかったし、そういう相手でもないことは既にわかっていた。
「うちは先祖代々、ねむりを商売にしてるんです」
「ねむり屋さん?」
「ええ、そんなところです」
答える手にあったどんぶりの中身は、既に三分の一になっていた。
「あ、おかわりいたしますか?」
「いいえ、ここまでで」
立ち上がりかけた女性を手の動きで丁寧に制す。
「真夜中の食事は引き際が肝心なんで」
「自制心をお持ちなのね」 感心を経て問う。「私にはないものだわ。あ、ねえ、やっぱり、由緒のある御家柄なんでしょうかね」
「由緒はあります、極めて雑な由緒ですがね」
「なにそれ、フクザツなのね、ねえ、お名前とか………お聞きしてもよろしいのかな?」
「名乗ります」
飄々として前置きをした。
「眠、清志郎といいます」
「ねむり、きよしろう、さん」
ぼさぼさの毛先を揺らし、うなずいてみせた。
「ねむりさんは」思ったまま口にとしたが、留まり、考えをひとつ挟んで聞いてくる。「正確には、どういうお仕事なんですか」
「寝かしつけです」
幼稚さを厭わない表現で宣言した。だが、その後で「先祖代々、上質な眠りを提供する家業です」そう補足した。
「あ、わかった」女性は、ぱん、と手を叩き、顔を明るくした。「あの、布団の周りでもくもくしてたの、あのけむり、あれって睡眠薬だったのね」
「そんなところです」
肯定して、清志郎はお茶を口に含む。
「先祖伝来の製法でつくった秘薬です。完全に違法な薬物生成になるでしょうが」
「わあ」女性はかるく声をあげて驚いた。「あなた、いけない人なの?」
「ここの旦那さん、寝れなかったんでしょ」
善悪問答には応じす、そういった。
「きっと、いままでなにやっててもうまく寝れなかったとみえます」
「わかるの?」
「眠れない、でも、もうなにも出来ることなくなって最後に来るのが俺ですよ」
皮肉っぽくなる寸前のような、絶妙な言い方だった。
「ねえ、代々ってどれくらいから昔なの」
次第に女性はインタビューアー化していった。日常にはない珍しい刺激に対して、いつしか目の前の相手との年齢差も忘れている。
「さあ、ずっと昔からやってたみたいです。あー、記録がはっきり残ってるのは江戸の初期頃ですかね、カンエイだっけか、なんだか忘れましたが、とにかく江戸最初の方です。なんでも、うちの先祖、いや、どうやってか、ある日とんでもなくよく効く眠り薬をつくりましてね、それがたちまち世間のバクハツ的評判に。上質な眠りを提供するってんで、当時のえらい人たちからも人気だったとかなんとか。その上客の流れで苗字も屋敷も頂いたりなんかして、ひと財産築いたとか」
「だから、苗字が、ねむり?」
「いま残っているのは、このけったいな名前だけです。築いたひと財産はどこへやら。どうも、どこかの世代ですっかりデリートされてしまったようで財産、現世には蜜柑ひとつ残ってない」
「あら、スペクタクルね」
女性は妙な感想を口にした。
「それで、あなたが末裔なのね」
「最後のひとりですよ」
言って、清志郎は笑んでみせた。
「他はもういない」
ご両親、それから他に親類の方は、と女性はそう問いかけそうになっていたが、やはりここでも留まったらしく。「そうなね」と、沈黙の間にならないためだけ声を発した。
「盛り上がってた当時、そこそこ物騒だったみたいで、うちの家」
気遣いを察し、清志郎も口を開く。
湯呑を手にし、なかを眺めながらいった。
「夜な夜な、我が家秘伝のねむり薬を盗まんとして屋敷に賊が侵入したり、ああ、忍者が来たって話もある」
「ご苦労なさった血筋なのね」
「うちの先祖も、その、賊が入ったりするたびに、自ら撃退なんぞしてたから、そのうち、独自の体術なんぞも身につけたりして、あげく武術化してったりなんぞして、で、その武術もねむり薬と生成と一緒に子孫へ伝えたりなんぞして、わたしも子供時代に仕込まれましたよ」
「格闘技?」
聞き返しながら、女性は左右の拳を何度かつきだす振りをした。
「ええ、そういうやつです」
清志郎は答えて笑んでみせた。
だが、その直後だった、清志郎は口元から笑みを瞬時に消した。何かを感じたとったような神妙な表情をたった一瞬だけみせる。しかし、またそれも消し、視線を外して「はは」と苦笑を音にした。
どうしたの、相手がきくまえだった。
「ひとりなんで、この話、時々誰かにしゃべらないと忘れるんです」
相手への説明というより、つよく独白性を帯びた言葉を発した。すると、次には隣の座席に置いてあったカバンを手にとると立ち上あがった。
「ご馳走さまでした」
頭をさげ、カバンを肩にかける。
「いきます」
「あら、え? でも、夜中だし、まだ電車がぜんぜん動いてないわよ」
「まあまあ」まるで、諭すように手の動きを添える。「俺みたいなのが、ひと様のうちで長いしている方がおかしいんです」
女性が椅子から立ち上がったときには、もう、身心ともに旅立つ準備を終えた清志郎がいた。
「では、これで」
言って、ふと思い出したように向き直る。
「あ、でも、もし、あなたが眠れなくなっても、俺を呼ぶのは最後の最後にしてください、ねむり一族は残された手段ということで」
それを別れの挨拶として、清志郎は頭を下げた。
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