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夜明けは遠く、朝陽まであと数時間はかかりそうだった。
歩いてたどり着いた無人駅の待合所は、白熱電球がひとつぶらさがっているだけで、その明りも消されていた。 立った壁には張り紙がしてあり、かすかな月明かりを頼りに読むと『最後の駅を利用した者は電気のスイッチを切ってください』と手がきで書かれてあった。張り紙の傍にスイッチがり、清志郎が指を伸ばして押すと、スイッチの押した手ごたえのないまま無人駅の天井にぶらさがった電球に明りが灯った。
簡素な三畳ほどの待合室が露わとなった。清志郎は淡々とした表情でそれを眺め、スイッチを押して明りを落とすと、無人改札を抜けてホームへ出った。
無風だった。ホームには誰もいない。田畑のまんなかに、浮島にあるような駅で、ホームからは夜に包まれた田園風景が見えるだけだった。人家は遥か遠く、明りがついているものは少ない。
その場に立って、ぼんやりとほとんど闇夜で見えない景色を眺めていた。
すると、ポケットのなかの携帯電話が振動した。取り出して画面を見ると、公衆電話と表示されていた。
三秒ほど画面をみつめた後、通話ボタンを押して耳に添える。
しばらく相手からは何も無かった。
『 たすけて』
やがて放たれたのはその一言だった。声は女性のもので、おそらくひどく若い。
清志郎は黙したまま、じっと視線を前へ向けていた。
それから間をひとつ入れた。
「眠れ、ないんですか」
作意的に妙なところで区切り、威圧は限りなく排除し、ささやくように問いかける。
回答はすぐにはなかった。待っていると、やがて女性は沈んだ声で『ごめんなさい』といった。本心から謝罪の意があることが読みとれる。かと思うと、とたん『あのぉ!』声を張りあげた。
その不意打ちは、子供に驚かされたと同じ効果を発した。清志郎は口を一文字に占めたまま驚き、一瞬、小動物のように振えて目を大きく広げた。
だが、相手は今度もすぐに次の言葉を出してこなかった。
そのすきに清志郎は広がった目をゆっくりと元に戻しながら、耳に添えた携帯電話へ視線を向けた。それから視線をホームへ戻す。
相変わらず、夜明けはまだ遠く、朝陽の気配すら空には不在だった。
「どこへいけばいいんですかね」
深海めいた田園風景を見ながら問いかけた。はからずも放った言葉は不思議な音調となり、自問自答にも聞こえた。
相手の反応を待っていると間に、少しだけ風が吹いた。あたり一面に広がる田園の穂先たちが揺れてふれ合い、細波のような音を発している。
ふと、そういえば最近、海をちゃんと見てない、そんなことを想っていると電話口から気配を感じた。
『ごめんなさい』
前置きはなく沈んだ声で謝られる。感情が籠っていた。そこには何か、考えを経てからの言葉に聞こえた。
「もしかして、この時間帯に電話かけてきたこと、謝ってますか」
少し間があって『はい』と返事があった。さっきのは贖罪の間だったらしい。
「気にせんでください、これが仕事です」
清志郎は飄々と答えた。見えるはずもないのに、口元にはわずかに笑んでみせる。
『ごめんなさい』
伝わったのか否かはわからない、それで相手はもう一度謝った。
『この連絡さきを教えて人が、この時間帯にかけた方がいいって、それで』
「そりゃあね」
清志郎は力を抜いて同意した。
「こんな時間にかけてくるんだ、そういう人は、とんでもなく眠れない場合が多い」
『ありがとう』
「いいえ、まだなにも」
浮かんだ苦笑は、すぐに消した。
『あなたは、眠れるんですか?』
思わぬ問いに清志郎は目を丸くした。口調からして、どうも皮肉の類ではなく、純粋に気になって聞いて来ているらしい。
これまで客からそんなことを聞かれたことは一度もなかった。
「いや、おれはさ」
つい、一人称が『おれ』になった。客とはいつも距離を保つため『わたし』で対応している、なのに出た。きっと気のゆるみだった。
清志郎は何事もなかったように、わたし、に言い直そうかと迷ったが、あきらめて、そのままゆくことにした。かるくこころの内部を確認してみると、どうも、いま、そう悪い気分でもない。
ゆえにこの朝は特別とすることにした。
「眠れますよ、プロなんで」
言って、悟られないように酸素を多めに吸って吐く。
好く言ったものだった。
「それで、その」
何かを誤魔化すように会話を進めた。
「どこへ行けばいいんでしょうか、おれ」
自分へ皮肉を与える。
『東京』
はっきりと明瞭な声だった。
聞いて清志郎は考えた。相手はもしかして地方在住の人間だろうか。東京都内に住んでいる、もしくは隣接県に住んでいるなら、東京、とではなく、もっと渋谷や新宿など具体的な場所を口にしそうだった。
『ごめんなさい、ほんとはちがうんです』
そこへ切実を帯びた声が放たれた。
清志郎はいつの間にかうつむきがちになっていた顔をあげた。
『わたしもねむり一族の末裔です』
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