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 渋谷、ハチ公。

 それだけ誰かに聞きながら行けばいずれ辿り着ける。清志郎へ電話をかけた相手は、東京の地理一切がわからないと話したので、そう教えた。

 ハチ公まえ集合とは。清志郎は密にはじらっていた。咄嗟とはゆえ、我ながら安直きわまりない集合場所だった。しかし、彼の地の存在を知りながら、彼の地の詳しくを知らない者へ説明する場所としては、そこぐらいしか思い浮かばなかった。

 夜、陽も落ちた頃、清志郎は改札を抜けて渋谷の地に降り立った。駅の中も外も、人々でごった返しだった。東西南北あらゆる方向から人が歩いてゆく。技術がないと、それを無意識のうちに避けて歩くのは困難だった。

 今朝方、まったく人のいない駅にいた。渋谷駅の周辺の人のあまりの多さに、その反動で、精神的に気絶しそうだった。こんなに一か所へこれだけの哺乳類が集まっていいものか、酸素不足になるのではないか、そんな無用な心配を起し、だが、それはそれとして、この渋谷駅というは常にどこかを工事している、もしかして、サグラダファミリアのように、自分が生きている間には完成姿が見れないではないかと思えた。新宿駅もそうだった、常にどこかを工事している。この惑星のどこかに工事を終わらせたくない壮絶な権力者いるのかもしれない。

 そういった種のことを取り留めなく考えながら人を避けて歩く。交番を見ないふりをしながら見つつ進んだ。

 たどり着いたハチ公像、その周辺には待合せと思しき人々が大勢いた。それぞれ人が誰かを待ちながら、それぞれの想いに没頭し、人工光に顔をさらしている。清志郎その群に身を置いた。

 電話をしてきた相手の顔はわからなかった。彼女は通話機器も所持していないという。電話も公衆電話からだった。そういう理由もあって、ここを落ち合いの場所としたという部分もある。

 連絡先も告げられず、かんたんな口約束だけで会う。そういった、ふわりとした会話だけで依頼人と会うことは多々あった。慣れているはが、とうぜん慣れているからといって、すんなりいかないこともあある。困るときは果てしなく困り、だが、一方で、こんな仕事だ、それはそれで仕方ないと受け入れる態勢もあった。それに、どうにもならないなら、しかたがない。

 約束の時間は十九時だった。これは清志郎の都合による設定であり、東京へ戻るために必要な時間を計算したらそうなった。

 いまの時間を確認すると、まだ三十分ほど余裕があった。

 清志郎はそこに立つ人々のなかに、適度な空間を見つけ自分もそこに立ちくわわった。ハチ公像を斜め後ろに配置した場所で待機する。なんとなく、ハチ公像の、像ど土台のつけ根などへ視線を向けた。

 わたしもねむり一族の末裔なんです。

 耳に残るは相手の告白だった。

 清志郎にとっては、なかなか攻撃力があるものだった。今朝、それを聞かされてからずっと頭から離れない。

 仕事柄、とんでもないめにはよくある。そのため、何事があっても、動揺しないよう、自分の心を誤魔化す技術は持っているつもりだった。だが、今回ばかりは、やや難儀だった。仕事終わりの夜明け前、前触れなく放り込まれたそれの処理の仕方を上手くみつけられずにいた。

 それでも、どうにかなるだろうとは、どこかで思ってもいた。根拠は不在だった。けっきょく、どうにかなってしまうもんだ。

 無意識のうちに溜息をつく。この考え方、こいつはあれだな、と思い出した。よく、父親が言っていた口ぐぜだった。マズいことが起きたときに言っていたやつだった、死ぬほどマズいときにも同じことを言っていた。それに、はじまったときにも言うし、終わった後にも言う。ほらみろ、けっきょく、どうにかなっちまうもんだ。

 いつの間にか、継承していたらしい。あんまり好いものとは思えなかった。ところが、何かあると、よくよくこれを持ち出しては使っている自分を認めざるを得なかった。いつでもなんとかなると思ってしまっている。なんとかならないことばかり経験しているくせに、そういう状態になる。

 頓死だろう、行く末は。客席から気分で感想を放つ。しかし、願わくば、おもしろい終わり方で。不景気なのはよして欲しい。

 ぐちゃぐちゃと考えているうちに時間は経過していった。考えた結果か、時間が経ったせいか、少し落ち着いてきた。息を吐き、携帯電話を取出し時間を確認する。まだ、二分ほどしか経っていない。

「待ち伏せは得意だ」

 発声して、自己暗示をかけた。暇なので、ここにいる誰よりも姿勢よく立ってみるか、などと、ひとり遊びをしつつ、時を待つ。

 まず問題は名前の相手の顔もわからないことだった。声からして、おそらく女だろう。無論、声の高い男もいるから侮れない。年齢も若いそうだった、だが、やはり、声だけでわからないし、先入観は余計な事態を招きかねない。

 今朝の電話でのやり取りでしくじった。

『わたしもねむり一族の末裔なんです』

 その言葉で動揺した。頭が白んで、落ち合う場所だけ告げて、相手の名前だとか、連絡先だとか、互いをみつけるための印めいたものの連携一切を忘れた。

 すぐにでも相手と繋がりを切ってしまいたかった可能性は充分にあった。距離をとり、逃げるために。けれど、自動的に、職業意識部分が勝って働き、なんとか待合せの場所だけでは決めた。そしてその他は、すこんと抜けた。

 直後、視界の端が、何か異様な動きを察知した。

 ハチ公像から少し離れた場所で、人がひとり消えた。落とし穴の落ちてゆくように、上から下へと消えてなくなった。驚き、だが、同時に身体だけは反応して、身構えた。

 見ると若い男性がひとり路面に倒れていた。妙に耽美な顔立ちの男だった。無垢な少年のような顔で目を閉じ倒れている。

 そのそばで、細身の少女が必死なって倒れようとする彼を支えていた。だが、体躯の差は大きく、彼を支えきれずに共に崩れていった。ただ男が倒れる際、なんとか頭部を地面へ打ちつけることだけ回避した。

 それまでの景色を壊す異質な出来事に、周囲の人間も驚き固まった。それでも、咄嗟に携帯電話のカメラを向けようとする者もいた。本人の意志というより、身体が勝手に撮っている。

 男が倒れ切ると、少女は地面から身体を引きはがすように必死に立ち上がり、顔を上げた。

 顔は丁度の清志郎の正面になった。

 目が合った。

 まんなかで別け、頬まで包んだ黒髪のなかに、広めの額と、根本は太く、弧を描いて先端はとがった眉毛があり、目の大きさに反するように眸は大きく黒くある。鼻はひかりの加減で、うっすらとしか見えず、唇は小さく薄かった。黒地に、襟だけ白くデザインも安直で、安価そうなワンピース着き、身体つきは総じて細い。

 とたん、少女の顔が苦痛に歪んだ。後ろから伸びてきた手に髪を掴まれ、引寄せられた。少女の髪を掴んだのはフード付きのウィンドブレーカーを来た男だった。顔の上部はフードで隠れてみえない。引寄せる力には手加減がなく、少女を生物として扱っている様子がない。

「そいつはNGだ」

 清志郎は地を蹴って馳せる。法則なく立つ野次馬の合間を通り抜け、最短距離で現場へへと迫る。

 狭い人垣の隙間から飛び出すよう抜けでると、勢いを殺さず少女の髪を掴む男へ迫った。 次にフードの隙間を狙って平手で男の頬を放つ、あたって、小爆発めいた音が鳴った。

 拳で殴りつけるより、平手打ちの方が挙動は少なく、素早い。威力は当然拳に劣るが、不意打ちとしては充分過ぎる効果を発揮した。動きが早いため相手は何をされたのか理解できず、未知の衝撃に、身体は大げさに反応しがちになる。

 相手がよろけた。清志郎は少女の髪を掴んでいた右の手首を左手で握る。それから、右手で、男の肘をあたりを殴りつけた。すると、腱反射したように、衝撃で男は少女の髪からは手を離す。

 やった、うまくいった。瞬時にこの結果図になるはずと設計していたものの、成功するか否かは不明だった。こんな動き、いままでやったことがない。ただ、似たような奇抜、曲芸めいたのは何度もあった。

 だが、意識を成功に持ってゆかせている暇はなかった。

 なにより、周囲には無数のカメラが存在する。

「次!」

 撮られたくない、現代と戦いつつ、清志郎は少女の手を取った。少々乱暴となってしまったが、かまわず、少女の身体を引寄せる。 

「すぐそこ、交番」冷静にそう告げ、そちらの方へ走るように押し出すようにして促す。「行くといい」

 少女は驚き、動きをとめて清志郎を見ていた。

「逃げろ」すると、清志郎は眼を細め、声のトーンを変え「おれも真っ当じゃない」忠告した。

 驚きに戸惑いも混じりながらも、清志郎の放った圧に押されるようにして、少女は駅前の交番の方へと向かった。周囲にいた者たちも、少女へわずかがだ道をつくる動きをみせた。

 見届けて、清志郎は奇襲を受けて機能不全に陥っている男へ足払いを食らわし、きれいにこかせたうえで、自身は人込みのなかへと飛び込んだ。

 野次馬と化し、密度も高く、狭く人々の間を強引に抜けてその場から離れる。自由複雑に入り組んだ人の森を突破する技術は備えていた。

 交番とは反対の道玄坂方面へ馳せる。丁度、歩行可能になった横断歩道を素早く渡った。

 さらにそちらへ向かう振りをしつつ、手近のビルに入って無差別的な人々の視線にひとつ欺きを入れると、今度はくるりと身をひねり、ビルを出て再び渋谷駅へ向かった。

 無事、少女が交番へ辿りついたのか確認に戻った。

 それに予感もあった。

 もしかして、あれがあれだったのではないか。つまり、連絡してきた、くだんの末裔の。

 経験から考えるに、異質な出来事があった同じ日に、別種類の異質な出来事が起こると、たいていはそれらは繋がっている。

 戻れば巻き込まれる可能性は高かった。とはいえ、他のことならまだしも、末裔の話がからんでいる。血が騒いでいる、捨て置くわけにはいかなかった。

 ここは強引にでも何か情報を収集をはかる必要あった。無理をすることに決めた、こうなっては動きに多少の雑さも厭わない。

 人波に紛れてそしらぬ顔でハチ公像の方へと引き返し、平然と信号待ちをする。

 とたん、絶句した。さっきの少女が人々をかき分け、必死に走ってこちらへ向かって来る。交番とは真逆の方向だった。

「いや、こっちにじゃなくてさ」

 つい、つぶやき、一秒迷って、清志郎は少女の元へ向かった。横断歩道は赤のままだったが、左右かた行き交う車両を手で制して停め、車の合間を抜けて渡る。

 少女は清志郎の顔をみつけると、大きく目を開いた。

 やや車にひかれかけながらも渡り切り、清志郎は少女の前へと立った。

 苦言にするか、何にするか、発言を考える間はなかった。

「わたしも真っ当じゃない!」

 爆ぜるように少女が叫んだ。

 まだ耳に残っている。紛れもなく、今朝、ホームで聞いた声だった。

 ああ、こいつだ、と、清志郎は思って、目を丸くした。が、すぐに、表情を戻して周囲をうかがった。

 あの男はこの少女を捕まえようとした。

 となると、捕まえた後、運ぶ手段は用意してあったとして、近くに車が停めてあったりしないか。停車されている車のなかに、それらしき車が三台あった。どれも同じ車種だった。複数だとなると、相手が何らかの組織と感じざるを得ない。その正体を確かめる手段はいつか浮かんだが、目撃者を大量生産しかけねばいこの場所では、副作用が膨大過ぎた。相手も似たような考えなのか、もしくは無関係の車両なのかは不明だが、すぐに動きを見せることはなかった。

 ここは逃げるとして、しかし、ただ逃げるのは癪だった。

 そこで清志郎は、少女の方を向いた。

「眠、清志郎です」

 脈絡なく、丁寧に自己紹介をした。

 聞いて、少女は驚きの表情をみせた。あきらかに、眠という苗字に反応している。

 とどめず、清志郎は「あなたの名前は」そう訊ねた。

 瞬間、戸惑い、それから少女は、我に返ったかのように目を大きくした。

「おなじです!」

 そう叫んだ。

「わたし、ハルノです!」

 続けて渾身で名乗る。その、つよく生命力を帯びた叫びに、清志郎は虚をつかれたような表情したが、すぐに戻した。

「それで、ハルノさん」

 過ぎるほどあらためって呼びかけた。

「はい」

 真っ直ぐな返事で応じる少女の眸は街にひかりを拾って煌いた。

 そこへ。

「一緒に逃げてください」

 ひとつ演じて申し込む。

「え」

 少女はふたたび戸惑ったが「はい」といってうなずいた。

 返事を見届けたうえで清志郎は車と周囲の様子をうかがった。躍起になって迫って来ている気配はない。

 泳がされてるか。向こうに余裕があったとしたら、それもまた癪だった。

 清志郎は自分をじっと見返すハルノへ告げた。

「徒歩で逃げます」

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