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 ほど経て、青年は放心状態の解放と体を反すように、文つよい恥じらいが内部で沸き起こりはじめ、もはや四季を直視できなくなっていた。

 そこで頼れる光は、セダンのヘッドライトと、遠くに見える建造群のものしかなかった。月明かりもあるが、雲がかかり、人の味方になるほどの光りはなかった。あとはすべて暗闇しかない。ただ何もなく、たった三人では、手持ちの光りでは、そこにある広く大きくある、鉱物的な孤独を解消するには到底及ばなかった。

 ついさっき、不意と内にうなじけ口づけをされた。文彦の肌はまだくちびるの感触を覚えていて、未曾有の体験をくらい、放心状態が解けても、こころはざわめくままだった。

 それでも視界の端では四季の動きをとらえ、顔だけを向けた。丁度、四季が助手席のドアをあけている場面だった。

 ドアをあけると、四季はカッターを手にし、ちきちきと音をたてて刃を出した後、車内に半身を入れ込んだ、ほど経て身を抜き出し、刃を手にしたまま数歩うしろへさがった。

 塩みと土が混じった風が吹いた後、四季の兄がセダンから降りてきた。

 セダンの外部内部から放たれる間接的なひかりのなかで、四季の兄の全貌は明確には見えなかったが、四季に似て、おそろしく整った顔立ちをしていた。この世のモノとは思えない印象さえ受ける。

 四季には似ているが、四季には、まだ、下手だが人間っぽさがあった。まだ何も知らない幼子が、懸命にこれから人間になろうとする過程でみられる、生物としての面白さがあった。

 兄の方にはそれを感じなかった。ひどく渇いてみえた。その上で、美貌は成立し、乏しい光の中にあっても、妖気を帯びてさえみえる。

「お礼、言えよ」

 片言風にして、ぶっきらぼうな口調で四季がいった。礼を本気で求めているというより、、何か反応を示せと急かしている感じだった。

 四季の兄は何もいわなかった、彼女へ一瞥もしない。

「このダメにんげんが」

 ついさっきと同じことを言い、四季はあさっての方向へ視線を投げた。意地になっているようにもみる。

 まるく罵倒に対する四季へ反応もせず、四季の兄は、代わりに静かに文彦の方へ顔を向けた。目が合い、たちまち文彦の全身は異次元の緊張感に支配され、わかりやすくかたまってしまった。

「迷惑をかけたな、きみはいますぐ帰れ」

 謝罪と警告を揃えて告げて視線を外した。その視線の先には、夜の地平に先に煌く人工公の群があった。

 かんたんに悪い人という印象は受けなかった。もちろん、文彦は、その男性が四季に兄であること以外、詳しいことは知らない。怖いという気持ちはあった。だが、少し間違えればこの人はどういう人間なのか、その好奇心のままに追い掛けてしまいかねない気持ちも確実にあった。

「やられたくせにエラそぅだ」四季は兄の妖気にはかまわず好きにいった。「かっこわるい」

 遠慮なく言う、だが、反応はまたなかった。すると、四季は兄をかわし運転席をのぞき込んだ。

「っけ、やったぜ、車の鍵も持ってかれてやんの」

 淡々とした喜びを加え、顔を向けて教えてやる。そのとき、兄は振り返り、ようやく、兄妹の顔は向かい合うかたちとなった。わずかの間、視線をぶつけ合う。

 やがて兄の方から先に外した。

「おれはあの人のもとに戻る」

 どこか違和感を含んだ言い回しをして、遠くの光りを正面にした。

「なんで」

 殴りつけるような声の音調から四季が苛立っているのがわかった。まるで相手の内臓まで踏込むように訊ねる。

「外は嫌いだ、モノだらけ塵だらけだ。複雑過ぎてわからなくなる」

 一切の感情を排除作業した上で答える。

「おれはあの人の創った世界でしか生きる気がしない」

 つづけて放ったそれもまた、すべてを完全に制御したものだった。

「ここ、いつか終わるよ」

 四季は冷静に、だが力を込めて言葉をぶつけた。

「それも泣けるほど近い未来に終わる」

 重ねてそう告げた。

 間があき、塩と土が混じった風が一体を薙いだ。

「自分がいたい世界を守るのは仕事だろ」

 吐露するようにいった。

「うるせえ」

 怒鳴りはしなかった。四季は極めて感情を抑えてそう返した。

 さらに四季はいった。

「正義の味方っぽいのが現れたらやつけられちゃうような世界のくせに、ぜったい何やってもダメに終わるよ」

 臆せず理窟ぬきそういった。

 ふと、兄は笑みをこぼした。そして「お前と話せてよかった」といった。

「あんたはそうやって誤魔化してばかり、雰囲気でなんでもかんでもやりこなそうって     」

「こいつを頼む」

 ふたりのやり取りに意識を持ってゆかれていたところへ、不意に声をかけられ、文彦は「え、あ」と、口から言語成らぬ者を発し、慌てて会釈をした。

 相手もかすかに頭をさげように見えた。

 本当に下げたのかどうか、文彦の判断が定まらぬうちに「じゃあな」と言い、遠つ光へ向かい、馳せ出し、あっという間に闇のなかへとけて消えてしまった。

 四季は地面へ視線を落としていた。

 文彦はそんな四季を見ていた。

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