(3/7)
長方形と曲線を混ぜ合わせたその建造物は、遮蔽物のない平原に、浮島のように存在していた。
建設中のまま長く置かれているはずだが、廃墟化は感じなかった。建物として血の通った気配もない。ただ、淡い月の光と夜、波と風の音に手伝われ、それは自然の一部にでもなったかのような顔をしている。ひとつの世界観の完成があった。
建物のところどころに、火が落とされた暖炉のような、点々として小さな灯りがみえた。露骨な見張り姿の光は見られず、人の気配はない。
清志郎は敷地へ入る手前の平原で原付を停めた。エンジンを切ってスタンドを立て、鍵を抜いて原付から離れた。
鍵をカバンへしまい、顔をあげた。砂の混じった風が、頬や唇に張り付き、水分を吸収してゆく。
視線の先に聳える建物まではおよそく百メートルほどの距離があった。
つくりかけの空港というのは聞いていた。だが、清志郎がそれを目にして思ったことは、夜の校舎に似ているということだった。そして、その当て外れの既視感が働きのせいか、自分の完成の間抜けさにあきれ、あげく恐怖は存分に発揮されずに済んだ。
ポケットからスマートフォンを取出して時間を確認した。夜明けまではまだ時間があった。設定を無音、無振動、無点灯へ変えた上でポケットへ戻す。
かなり近づいていっても厳重な警備体制が敷かれているようには見えなかった。人影はない。監視カメラの類があちこちに設置されている様子もなかった。何事もなく、建物の傍までたどり着く。
過ぎるほど手ごたえがない。もしかして、もうこの侵入にはとっくに発見されていて、いまは泳がされている最中か。人間には決して認識できないほど完璧なセキュリティシステムが展開されているのかもしれない。
事実は不明だった。清志郎はひとつの想像をしていた。
わざと厳重な警備を無にしている。侵入しやすくしている。ここを攻め入る者の目的のほとんどは、或って或る者の生命を獲ることだろう。それを獲れば、この土地を征することができる。
或って或る者は、あえて、こうして侵入しやすくして、やって来た者を返り討っているのか。如何なる警備よりも、自身で自身を守った方が優れていると知っているのか。それに刺客を自ら仕留めることで、健在ぶりをこの《空き箱》全土に知らせることも出来る。
それらは清志郎の想像過ぎなかった。ただ、どう考えても、この巨大な施設を警備しようとすると、膨大な人員とエネルギーが必要になる。現場に立ってみればわかる。
或って或る者の、人外な強さ。それを作為的に伝説化することによって、人々に誇大な畏怖を与え、支配を維持している。狙いは理解できる。
或って或る者の居城たる《つかわれなかった未来》の警備の手薄さが何を物語っているのか。或って或る者の下には、それなりの数の構成員はいると思えた。それでも、この規模の警備にはとうてい足りる人数とは考えられない。完璧に守ためには、ここはあまりにも大き過ぎる。
だったら、中途半端に警備を置かず、むしろ、無人にする。それにより得る、ある種の異質な迫力によって、敵の気分を削ぐ方に傾けんとしているのではないか。証拠に、いまここに、侵入を試みようとする清志郎の心持ちにしても、どうにも悪くあった、終わってしまった異世界にような居心地だった。よっぽどの用が無ければ近づくたくない。
もしくは、侵入者は見つけ次第排除する方針か。警告なしで始末する決まりがある。そうすれば、警備専門の人員を確保せずに済む。生かして捕らえるのは、始末するより高い技術も兵力も必要になる。始末するだけなら、撃つ兵隊だけで事足りる。それに侵入者を始末できない、自身さえ守り切れない者は戦力にはならないなら、ここには不要ということになる。この仕組みなら、相手を始末することを厭わない兵士の選別の効果もありそうだった。
移動しつつ、そこまで考えたが、当然、それらは清志郎の想像でしかなかった。何れにしても、もし見つかったら、相手を処理すると決めていた。可能な限り実力を持ってこれを処理する。
そう、個々につぶして、数を減らす。
そして或って或る者まで辿りつき、討つ。
ハルノをここから助け出すだけでは、けっきょく追っ手がかかる。それも、森川のような厳しい追っ手だった。それではハルノを助け切れない。
なら、根本を断つのがいちばんだった。
ただし、じつに気絶しそうな作戦だった。
「けど、ここはやるしかないぜ、御先祖さん」
ここで途絶えるかもしれない血へ、ことわりを入れる。
しかし、広大な《空き箱》のなかにあっては、そのことわりも、名も知れぬ草木の囁きの以下でしかなかった。
広大な敷地に建つ、三階建ての巨大な施設は、どこからでも容易く内部への侵入は可能そうだった。出入口らしき扉は至る場所に見える。そのどこにも見張りはなく、その見張りがないことが、やはり、ひどく清志郎を考えさせた。もし、仮に見張りがいれば、そこは厳重に守に値する場所であり、重要な入り口であるという見当もつく。それ以外の手薄な場所は、もしかすると、無人の警備システムでも働かせていると想像もできる。
だが、どこも等しく警戒がない。
向こうの構えが読めない。
考え過ぎているのか。見事に、相手の沈黙の目論見に嵌っているのか。
だが、脳に負荷をかけたことが、きっかけとなって清志郎は思い出す。
電車の中で、ハルノは部屋からよく月を見上げていたと話した。自分がいた部屋には天井に窓があり、そこからよく月を見上げていたと。
天窓をそう。清志郎は小さな鍵を手に入れたような気分になり、建物を見上げた。屋根へ登って、天窓を見つけ出せば、ハルノのいた部屋がわかるかもしれない。
内部からではなく、外部から調べることに決め、屋上へ登れそうな場所を調べた。雲がかかり、よわい月明りを元手に、ありったけの夜目を利かせながら建物の正面口に添って動く。建物の正面に階段はなかった。さらに壁に添って進み、滑走路側へ向かった。フェンスなどはまだ造られておらず、乗り越えるべきものはなにもなかった。
滑走路側にも警備の姿はなかった。時々、建物のガラス向こうから放たれる見える光は、どれも非常灯の緑色だった。屋根へ登れる場所を探りつつ、感覚で死角を選んで進む。程なくして非常階段をみつけた。
階段は最上階の三階まで続いていそうだった。乗客の目にはふれない場所にある。
清志郎は無音を維持して階段を素早くのぼった。
階段は三階の非常口で終わっていた。段一段を上がる度に生傷に響いた。だが、痛みには、かまわず登り切る。三階まで上がると、階段の手すりに手をかけ、足をかけ、身を持ち上げて、上へと飛んだ。屋上の縁に手をかけると、なめからか動きで、屋上へ登り立った。着地は無声映画のように静かだった。
風が強く吹いていた。髪を弄び、唇にごくうすく塩みを感じた。静かで、地上よりも波の音もよく聞こえた。視界を直線に伸ばすと、月明りで地平線の向こうに、うっすらと海を防ぐ壁が見えた。
口を一線だけあけ、酸素を取り入れ、吐いて終えて動き出す。
視線を巡らしてながら天窓を探した。長い箱型の建物の屋上の大半は、展望デッキになっていた。屋上も、つくりかけでフェンスもない。非常灯の光もなかった。神経に油断があれば、一寸先を誤り、地上へ落下しそうだった。
遮蔽物もなく、スマートフォンの小さな明りだけでもみつかる可能性は高そうだった。頼りになるのは月の光だけだった。
もしかすると、その月の光が天窓の反射しているかもしれない。
思っていると、やがて強い風が吹いた。
清志郎は顔を上げた。
月にかかった雲が少しだけ晴れた。
そのとき。視界の端が、針の穴ほどの光りをとらえた。
顔を向け、近づく。屋上の最南端付近に、半円形の突出した建物があった。
天窓の上部にひとつだけある。
登り、適度な間合いから窓の中を覗き込む。濃く暗く、下の様子は深海めいていて何も見えない。ただ黒い底がある。
これがハルノの言ってた天窓なのかは不明だった。トリナシの屋上は広大であり、当然、この建物で天窓がひとつとも限らない。
瞬間、銃声が鳴った。
近くではない。遠くでもない。
清志郎は身をかがめながら、銃声のなごりから、発砲残滓から方角は探った。
だが、無駄な作業になった。それから銃声は次々に起こった。やはり、近くでもなく、遠くでもない。ここではない場所で、銃撃戦が始まった。しかも、鳴りやまない。
あのピストルディスコを手掛かりとするかどうか。
頭の中でつぶやき、清志郎は天窓のそばを離れた。
動いているうちに、屋上で出入口を見つけた。そのドアノブへ手をかけた。
鍵が掛かっていた。
中には入れない、次を探す。
その間も銃声は鳴り続けていた。
それからも、いくつか下へ降りられそうなドアをみつけたが、どれも鍵が掛かっていた。
展望デッキにレストランでも造ろうとしていたのか、ガラス張りで、中身は、がらんどうの建物をみつけた。暗がりではっきりとは見えないが、ガラス向こうには誰もいなかった。
ガラス戸へ手をかけた。鍵はかかっていなかった。
中に入り、未完成のフロアへ足を踏み入れた。室内に入ると、聞こえる銃声たちは一回り小さくなった。
フロアから通路に出ると階段があった。その階段を使い、下の階へ降りた。
やがて吹き抜けの三階のロビーに出た。滑走路側の壁は全面アクリルガラスで、そこから入り込む月光によって、ロビーのかたちがおおよそわかった。船のようなかたちをしている。外から見えた、緑色の非常灯が点々と各所を照らしていた。
何も入っていないテナントを横切り、銃声の方へと向かった。清志郎の方へ、弾が飛んで来る様子はない。
そのとき、人を目にした。進路の先に、一瞬、人が非常灯を横切り、緑が動いたように見えた。足早に、清志郎の方へ向かって来ているが、発見されたわけではなさそうだった。その男は、すぐに角を曲がって行ってしまった。直後、角の先に明りがついた。
清志郎はついた光りに近づき、角からのぞき込んだ。通路の先にあるドアが開き、明りはそこから明りが漏れいた。寄ると、部屋のなかで、スーツを着た若い男が開いたロッカーの前にいた。片手にはサブマシンガンを持っていた。若い男はロッカーに手を何度も出し入れし、弾倉を上着のポケットが変形するまで押し込んでいる最中だった。とてつもなく焦っている様子だった。
清志郎は遠慮なく間合いを詰めた。若い男のすぐ背後につき、無防備状態の首へ両腕を忍び寄らせた。そして瞬時に絞めた。突然の襲撃に、若い男は自分がどういう状況か把握できず、ただ強い驚きが抵抗することも忘れさせた。若い男は程なくして気絶した。
意識が消えた男を横たる。開いたロッカーの中身がみえた。銃火器や弾庫が入っていた。手榴弾もあった。清志郎はそれから、かんたんに視線を外すと部屋を出た。出るときは部屋の明りを消した。
通路に復帰した。銃声はまだ鳴り止まずにいた。再び、そちらの方へ身を近づいてゆく。近づくと銃声は次第に、鼓膜が刺激を感じるほど大きくなってきた。硝煙の香りはっきり感じとれるようになってきた。
強い閃光が見えた。二階から一階へ、光がひとつ見えると、途端、一階から二階へ無数の光線が走った。その光のやり取りは、短い合間に何度も繰り替えされた。
おそらく、少数が多数を相手にしている。
清志郎は二階へ降りて、少数の方へ接近した。上下のやり取りのなか、何度も発光があった。その度に、動いていないエスカレーターが浮き上がるように見えた。下から上へと、無数の弾丸が放たれていた。上から下へは、丁寧に数発ずつ返される。
ロビーを半面にのぞむ二階の廊下を進み、より近づく。銃声の音がさらに激しくなり、鼓膜をつく。音は、もはや目に染みるような大きさだった。
光の瞬きの後、銃口を下へ向けている男の姿が見えた。歳は五十歳前後か、異国の血を感じる男だった。スーツを着ている。その全身から、これまで清志郎が遭遇したことのない生命力を発した男だった。
その男の背後に、ハルノがいた。おそらく彼女を守っている。
そして、ハルノが清志郎の方を見た。
目が逢った。だが、清志郎がハルノも男も見えたのは、その光ある一瞬だけだった。光が消えてなくなると、また濃い闇に戻った。直後、清志郎は、その闇のなかで自分の確実な死を感じた。銃を向けられている、引き金が絞られる、頭を撃ち抜かれる、未来が見えた。
避けられない。それがわかった。けど、せめて急所だけは回避しよう。咄嗟に身体の芯を変える。絶命でなければ、一矢報いることぐらいは出来る。
思った。
が、けっきょく秒後に、清志郎が銃弾に撃ち抜かれることはなかった。次の瞬間も、次の瞬間もなかった。感じた死も忽然と消えていた。
相手が撃つのをやめた。そうとしか思えなかった。
途端。
「おれは後から奴らを叩く」
気付けば、清志郎は闇へ向かってそう伝え、反対方向へ走り出していた。通路を全力で馳せ、階段を飛んで降りる。
銃声の中だった。宣言が、聞こえたがどうかはあやしい。
かまわなかった。清志郎は一階まで降りると、素早く、そして気配は丁寧に消したまま、暗く無人のロビーを馳せた。ロビーの高く広い壁一面はアクリルガラスになっているため、わずかに雲の掛かった月の、淡い光が入り込み、完全な闇ではなかった。たどり着いたエスカレーターの麓には、銃火器を手にした一団がいた。皆、柱などの身を隠しながら、自己の間合いに従って、銃口を柱の先のぞかせ、二階へ目掛け、引き金を絞っている。連射だった。闇の中では正確な人数を数えることはできなかった。ただ、ひとりやふたりではなかった。皆、決めごとようにスーツ姿だった。月明りでかすかに見えるだけでも七、八人は見えた。そのうち数人が暗視スコープをつけていた。
そこにいる全員、銃口は上へしか向けていない。躊躇なく、引き金を絞り続けていた。
清志郎は使えそうな闇を選んで、それに溶け込み、感覚で全体の背後へ回った。柱の後ろに隠れた者たちが、発砲の光りで、瞬間瞬間、露わとなっていた。
やはり、皆、上しか見ていない。背後に回った清志郎に気づける余裕はなさそうだった。
清志郎は銃声の音に気配を混ぜ、柱に身を隠し、ひとりに接近した。暗視スコープをつけていた。その男も他と同じでエスカレーターの上にいる標的に夢中過ぎて、清志郎の存在には気づけそうになった。清志郎は間合いを詰め、相手の背後をとると、延髄に掌底を打ち込んだ。一撃は無防備なところに入り、脳震盪を起させた。男がかすかな悲鳴を上げる間もなく、崩れそうになるところへ迫り、両手を伸ばし、首に巻き付けると、締め上げる。
その間も銃声は鳴り続けていた。
男の意識を完全に落として、その場に寝かせた。そして、清志郎はその場を離れ、次を目指す。
二人目も同じように闇を持って接近し、無防備なところに当て身を当て、首を絞める。
間を置かず、二人を仕留めた。暗視スコープをつけている者を優先して、闇と銃声に乗じて一人ずつ倒す。同じように、掌打や、折り曲げや肘を鋭く、延髄へ打ち込み、脳震盪を起させ、その上で絞めて意識を奪った。
四人目まで仕留めた頃になると、銃声の総量が明らかに減った。
相手側も、異変に気づいた気配があった。。
だが、清志郎は丁寧に男たちを眠らせ続けた。「おい、なんか 」男たちの一人が、察知した何かを口にしようとした。その男の背後には既に清志郎がいた。清志郎は後ろから男の口を左手で覆い、やはり、延髄を限定的に狙って、右肘を打ち込む。男が倒れそうになるところを捕らえて首を絞める。
銃声が半減以下に鳴った頃。「何人かやられてるよ!」誰かが叫んだ。少年みたいな声だった。「内側からやられてる!」
腹から食い破られているような焦りだった。
警告も虚しく、その男も清志郎によって、秒後、仕留められた。
小柄な男だった。
静かに床へ横たえた。
「マルフジ!」
すると、呼びかけがあった。
「おいマルフジ!」
返事がなかったのか、再び呼びかけが起こる。今しがた仕留めた、小柄の男の安否を気にしていそうだった。
そして、近づいて来る。清志郎は、闇に身を潜めた。やがて、横たえた小柄の男の傍に、銃を片手に持った男がひとり、銃声のなかを馳せ寄って来た。
「おい!」男はしゃがみこんで呼びかける。「おい!」
清志郎はその背中へ回り込んで、上から右肘を延髄へ落とした。
ところが肘を落とした先にあったのは、人体からかけ離れた異常な固さだった。その男の肉体はコンクリート並に硬度だった。しゃがみ込んだところに全力で肘を落としたが、相手はびくりともしていない。
「いてぇ! なっ!」
痛みはあったらしい。だが、意識は完全に健在だった。
しゃがんだまま、振り返り、清志郎を見上げた。
「なんだお前え」
問う。
答えず、清志郎は躊躇なく、男の顔を斜め上から殴りつけた。
当たる直前、手首ひねって、威力をあげた。
拳を受け、男の首は一瞬、振り切れんばかりに鋭く半周したが、身体自体は微動だにせず「だからなんなんだお前は!」振り返り、今度は激しく問った。そして、勢いのままに立ち上がり、銃口を清志郎の顔へ向けた。
答えず、清志郎は男の懐へ入り込む、短い間合いを無駄なく消費して、限界まで腰を入れつつ、右手の拳を腹部へ叩き込む。
「いてぇ」男が苦悶の音を漏らす。漏らしただけだった。
うずくまりもしない。拳は好い所に入れた。常人なら、悶絶して、行動不能になるはずだった。
急所を打っても利かない。
「わけがわかんねえんだよ!」
男は激高した。懐に入る清志郎の銃口を向けた。そのまま引き金を絞れば、自身も被弾する向け方だった。
ただ、動き雑だった。清志郎は男の懐から抜け、背後に周り込み、背中に張り付いて、両腕で首を絞めた。
眠らせにゆく。
男には清志郎が忽然と懐から消えたように思えたらしい。はげしい混乱が見られた。その上で、首を絞められ、混乱は追加された。清志郎は男の裏膝を靴先でついた。男は均衡を失って、ひざまずくかたちになった。男はもがくなか、銃口を背後に清志郎へ向けて引き金を絞った。清志郎はそれらをかわした。至近距離から銃弾を避ける様は、ほとんど曲芸だった。程なくして、男の動きは鈍り出した。清志郎は首を絞め続けた。やがて、男の全身から力が抜けて、両手が下に落ちた。
手を離すと、男は床にまえへ倒れて動かなくなった。
清志郎の呼吸はひどく乱れていた。おそらく、腹の傷が三度大きく開いていた。しかし、もはや強い酸欠と疲労感で、痛みをまともに察知できなくなっていた。
自分の呼吸の音がはっきりと聞こえた。それで気づいた。この場が妙に静かになっている。銃声が途絶えていた。もう誰も発砲していない。
いつの間にかだった。清志郎の認識では、相手の総数は仕留めた数にま半分も達していないはずだった。
しかし、そこにあるのは静寂でしかなかった。暗く、周囲を見渡して状況を把握することは不可能だった。
すると、上から足音が聞こえた。一段一段、丁寧に音を立てて下って来る。靴音は停止したエスカレーターからだった。すべて降り切り、一階のロビーを歩んで来る。
不意に、月にかかっていたわずかな雲が晴れ、アクリルガラスの向こうから入り込んだ光がロビーを照らす。
或って或る者だった。
誰に紹介されたわけでもないが、清志郎にはわかった。
ハルノの姿はなかった。
或って或る者は、銃を右手にぶらさげたまま、ロビーの中央に立っていた。表情は何もなかった。
清志郎の呼吸は微塵も何も整わなかった。鼓動も早く、永遠におさまらないとさえ思えた。
それでも、さあいくか、と決めて、柱の後ろから出た。
月明かりのなかへ身を置く。或って或る者からは、斜め前に位置する場所だった。
或って或る者は清志郎を見た。清志郎は顔を背けなかった。
だが、何事もないように清志郎から目を外した。その視線は別の方向へあった。
「出てこい、夏村」
呼びかけた。
やがて、闇の奥から気配が生まれた。ロビーにゆっくりと歩む靴音が響いた。闇からじっくりと吐き出されるように、夏村と呼ばれた男は現れた。その男も手には銃を持っていた。
直後、無数の足音が鳴った。清志郎、夏村、或って或る者、三人を囲むよう広がり、靴音の円を狭めた。瞬く間に、数えきれない人数に囲まれていた。隙間はなく、全員、銃火器を装備していた。
夏村は無表情で囲う者たちを一瞥した後、ため息を吐いた。
「玩びやがって」
苦笑が入った。
顔をあげる。
「けっきょく、あんたはこういうのが好きなんだ」
父親に反抗する子ような口調だった。
その後、夏村は銃口を或って或る者へ向けた。
鳴った銃声はひとつだった。放たれたのは或って或る者の銃からだった。夏村は心臓部を被弾し、モノのようにその場に倒れた。
倒れてしばらくすると、周囲を囲っていた者たちの中から二人が抜きでて、夏村をひきずって、そのまま闇に吸われるように、消えていった。それから一呼吸間をおいて、他の者たちも、闇のなかへ後退していった。
そしてそこに清志郎と或って或る者しかいなくなる。
清志郎は夏村がひきずられていった方をじっと見ていた。
「お前は生かしてやる、消えろ」
銃はしまわないまま、或って或る者はそういった。
「二度とここへ来るな」
清志郎は応じなかった、黙ったまま夏村がひきずられていった方を見続けていた。
一呼吸おいて、清志郎は口を開いた。
「いま、あんたが撃ったあいつさ」
低く、響く声を発した。
「あんたのこと、ただ好きだったじゃないのか」
振り向き教える。だが、清志郎が見続けても、相手は微塵も表情を変えなかった。
「なんで撃った」
問いかける。
間があった。
「ここ場所を守るためだ」
告げられた。
「守ってどうするの」
清志郎はすぐに返した。
「守ることだけが目的だ」
断言した。
「ここを誰にも奪わせない、ここを守るためならなんだってする」
清志郎は怯まず、相手の顔を凝視した。
すると、苦笑された。
「国がないのさ」
まるで子供に何かあきらめさるような口調だった。
「お前は特別に逃がしてやる、陽が登るまえにこの土地から失せろ、でなければ俺がお前を始末する」
そしてそう告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます