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 レジの前に立つふたりへ男はいった。

「ふたりに危害を加える気はない」

 威圧もなく、淡々と日常会話のそれと変わらない硬度の雰囲気で告げてくる。

 すると、四季が即座に。

「そういう台詞を吐くヤツはたいてい危害をくわえてくる」

 そう断言した。

 躊躇不在の挑発行為だった。だが、男の自然体な態度のせいか、場にさほど緊張感が発生せず、驚きこそあったが、文彦は気絶するようなほど肝を冷やす思いもしなかった。

 なにしろ、相手の手には、強盗を慣行するにあたり、得物その他といった、脅迫及び武装の道具はなく、左右とも素手だった。ただの客にしかみえない。

 これは四季の仕掛けた悪戯なにかだろうか。この人は、つまり彼女の知り合いで。

 そう想えるほど、強盗としてあまりにも見た目に説得力的迫力がない。

 そんなことを考えているときだった。

「名乗ろう」

 そう男は宣言した。

「眠、清志郎だ」

 言って文彦へ片手を差し出してくる。

 きょとんとした後、とりあえず握手に応じた。

 握りは、強くも弱くもない。

 文彦は手を離し、それから、その清志郎を見た。

「あの………こういう場合って………名乗るん………ですか、強盗の人とかって?」

 未曾有のやりとりに対し、つい訊ねてしまう。

「強盗の名前がわかっていた方が先々の話も早かろう」

 そう説明され、戸惑う。どういう意味なのかがまったくわからず、けっきょく「はあ」としか、反応できない。だが、流れのなかで、四季へは握手を求めなかったことがひそかに気になかった。わざとなのか否か。

「レジの下に緊急ボタンがあるだろ」

 考えているところへ話かけられ、文彦は我に返る。

「そいつを、ひとつ、ドカンと押してくれると助かる」

 ドカン、はともかく、助かる、とはどういうことだろう。強い気掛かりとなる言い回しだった。

 だが、それはそれとして、相手の言われるままに遂行していいものか。これまでの人生で警察へ通報した経験がない。そのためか、なぜかひどく抵抗感が働いた。押して、後々、何か怒られたりしないものだろうか。

 もっと、相手が強盗としてわかりやすく、武装しているならともかく、現時点では言動の奇妙な客でしかない気もした。これを大事にしていいものか。

 文彦が行動に迷っている間に、四季が機敏に動き出す。ほうきを片手にレジの元へ向かう。その挙動を文彦は首を少しずつひねりながら視線で追ってゆくと、四季はカウンターの下に設置されていた緊急ボタンを、片手に持ったほうきの先で突いて押した。

 小さく細いホウキの先で、しかも、一発で押した。とてつもなく器用だ。そこに感心し、一瞬、現実を忘れてしまった。

 押下後、レジの下に設置してあったボタン自信が赤く発光していた。客の目につく場所は何も変化がない。

「押したよ」

 四季がぶっきらぼうに報告した。

「でかした」

 清志郎と名乗った男は、褒めるという、よくわからない返しをしてくる。

 それで、これからどうなるんだろう。

 文彦は想像不能な近未来を考えはじめた頃だった。

「………これさ、あっちに置いてきていい?」

 四季が清志郎へしゃべりかける。

 問いかけに添えて、手に持ったほうきを示していた。

「このままずっとホウキ持っててもしかたないし、それにわたしは魔女じゃねえ」

 後半部は、本気で放った冗談なのか、判断が難しい口調だった。だがもしかすると、奇抜な言動を少しずつ仕掛けることによって、犯人との距離感を測ろうとしているとも思えなくもない。文彦が知るに、四季ならそういうこともやってのけそうだった。

「ああ、あっちにでもベラルーシでも、どこでも置いて来るがいい」

 なにひとつ固執せずに許諾した。

 ベラルーシはともかく、奥というのは、店の奥であり、つまりここからだと完全に死角へ入る。にもかかわらず、人質の立場にある者を、そこへ行くことをあっさりと許してしまっている。

 それはダメではないか、逃げるぞ人質。と、文彦は犯人でもないのに、おかしな心配を発動させてしまう。

 その間に、四季はホウキを持って奥へ消えてしまった。その様子を見届けていたのは、文彦だけで、清志郎はそちらを一瞥もしない。

 窓の外へ視線を向けている。雑誌の棚越しに見える地平線しかない。

 何かあるのだろうか。一緒になって、文彦も見てみるが、人工物不在のまったいらな外界が続いているだけだった。

 陽も落ち始めている。思っていたところに、四季が奥から戻ってきた。手からホウキはも消えていた。

 彼女は文彦の隣まで来ると、肩を並べて立った。

「店長の机へ投げて置いてやった、ホウキ」

「いや、なぜ、荒くれを無関係な店長にぶつけるんですか」

「店長とはそういうビジネスと捉えている」

「個人の狂った価値観が大爆発ですね」

「というか、きみ、けっこう落ち着いてるね」

 四季もまた、清志郎と同じように地平線を見たままいった。

 指摘され、文彦は、まあたしかに、と思い、少し考えた。それから、無意識さげていた顔をあげ、それを四季へ向けた。

「それが、なんだか現実味がなくて………あー………ええっと、あの、ほんとはビビってるにちがいないと思いますが、うまく反応できなくて…」

 教養的色気を出し、何か優れた回答をしようとしたが、けっか、中途半端に他人事めいた言葉になってしまった。

「…………あの、森川さんは怖くないんですか」

 発言の完成度の低さを誤魔化すべく訊ねる。だが、慌て放ったため、しくりじ、また苗字で呼んでしまった。

 四季は一度見返し、すぐに戻した。

「この店に強盗が入るのは二回目だ」

「……………………ふえ」

 気の抜けた悲鳴をあげ、ひとときの絶句に転じた後。

「それ、かけらも聞かされてない情報です」

「店長とはそういうビジネスと捉えている」

「見事に使い回してきましたね、今回もやっぱり狂ってます」

 文彦は言い返した後だった。清志郎が四季を見ていることに気が付く。

 すると、清志郎が口を開いた。

「前回はどれぐらいでここに警備員がここに着いたか覚えてるか」

 四季へ問いかける。威圧感はなかった。

「三十分だバカやろう」

 四季は淡々とした口調に、罵倒を添えつつ答えた。清志郎は気にもせず「そうか」と、いって視線を外す。

「わるいな、ドカンと迷惑をかける」

 ふたたび特殊な言い方で謝罪し、背負っていたメッセンジャーバックを前に回し、中をあけると、紙幣の束を取出してカウンターの上へ置いた。

「三十分間の営業妨害料金だ。我ながら無茶苦茶を意識してるが、ここに置いとく」

 店の一日の売上に匹敵する金額だった。ただ、十分の営業妨害料金としては、妙に適切に思える、バランス感覚充分な金額だった。

 強盗は変わった人だが、ただ、相変わらず恐怖は感じなかった。襲われいるのに慌てる気も起させない。すると、しだいに文彦の意識は観察へと転じていた。素手で強盗に入り、金銭を要求しない。なぜそんなことをしているのか意味がわからない。迷惑であることはたしかだった。確実である。だが、じつのところ、文彦は自身のなかに見逃すことが出来ない感情が存在感を増し始めていた。それは、期待だった。そんなものを抱いている時点で、自分がひどくズレていることは認識できたが、それでもそう感じているが、正直なところだった。

 もちろん、充分に厄介とも思っている。それはあるが、しかし、いまから何か、特別なことが起こるのではと、期待してしまっている。それをあきらかに抑止できていない。

 話かけてみようか。そんなことを考え出しているのが証拠だった。静かに高まってゆく興奮が、抑え切れなくなりつつある。では、まずなんと話かけようか。最初の一言、正解だろう一言を何かを探していた。そういった思考部分は、妙に冷静さが機能している。

 そのとき、清志郎が文彦を見た。

「ちょっといいかな」

 向こうから先に声かけてる。話かける心構えをつくる最中だったため、文彦は虚をつかれたかったいになり、動揺して反応が遅れた。

「あ、はい…………」

「店内の音楽、小さくできるかい」

「え、あー、はい………」

「ひとつ頼むよ」

 言われて、文彦はしゃがむとレジの下に設置してあった音響のボリュームをひねって音をさげた。

「あの、これくらいで、いいですか」

 顔をあげて訊ねると、目があった。

「いいよ、ありがとう」

 清志郎はうなずき、礼を言う。それから設置された珈琲マシンを見た。

「珈琲を買いたい、レジを頼む」

「あ、はい………」

 言われて文彦はレジへ立つ。カウンターの下に設置された通報ボタンはまだ赤く発光し続けていた。つい、それを視界へ入れてしまいつつ、カップをひとつ手に取り、レジの上へ置く。

「三つ欲しい」

「え、はい………」

 補足で指示され、カップを三つ渡す。清志郎は、そのうち二つのカップを文彦へ差し出した。

 文彦は動きにつられてカップを受取った。小さな違和感を感じ、カップのなかを見ると、いつの間のかそれぞれに紙幣の束が入っていた。おそらく、店での一か月分のバイト代を遥かに越える金額だった。

「ふたりへの迷惑料、珈琲つき」

 そう告げて、清志郎は珈琲マシンへと向かう。手慣れた手つきで珈琲を入ていた。

 この人はよくコンビニで珈琲を買っているのかもしれない。無関係にそう考えた後で、我にもどってカップの中身を戸惑った。金額が大きい。いや、そもそも、こういう場面での相場などは知らないが、それでも、こんなには受けれない、と感じ、文彦は慌てて声をかけようとした。だが、急いで、こんなものをは受け取れない、断ろうと身を乗り出した。

「そうさ、悪くない思い出にしようって狙いだと思う」

 四季の発言で、文彦は動きを止めた。

「最終的には、強盗からこの店も私たちも、たくさんお金が貰えた、だから、この異常な体験は、けっきょく、そう悪くない経験だった、って後で思えるように」

 清志郎の代わりのようにいった。

 訊いて文彦は唖然とした。

 四季は再び口を開く。

「それか、もしかすると、あの人にはもうお金が必要ないのかも」

 文彦は言葉を失った。四季の発言が意味するところは、じつにわかりやすいものだった。この先もう、この人にとって、お金はいらなくなる。

 それってつまり。

 いいや、でも、と声をかけようとして、四季が顔をむた。すると、真っ直ぐに目が合った。

 美しい顔立ちだった。状況を完全に忘れて、ただそう思ってしまった。ゆきすぎて、攻撃性さえある。どこから見ても死角がない。来客が、彼女のことを目にして、動けなくなるのをよく見る。文彦もはじめてのときはそうだった。それも、ここで働くようになり、少しずつ慣れていた。いまなら話かけることもできる。だが時々、不意に彼女を前にして、もってゆかれ直される。とたん、こんな人と自分が一緒にして話しているのが信じられなくなる。

 きっと、彼女が時折放つ、奇抜な発言や行動がなければまともに近づくこともできなかった。

 ただ、それもまた用意、計算されたものだとも、どこかではわかっていた。

 どうしてこんな人がここにいるのだろう。いままで何度も考えた。いまも考えていた。とうぜん、そなことを考えている場面ではなかった。理解している。それでも考えてしまう。

 不意に鳴った珈琲マシンの音で文彦は我に返った。

 珈琲が入れ終え、清志郎がカップを手に取っていた。砂糖もミルクは入れず、フタをしめずに店内を歩く。イートインスペースまで来ると、イスを引き、カップをテーブルへ置いてから腰かけた。

 それからガラスの向こうへ半面を向けた。

 そのまま座り続け、珈琲には手は伸ばさなかった。

 文彦は、つい、観察してしまった。

「きみは逃げて」

 すると、四季から声をかけられた。

「きみは逃げるの、あとはわたしがやっとくから」

 まるで、バイトの残作業かのような口調だった。

 なにをやっておくのかはわかっていなかったが「それはないです」と文彦は顔を左右に振った。

「おれ、ぜったい最後まで付き合います」

 宣言した。だが、後で、けっきょく自分がどういう意識でそう発言したのか、じつはよくわかっていことに気づいた。

 ただ、放った言葉は正直な気持ちに近いものだという自覚はあった。

「その勇気はダメな勇気だよ」

 すると、教えるとも、皮肉ともいえない、不思議な感触で応じられた。

「わたしがここにいるから、あんな奴がここに来たんだよ」

 それを聞かされ、少し経ってから、ようやくその言葉には、何らかの告白が混じっていることを察知し、はっとした。

「なんですかそれ」

 焦りで四季との距離感を忘れ、わずかに声を荒して訊ねてしまった。だが、四季は気分を害した様子はみせなかった。

「きみは、いまここにいないことが正しい人だと思う」

 目を合わせ、澄んだ声で、含みのあることを言う。

「だから、きみは逃げて」

 再び逃げろといったが、今度は願いに近しい印象を受けた。

 只ならぬ事情があることはたしかだった。しかも、詳しく話すことのできないものである。文彦にもそれは理解できた。要するに、いま自分がここにいると、結果として四季の迷惑にもなるのだろう。

 だが、この目の前の女性がいったい何を背負っているのだろうか、純粋に知りたい気持ちもつよくあった。知って、自分が何が出来るかはわからなかったが、この人のために何をしたい。文彦の内部は、様々な想いが渦巻いていた。

 そして、渦の中心から答えが出される。

「……………無理です」

 四季へ向い、ぽん、と告げた。

「無理です」

 あらためて言った。そして次には「出来ません、不可能です、キャンセル」勢い任せに無茶苦茶に言い放つ。

 完全にムキになっていた。にげろ、と言われ、それがひどく癪に障った。それはただ、四季の言い方だけの問題だったかもしれないが、それでも、文彦は、自身のなかで発光した感情を見逃すことができなかった。

 対して四季はじっと見返した。

「死ぬよ、ばか」

 とたん、四季は直接的な言い方で教えた。

 それでも高まった感情を体内に満載した文彦は聞き入れようとしない。子供もように顔を露骨にそらして対抗する。さらには、札束の入ったカップを手に、イートインスペースで腰を下ろしていた清志郎の方へ近づいていった。

「あの!」

 大きく声をかけた。清志郎は座ったまま落ち着いて顔を向けた。

「これ、どうやって稼いだお金なんですか!」

 勢いを保って問いかける。

 問われた清志郎は無表情で見返すだけだった。

 文彦は続けた。

「ヤマしいことで稼いだお金など受け取れません!」

 手加減なく断言し、スコンと音を立ててカップを清志郎の前へ置く

 明らかに感情の操作がうまく出来ていなかった、興奮もしていた。平常時なら、決して他人そんな振舞いはしない。相手が悪くてもこちらは引き下がり、波風立たせず済ませたい人間だった。にもかかわらず、怒鳴るに近い勢いで迫っている。ましてや、相手はこの店へ強盗をしに来た人間である。

 ところが、強盗を前にして臆するどころか攻めている。狂気状態だった。

 清志郎は無表情のまま見返し続けていたが、カップの中を一瞥していった。

「自前のビジネスによって得た金だ」

「自前のビジネスってなんですか!」

 意地を発揮させたことによって生じた興奮で、冷静さがいちじるしく欠損しているためか、得体に知れない相手に躊躇せず追求する。

「教えてください!」

 さらに重ねて堂々たる迫りを仕掛ける。

 清志郎は反応しなかった。だが、気分を害した様子もなかった。椅子に腰を下ろしたままだった。

 対して文彦は人生の経験不足ゆえ、どこまでもは気張り切れず、圧も貫禄も発揮できず、しだいに間が持たなくなしつつあり、それでも無理に気張って、口と、むんず、して見返していた。文彦なりの戦いの表情だった。

 見下ろす者と、見上げる者、上下の無言の見合いはしばらくつづく。

 そして、先に口を開いたの清志郎だった。

「おれはひとを眠らせる。眠れない人間から依頼を受けて眠りを提供するのが仕事だ」

 仕方なしに説明をはじめた感じはなかった。聞いた文彦は、数秒ほど説明の内容を理解するのに消費し「……………医療関係のヒトなんですか?」と、眉間にしわを寄せ気味にして問い返した。

 その直後だった。

「その人は、ただの死ぬほど嘘つき」

 背後から投げられた四季の言葉に反応して、文彦は振り返る。 

 文章のめちゃくちゃな言葉だったが、妙な刺激があった。文彦は四季へ視線を向けたが、四季の視線は文彦の傍に鎮座する清志郎にあった。

「長い嘘のなかで生きてる人間」

 台詞では、人間、とくくったにもかかわらず、四季の放ったそれは、人へ向けるようでもなく、ましてや生物へ向けるようでもなく、忌むべき現象を説明しているような、そんな特殊な言い方だった。

 いま目の前いる者はすなわち生命ではなく、厄災である。文彦はそう聞こえた、

 四季は、文彦の戸惑いを含んだ眼差しと、清志郎の変化のない眼差しの両方を受けても、、微塵も揺るがない。落ち着いていた。

「あんた、ここじゃもう有名人」

 四季がいった。さらに続けた。

「貴方が何を考えてるかはわかる。仕掛けて行こうってんでしょ。でも、逆。逆でしょ、貴方が追い詰めてるんじゃない、追い詰められてる。どう考えたって」 

「店員さん」

 不意に清志郎は話を遮った。

「きみ、シャープだな。特別な感じがある、しかも、そいつは見逃すには難しいくらいの存在感だ」

 いまここに、四季が敵として設定されたのか。瞬間、文彦は緊張した。

「わたしは引退した」

 しかし、四季は投げやりにそういった。

「引退したの。いまはここでリハビリしてる最中なの。まとな人たちと、まともな仕事で」

 敵視をかわすためか、四季はごく手短に身の上話をした。だが、たったそれだけでも、文彦にとってはじめて知る彼女についての話だった。いまこの場で感じている場合ではないが、それでも新鮮な気持ちになってしまう。

「…………あの、引退って」

 しかも気が緩んだせいか文彦は問いかけてしまった。

 四季は目も合わさず「グループ・アイドル」と即答した。

 いや、それは嘘だ。

 文彦の頭は勝手に判定する、絶対に嘘だろう。

 一方で、四季は続けた。

「ここで働いてるのは、この店が気が狂いそうなほど従業員人手不足だったのもある、募集してたし、店員」

 表情こそ変えなかったが、照れ隠しのために補足しているようにも聞こえた。

「私はただの店員、こっちの子も同じ、バイトに来てるただの高校生の男の子。巻き込まないで」

「この店自体がきみのためにつくられた」

 清志郎は相手の間合いを崩すようにいった。

「ここはきみのために用意された場所だ。外の世界に行きたがるきみを落ち着かせるためにつくった、職業体験型テーマパークみたいなもんだ」

「      なにそれ」

 放たれた言葉を受け、四季の纏う空気が変化した。

 目には明確な敵愾心が灯った。

「おれは昨日、きみの兄貴に刺された」

 だが、清志郎が四季の変化を弾き飛ばすようにいった。

「きみたちは双子なんだってな。顔のつくりが特別過ぎて目立つから、情報はかんたんに手に入った。なんでも、ふたりとも、かの伝説の男に直接教育されたらしいな」

「そんなのはみんな知ってる話」

 あざ笑ったが、演技的になっていた。

「だろうな、みんな知ってる。あんなもん隠せるもんじゃない、だから隠してない、それどころか隠さないことで効果を発している」

「おもしろくない」

 心底言葉通りの心境そうな顔をしてみせた。

 かまわず清志郎はいった。

「きみたち兄妹は天性的に優れた容貌を持ち、目にした者に無差別的な記憶を残せる、その上、与えられた役目では優秀な結果をあげていた。そんな完璧な兵士を、あえて目立たせることによって、外の世界の人間は、きみたちが仕える男の存在を強く認識することになる。。ヤツに逆らえば、きみの兄貴が来る。本当にいるかいないのかわからない、伝説としてしか聞いたことのない男の存在の重力充分に感じるようになる」

「そのくらいにして」

 命令的であり、しかし願いも含まれていた。

「そこにいる子、外の世界の子なの、無関係のバイトの子」

 とたん、文彦は我に返った。何の話かはわからないはずなのに、ふたりの会話に引き込まれていた。

 清志郎は文彦を一瞥して「そうだな」と同意した。それから文彦を見た。

「わるかったな」

 親しく自然な感じで謝られ、あ、いいえ、と反射的に許してしまいそうになったが、けっきょく、声では返さなかった。不意に声をかけられ動揺し、ただ反応が遅れて間合いを逃したせいだった。ただ、その影響で、わずかだが考える時間を得た、文彦は「謝るなら、こんなことしないでください」そう返した。

 だが、結果として攻撃的な発言になってしまい、勢いで失敗したと全身の血が冷えた。

「わるいな」再び謝った。「待たせたくない」

 清志郎は、むしろ、少し笑んでいた。

「時間も余裕も無いんだ、いまだって気絶しそうだ。頭上に浮かんだ生命力のゲージが尽きかけて赤く点滅してる。いまやるなら最短距離でしか無理なんだ。だから、情けなくもこんな品質の悪いやり方だ」

「いったいなにを」

 素直に聞いていた。

「詳しくは聞くな、戻れなくなる」

 返しは妙な誠実を含んでいた。そのため恐怖は感じなかった。一方、ああ聞いてしまったら、きっと、ほんとうに不味いことになるのだという印象は受けた。

「巻き込んだ自身が被害者に言うのも確実に狂ってるわけがな。でも、なにも説明できないじゃ申し訳ないし、そうだな、言えることといえば動機くらいだ」

「動機」

 その言葉だけを切り取って問い返す。

「なんていうか、ただ想いたいんだよ」

 目を見て言う。

「おれたちはこの時のためにいたんだって」

 全貌は不明だった。それでも、それが告白したに近いものだとは理解できた。しかも、言葉は目の前の男の一番深い場所から出たものである。説明はできないが、それも、なんとなくわかった。

「ねえ、そろそろダメみたい」

 まるでふたりのやり取りを断たんとして四季が口を挟んだ。文彦が顔を向けると、四季は手には携帯電話の画面を見ていた。

「もうここに着くって」

 誰かから連絡を受けたみたいな言い方が気になった。

「警備会社の人ですか」文彦はつい慌てて聞いた。「ケーサツですか」

「わたしの兄」

 何を答えられたのか、まったくわからなかい。

「……………お兄さん?」

「わたしたちはどうすればいい」

 文彦の疑問には応じず、四季の視線は清志郎に迫った。

「店の外で待っててくれ」

「そう」

 理由は追求は微塵もせず、四季は素早く動くと、まずカウンターの上に置いてあった札束を手にした。手動でレジあけると札束のかたちが崩れるのもいとわず強引に中へ押し込んだ。それから札束の入ったカップの方を手にとり、文彦に近づくと、もう片方ので、その手を取ってひっぱった。

 手を握られた。その現実に、文彦は、特殊な状況にもかかわらず、純粋に心臓が跳ねあがった。

「来て、ここを離れる」

 四季の細い体躯からは想像できないほど強い力でひっぱられる。とても逆らえそうもなかった。

「でも、あの」

「生きたいように生き過ぎた奴は死んでもしかたない」

 目を合わさず言って、文彦の手を引いて店の外へ出った。

 夕方になり、空には赤みがあった。四季は手をひっぱりって歩き続けた。真っ直ぐに伸びた唯一の車道を進む。生命力の強い歩みだ。文彦はひっぱられがらそう思った。歩み続けてからしばらくして振り返ると、小さくなった店が夕陽のなかに沈んで見えた。

 やがて車道もない《空き箱》の奥から車が一台やってくるのが見えた。黒いセダンだった。セダンは店へ真っ直ぐに向かってゆく。文彦は遠ざかりながらその様子を見続けていた。セダンは店の前でとまった。その頃にはもう店から随分離れてしまい、店も車もかなり小さくなっていた。それでもセダンのドアが開き、誰かが降りたことだけはわかった。降りたのは男が一人だった。男はドアを閉めると店へと向かった。

 不意に四季が歩みを止めた。文彦も連鎖して同じように立ち止まった。顔を向けると、四季は店の方を凝視していた。横顔を陽の色に染め、わずかな風に前髪を揺らすその顔は、この世のものとは思えないほど美しかった。この人といま手をつないでいることが、信じられなかった。人類の理想を込めて描かれた絵画のなかの人物と触れ合っているような感覚だった。

 四季を店の方を見続けていた

 文彦は、いま何を言うべきか、どうするべき、何も思いつかなかった。

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