【幻惑】

「早く離れよう」


 顔面血まみれの女の狂った笑い声に呆然としていた私を、愛美のひと言が現実に引き戻した。

 救急車とパトカーのサイレンが近づいてくる中、私たちはそのおぞましい現場から足早に立ち去った。

 

 しばらく行くと春葉園という色とりどりの花壇のあるちょっとした庭園があり、安価な入場料で誰でも入り散策することが出来る。

 入り口のアーチ状の門の前を通り過ぎる時、私は何気なくそちらに目をやった。


「!?」


 視線の先、外から見える花壇の横に花の手入れをする作業着の年配男性がしゃがんでいる。

 その人物がふいにこちらを──見た。


(み、三国川教授!?)


 思わず目を疑う。


「見ちゃ駄目っ」


 愛美の声が飛ぶ。

 ハッ、とする。


「幻惑よ、気を取られないで!」 


 幻惑?

 でも、確かに今──再び目をやる。

 するとそこにいる作業着の男性はまったく見知らぬ顔になっている。


(え、どういう・・・・)


 ほんの一瞬だった。

 けれど間違いなく三国川教授の顔だった。

 見間違えたわけじゃない。

 動揺し、私は思わず周囲を見回した。


「あちこち見ない方がいい。幻を操るのは奴らの常套手段だから何が見えても揺らがないで。取りあえずこれからお屋敷に送るわ」


 その時、ふいに愛美のスマホが鳴った。

 

「はい・・・・今? うん、そういう感じ・・・・そうね、わかった。じゃ橋の所で。よろしく──」

「何?」


 通話を終えた愛美に尋ねた。


「迎えが来るわ」

「迎え?」

「大丈夫。この状況が見えてるうちの者だから」

「え、見えてる? って──」

「まあ話はあとで。ほらあの橋の所、あそこで待つから行こう」


 謎めいた愛美の言葉に首を傾げながらも、不穏な状況から早く抜け出したい思いで私は従うことにした。


***


 幅の広く緩やかな流れのT川の上に掛けられた気乃橋。

 交通量はそこそこあり、橋のたもとにある和菓子屋は最近とある食レポ系インフルエンサーが取り上げたこともあり訪れる人が増えている。


「あの店の和菓子って何で人気になったかわかる?」

 

 外に待つお客たちに目をやりながら、何か含みのある感じに愛美が言う。


「有名なインフルエンサーの宣伝力?」

「それもあるけど、そのインフルエンサーを引き寄せた存在がいるのよ」

「引き寄せた存在?」

「そう。 まあ、ひと言で言うと座敷童子」

「座敷童子? ってあの小さな子供の?」

「うん。たぶん先代がどこかから招き入れて手厚くお世話してたんじゃないかな? その恩義に答えて影響力のある人物を呼んだ、って感じ」

「へぇ、そういうのってやっぱりあるのね」


 なるほど、と、私は妙に納得した。


「この世界、目に見えてる事だけがすべてじゃないから。ところでさっき見えたのって三国川?」

「あ、うん、そう。確かに一瞬こっちを見て・・・・でも考えたらあそこにいるわけはないんだけど」


 顔だけが三国川教授だったあの作業着男性の姿がまだ脳裏から消えない。

 それを察した愛美が言う。


「三次元の常識で考えたら駄目。その尺度のままだと幻惑に呑み込まれて振り回されるから。これからは普通に考えたら有り得ないことが色々起きると思う。特に幻を見せるやり方はやつらの得意分野だからランダムに仕掛けてくるはず。気を強く保って──あ、来たわ」


 言葉を切って愛美がとある方向に軽く手を上げた。

 間もなく白い軽自動車が目前に停車した。

 サイドウィンドウが開き、中から若い男性が顔を出した。


「さすが早いわね」

「当然。ヤバそうだと思ってスタンバイしてたからね」


 親しげに話すその男性は私たちより少し年上の大学生くらいに見える。

 天然パーマなのだろうか? クルクルとしたウェーブヘアが印象的だ。


「取りあえず乗って。紹介は中で」


 そう愛美に促され、私は後部座席に乗り込んだ。







 

 










 


 

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