【三国川教授〈1〉】

「今日もお休みしたら──」

「ううん、行く」

「無理しないでいいのよ」

「大丈夫」


 非現実的な一夜が明け、無事であることに安堵をした反面、体調の心配をする母の言葉にそう答えた私は玄関で靴を履きながら笑顔を作った。

 正直、身体が重い。

 本当は寝ていたい体調だと自覚はあるが今日はどうしても登校したい。

 授業はともかく、そうしたい理由がある。


「そういえば──」


 ドアに手を掛ける寸前、ふと思い出した言葉が口をついて出た。


御留戸おとめどに入るのは私の身を守るため、って言ってたでしょう? 結果的にはそうなったけど、もし違う姿が現れていたら守られるどころか命が無かったわけだから本当は危ないことだったんじゃ──」

「華蘭に賭けたのよ、信じる方に」

「賭けた?」

「華蘭なら必ず許されると信じて・・・・信じる選択しか無かったから。すべては極義書に従うしか・・・・」

「極義書・・・・」

「そう」

「・・・・」

「華蘭?」

「うん・・・・わかった。行ってきます」


 正直、母の言葉にすっきりはしなかった。

 たぶん跡継ぎという私の立ち位置、存在なら、恭次郎の仕出かした暴挙による怒りをおさめてもらえるだろうという確信があったのだとは思うけれど。

 そして何より先祖代々に厳格に受け継がれてきたという〔極義書〕に従うことが松埜まつの家の人間が最も大事にしていること──それも頭では理解をしているつもりでも未だ見たこともないその書の存在感が私にはいまひとつリアリティが無かった。


 ただ、今、異様な体験をした私の頭の中に浮かんでいることはまた別の思考だ。

 そのために今日は寝不足と疲労感からの身体の重さを無理に押し込め登校する意味がある。


────────────────────────


「先生、おはようございます」

「お、松埜まつの、早いな。体調は大丈夫か?」

「はい」

「顔色があんまり良くないなぁ。ま、無理はするなよ」

「ありがとうございます、大丈夫です。それであの・・・・」

「ん?」

「ちょっと質問が・・・・」


 いつもの登校時間より30分ほど早く学校に到着した私は真っ直ぐに職員室に向かった。

 担任の久留米光郎くるめみつろうのデスクに近づきその背中に声を掛けると、振り向き様に明るい笑顔を見せ、体調を案じてくれた。

 アラフォーにはまだまだ見えない若々しい外見の持ち主だ。


「質問? 何だ?」

「あの、特別授業をして下さった三国川教授なんですけど・・・・」

「ああ、民俗学の。あの先生がどうした?」

「検索をしたらブログをされていて。それでコメント欄はあるのですが公開なのでそこに書き込むのもちょっと・・・・なのでどうやって連絡を取らせて頂けばいいか先生にお尋ねしたいんです」

「ああ、なるほど。授業内容に興味を持ったってことか」

「はい」

「だったらちょっと待って──あ、これだ」

「?」


 デスクの引き出しを開け、何やらガサゴソ探した末に1枚のプリントを差し出した。


「特別授業の先生方のプロフィールとアドレス。LINEはしてないみたいだね。とりあえず三国川教授の部分だけスマホで写していいよ」

「え、ありがとうございます」

「メールをするなら、担任から許可をもらって連絡を致しますとキチンと書いてな。もちろん学校名と自分の名前も忘れずに」

「はい」

「まあ気のいい感じの人だから生徒からの質問なら喜んで答えてくれるんじゃないかな? それでも礼儀は大事にね」

「はい。言葉に気をつけて丁寧に書きます」

「うん、そうだね」


 三国川龍彦教授。

 担任の許可を得てコンタクトを取れることになったことにまずはホッとすると同時にすぐに問いをしたい衝動に駆られ、私は職員室前のトイレに入り個室で早速メールを打ち始めた。


 教授のブログ記事にあった文章。


『歴史的立証がされていない謎の存在として四神ししんの中心に座す真中神まなかしんは、密かな説として驚愕や恐怖を意味する〈おどろし〉と呼ぶ地域もかつてはあったと──』


〈おどろし〉


 私が最も知りたいことは、それだった。

 


 








 

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