第4話 洞窟の中


ターン…

  ピシャン…


水が滴る音が響いていた。朦朧もうろうとする意識のなかで、良は薄くまぶたを開いた。

暗闇に小さな炎が浮かび、三つの人影が揺れていた。

「長老、この若者をどうなさるおつもりですか」

「頭の後ろの傷の回復を見よ。波動は既に宿ってしまっておる」

淡々とした声に、しゃがれた唸り声が続いた。

「では目覚める前に、命を奪わねばならないということでしょうか」

「おそらくそれは不可能じゃろう。もし、可能だとしても、問題は変わらない。波動はわしらの誰かに取り憑く」

「ならばどうすれば?」

「方法は一つ。天井の穴と同様、洞窟の入口を塞ぐんじゃ。さすれば、取り憑いた体を失った波動は、やがて元の場所に戻るじゃろうて」

「それじゃ、ここに閉じ込めて、死んでしまうのを待つってこと?」

高く悲しそうな声が割り込んだ。

「じゃが、他に方法はない。波動を守るにはそうするしかない」

「そんな…見殺しを越えた殺人だわ」

「それが、わしらの役割」

声が聞こえなくなり、あたりは闇に閉ざされた。


『夢だ。これが今年の僕の初夢なんだ』

良は薄く開けていた瞼を閉じた。


タンッ


何かが額を打った。手で触れてみると濡れた感じがする。

良ははっきりと目を開いた。暗闇の中、遠く近くで、水滴が落ちる音が響いている。空中に小さな青白い点がぽつりと浮かんでいた。

『ここは?』

背中は冷たく硬い物に当たっていた。滑らかだがゴツゴツしている。座りながら両手であたりをまさぐった。

『岩。そうだ。僕は新一を追いかけて穴に落ちた。するとここは?』

顔を上に向けたが、自分が落ちた穴から射しているはずの光はなかった。あるのはちっぽけな光だけだ。

手を伸ばしてジャンプした。だが、目の前にあるように思えた光はずっと上だった。

『どうなってしまったんだ』


…この洞窟に閉じ込める…

先ほど夢の中で聞いた声を思い出した。

『まさか、そんなことがあるわけがない。恨みや罰を受ける覚えなどまったくない。大丈夫。新一は穴に落ちたことを知っている。きっと誰かが助けに来てくれる。

落下地点から動いてはダメだ。じっとしていなければ』

良は再び、冷たい岩の上に座った。

頭の後ろが妙につっぱっていた。手を伸ばせば、右耳の後ろの髪の毛が、糊を付けたように固まっていた。少しだけべっとり手についた物があり、臭いをかいでみた。

『血だ。僕は頭を打ったのだ、こんなに血が出るほどに激しく』

でも、不思議なことに痛みはなかった。こぶもできてはいないし、気分も悪くはない。血糊を残して傷は知らぬ間に治ってしまったらしい。


良は、ちっぽけな光を見つめながら助けを待った。外はあれほどに寒く、雪も降りはじめていたのに全く寒くはなかった。洞窟の中は、夏は涼しく冬は温かい。何かのドキュメンタリー番組でやっていた。

腹がグルッと鳴った。昼はとうに過ぎているのだ。おまけに喉が渇いていた。

『新一、お汁粉にありつけたかな』

こんな時に、汁粉を何杯もお代わりしている新一の姿が想像された。そしてすぐに、硬い顔をしている父、泣いている母、途方にくれた満の顔と入れ替わった。

『皆、心配しているだろうな』

良は立ち上がり、微かにてらりと光るところに歩いた。


チャブリ!

足元で音がした。水が浅く溜まっていた。思わずかがみ、手にすくって口に運ぼうとした。

その時だった。淀んだ空気が小さく揺れ、低い声が響いた。


-わしの波動を宿した者よ。はや、おまえはわしに波動を返してくれるのか-


良は慌てて水を捨て、あたりを見回した。

視野を広くしてみると、光の点を囲むように巨大な物が浮かんでいるように見えた。淡い光を放っているようだが、天井の岩の広がりであり、動く気配は全くない。


「誰かいるのか」

悲鳴のような声を喉から絞り出した。


-おまえは、わしの波動を宿した。そして今、その腐った水を飲み、わしに波動を返そうとした。それはそれでよいことなのかもしれぬ-


「いったい誰だ。いるなら出てこい」


-わしはここにいる。はるか太古の昔から-


声は、天井あたりから聞こえたようだった。でもやはり、人や何かの生き物がいる気配はない。

『誰もいないのに…僕は頭を打って、おかしくなってしまったのか』


良は先ほどいたあたりに戻った。

低い声はそれからは聞こえず、やがて青白い光は弱まって消えた。そこはまさに、自分の体があることさえも忘れてしまうような漆黒の闇の中であった。

「助けはきっと来る」

良は大きく息を吸い、父が言っていたように、心に浮かぶ炎を想像した。

心に描かれたのは、今にも消えそうなか細い炎だった。なんとか赤く燃えさかる炎にしたかったのだが無理だった。どうしようもない寂しさと、底知れない怖ろしさが募っていく。


「頭がおかしくなったのなら、この気持ちも一緒に吹き飛ばしてくれ」

どなった声がわんわんと反響した。手に触れた小石を力の限りに投げつけた。

一瞬、白い火花が暗闇に浮かんだ。もう一度、小石を探して壁に投げつけた。また光った。

「光!」

良は嬉しさで一杯になり、握り拳を高く突き出した。

穴に落ちた時に一緒に落ちたのだろう、地面をまさぐると、のっぺりとした岩の上に、他にも幾つか転がっていた。良は二つの石を握って、強くかち合わせた。先ほどよりも明るい火花が飛び散った。

カチカチと石をぶつけながら辺りを見回すと、そこはテニスコートが一つできるぐらいの広さの洞窟だった。半分より向こうは、池のように水が溜まっている。


顔を上げながら火花を散らした時、良は思わず目をつぶった。

「怪物」

深呼吸してから、もう一度見た。

黒い天井から、ざくざくと牙を生やした顔がこちらを睨んでいた。両脇にはウロコ模様のついた翼が、重々しく垂れている。

もちろん本物の怪物ではなかった。たまたま岩がそんな形になっているのだ。怪物の周りには氷柱のような岩が、猛獣の檻のように取り囲んでいる。

「なんていったっけ。そう、鍾乳石だ」

周囲の様子が分かったからか、急におかしくなってきた。良は笑いながら石を打ち鳴らした。何故か、火花が散る度に、力が沸いてくるようだった。腹が空いていることや、喉の乾きはすっかり忘れていた。

『さっき、聞こえた声は?』

不意に思い出し、背筋を寒くして顔を上げたが、怪物の頭はなにも話さなかった。


良は火花を散らしながら、あたりを歩いた。でこぼこした壁に、三つの裂け目があった。

『ここで待つべきか、それとも出口を探して進んだ方がよいのか』

裂け目に向かいたいように、足はじわじわと地面をすった。

『ちょっと待て。よく考えるんだ』


『新一はこの穴の場所を知っている。ずいぶん時間は経っている。なのに助けはこない。あいつはあのちらりと見えた三人に、どうかされてしまったのかもしれない。

ならば、ここにいても、誰も助けにはこない』


「脱出だ!」

そう決心し、良は壁に開いた三つの亀裂のうち、一番大きなものに足を踏み入れた。

案内人もなしに洞窟の中を歩くということが、どんなに危険なことか。そんなことは考えもしなかった。


カッ!カッ!

良は火花をまき散らして進んだ。穴が枝分かれしている所では、一番大きなものを選んだ。

「いけるいける」

つまづいてばかりだが、足取りはどんどん軽くなっていった。さすがに身をよじるほどに狭くなっている所では不安になった。それでもまた大きく広がると「それ、当たりだ!」と大声を出して喜んだ。

前方にのっぺりとした広い通路が見えた時、調子に乗って走り出した。


ゴトリ…足元の岩が滑るような音を立てた。

胃が小さく縮み、体中の毛が逆立った。既に足を置いたはずの岩はなかった。

良は再び穴に落ちてしまった。   

先ほどいた広い穴よりも、もっと深い縦穴に!

下には、突き刺す獲物を待つように尖った岩があるかもしれない。たとえ平らであっても、体を強く打ちつけて、血を流すだけではおさまらないだろう。


カッ カッ カッ カッ

良は両手に握った石を夢中でかち合わせた。何もない空中でできることといったらそのぐらいだった。体がぐるりと回って、頭が下になったような気がした。

真下に、生け花の剣山のような岩が見えた。

『もう駄目だ』

硬く目をつぶった。


だが、岩に串刺しにされる最期の時はこなかった。そっと目を開けると、体はフワフワと宙に浮かんでいた。危機に瀕しての錯覚か、自分の周囲を眩しい光がおおっていた。

何かに掴まっているわけではない。強烈な風が吹き上げているわけでもない。

『光に包まれて宙に浮かぶ。もしかして、これは臨死体験というもの?』

不自然な姿勢のまま首を回したが、岩に囲まれた狭い空間に自分の体を見つけることはなかった。


『とにかく、ここを出るんだ』

良が心に思うのと同時に体が上昇しはじめた。先ほど足を踏み込んだ場所に、あっという間に行き着き、そのまま横に飛びはじめた。

一度も通ったことのない暗闇の道。なのに進んでいく道が正しいことを知っていた。


『出口だ!』

目の前に、城の門にあるような丸太を繋ぎ合わせた扉があった。

地面に降りて、全身の力を込めて押した。だが、びくりともしない。

『畜生。やっぱり、僕をここに閉じこめた奴がいる!』

無性に腹が立った。胸のあたりで、熱いものがぼうぼうと燃えだした。

「開けろ!」

どこからともなく、太い炎の柱が飛びだした。

扉は、巨大なハンマーで打ち砕かれたように、燃え上がりながら飛び散った。炎はそのまま直進し、穴の前に立ち並んでいた木々を、あっという間に灰にしてしまった。


気付いた時には、良は黒く根元を焼け残した木々の間をまっすぐに歩いていた。

「家に帰れる」

もやもやと煙る暗闇の先に、街灯が小さくちらついて見えた。



山肌に、ぽっかりと開いた洞窟の入口の横では、小さな家が屋根を落として燃え尽きようとしていた。

渦巻く炎を背後に、三つの人影が遠離っていく若者の後ろ姿を見つめている。


「よかった。あの子、助かったのね」

「彼は波動の力を使って洞窟から抜け出した」

「これよりわしらが為すことは、彼の側に寄り沿い、その波動を見守ること」

「はい」


燃える木材のぱちぱちと爆ぜる音の中に、三つの人影の声が流れた。



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