第17話 四国、封鎖(ロックダウン)

教室では凍りついた人々の話でもちきりだった。多くの生徒が事件を目撃していた。

「あれは雪女に氷の息を吹きかけられた顔だった」

「雪女は小泉八雲の小説に出てくる妖怪よ」

「じゃあ、ウイルスだ。どこかの国が開発した生物兵器がまかれたんだ」

「違うわ、生き霊よ。凍り鬼遊びをしていてね、鬼を辞めることができなかった子どもの生き霊が、あちこち飛び回っているのよ」

「なら、誰かが『遊びは終わり』ってその子に知らせなきゃ…」


良たちは、クラスメートの話を耳の端に聞きながら、それぞれの席についた。

圭太の隣には、みすずが皆の話に交わることもなく座っていた。憧れの男子の登校をじっと待っていたのだ。おさげだった黒髪はわずかに茶色がかかり、ウェーブまでかかっている。

『女子って、隣に座る男子で髪型まで変わるんだ』 

良は肩をすくめた。


やがてチャイムが鳴り、エスキモーのようなファーコートを着た末本先生が入ってきた。いつもの陽気さはなく、学級運営の難題を持ちかける時のように硬い顔をしている。

「きりーつ」

日直の号令に、皆がガタガタと立ち上がった。鋭くなった先生の丸い目が廊下側に向けられた。

「どうした、みすず?号令かかっているぞ」

野太い声にも、みすずは身動き一つしなかった。その顔をのぞきこんだ圭太が、「あっ」と声を漏らした。

良と蒼が横に駆けつけた。先生も教壇を降りてくる。

「触わってはいかん」

みすずに手を伸ばそうとした蒼に先生がどなった。さっきまで赤らんでいたみすずの頬は、既に白く凍りついていた。


「生き霊が取り憑いたんだ!」

誰かが叫んだ。皆が席を立ち、窓際に逃げよった。慌てて転んだ生徒もいる。

「みんな、落ち着くんだ」

先生がまたどなった。静かに息を吸ってから低い声で言った。

「慌てちゃいかん。息を止めて、そうっと教室から出るんだ」

生徒たちは口を押さえて廊下に出た。しくしくと泣きだしている女子が何人もいた。

良たちも従った。新一は悪魔払いでもするように、首から下げたお守りを床に向けて突き出した。


「いいか。ようく聞いてな」

先生は言った。できるだけ落ち着こうとしているらしいが、顔は青ざめていた。

「まず、言わないといけない。みすずはちゃんと生きている。朝の職員会議の最中に、教育委員会から連絡が入った。昨日の晩から妙な病気が四国地方に発生したらしい。ここ徳島市内でも、病院に担ぎ込まれる人が百人を超えて出ている。

それで病気の原因がわかるまで、学校は休みになることになった。皆はなるべく外に出ないで、家で待機しているんだ。

それでは、登校したてで申しわけないが、気をつけて家に帰ってくれ。決して寄り道はしないように」

生徒たちは息を止めながら教室に荷物を取りに入り、怖々と顔を見合わせて帰っていった。


「どうした?君たちも帰るんだ。先生は、すぐに保健所に連絡せんといかんのだよ」

目の前にたたずむ良たち四人に先生が言った。

「末本先生は、この事件を病気のせいだと思っているんですか」

「そりゃそうだ。他に何がある」

良の質問に先生は首を傾げた。他の生徒たちと違い、四人が落ち着いていることを不思議に思ったようだ。

「この事件は、別世界から伸びてくる鋭い刃が、人を刺しているから起こっているんです」

良は言った。圭太たちもしきりに頷く。

「ふむ。この事件については、いろんな噂が飛び交っている。だが噂に耳を傾けてはいけない。すぐに医療の専門家が原因を探してくれる。それまでの我慢だ。さあ、お帰り」

邪険にこそ扱わなかったが、先生は首を振りながら四人の背中を押した。


「くそー先生、信じてくれなかった」

「そりゃそうだよ。別世界から伸びてくる刃だなんて、生き霊の話より、すっ飛んでいるもの」

自転車を押しながら校門を出たところで、圭太が小石を蹴った。それを引き継いで蹴ろうとした新一の足が空を蹴った。ぐらりと曲がったハンドルを良が片手を伸ばして支えた。

他のクラスや学年の生徒たちが、脇目も振らずに四人の横を過ぎていく。


ウーーーッーーー


サイレンが聞こえてきた。いつも耳にする救急車とは違う低い音だ。

ほどなく深緑色のトラックが、曲がり角の向こうから走り込んできた。運転席の上の赤い非常灯がクルクルと回っている。

「あれって救急車かな」

良はつぶやいた

「あれは自衛隊の医療班の車だよ。乗っている人は感染防止のための防護服を着ているしね」

新一は目を細め、通り過ぎる車を見送った。車は学校に入っていった。

「なんで自衛隊の医療班がこんな町中に…、まさか」

何かを思いついた圭太が、「あのな…」と話しはじめた。が、不意に口を閉ざし、聞き耳を立てるように首を捻った。


・… ・… ・… ・… 

低い轟きが、どこからともなく近づいてきていた。やがて爆音とともにヘリコプターの編隊が現れ、上空を掠めていった。


その直後、火事や異常気象を知らせる放送塔のサイレンが鳴りだした。四人が何事かと顔を見合わせる内にサイレンは止まり、アナウンスが続いた。

…こちらは四国管区災害対策本部です。これより住民の皆さんに、お知らせがあります…原因不明の病にかかった人が、県内および四国各地に見つかりました。屋外に出ている人は、感染防止のために、ただちに家の中にお入り下さい。繰り返します…


「まさかってなに?」

放送が終わったところで、蒼が圭太に尋ねた。

「町に自衛隊が入り込んでいる。ひょっとしたら、四国はやっかいなウイルスに汚染されたとして、封鎖ロックダウンされ、本州から切り離されてしまったかもしれない」

「ちょっ、ちょっと待ってよ」

新一が顔をこわばらせながら、ジャンバーの裏ポケットからスマホを取り出した。

「やっ、父さんたちからの着信履歴がいっぱいだ。今、大阪に出張に行ってる父さんに電話するからね。あ、もしもし、パパッ」

三人は頬をひくつかせて話す新一を見守った。


「えっ、本当なの?じゃあ、僕らどうしたらいいんだい。ご飯は…」

スマホを耳から離した新一は、圭太の顔を見つめて頷いた。

「お察しの通りだよ。本州と四国を結ぶ橋は既に通行禁止になっている。船も飛行機も皆ストップしているらしいよ。感染症の研究班が東京から派遣されて、病気の原因を突き止めるんだって。それで治療法が見つかるまで、関係者以外は四国への出入りは禁止だってさ。生活に必要な物資は、外から運んでくれるから問題ないって」

「とんだ見当違いだ。それにいきなりすぎるよ」

良はぼやいた。

「まあ、仕方ないさ。大人なりに精一杯に考えてのことだよ。むしろ、対応が早くて誉めてあげてもいいくらいだ。いきなりだったのは、報道を規制して、自衛隊の準備ができるまで、待っていたからじゃないかな」

珍しく圭太が落ち着いた口調で言い、良に向き直った。

「良、あとは事情を知っている俺たちに任されたってことだ。さっき、できることがあるって言っていたよな。そいつをやってみようよ」

熱血漢の圭太に火がつこうとしていた。良が話せば、まちがいなく乗ってくる。

『それは駄目だ。幻人の世界に行くのは僕だけでなくては』


「いや…あの…ちょっとした思い付きだったから忘れてしまったんだ」

なんとか取り繕ったが、圭太の目は良の表情をじっと探った。

「いいんでない。良ちゃんは、忘れたって言っているんだから」

「新一、俺らは良を助けるために、長老さんから詳しいことを教えてもらったんだ。お守りの水晶をもらったのも同じ理由さ。良が何かやろうとしていたら、俺たちもついていく。そういうものじゃないか」

責めるように話す声に、新一の顔がこわばった。

「そんなこと、圭太君に言われたくないよ」

「なんだと!」

圭太が新一の胸ぐらを掴んだ。

「やめろよ」

良は二人の間に分け入った。

「本当に忘れてしまったんだ。思い出したら絶対に話すよ」

嘘をついている自分が苦しかった。でもそう言うしかなかった。

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