第16話 凍りついた人々


翌日、良は、家の裏の道を走る救急車のサイレンの音で目を覚ました。耳を澄ませば、町のあちらこちらから高い音が聞こえてくる。

「運ばれているのは、地面の下から突かれ、命の波動を奪われた人」

つぶやいた口元から息が白く伸びた。

室内とはいえ、よほど寒いのだろう。しかし、相変わらず薄着で平気だった。波動の力を使ってはいけないと厚着をしたこともあったが、息ができなくなるほどに気分が悪くなった。着膨れは、宿った波動との相性が悪いようだった。


良は一階に降り、洗面所で顔を洗おうとして蛇口を捻った。が、蛇口がカラカラと滑るように回るだけで水は出てこなかった。

「…」

「水道の水、凍りついてしまったのよ。お風呂もよ」

台所から声がかけられた。風呂の湯船をのぞくと、厚い氷が張っていた。天井の水滴は短い氷柱つららとなっていた。

台所に入ると、母が温かい濡れ手拭いを渡してくれた。倉庫から引き出してきた灯油ストーブの前には、ミネラルウォーターのペットボトルが五本も並んでいた。

「災害備蓄の水も凍っていたの。それにしても冷蔵庫が保温庫になってしまうなんて」

冷蔵庫から牛乳を取り出しながら母が言った。


朝食をとりながら、身支度をしながらも、良はTVから流れるニュースに耳を傾けていた。異常な冷え込みについては、地元の気象予報士が、「気象庁も様々な考察をしていますが…」と、これまでの気象データでは説明できない現象が四国で起こっていることを伝えていた。凍りついた人々については、昨晩から急に起こったことのためか報道はされなかった。


「じゃあ、いってきます…」

良は、繋ぎのジャンバーに身を包んだ満と家を出た。

「さっきから救急車がひっきりなしに走っている」

ペダルをゆっくりと漕ぎながら、満が右に左に顔を向けた。


家々の軒先には、朝日を浴びた氷柱が美しく光っている。雨雲レーダーでの予報のとおり、空は青く晴れていた。

「今日こそは暖かくなるよね」

「いや、いくら陽が照っても、温度は上がらないよ」

「どうして」

不服そうな満の問いかけを無視して、良は前に漕ぎ出た。謎めいた説明をすれば、次々と質問がぶら下がってくるにちがいない。それは勘弁だった。


「安西君、おはよう」

弾んだ声がした。

振り返ると、白いダウンジャケットを着た蒼が、立ち漕ぎして寄って来るところだった。満の首が亀のように伸び、寒さにあおられてまた縮んだ。

「誰?僕知らないよ」

「佐那河内村から引っ越してきた犬神さん。クラスメートだよ」

横に並んだ蒼の顔をのぞきながら、満は小気味よくベルを鳴らした。

「これから毎朝、このお姉さんと一緒に?」

「何言ってんだよ、今日はたまたまだ」

「たまたまでも、お邪魔はだめだよね」

自転車のスピードを上げた満は、ハンドルをぐらつかせながら振り返った。

「お姉さん、兄ちゃんをよろしくね」

「まあ、かわいい」

離れていく満に、蒼が微笑みながら手を振った。

灰色に凍りついた街路樹の下に、鮮やかな花が咲いたようだった。


良と蒼は交差点に差しかかった。

昨日、新一をはねた軽自動車はもはやなかった。

『事故?』

すぐ先のバス停に人だかりが見えた。救急車のサイレンが近づいている。

二人は自転車を降りて前に進んだ。

人だかりの中心に黒いコートを着た男性が立っていた。蝋人形のように身動きせず、顔には霜が降りている。男性はバスを待っている間に凍りついてしまったのだ。


救急車が駆けつけた。人々は、車輪付きの担架を引きだした救急隊員に道を開けた。

「さあ、慎重に!」

声を掛け合いながら、隊員たちはこわばった体を担架に横たわらせた。隊員の一人が硬く結わえたネクタイを緩め、聴診器を服の中に突っ込んだ。シーと口に指を当てる仕草に、見物人は声をひそめた。

「まただ。かすかに心臓は動いている。体は凍りついているというのに」

隊員は首を傾げた。


「あっ」

良は小さな声を立てた。

たった今、男性の足があったところに、鋭く尖った透明な物が突き出していたのだ。ほんの一センチほどのそれは、瞬きする間にも、アスファルトの照らつきの中に消えた。

『錯覚?』

横に並んだ蒼の顔を見つめた。黒い瞳は、何かを地面に探すように下に向けられている。

「私も見たわ。あの人は、あの刀の先のような物で突かれて凍ってしまったのね」

振り向きもせずに小さく言った。

「そう、命の波動を奪われて体温をなくしてしまったんだ」

良は頷いた。


二人はゆっくりと自転車を漕ぎながら学校に向かった。

人を突くやいばについて、特殊な力をもつ二人の他は、誰も気付いていないようだった。

『満、平気かな』

凍りついた人を目の当たりにした良は、先に別れた満の事が気になった。

「あの刃って、自転車に乗っていたら刺されないよね」

たぶん大丈夫だとは思いながらも、安心するために聞いてみた。

「残念だけど、そうとも限らないんじゃないかしら」

「えっ。けどどうやって。だって、今見たとおり、刃の持ち主は地面の下にいるんだよ。宙に浮いているペダルに置かれた足は刺せないのでは…」

「そうね。だけど、あの刃は地面に溶けるように消えたわ。こちらの世界の理屈では説明がつかないということよ。おそらくあの刃は、この世界と隣接する別世界から伸びてきている。下方からという条件はありそうだけど、どの程度の高さなら安全かは分からないわ。もしかしたら、足が着いている所、自転車のペダルの上でも、二階や三階にいても狙われる可能性があるかもしれないわ」

「うーむ」

確かに蒼のいうとおりだった。槍を構えた地底人がこの世界の地下に潜んでいるわけではないのである。

「それにしても、犬神さん、ぜんぜん怖くないみたいだ?あの刃が、いつ下から突き出てくるかもしれないのに」

「ええ平気よ。靴を履いていても、私の足の裏はとても敏感なの。何か変なものが近づくのを感じたら、頭で考えるよりも早く飛び退いているわ」

蒼は少し遠い目をして説明した。わずかに瞳が青く光って見えた。


校門が見えたところで、急に後ろから自転車が追突された。

慌てて地面に足をついた良の横に

「出会って間もないのに、もう一緒に登校ですか」と細長い顔がのぞきこんだ。圭太のにやにや笑いが鼻先にあった。後方からは油の切れたチェーンの音が近づいてくる。

「良ちゃん、圭太君、ちょっと待って」

着膨れで雪だるまのようになった新一がやってきた。事故で壊れた自転車の代わりに母親のミニサイクルに跨がっている。蒼の姿を見て、荒い息遣いを飲み込もうとしたが、すぐにゼーゼーとやりだした。


圭太の首には、昨日、蒼の家で二つに割られた石が揺れていた。鎖のついた透明なバッジケースに入れられ、さりげない飾りのようだった。

「三田君、昨日の水晶は?」

真面目な顔をして聞いた蒼に、新一は得意げに首にまわしたタコ糸を引っぱった。

「ほら、このとおり、ばっちりだよ」

胸元からは、お守り袋が出てきた。

「この中だよ」

「なんだいそりゃ。格好悪い」

圭太が笑いながら袋をつついた。

「せっかくの水晶なんだから、明るい所に出しておいたほうがいいわ」

蒼はバッグからポシェットのような筆箱を取り出した。中にあった透明な鉛筆キャップの先に水晶のかけらを押し込んで、お守り袋に入れなおした。水晶のかけらは袋の閉じ口に、ちょいと顔を出している。

「これで、大丈夫」

三人の男子は、蒼の機転と手際の良さを、ほぅーとため息をつきながら見つめた。


「あれっ?」

良は不意に疑問を感じた。

「犬神さん。その石って、そんなに大事だったっけ」

昨日の話では、持っていれば、まあいいかぐらいだったはずである。

「ええ。今朝、昨日の晩から起こっている事件について、長老様やお父さんと話をしたの。育みの気の減少は無視できないのだけど、人が凍りつく事件に関しては、幻人まぼろしがやっていることではないかって。だとしたら、この石を身にまとえば平気かもしれない。ほら、幻人は安西君に丁寧に話しかけたっていったでしょう。だから、竜の波動を育てた石の輝きを持った人には、手を出さないかもしれない。もちろん、ただの気休めにしかならないかもしれないけど」

蒼は良の目をじっと見つめて話した。

…昨日の晩、町に波動を伸ばしたことを知っているわよ…と言わんばかりに。


「ふーむ、危ないところだった」

新一が頬を揺らしながらお守り袋を撫でた。

「何が?」良は聞いた。

「僕見たんだ。さっき家を出た時、ゴミの収集所で整理をしていたおばちゃんが、急に動かなくなってしまったんだ。怖くなって後ろを見ずにきたんだけど。あれも、幻人にやられたのかも」

「夜明け前に、隣の家に救急車が停まっていた。もしかして、あれも?」

圭太が硬い表情になって聞いた。

「たぶん」

良と蒼は頷いた。

「うむ。じゃあ、このことを知っているのは俺たちだけってことか。けど、皆に知らせた方がいいんじゃないか。この町は危ないって。もしかしたら、他の地域では事件は起こっていないかもしれない」

「それは駄目だと思うわ」

圭太の言葉に蒼が首を振った。

「知らせたところで信じてもらえるかしら。それに町から出ていったとしても、どこからが安全かわからないわ」

「じゃあ、このまま指をくわえて見ていろってこと」

圭太が怒ったような強い口調でいった。

「待てよ。犬神さんは本当のことを言っているだけだよ。それにな、僕、できそうなことがあるんだ」

良は澄み切った青空に顔を向けた。

『僕は幻人の世界への入口を見つけた。今度は波動ではなく、僕自身が幻人の世界に入り、銀の衣の三郎太という人を探して話をする。波動の現れに変身できるぐらいだから、きっと可能なはず。そうすれば、どうにかなるかもしれない』


「できそうなことって、なんだよ」

問い詰める圭太に、良は曖昧な笑いを返した。

『話すわけにはいかない。可能かどうかはわからないけど、熱血漢の圭太は一緒に行くと言い張るだろう。いつもの通り、新一も付いてくる。何が起こるかわからない幻人の世界に、二人を連れていくことはできない』

唇を尖らせる圭太の横で、蒼は黙って良の顔を見つめていた

四人は校門を抜け、自転車置き場に向かった。

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