第25話 水門の中の修行者1


「あなたたち…」

高い声がかけられた。振り返れば、厚いスキーウエアを着た中年の女性が後ろから近付いていた。

「大人はいないようだけど…自分たちだけで」

感心しきりの様子だった。ただ良の方は見ようとはしない。圭太と新一は取りあえず制服を着ているが、良といえば、背中が破れたTシャツ姿である。ダムの水が凍るほど寒いのに、気が狂っているとでも思ったのだろう。

「そうなんです。私たち、家族が皆、凍りついてしまって。それでここまで歩いてきたんです」

状況を察した蒼が上手に応じた。女性は目を丸くした。

「ここまで歩いてきたですって!ここは四国山地の真ん中よ。車でも麓から四時間もかかったわ」

「いえいえ、途中までは、親切な人が車に乗せてくれたんです」

「あら、そうなの」

女性は納得したようだった。

「ねえ、おばちゃん。僕たち、お金を持っていないんだけど、あの中に入れてもらえるかな」

先をいく人に視線を投げながら、圭太がカマをかけて聞いた。

「心配いらないわ。光の大使様は見返りなんて求めていないわ。偉いお方で、自分が誰なのかも名のらない。ここにいる代理の方も、快く『氷解の薬』を分けて下さるはずだわ」

女性は目を潤ませながら答えた。きっと大切な人が凍りついているのだろう。

「帰りはどうするの。よかったら、車、乗せてあげるわよ」

「ありがとうございます。先に行った男の人が、待ってて下さるっておっしゃたんです」

蒼が丁寧に頭を下げた。良たちもぎこちなく腰を折った。

「そうよね、困った時には助け合わなくてはね。じゃあ、先に行くわね」

微笑みながら女性は四人を追いぬいていった。


「ここは四国山地の真ん中。これから会うのは、光の大使の代理と呼ばれている人。そして凍りついた人を溶かす『氷解の薬』を皆に分けている」

良は語られた言葉を繰り返した。

「偉い光の大使だって!そんなの嘘っぱちだ。やっぱり、ガラスの塔は、育みの気を独り占めにするために建てられたんだ」

圭太が吐き捨てるようにいった。目の前にはガラスの塔が迫っている。先に行った女性はその手前に黒く開いた入口を降りていった。


向こう側にいた時には見えなかったが、ガラスに覆われた水門の先、セコイヤの木の根元近くにも、黒く開いた入口があった。

『育みの気は、あそこから水門の下に流れ込んでいる。氷解の薬と名をつけられ、人々に配られている』

良は思った。他の三人もその事に気づいている様子だった。


四人は暗い入口に足を運んだ。 

急な階段を二メートルほど下ると、ダムの管理用に作られたのだろう、薄暗い電球のならんだ細い通路がのびていた。躊躇とまどうことなく足を前に進めた。

途中、ビニル袋を手にした数人と擦れ違った。袋の中には、薬のような白いカプセルが百個以上入っている。皆、希望に満ちた表情を浮かべ、足取りは軽かった。

さらに進むと、天井から厚い透明シートがぶら下がっていた。それをめくり、少し行くとまた一枚、また一枚。シートをめくる度に、空気が濃くなっていくようだった。四人の口元から流れる白い息が消えていく。温度は確実に高くなっていた。


「念入りなこった。こんなことまでして、育みの気が外に漏れないようにしている」

圭太が鼻を鳴らした。

四枚目のシートをめくった先に、頑丈そうな鉄の扉があった。良は立ち止まって振り返った。三人の友人は、じっと目を見つめてからうなずいた。良はいったん深呼吸し、思い切って扉を引いた。


途端、光が漏れ出した。先ほどの女性が跳ねるように出てきた。

「氷解の薬、手に入れたわ。これで夫も子どもも救われる。大丈夫よ。ありがたい祈りの込められた薬で、あなたたちの家族も元に戻るわ!」

興奮したように話して離れていった。


目の前には、こぢんまりとした部屋があった。広さは学校の階段のおどり場ほどで、天井には電灯が薄くついていた。棚には六台の液晶モニターが並び、ダムの周囲の様子が映し出されている。部屋の向こう側に続く通路の扉は開いていた。

モニターの前に卓上カレンダーがあった。めくってあるページは、二〇※※年、五月。やはり、幻人の世界に行っている間に、四ヶ月もの時間が過ぎていた。幸いなことに、浦島太郎ほどにはならずに済んだようだ。

良はほっと息をついた。


「ここ、巨大ダムじゃないのに、こんな部屋があって、管理モニターまでついてる」

新一が首を傾げた。

部屋の奥まったところには、畳が二枚しかれ、この場に相応しくない祭壇が置かれていた。甘い匂いのするお香の煙が、白いカプセルの詰まったガラスケースの上で揺れている。


「よく来たね」

祭壇の横に置かれていた屏風の片翼が折れ、そこに正座していた男が顔を上げた。

僧侶のように頭髪を剃り上げ、すり切れた白い着物を着ている。歳は四十から五十才の間だろう。やつれてはいるが、顔色はよく、とても健康そうだった。細い顔には薄い笑いが浮かんでいた。


「君たちとはゆっくりと話がしたい。他の人には少し待ってもらおう」

優しい声音で話すと、男は立ち上がり、良たちの後ろの扉に鍵をかけた。

奇妙な雰囲気をもった男だったが、育みの気を独占するような悪者には見えなかった。

男は壁際により、モニター横のマイクに向かって話した。

「光の大使の代理より、氷解の薬を求めてこられた方々にお伝えする。急に祈りが必要になったゆえ、しばらくお待ち願いたい」


男は微笑みを浮かべながら畳の上に戻って座った。

「君たちも、立っていないで座りなさい」

力強い男の声に四人は従がった。

「最近、畳にダニが湧いての…ちょいと虫よけをしとくわな」

男はいいながら、懐から取り出した透明な虫除けピン?を四人の周囲の畳にプスプスと刺した。

「ち、ちょっと待った。あんたがいくらいい人に見せかけても、俺たちは騙されないぞ」

上擦った声で圭太がどなった。

「まあまあ」といいながら、祭壇の前に戻った男は、台座の上の蝋燭に火をともし、その後ろにあった小型の多面鏡を開いた。

「しかし、なかなか勇ましい青年だのう。わしは天照てんしょうと申すが、君は何という名前かの?」

男は楽しげな声で言いながら振り返った。肩すかしを喰らったように圭太はそのまま黙り込んだ。


「あの…蝋燭を消して」

苦しそうな蒼の声が響いた。良は横を見ようとしたが、首はギプスで固定されたように動かなかった。腕も、まるで他人のもののよう、まったく自由にならなかった。

「犬神さんに何をした!」

圭太がすぐに反応した。立ち上がって男に掴みかかっていったが、男の動きは武道の達人のように素早かった。あっという間に硬い床の上に投げ飛ばされ、ウッと唸ったきり動かなくなった。

「道なき山を歩き続け、時に、熊と戦いながら修行を積んだわしにかなうわけがない」

男は軽くいった。

「圭太君!」

新一が動こうとしたが、男がさっと伸ばした手に首の付け根を強く掴まれ、そのままばったり突っ伏した。


「ほう、この二人は普通の人間というわけか」

穏やかな目で床に倒れた二人を見つめた男は、一転、鋭い視線を良と蒼に向けた。

「一人は邪悪な波動を守る一族の生き残り。もう一人はその波動を宿した者。正月のトレイルラン大会で迷子になり、ひょっこり姿を現した高校生、安西良。佐那河内村での出来事には、常にアンテナを張っていたが、村役場の掲示板に貼られていた顔写真と名前、しっかり頭に刻みつけておったよ。改めて名乗ろう、わしは天照と申す。娘は既に知っていた名前であろうが」


「くそっ、人の名前を呼び捨てにするな!」

良は立ち上がろうとしたが駄目だった。動くのは目と口だけだ。

「無駄だ。人ならざるものを宿した邪悪な者がもつ影は、この魔封じの鏡の放つ光と、水晶のクギで押さえられている。おまえたちは動けない」

蝋燭の炎に照らされた二人の影は、先ほど男が打ったピンの上に薄く伸びていた。男が言うように、鈍い光を放つ水晶のピンは絵を留める画鋲のように二人の影を固定していた。

「あんたは何者だ。僕らは邪悪な者なんかじゃない」

良はどなった。

「彼は、光の神を信じる盲信者よ。前に話したでしょう。私の一族を殺した修行者がいたって。それが彼よ。気づくのが遅かった…」

蒼の悔しさの涙か、畳にぽつりと水滴が落ちた。


「悲しいことよな。邪悪な者は、己の邪悪さに気づかない。二時間ほど前に訪れた二人もそうだった」

「長老さんたち…二人をどうした」

「おまえたちと同じだ。少しばかり乱闘があったが、わしの体術と影のクギウチで押さえ込んでやったわ。今は別室で神の光のもと、きちっと座っておるわ。取り憑いている獣の霊を捨てれば、自然と自由になれるのだがの」

「私たちは、宿している精霊を手放したりはしない」

「そして災いをまき散らす波動を守るか?」

天照てんしょうと名乗る男の顔が引きつった。見開いた目が狂信的に黄色く光りだした。


「人々は古来から、あの山で光の神に祈りを捧げてきた。それにも関わらず、災いは起こり続けた。地の底で、邪悪な波動が人々の願いを喰らい続けたからだ。その力の怖ろしさは知っているはずだ。若者のその華奢な体に宿っただけで、山肌を縞模様をつけるほどに焼いてしまった」

「ちがうわ。安西君に宿った波動は、光を求める心のエネルギーが洞窟に溜まったものよ。山火事を引き起こしたのは、宿ったばかりで、まだ使い方を知らなかっただけ…。災いを波動のせいにするのはお門違いよ。波動そのものに善悪はない。邪悪な波動があるとすれば、それは、人の心の闇に棲まう鬼の霊体だけだわ」

こわばる口調で、蒼が懸命に話した。


天照の顔はいくぶん赤味を帯びていた。

「では尋ねるが、邪悪ではないものを宿している者の影が、何故に、わが聖なる光に捕まっておる」

「私、わかったわ。蝋燭の炎が揺らめいても、拘束の力に変化はない。私たちが動けないのは、水晶の発する高い周波数が、私たちの高いエナルギーを持った波動とシンクロしているからだわ。私たちの体の近くなら、どこに水晶のピンを打っても同じような現象が起こるはずよ。聖なる光なんて、あなたの思い込みに過ぎないわ」

「小娘が!わしを侮辱して聖なる光を消さそうとしておるのか。世に生じている事実を見よ。現に邪悪な波動がこの者に宿り、人々が凍りつくという災いが起こっているではないか」

言いながら天照は、細いロープを取り出し、床に倒れている圭太と新一を縛った。

「僕は災いなんか起こしていない。あんたらの一味こそが犯人じゃないか!」

「好きなだけ言うがいい」

天照はもはや顔色を変えることはなかった。蒼も縛りはじめている。

「あんたらはセコイヤの木をガラスの塔で覆ってしまった。木が放っていた大切な物質を閉じ込めたところから、事件は起こっているんだ」

「わしは逆のことを言う。ガラスの塔は、おまえたちのような者から、セコイヤの木を守るために作られはじめた。そして災いが生じる数日前に完成した。おまえたちが、いかに災いの波動を使おうとも、ここを訪れる人は助かるのだ」


良は悟った。

『この男には何を話そうと理解してもらえない。幻人の世界に行ったことを伝えても、なおさらに無駄なことだ』


天照は息を荒立てながら、良にもロープを回した。着物に染みついている汗の臭いが鼻をついた。






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